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2013年8月

2013年8月31日 (土)

2013年8月31日の千々石海岸~雲仙市千々石町

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今日は、2013年8月31日です。脳ドックに行って、最初の検査が、「今日は何年何月何

日ですか」と言われ、分からないことが多く、最近は、手の平に書いていって、誤魔化して

答えていますが、8月31日だけは忘れません。


夏休み最後の日ですから、長年の習慣が身についているのでしょう。学生時代、この日

は、徹夜で宿題をやっていましたから。


さて、今日は、8月最後の日と言うことで、青空の下、海岸の写真を取ろうと思ったのです

が、あいにく台風接近。この頃は、熱帯低気圧に変わっていて、波もさほどひどくなく、何と

なく、中途半端な海。

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左の写真。奥に見える断崖は、千々石断層です。右の写真は、反対側から見た風景。手

前の山が「釜山」です「お」は付けないこと。それに続く、「猿葉山」。

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左の写真、福石様です、千々石に津波が押し寄せたとき、この岩の上の地蔵さんが、海

に身を投げ出し、津波を止めたという伝説があります。


右の写真、海水浴期間、監視台と、奥の方が売店があったところです。こうして見ると、本

当に夏が終わったなという感じ。


昔は、夏といえば、子どもたちは海に行っていたものですが、最近は少子化の上、「海は

ベタベタするから嫌いだ」という子どもが増えているとか。諫早のプールなんかは、芋を洗

うみたいに満員なのですが、親もプールの方がいいのかな?


2013年の夏は終わりました。大げにいえば、歴史上2度と帰らない夏です。今年の夏

は異常に暑かった夏ではありましたが・・・・夏を惜しみながら



パラソルを廻し胎児よろこばす      中尾寿美子

冷や麦に氷山と浮く氷かな        島田青峰

分け入っても分け入っても青い山    種田山頭火

いとけなきふるちんの朝夏休      三橋敏雄

夏山を越ゆる雲あり影もまた       sugikan



今年も、ひと夏の恋はありませんでした。もっともこう暑くては。秋はポチ頑張りますよ。

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2013年8月29日 (木)

第35回 少年の主張長崎県大会 わたしの主張2013 ~中学生のメッセージ~★雲仙市

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昨日、「少年の主張長崎県大会」が開かれました。県大会は、各市で持ち回り。今年は、

雲仙市の当番。会場は南串山町のハマユリックスホール。会場は、ほぼ埋まっていまし

た。

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余談になりますが、宗像市に、「宗方ユリックス」というのがあり、宗像市の市の花が「ユ

リ」、市の木が「クスノキ」で、合わせて「ユリックス」。中学生が考えたそうです。


南串山町も、町の木は「くす」、町の花は「百合」。南串山町は、以前、百合の生産地で、

欧州、アメリカまで輸出をし有名でした。このホール、海の近くにあるので、「ハマユリッ

クス」と名付けたのでしょうが、何となく、宗像市のを・・・・・


さて、今日の長崎新聞に、早々と、昨日の模様が載っていました。

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県内の各市から選ばれた、10名の中学生が、発表をしますが、最優秀賞は、佐世保市立 

相野浦中学校三年の松下綾さん。「思いと言葉の間で」。


お母さんが、2年前にガンで亡くなり、その時、「ありがとう」の言葉だけしか言えなかった

そうですが、そのことに触れ、言葉の大切さを訴えていました。


ほか、県校長会賞、県PTA連絡協議会賞、ココロねっこ賞、長崎新聞社賞、NHK賞等あり

ましたが、発表は、社会に対する考え、自分の夢、国際交流の問題等、皆、立派な発表

で、若者も真剣に、いろいろな問題を考えていることが感じられました。


最優秀賞を取った松下さんは、全国大会に出場しますが、長崎県は過去3回、全国大会

の最高の賞である、「内閣総理大臣賞」を3回取ったことがあります。


昭和59年度、第6回大会、有家町立(現南島原市立)有家中学校、松島吉宏君、「鳴らな

いチャイム」。昭和62年度、第9回大会、県立野母崎養護学校中学部、野田綾子さん、

「心で握手」。これは確か、カッパブックスで出版された記憶があります。平成14年度、第

24回大会、島原立第三中学校、西誠君、「これから頑張るんだ」。


幸いに、私、この3名の発表を聞く機会がありましたが、どれも日本一になるだけあって、

素晴らしい発表でした。今回の、松下さんも、3名に負けす、素晴らしい発表でした。


全国大会で、緊張もするでしょうが、賞は気にせず、自分の考えを、堂々と発表してもらい

たいと思います。


皆さんも、「近ごろの若い者は」、と一緒くたに考えず、素晴らしい若者もたくさんいるので、

機会があったら、是非聞いてみてください。


なお、小浜中学校ブラスバンドが、大会に花を添えてくれました。さすが、全国大会で優勝

するだけあって素晴らしい演奏でした。


なお、この大会の司会、裏方さんは中学生が務めていました。舞台、後の演題も中学生

が書いたものです。

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子どもたちに負けないように、大人もポチと頑張りましょう。

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2013年8月28日 (水)

あまちゃんと宮沢賢治の歌★星めぐりの歌

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「あまちゃん」。今後のストーリーが気になりますね。週刊誌でも、どのようになるか、話

題になっているようです。


実は、私、来週のストーリーは知っているんです。少しだけ書くと、いよいよ試練が訪れま

す。


「東日本大震災」です。なんで、私が知っているか?「TVガイド」に、次の週の粗筋が書い

てあります。あとは見てのお楽しみ。


さて、今日の「あまちゃん」。夏さんと春子さんが、家の中に二人っきり。夏さんが元気にな

り、春子さんが、東京へ戻ろうかと思っていたところ。出てきました。バックの音楽。「宮沢

賢治」の「星めぐりの歌」。


以前にも、出てたなと思っていたら、調べている人がいて、第8話と第39話にも出ていたそ

うです。私の大好きな歌です。



あかいめだまの さそり

ひろげた鷲の つばさ

あをいめだまの 小いぬ、

ひかりのへびの とぐろ。



オリオンは高く うたひ

つゆとしもを おとす、

アンドロメダの くちは

さかなのくちの かたち。



大ぐまのあしを きたに

五つのばした ところ。

小熊のひたいの うへは

そらのめぐりの めあて。



スケールが大きくていいですね。


ところで、サソリ座の赤い星は、サソリの心臓とされ、名前を「アンタレス」。火星と共に赤

く、意味は、「火星に対するもの」と、理科の先生に習い、赤いのは目玉ではないのです

が・・・・まあ、小さい事は気にしないで、今度、いつ、「あまちゃん」の中で、この曲が流れ

るのか、楽しみです。


今夜も、雲が無ければ、南の空に、さそり座が見えます。さそり座の近くに、土星も見えて

ます。他の星も探して見てください。結構楽しいものですよ。


なに、どれがどれか分からない?スマートフォンをお持ちお方は、星座のアプリがあります

から、一つ入れておくと結構楽しいですよ。なに!スマートフォンもない。それなら、500円

程度で星座早見盤(小中学校の時、理科で使ったやつ)が売ってありますから、そちらを

お求めください。文房具屋さんに売ってあります。Amazonでも売ってあります。



二人で星探ししをするもの楽しいですよ。肩なんか抱いたりして・・・ポチ思い出しますね。


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2013年8月27日 (火)

