雲仙鉄道 26~汽車と自動車
(写真;小浜町資料館より)
慶長19年、三河から来た、本多親能(ちかよし)氏が小浜温泉の管理をし、藩主より小浜
庄屋と、小浜温泉の取締を命じられますが、城主の認可を得、長男の才兵衛親継(ちか
つぐ)氏を庄屋とし、次男、親次(ちかつぐ)氏を湯大夫(温泉の湯元、元締)とし、親次氏
が初代の湯大夫となります。
明治26年、南高来郡部長5代、金井俊行によると、「小浜ノ湯ハ六カ所ニシテ皆本多西男
氏(注;第十代目湯大夫)ノ所有に属ス・・・・」とあり、かなりの資産があったのでしょう。
この、本多西男氏が、自費を投じ小浜海岸を埋め立て、現在の小浜温泉の基礎を作りま
す。
鉄道跡を辿って、いろいろ話をすると、「この鉄道は、湯大夫さんが作ったもんじゃ」、と言
う話をたびたび聞いたことがあり、私も当然、鉄道建設当時から、湯大夫さんが係わって
いたと思っていたのですが・・・・・年代は、はっきりしませんが、雲仙小浜鐵道の社長とし
て、本多西男氏の子息、「本多親宗」氏の名前が見えます。
以前、愛野~小浜町の短い距離に、なぜ二つの鉄道会社があるのか、長崎日日新聞の
記事を紹介しました。→記事はこちらをクリック。
ところが、二つの鉄道会社が出来たのには、他にも理由があったみたいで、昭和52年の
小浜町観光課発行の、「国立公園 雲仙観光圏」に次のような記事がありました。
「・・・・鉄道区間は最初から小浜まで走らせたかったが、それより少し先に小浜の本多湯
大夫氏が自動車会社を設立していたので湯大夫さんは参加しなかった。・・・・・しばらくは
自動車と汽車の競争が続いた。鉄道会会社は赤字が続いた。・・・・やがて本多氏も参加
することとなり鉄道は小浜まで延びた。・・・・」
「島原・南高の100年~監修・松尾卓次」にも、「当時小浜には『小浜自動車株式会社』と
『雲仙自動車株式会社』が営業していたため、当初は温泉鐵道は千々石までで止まっ
た。」とあります。
(島原・南高の100年~監修・松尾卓次より)
「国立公園 雲仙観光圏」には次のように書いてあります。「小浜自動車株式会社」は大正
元年、小浜町有志の共同経営で始まり、大正2年に株式会社に。
最高級大型レオ号、貸し切り車は、パッカード・カデック等の最高級者のみ30台を揃
え・・・・・・
社長は、鉄道の社長と同じく、「本多親宗」氏です。
これでは、湯大夫さん、すんなりと鉄道には参加するはずは無いのですが、なぜ、後年参
加をしたのか?参加の時期はいつ頃なのか?
汽車が、温泉街まで乗り入れず、2キロほど手前の北野で終点になります。資金不足と言
われていますが、自動車会社との関係を考えると、何か関係があるような気がするのです
が・・・・
ちなみに、愛野~小浜まで、自動車代は70銭。汽車代は80銭。汽車で行くと、温泉街ま
で、まだ距離があります。
(参考・引用:「島原・南高の100年」「国立公園 雲仙観光圏」「小浜町史談」)
久しぶりの雨。昔は相合い傘で・・・ポチと思い出しますね。カミサンとはしませんが・・・・
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