シルバー川柳「満員御礼」~みやざきシルバーネット+河出書房編集部編

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以前、「シルバー川柳」、「シルバー川柳2」、「遺言川柳」をご紹介しました。


前述の、「シルバー川柳」は、社団法人有料ホーム協会+ポプラ社編集部。「遺言川柳」

はUFJ信託銀行編でしたが、今回の出版は、みやぎシルバーネット+河出書房新社編集

部編のものです。


この本に載っている川柳は、仙台圏で発行している、高齢者向け、フリーペーパー「みや

ぎシルバーネット」に投稿されたものだそうで、2013年1月に、一冊目が発売、反響があ

ったのか、7月に、この2冊目が発行です。


発行者は違えども、シルバーのユーモア、変わりませんね。

少しばかり、気にいったのをご紹介。


■婆さんも 性別欄は まだ女 (64歳)

■私の旬 何時かと言えば 今でしょう (67歳) 

■おせちにも 熟女の味が しみている(81歳)

■女っ気 出せば父さん 後ずさり (72歳)

■女盛り 散るのを忘れ 今日も咲き (72歳)

女性とは、すごいもので、67歳になって「旬」ですか。81歳で「熟女」。72歳で、「女っ気」、ど

うやって出すんでしょう。私なら、裸足になって逃げますが・・・


■爺様に 心盗られて 五十年 (66歳)

■みーつけた ジイとバーバが チューしてた (71歳)

■ジジとババ いじめ合っての ボケ防止 (79歳)

仲の良いご夫婦もいるようで、79歳で「チュー」。セックスレスの、若夫婦が、増えて来てい

るという話ですが、見習って欲しいものですね。


■次の世は あなととの出会い ありません (72歳)

これ言われると、辛いですね。生まれ変わったら、夫とは一緒になりたくない、という統計

が出てましたが・・・・男性は又妻と一緒になりたい、という逆の答えが多かったと思い

ます。


■診療所 今日もいかねば 病欠に (60歳)

■大病院 一冊読んで 名を呼ばれ (80歳)

■血圧計 納得するまで 挑戦し (69歳)

病院に行くのも、大変で、私も経験があります。


■人生を 上りきらずに 下り坂 (73歳)

私も、親に、「お前は大器晩成型だ。」と言われましたが、60歳過ぎてしまいました。


■あきらめて 買えば出てくる 探しもの (85歳)

■ぼけたけど 悪口だけは スラスラと (90歳)

90歳になって、悪口がスラスラですなら、「ぼけ」て無いでしょう。


■夏休み 孫よ早よ来い 早よ帰れ (78歳)

他の人と話していると、「孫は来ても良し、帰っても良し。」と言っていましたが、話をしてい

ると、どこでも同じようで・・・


■生きるのは 大変死ぬの また大変 (80歳)

昨年、父、母、続いて亡くなりましたが、つくづく、心に沁みる川柳です。


■女とは 菩薩もいれば 夜叉もいる

私の家はといえば・・・・・・言わなくとも分かるでしょう。


もっと、面白いのがあるのですが、後は是非本を買ってお読みください。1ページに一句づ

つ、大きな字で書いてありますから、老眼鏡をかけなくても、十分に読める本です。



川柳を読むと、皆さん、前向きに生きていますね。私も、前向きに生きたいのですが、どち

らかといえば、「バック」の方が好きで、ポチ困りました。何の話かって?大人の話です。

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2013年8月26日 (月)

たまには、キャラメル。

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父が病院で亡くなる数週間前、「キャラメルが食べたい。」と言い出して、しかも、「グリコ

を。」


なんで、グリコなのか良く分かりませんでしたが、この、グリコ、お店屋さんをいくら探して

も、無いんですね。この事があってから、買い物に行っても、お菓子売り場を気にする事が

多くなって・・・・


いつか、クラッカーの事で、ここらの店には「前田のクラッカー」が、ほとんんど置いて無い

事を書きましたが、森永は見かけるが、グリコは見かけませんでした。


今日、コンビに行って見ると、ありました。ありましたが、昔のグリコとは違って、「アゾビグ

リコ」になっていました。


昔は、箱はこんなに大きくなく、「おまけ」が入った箱が上に付いていて、子どもの頃は、キ

ャラメルより「おまけ」の方が欲しかったのですが・・・・「ひとつぶ300メートル」のおじさん

は変わっていません。

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調べると、昔のグリコはなく、この「アソビグリコ」になっていて、キャラメルが4粒と、木で作

った、「おまけ」。やはり、今の子も、キャラメルより、「おまけ」の方が楽しいのかな?


この「アソビグリコ」は。第4弾で、「おまけ」は10種類あるそうです。私のは「でんでんだい

こ」で、なかなか素朴な感じで、良くできていました。

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グリコは四角ではなく、ハート型。森永は昔ながらの四角形。中を開けると、「森永ミルクキ

ャラメルの歴史~1~」というのが印刷してあり、


「日本で最初にキャラメルを製造し、販売したのは創業者・森永太一郎だと言われていま

す。太一郎がアメリカで製造技術を習得したレシピは当時の日本人の嗜好に会わなかっ

たために、品種改良を重ね、1913年(大正2)年「森永ミルクキャラメル」の名で新発売を

しました。この頃はバラ売りで一粒5厘、最中や大福1個とほぼ同じ値段でした。」


こうして見ると、歴史的にも意外に古く(100周年ですから)、結構、高価なものだった事が

伺えます。


なお、森永にはビタミンA、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンD等、グリコにはカルシウム、ビ

タミンD、ビタミンB2等、そして、「かきエキス(グリコーゲンを含む)」が入っているので、変

なスナック菓子を子どもに与えるより、いいカモネ。


子どものお菓子だと侮るべからずで、たまには食べて見ましょう。「おまけ」は相変わらず、

大人でも楽しいもんですよ。



グリコさん、おまけに、バニーガールの人形、入れてくれないかな。ポチお願い。

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2013年8月25日 (日)

男のおばあさん~永六輔著

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医者に行って良く、「加齢化」ですね、と言われますが、あれは、ウゾですね。5歳の子ども

が、一つ歳を加えて6歳になるのも「加齢」です。歳を取ると、はっきりと「老化ですね。」と

言われた方がスッキリするんですが・・・・


永六輔さんを知ったのは、小学校の時、テレビ創生期の、伝説的なNHKのバレエティ番

組「夢で逢いましょう」。


黒柳徹子さん、変な外人のE.Hエリックさん、三木のり平さん、田辺康夫さん、テレビに初

めて出演した渥美清さん、エンディングソング、「夢で逢いましょう」を歌った坂本スミ子さ

ん。今月の歌で大ヒット、「上を向いて歩こう」を歌った坂本九さん。「こんにちは赤ちゃん」

の梓みちよさん、音楽は、中村八大さん、ジャズプレーヤーの松本秀彦さんも。その他、

多士済々。歌あり、コントあり、踊りありでした。


特に、司会の中嶋弘子さん。首を傾けて、「こんばんは」の挨拶は、今も記憶に残ってま

す。本職はファッションデザイナー。店が丸の内にあるというので、上京したとき覗いて見

ましたが、本人は不在でした。最後まで、素人ぽっさが抜けませんでした。


そして、作、構成が永六輔さん。ほっそりした、少し、いなせなお兄さんの感じで、舌っ足ら

ずで話していましたが・・・・あのお兄さんが80歳になったとは!考えると、私も一緒に歳取

っていたんですが・・・・


永さんの、ラジオ番組、「永六輔の誰かとどこかで」、50年近く続いていますが、私は仕事

中の番組だったので、ずっと聞けませんでしたが、2年ほど前、聞いていたら、相手役、遠

藤康子さんの後、なにかモゴモゴと、全然分からない言葉で喋る老人の言葉が、一瞬後、

永さんだと分かりましたが。


少し、言葉が不自由だとは聞いていたのですが、これほどひどいとは、最近は段々良くな

ってきて、話していることは、分かるようになりましたが。


と思っていたら、本屋さんに、「男のおばあさん」が並んでいたので、買って来て読んだら、

昨日は、涙がでるやら、おかしいやらで、一気に読んでしまいました。


永六輔さん、この数年、大変みたいだったようで、パーキンソン病、それに伴い、転倒し

て、数度に及ぶ骨折、乗っていたタクシーの交通事故。

でも、はやり永六輔流ですね。パーキンソン病になったとき


「『付き合う』っていうことが大事なんです。

闘病じゃありません。

闘うんじゃなくて、お付き合いをする。

お付き合いをしていると、冗談もいうようになるし、明るくもなるし・・・・・」


江國佳織さんの、お父さん演芸評論家の、江國滋さん。ガンで亡くなりましたが、



おい癌め飲みかはさうぜ秋の酒



という、俳句がありましたが・・・・・


「永六輔の誰かとどこかでは」、入院中も、病室で放送をしたそうです。永さんが、TVを離

れ、ラジオにこだわったのは、いろいろ理由があり、書ききれませんが、小沢昭一さんに

次のように言われたそうです。



「小沢さんに最後に言われたのは、『ラジオを止めるな』でした。

『言っていることがわからなくても、声が出なくても、あなたがマイクの前にいるってこ

とが伝わればいいんです。

いいですねラジオをやめないで』

初めて、小沢さんの前で泣きました」


その、小沢さんの方が先に亡くなり、「小沢昭一的こころ」が聞けなくなりました。恐妻家

で、中年の男の悲哀を感じる、ちょっと助平な、「宮坂おとうさん」。懐かしいですね。


さて、人間必ず歳は取るもので、この本、60歳程度になって、老いを感じ始めたら、絶体

に読む本です。病気との付き合い、老いとの付き合いの準備をしておくために。

なお、パーキンソン病については、詳しく書いてありますので、ご心配の方は是非。



カミサンを見たら、旅行ガイド案内を。また、私を置いて、ポチどこかへ行くつもりか?

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2013年8月24日 (土)

新築開店・移転・新発売★連三・イルマーレ・たまご屋さん・宅島海産~諫早市・雲仙市

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雲仙市国見町に、「連三(れんぞう)」というパン屋さんがありまして、私も国見町で勤務を

していたとき、「連三はどこですか?」と聞かれたことが、多々ありましたが、場所が分かり

にくくて説明に困りました。ネットで検索すると、たくさんの記事が見られます。


金・土・日が営業日。他の日は、全国への通信販売の日。石窯焼きの天然酵母パンで

す。


ウチのカミサンがここ数年、この食パンのファンで、いつも買いにやらされますが、車で15

分程度のところの、地場直産店にも出していたので、そちらに買いに行っていました。


今日、諫早の鷲崎交差点から有喜に至る、いつもの道を通っていたら、「天然酵母パン」

の幟があったので、いつもの興味半分で入ると、なんと「連三」。少し、店員さんと話をして

いたら、国見から、こちらに移転してきたとのことでした。

2階は、「連三カフェ」だそうで、今度は、カミサン以外の誰かと・・・・・


せっかくだったので、クロワッサン、ベーコンパン、食パン、米粉パンを買ってきましたが、

米粉パン、もっちりして美味しいですね。

今度は毎日営業するそうで、7時から18時30分までだそうです。

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こちらは、国道251号線沿い、橘湾を望む、イタリアンレストラン「イルマーレ」。

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数年前、台風で建物が大崩壊。意外と流行っていた店なのですが、数年間、手つかずで

そのまま。


新しくなったなと思ったら、オーナーが変わったみたいで、それから、確か2,3回変わった

と思います。


通りがけ、新装になったのが目に入り、家に帰ってもカミサンはいないし、入って見まし

た。店の向こう側は、橘湾の美しい海。二人で来るところです。


近ごろ、太り気味なので、生ハムとホーレン草のペペロンチーノの単品。まだ、他にもある

のですが、我慢、我慢。ローズマリーとミントのアクセントが効いてました。

生ハムといえば、食べたのは、生まれてから、2回目で、はやり美味しいですね。

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こちらはたまご屋さん。お店と言うより、少し上等の小屋みたいなもので、一日3回、車で

で運んで来て、売っていましたが、発売の時間になると、たくさんのお客さんが来て、並ん

で、場合よってはお一人、2袋なんて制限していましたが・・・


諫早市飯盛町の国道251号線の坂道にあり、車を停めて買う人もあり、危険性もあるの

か、あれだけ売れると、収益があったのか、2キロ先の同じく国道沿いに移転しました。

お店の名前、いつものように忘れました。ところで、「卵」と「玉子」は、どう違うんですか?

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いつも、干魚を買っていく、小浜の宅島海産ですが、なにか今日はないかと思っていたら

ご覧の看板。さっそく、「增兵衛」さんとやらを買って来ました。

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島原半島には、「六兵衛」という麺類の食べ物があり、サツマイモを切って、干して、粉にし

て、保存しておいて、小麦粉と混ぜ、麺にし、だしに入れます。


この「増兵衛」さんは、サツマイモの代わりに、地元特産品の「ジャガイモ」を練り込んだも

の。だし汁は、地元のエタリ(かたくちいわし)を使った、本格的特性スープ。


各店の味ですか?いつものように、自己責任で買って、食してください。


ところで、もう出ていました。新米。早場米でしょうが、やけに早いですね。

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あちらも、こちらも新装。私も、古妻から新妻へ、ポチ考え時かな?

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2013年8月23日 (金)

雲仙鉄道 26~汽車と自動車

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             (写真;小浜町資料館より)

慶長19年、三河から来た、本多親能(ちかよし)氏が小浜温泉の管理をし、藩主より小浜

庄屋と、小浜温泉の取締を命じられますが、城主の認可を得、長男の才兵衛親継(ちか

つぐ)氏を庄屋とし、次男、親次(ちかつぐ)氏を湯大夫(温泉の湯元、元締)とし、親次氏

が初代の湯大夫となります。


明治26年、南高来郡部長5代、金井俊行によると、「小浜ノ湯ハ六カ所ニシテ皆本多西男

氏(注;第十代目湯大夫)ノ所有に属ス・・・・」とあり、かなりの資産があったのでしょう。



この、本多西男氏が、自費を投じ小浜海岸を埋め立て、現在の小浜温泉の基礎を作りま

す。


鉄道跡を辿って、いろいろ話をすると、「この鉄道は、湯大夫さんが作ったもんじゃ」、と言

う話をたびたび聞いたことがあり、私も当然、鉄道建設当時から、湯大夫さんが係わって

いたと思っていたのですが・・・・・年代は、はっきりしませんが、雲仙小浜鐵道の社長とし

て、本多西男氏の子息、「本多親宗」氏の名前が見えます。


以前、愛野~小浜町の短い距離に、なぜ二つの鉄道会社があるのか、長崎日日新聞の

記事を紹介しました。→記事はこちらをクリック


ところが、二つの鉄道会社が出来たのには、他にも理由があったみたいで、昭和52年の

小浜町観光課発行の、「国立公園 雲仙観光圏」に次のような記事がありました。


「・・・・鉄道区間は最初から小浜まで走らせたかったが、それより少し先に小浜の本多湯

大夫氏が自動車会社を設立していたので湯大夫さんは参加しなかった。・・・・・しばらくは

自動車と汽車の競争が続いた。鉄道会会社は赤字が続いた。・・・・やがて本多氏も参加

することとなり鉄道は小浜まで延びた。・・・・」


「島原・南高の100年~監修・松尾卓次」にも、「当時小浜には『小浜自動車株式会社』と

『雲仙自動車株式会社』が営業していたため、当初は温泉鐵道は千々石までで止まっ

た。」とあります。

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         (島原・南高の100年~監修・松尾卓次より)


「国立公園 雲仙観光圏」には次のように書いてあります。「小浜自動車株式会社」は大正

元年、小浜町有志の共同経営で始まり、大正2年に株式会社に。


最高級大型レオ号、貸し切り車は、パッカード・カデック等の最高級者のみ30台を揃

え・・・・・・

社長は、鉄道の社長と同じく、「本多親宗」氏です。


これでは、湯大夫さん、すんなりと鉄道には参加するはずは無いのですが、なぜ、後年参

加をしたのか?参加の時期はいつ頃なのか?


汽車が、温泉街まで乗り入れず、2キロほど手前の北野で終点になります。資金不足と言

われていますが、自動車会社との関係を考えると、何か関係があるような気がするのです

が・・・・


ちなみに、愛野~小浜まで、自動車代は70銭。汽車代は80銭。汽車で行くと、温泉街ま

で、まだ距離があります。

(参考・引用:「島原・南高の100年」「国立公園 雲仙観光圏」「小浜町史談」)


久しぶりの雨。昔は相合い傘で・・・ポチと思い出しますね。カミサンとはしませんが・・・・

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2013年8月22日 (木)

またも出ました!不整脈!

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真っ白な、スッキリ伸びた、白魚のような指。惚れ惚れしますね。


初盆の疲れが残っていて、一昨日は、暑い中、あちらこちら調べに回っていた

ら、昨日の朝から、なんか変だぞ?と言うことで、病院へ行って、心電図を取る

と、出てました。不整脈。正式には心房細動と診断されています。


病院へ行ったときは、バタバタしていたので、ベッドへ寝ていて、脈拍が130程

度、落ち着いたら100程度まで下がりましたが、即入院。


いつもの、カラオケ、カウンターバー、バニーガール付きの、超VIP個室。なんて

言うのは、田舎の個人病院にはありませんが、病室に入って点滴開始。


ところが、血管には針は入るものの、2回打ち直しても、点滴液が入らず、手の

甲から点滴。「少し痛いですよ」、と言われましたが、以前書いたように、オ○

○ンの先っぽから、内視鏡を入れらた身。あれに比べれば、鯨とメダカの違い。


結局、心臓が、正常に戻るまで、18時間ほどかかりましたが、かくもあろうか

と、本を持ち込んでいたので、カミサンにも邪魔されずに、2冊ほど集中して読

書してきました。

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これ、黄色、緑、赤の線が付いていますが、信号機ではありません。この先に、

極が付いていて、胸に貼り、この機械から電波をナースステーションまで飛ば

し、脈拍を見るものです。


はやり、暑いせいなのか、私が入っている間にも、2,3名熱中症気味で、運び

込まれ、半日点滴を受けていました。若い美人なら、話しかけたのですが、おじ

ちゃんとおばちゃんで、残念でした。暑さがまだ続くようです。皆さんも、健康に

ご注意を。



と言うことで、今夜はポチ早めに、お休みなさい。


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2013年8月20日 (火)

結城城(金山城)★キリシタン大名ジョルジ結城弥平次と結城一族の墓(キリシタン墓碑?) その2~雲仙市国見町

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結城城から少し下った、小高い丘の奥の中に、結城一族の墓と呼ばれる、墓所

あります。

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入り口は少し急なところを登ると、少し広い山道に出ます。少し歩くと墓碑があり

ます。


説明版によれば、「じゅうごさん」、「姫の墓」と呼ばれていると書いてあります。


「じゅうごさん」といえば、漁民地区に見られる信仰で、海の神様と言われていま

す。吾妻町史によれば、「『ジュウゴ』(龍宮)とは「竜王」が訛ったものと思われ

が、はっきりしない。竜神と恵比須の習合信仰と解される。」と書いてありま

す。この場所は、海から随分離れた所なのですが、不思議です。


「姫の墓」については、国見町郷土史研究会、「国見町の忘れられた文化
財 第

二集」に「姫(注:結城弥平次の姫)は水に溺れて死んだと田中次男氏はいって

いる。命日は三月十七日、昔は近隣揃って供養していたが最近は一家でやっ

いる。」と書いてあります。墓所は田中氏の裏山にあります。


さて、この墓は裏が問題で

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赤い四角の所。「日本キリシタン墓碑総覧」には、「類似資料 結城キリシタン墓

碑」として取り上げられ、状況の説明の後、「本墓碑をキリシタン伏碑と断定せ

ずにあくまで類似資料として収録し、今後の検討を待ちたいと思う。」と記載され

ています。

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なお、この祠の正面は、結城城ではなく、海の方を向いていました。祠の中は空

っぽです。


なお、地元の方と話をしていたら、長崎へ去った結城一族が、この地を懐かし

、建てたのではないかと言われた方がいました。真実は謎です。

(この項終了)



今日の暑さは何だ!と言うところです。昔は夕立がありましたが、今年はありま

せん。明日は、ポチ、雨乞いでもしてみますか。


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2013年8月19日 (月)

結城城(金山城)★キリシタン大名ジョルジ結城弥平次と結城一族の墓 その1~雲仙市国見町

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国見町の山というより、丘の上に、平山城があり、本丸、二の丸、石垣、土塁

認められるそうですが、ほとんどは、林、畑などになっています。


城主はキリシタン大名、結城弥平次。それ以前については、看板があるので読

でください。黄色の矢印が「結城城」、赤の矢印が、「結城一族の墓」

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さて、詳細については、前26聖人記念館長結城了吾(ディエゴ・パチェコ)氏が

かれた「九州キリシタン史」に書かれていますが、キリスト教が五畿内に入っ

たとき、ガスパール・ヴィレラ神父とイルマン・ロレンソを裁くために3名の侍が出

向きますが、かえってイルマン・ロレンソの弟子になり、その中に、洗礼名エンリ

ケ、結城山城守忠正がおり、五畿内きってのキリスト擁護者になります


息子の結城左衛門も受洗しますが1565年に不慮の死を遂げます。左衛門の

兄弟、岡山城主結城氏の家老結城弥平次は、20歳の時受洗。洗礼名ジョル

。城主結城氏も感化を受け、キリスト教信者になります。洗礼名ジョアン。


その後、結城ジョアンと弥平次は、キリスト教の発展に寄与しますが、小牧長久

の戦いで、結城ジョアンは戦死。


結城弥平次はその後、高山右近にも仕えたそうですが、1587年、「小西行長

の基に来た」とも言われ、一万石の知行を得、矢部の「愛藤寺城」の城代になり

ますが、愛藤寺城は当時、山城としては日本一の規模を有し、加藤清正が、「こ

れぞ天下無双の要害、後日用ふる事もあるべし」と、洩らしたと言われていま

す。


以後13年間矢部にいますが、関ヶ原の合戦で行長は敗戦。また、加藤清正の

キリスト教弾圧により、追放され、有馬の地に移ります。


有馬の地には、キリスト教大名有馬晴信が居り、知行3,000石を与えられ、有

の北方警護を司る結城城(金山城)の城主にむかえられます。


しかし、有馬晴信は岡大八事件に巻き込まれ失脚。息子の、有馬直純は三番

の奥方と別れ、家康の曾孫国姫と結婚。棄教してキリスト教を迫害しますが、

城弥平次には一目置いていたのか、手を出さなかったそうです。


結局、慶長18年追放され、結城城を去り長崎に行ったと記されてあるそうで

す。69歳。


国見町史談会の研究によるのでしょうか。城跡の説明に「その後 結城弥平次

は 末次平蔵の台湾派遣船に 浜田弥兵衛とともに乗船したとあるが その後

は消息不明である。84歳」とありました。


国見町郷土誌には次のように書いてあります。「この
金山の地に教会を建て、

宣教師を招き自らの信仰と神の恵みに感謝し、領民に信仰をすすめた。恐らく

当時この金山は朝な夕な、アンゼラスの祈りの鐘が鳴りわたっていたのであろ

う。」


小さな山城ですが、歴史のあるところです。

Photo_2

城の入り口ですが、整然たる石垣は当時のものかな?回りに誰もいなかったの

で聞けませんでした。城跡は整地してあり、公園化してありました。

遺蹟があるということでしたが、捜しても分かりませんでした。

P9230601

左は馬頭観音。右は分かりませんでした。昔のものか?新しいものか?

2 Photo_3

敷地の一番海側に十字架が建っていましたが、「入城四百年記念 ジョル

城弥平次」と書いてあり、平成十四年、国見町郷土誌研究会が立てたもので

した。


まだ、いろいろあるのですが、本一冊分になるので、興味ある方は、後は自学

自習で・・・・

Photo_4

(参考・引用:「国見町郷土誌」「キリシタン文化研究シリーズ16 九州キリシタン

史研究 ディエゴ・パチェコ著~結城城主ジョルジ結城弥平次」「島原半島の

史~監修・松尾卓次」。現地説明板等より)



昨日の朝は少し涼しく、いつもの「脱パンツ健康法」をしていたら、先っぽがポチ

と寒かった。先っぽ?あそこです。


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2013年8月18日 (日)

真夏の地蔵祭り~雲仙市千々石町

Dscf2106_2

昨日も使った写真ですが、千々石橋のたもとに、二体の地蔵さんが建っていて、

いつも、何気なし見て通っいたのですが、盆が終わった16日、太陽がギンギ

ラギンに上がっていると、買い物帰り、通りかかったら、いつもと違う風景。

Dscf2819_2

柱が建ててあって、日よけがしてありました。

聞いてみたら、地蔵祭りをしているとか。当番の6~7名の方は、くたばり気味。


お地蔵さんは、田舎へ行けば、「石を投げれば地蔵にあたる」とか、「犬も歩け

ば地にあたる」とか言う、格言はありませんが、とにかく、お地蔵さんは、あち

らこち見られます。


お地蔵さんは、詳しく書けば長くなるので、釈迦の入滅後、56億7000万年後

(地が残っているのかな?)弥勒菩薩が出現するまで、六道(地獄道、餓鬼

道、畜生道、修羅道、人道、天道)を回って、人々を救う菩薩だとされています。

石なんか投げると、罰が当たります。我々に最も身近な、仏様と言えるでしょう。


しばらく、話をしていると、水神様だとか。千々石は、水に恵まれ、数十年前長

崎市が水不足になったとき、千々石で取水し、タンカーで長崎まで運んだことが

りま


お地蔵さんの足元を見ると、お供え物に上げられた、お酒がたくさん置いてあり

ました。(よほどの大酒飲みの地蔵さんかな?)


これを見るにつけ、お地蔵さんが、地域の中で生き、崇められ、大切にされてい

るのが実感出来ました。


皆さんも、お地蔵さんを見かけたら、じっくり見てください。同じようでも、表情、

形、いろいろあって、興味深いものです。


とにかく、この暑いのに、地蔵祭りとは、大変なものです。当番の方は、ご苦労

様でした。


ということで、終わる予定でしたが、今日18日、商店街を通り抜けて行くと、なん

と、あと二カ所、真夏の地蔵祭りをやっておりました。


こちらのお地蔵さんは、普段は外に祀ってあるので
すが、今日は自治会館の中

に祀ってありました。


こちらは中島(なかしま)自治会。

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こちらは上町(かんまち)自治会。ちょうど昼時でした。

Dscf2852

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いつもは外で、雨風にさらされているお地蔵さんですが、今日は、一年一回の主

役の日でした。ちゃんと、お賽銭をあげて、お参りしてきました。



暑さが続きますが、歌でも歌って、ポチ暑さを忘れましょう。「もういくつ寝るとお

正月・・・・・」

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2013年8月17日 (土)

千々石の初盆~雲仙市千々石町

Dscf2786

昨年末、クリスマスに母が、ちょうど一週間後の大晦日に父が亡くなり、まあ、息

子が言うのも何ですが、仲が良かった夫婦だったので、かえって良かったのか

な、と思っています。八十九歳と九十歳でした・・・・


ということで、今年が初盆。初盆も場所によって、やり方が少しづつ違う所があ

ようで、盆前から、親戚、知人等から、角提灯、丸提灯が届き、室内に飾りま

す。ウチは少ない方で、多いところでは、部屋中提灯だらけになります。


夕方、丸提灯を持って、墓に飾り、お参りに来られる方を待ちます。8時頃、提灯

片付け、一緒に墓にいた親戚等、家に帰って飲食しますが、この準備は初盆

の家の女性軍の仕事。数が多いところは大変です。


しかし、家によっては、滅多に会えない、遠方の縁者の方が来られる事があり、

初盆が取り持つ、仏様のご縁でしょう。


これが、13,14,15日と三日間続きます。私も、三日間墓にいましたが、もう、

とへと。親戚一同も、時間がある方は、三日間一緒でしたが。町によっては、

14,15日の二日間の所、15日の一日間で終わらせるところもあるそうです。は

やり、三日間は長い!


さて、長崎のお盆といえば、花火。爆竹もならし、話し声が聞こえないほどです。

Dscf2799_2 Dscf2802

ウチの長男の嫁が沖縄出身で、墓地で花火をするのを見て、ビックリしていまし

が、こちらは、昔から当然だと思っていたので、こちらがビックリしました。小さ

いときは、これが楽しみでしたが・・・・・

長崎は、華やかな精霊流しが有名ですが、昔は、千々石は精霊船の風習は無

ったそうですが、長崎の影響を受けたのか、近ごろ、少し増えてきています。

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長崎は、まだ大きいのが、延々続くのですが、千々石では、これが、まあまあ大

きい方。前の方に、お婆ちゃんの写真が飾られいました。ウチの提灯も、集積場

に持っていって、処分してもらいました。もったいない気もするのですが・・・



長崎市内では、298隻の精霊船と、8万人の人手があったそうです。千々石は

全人口集まっても、5000人くらいですから比べものになりません。


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2013年8月14日 (水)

諫早家第八代茂行(しげゆき)公の墓所~諫早市天祐寺

P4010312

この話、数十年前、聞いていたのですが、最近思い出したので・・・・


諫早家の墓所、天祐寺に行って見られると、分かると思いますが、墓碑を始め、

立派な石造物があります。諫早の石工さんの腕前が感じられる所です。


こちらは、初代領主家晴公の墓所で、全部、初代から十八代家興(いえおき)公

で、全部同じ形式で、中には、奥方、側室、子女まで同じ領主の墓地に祀られ

ているのを見ると、諫早家の家風が感じられます。

P4010302

墓所に入って左に向かい一番奥が、初代、続いて二代、三代と並んでいます

が、墓所に入って右に向かい、一番奥まったところに、一番上の八代目茂行公

の墓所があります。


見れば分かると思いますが、右側が、茂行公の墓碑で、他の領主の墓と違っ

て、一般の四角の形の墓です。


さて、佐賀鍋島藩には、世継ぎの問題があり、これに荷担したということで、茂

行公が巻き込まれ、隠居の上、蟄居させられ、領地四千石を没収。


事件の首謀者、鍋島藩支藩の蓮池藩はおとがめ無し。これに反撥した領民が、

諫早一揆を起こす原因になります(ここらあたりは、いろいろあり、現在勉強

中)。


十一後年、蟄居は解けますが、墓は自分の意思だったのかどうか分かりません

が、普通の墓石です。なお、左の立派な墓は、茂行の正室の墓碑、鍋島藩主の

姫君であったために、五輪塔を建ててあるそうです。諫早領民は、本藩佐賀の

鍋島藩の圧政を受けたと言う文章が、あちらこちらに見られるところです。

(参考・引用:「諫早史談~田中為市著」「諫早郷土館解説シート」「諫早を歩く~

山口八郎著」)       



盆に入って、千々石でもあちらこちら、ポチと爆竹の音が聞こえます。盆には長

崎と爆竹はつきものです。

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2013年8月12日 (月)

信長伝★宮下英樹

Img

どうも、宮下英樹なる字を見ると、本を取る癖が出て、初出が、YMKCDX「センコ

ク外伝 桶狭間戦記」③~⑤に加筆、編集したものだそうです。


今川家と織田信長の桶狭間の戦いを描いたものですが。「その通説には疑問

が残る。」


筆者は述べます。「戦争の本質ーそれは『戦争により飢餓が起こる」のではなく

『飢餓の回避から戦争がおこるこ』とい逆説である 寧ろ時の権力者が これま

での方法論で 飢餓に苦しむ民衆を統治できなくなった その結果として『応仁

の乱』がおこったのではないだろうか」


「では、日本史上かってない動乱を引き起こしたほどの 大飢饉の原因とは何か

ー」ここで、作者は気象学で言われる、「リトル・アイス・エイジ」と呼ばれる、「小

氷河期」に原因を求め、論説しています。

Img_0002

桶狭間の戦いは、ご存じのように、永禄3年、大軍を率いた、今川家を、少数の

軍勢であった織田信長が破った、有名な戦いで、高校の日本史でも習ったと思

いますが、ウィキペディアを読むと、今川軍の総兵力、合戦場の場所、織田軍の

奇襲の問題等々、現在でも議論があっているみたいです。


さて、織田信長は、戦いに出るとき、2つの道のうち、「今川軍思うつぼでも!」と

いう、上道を選びますが、「しかしー実際現地に辿り着いたとき(現在の善照寺

砦跡:公園になっている)それだけでなかったことが推測できる、おそらく領外の

今川方は 知り得ないであろう信長の真意が はたしてその目で 何を見たか

ー 恐らくこの善照寺砦こそが 桶狭間の 最初にして最大の分岐点ー・・・・・」

後はネタバレになるので、480円出して買って読んでください。


今川軍の本隊と、支隊の見分け方も、槍の長さで判断していますが、これも、言

われてみれば、目から鱗ものでした。日本史の授業も、こんな風だったら、面白

かったのに。


次回は、姉川の合戦です。常識がまたも覆るか?


明日からお盆。ウチは初盆の上、孫ももやって来て、ポチ戦場になりそうで、ブ

グはポチ手抜きします。


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2013年8月10日 (土)

南島原市南有馬町八幡神社 その2~肥前鳥居と供養塔

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昨日の続きですが、この八幡神社には、供養塔があります。最初は、場所が分

からず、通りかかった近所のおばさんに聞くと、「見たことないな」と。


境内を捜すと、本殿の横にあるではありませんか。

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木立の中で、少し分かりにくいのですが、興味の無い方には、興味が無いので

しょう。


説明版には次のとおり書いてあります。「島原の乱 原城の供養塔 島原の乱

10年後(1684)荒廃した原城付近を見た代官鈴木三郎九郎重成は嘆き悲し

み窮状に同情して首塚と思われる地に供養塔を建て乱当時の死者の霊を慰め

る共に窮状に同情して首塚と思われる地に供養塔を建て乱当時の死者の霊を

慰めると共にこの地の清浄息災五穀豊穣を祈願した 碑文は天草東向寺住職

中華叟珪の撰文である 南有馬町文化財保護審議会」


鈴木三郎九郎重成は、島原・天草の乱に幕府側として、参加しています。寛政

16年、天草の荒廃の様子を見、寛永18年、天草・高来の代官になります。


しかし、土地の荒廃を見るにつけ、慶安元年、天草・高来の僧侶を集め、供養

塔を建て、3日3晩、「金剛般若経」を読経させ、法要を営んだそうです。

Dscf2625

碑文は、かなりかすれていますが、何とか読めるところもあります。大石一久氏

(現・長崎歴史文化博物館)が取られた拓本です。

Img

「九州路肥之前州高来郡原之城者寛永十四白丁丑中冬鬼理志丹之宗徒楯

古城也・・・・」、よく読めるな?「有馬町郷土誌」に全部書いてあります。写

いるだけです。長いのではしょります。


「原之城」は「原城」のことです。「鬼理志丹」は「キリシタン」。禁教前は、「吉利

支丹」とも書いていましたが、禁教後は、「切死丹」、「鬼理死丹」等を使っていま

す。


「肥後住人益田四郎」という文字も見えます。「天草四郎」のことです。


「補数万頡作三分天草当郡長崎三処理」。雲仙市愛野町に、「首塚」があり、昔

は、島原の乱の犠牲者が埋められたとしてありましたが、、これを読むと、埋め

られたのは、現南島原市、天草、長崎だった事が分かると思います。


全部は書き切れないので、ここらで止めますが、ひっそりと建っている碑です

が、大きな歴史を語っている碑です。      (この項終了)

(参考・引用:「南有馬町誌」「島原半島の歴史~監修 松尾卓治」)



あまり暑いので、クーラーを一つ買い換えましたが、ガンガン入れると、ポチど

ころではなく、寒くて、こたつを入れようと本気で思いました。近頃のクーラーは

性能が良くて・・・

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2013年8月 9日 (金)

南島原市南有馬町八幡神社 その1~肥前鳥居と供養塔

Dscf2611_2

お~!肥前鳥居ですね。島原半島で、瑞穂の八幡神社に次いで、2本目の発

見。


他にも、見つけて、分布図、年代等調べれば、文化の伝達が、分かる思うので

が。肥前鳥居は、お隣、佐賀が本家です。


それにつけても、このどっしりした姿。惚れ惚れしますね。一番上の、笠木と島

が一体になって、端の方がそそりたった姿。貴女も、そそり立ったのだお好き

でしょう。


下は、橘神社の鳥居です。こちらも立派な鳥居ですが、

Dscf2782_2 Dscf2783_2

比べると、肥前鳥居の方が、素朴で落ち着いた感じがします。


ただ、残念なのは、笠木、島木の下の「貫」が新しいこと。近所の方に聞いたら,

後の方を車が走って・・・・・・多分、重機あたりが当たったのでしょうか?


八幡神社の本殿は、もっと奥の方にあったそうですが、「6・3・3」制の学校改革

で、境内に中学校が出来たそうですが、中学校が拡がってきて、昭和28年、社

殿が移築されたそうです。「軒下を貸して母屋を取られる」の例でしょう。


社殿近くで見た狛犬、

Dscf2618_3 Dscf2619_2

狛犬の口の中に、玉が見えます。もちろん取り出せません。口の中を彫るとき、

緒に彫り込んだ物でしょう。狛犬といい、よほどの腕の石工さんと見ました。


この神社、島原の乱の原城の近くにあり、乱以前のことは、詳細には分から

いらしいのですが、島原の乱後に再建されたものだそうです。


鳥居には、「?延宝三暦・・・」が読めましたが、あとは、良く分かりませんでし

た。寄進者の名前も書いてありましたが、調査すると子孫の方が分かるかも。


さて、この神社に、あまり知られていませんが、島原の乱に関係する、供養塔が

あるのですが、それは、また明日。(参考:「南有馬郷土誌」)



何となく、鳥居フェチになりそうですが、本当は熟女フェチがいいな・・・

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2013年8月 8日 (木)

日本人の知らない日本語4~蛇蔵&海野凪子著

Img_0001

暑くて、調べ物にあちらこちら、いく気も起こらず、本屋に行ってみたら、出てまし

た。「日本人の知らない日本語4」。「日本人の知らない日本語3」まで、紹介して

ますから、続いて紹介を。


ご存じない方も、おられると思いますので。作者の、海野凪子さんは、日本語学

の先生。蛇蔵さんはコピーライターで、漫画家。


いつもは、日本人学校で外国の方に、日本語を教えるエピソードが描いてある

ですが、今回は、お二人が外国に行って、主に、日本語を教えている学校を

訪れたり、日本語を習っている個人の方を描いています。


訪れたところは、フランス、ベルギー、ドイツ、イギリス、オーストラリア、チェコ、

イス。


相変わらずの面白さ、各国での国民性の違い、日本語を、
真剣に学んでいる人

この世界中にたくさんいることが分かります。


どのページをとっても面白いのですが・・・・

Img_0004

今回は、ページの下の方に、「うんちくメモ」なるものが付いていて、「豊かな国ス

イス。優勝国が次の開催地になるヨットレース『アメリカズカップ』にスターチーム

を送り込んだら優勝してしまったことが。スイスに海、ありません・・・」。それで、

どうしたかというと、本をお買い下さい。


「『し』と『ち』の違いがわかりにくいドイツ語圏の人は多く、『クレヨンしんちゃん』

を間違えると大変な事に。


「日本ではおじぎをしなければ!」と思い、トイレに入っても便器にむかって一礼

していたアントーニオさん。


よんで、考えさせられることもあります。常用漢字に含まれない文字を新聞等で

ひらがなまじりで書くこと。

「子供」が「子ども」。これ、以前の某文部大臣が、「供」は「お供」の事であ

って、

軽蔑していると言うことで、「子ども」と書くようになった経過がありますが、やは

り、日本語ならちゃんとした漢字で書くようにしたいもの。

Img_0002

さて、私も少し思い出したことが、「イギリスでは・・・・鼻をかむ音ははずかしいこ

ととされないので、すすらずに堂々とかんでください。」と書いてあります。


以前、EAT(学校に於ける英語の指導助手)さん。20歳くらいの、イギリスの超

美人の方が、事務所で、ティシュペーパーを取り出すや、みんなの前で、音高々

に「チーン」と鼻をかみましたが、これには一堂、唖然としました。日本人のウラ

若き女性なら、席を外して他の所でかむんですが・・・・・


もう一つ、このEATさんに、近所の方が方言を教えて、「おっさん、元気かん。」

「おっさん」は、いわゆる、高齢者の方にたいするタメぐち。「元気かん」は、「元

気ですか」。高齢者の方に対する、気軽な呼びかけです。


EATさん、これを覚えて、次の日学校に行って、校長先生に、「おっさん、元気か

ん。」、職員室の先生方、一瞬固まったそうです。


暑い中、この本を読んで、面白くて、一日暑さを忘れました。もっとも、クーラーを

れてましたが・・・・日本人として、恥ずかしくない日本語を使いましょう。私は

いつも間違が多いので、あまり、言えませんが・・・・



この本読んで、日本語をポチ勉強しましょう。

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2013年8月 7日 (水)

しょース!~醤油?ソース?

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世の中には、信じられないことを、考えられる方がおられるもんで・・・・


先日、「夏はソーメン」を書きましたが、その折、東海林さだおさんの、「あれも食

たい これも食いたい」、に少し触れましたが、週刊朝日の古いのがあったの

で、少し読み返してみると、5月31日号、連載1268回に「しょース」なるもの

が、載っておりました。


目玉焼きにかけるのは、ソース派と醤油派と別れるそうで、東海林さだおさんは

ソースをかけ、その後、「コソコソ」と醤油をかけるそうで、なぜ、「コソコソ」か

は、読でただくとして、まあ、ソースと醤油を混ぜて使う人は滅多にいませんよ

ネ。


さて、ここに出てきたのが、東海林さだおさん紹介する、「しょース」。ソースと醤

油を混ぜた調味料。これ、信じられますか?私と広末涼子さんが結婚するよう

なものです。


早速、お取り寄せ。

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一週間ほどして、今日届きました。早速舐めたら、間違いなく、「しょース」。チラ

シには、「醤油風味のあっさりお好みソース」と書いてありますから、ソースがベ

ースでしょうが、トロッとした感じで、違和感は全く無し。


なんと言ったらいいのか、ソースの中にほんのり醤油味がと思えば、意外と醤油

味が顔をだしたり。


同封のコメントに、「・・・・多数のお問い合わせを頂きましたが、好評につき製造

が間に合わず大変ご迷惑をお掛けいたしましたが、ようやく受注が可能になり

ました・・・・・」と書いてあり、東海林さだおさんのエッセイを読んだのか、「コソコ

ソ」とソースと醤油をかけていた方が、意外と多かったのか?


東海林さだおさん、納豆にもかけて見て、「意外や意外、納豆の新しい味、ニュ

ー納豆になっている。」


私もマネしてみましたが、納豆に自然に溶け込むお味
で、変な感じは全く無し。

書いてあるとおり、「意外や意外」でした。


チラシが入っていたので、貼っておきます。右下の、和尚さんのキャラ、「お・しょ

ース さん」と書いてありました。明日から、いろいろ試してみたいと思いますが、

何となく癖になりそう。

Img_3



長生きすれば、ポチ面白いことがあるもんで・・・・

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2013年8月 6日 (火)

これは簡単!手作り、お吸い物。

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カミサンが夏バテで、朝から具合が悪く、病院へ。ちゃんと、見舞い品を持って、

院へ見舞いに行ってきました。私にも、これくらいの愛情はあるんです。(本当

は、行かなかったら、後が怖いから・・・)。まあ、夕方には、ケロッとして戻っては

来ましたが。


お昼ご飯は、作るのも面倒なので、お弁当を。でも・・・・やはり、なにか、汁物が

欲しいナと。


一番簡単な、お吸い物を。

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準備するものは、鰹パック、、蕎麦つゆ、ソーメンのつゆでも良いのですが、各

社、からめの物、甘めの物ありますから、好みに合わせて。これは、絶体必需

品。鍋とお椀。これも、必需品。あれば、とろろ昆布、無くても結構。


あとは、材料を混ぜて、お湯を入れて、混ぜるだけ。

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このとき、柚を刻んで入れようとか、しょうが汁を入れたらとか、切りごまを入れ

たらとか、絶体に考えないこと。本日のテーマはあくまで、「これは簡単!」です。

格的な物は禁止。


女性が長生きするのは、料理をするからだと言った学者がいます。何を作るか

考え、材料は?手順は?そして、考えたことを実践していく。これが、頭脳に良

いそうで、長生きの要因になるそうです。男性の方も、簡単なものから、料理をし

てみましょう


お吸い物のお味ですか?鰹の風味が効いて、おいしいですネ。もっとも、食べ物

に関しては、まずくなければ、それで良い、という主義ですから、あてにはなりま

せんが・・・ただ、インスタントのお吸い物より、安上がりです。


なに?これでも面倒くさい。あとは、お椀に水を入れて、お吸い物にするだけで

しょう。



見舞い品ですか?もちろん薔薇の花です。ポチ、キザな私。(冗談です

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2013年8月 4日 (日)

ランドセル俳人の五・七・五~小林凜著

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生まれしを幸かと聞かれ春の宵


作者、小林凜くんについては、朝日新聞、2011年9月12日に、「10歳のいま

む五七五」という記事で紹介され、また、朝日新聞の「朝日俳壇」を読まれる

方もご存じだと思います。


私、地方新聞しか取ってないので、知りませんでしたが、偶然この本を手にとっ

て、引き込まれてしまいました。


作者は、2001年、予定より3ヶ月早く、944グラムの超低体重で生まれ、病気

を抱えながら、小学校に入学しますが、そこに待っていたのは、体のハンディキ

ップによる「いじめ」。


なぜ、いじめが起こるのか、今、考えなければならないこと、なのですが・・・・


第一に、家庭。ある学校の先生と話していたとき、クラスの子供の私語が多い。

PTAで、話し合いを持ったら、若い親の私語の多いこと、話し合いにならなかっ

そうです。子供は親を見て育つもの。


いま、PTAから脱退、廃止論があるそうですが、PTAは同じ学校に、子供を通わ

せている者として、P(Parent=親)と、T(Teacher=先生)のA(Assosiatoin=

会)を通し、子供の学校での生活、学校で学んでいること、生きる力を与えるに

は、家庭で学校でどうしたら良いか、考える場であり、これが機能すれば、かな

り、いじめも少なくなると思うのですが・・・・・PTA廃止とは、これからどうなること

か?


以前、子どもたちに野外活動を教える施設に、通算6年ばかり勤めました。その

時、ハンディキャップを抱える子供が入っているクラスがありましたが、見事に二

つに分かれていました。


「あんた、邪魔だから他に行っててよ。」というクラス。「仲間だから、一緒にやろ

よ。」というクラス。比べて見ると、はやり、先生の指導ですね。


こんな事もありました。飯ごうには、2つ印が付けてあり、下の印は2合の米を炊

くとき、水を入れる印。上は4合の米を炊くときの印。説明が終わると、一人の先

生がやって来て、「3合炊くときの水は、どうしたら良いんですか?」

もはや、学校の先生の採用試験をどうしているかの問題でしょう。


学校は確かに、昔より忙しくなっています。心ある先生は、もっと子供と遊びたい

んだが、といっています。でも、仕事は忙しくて当たり前、ヒマでどうしますか?


昔は、近所の、おじちゃん、おばちゃんから叱られたものですが、今の、若い人

は地域に出て来ません。地域行事が面倒くさいからでしょう。家庭の閉じこもり

です。人と人との繋がりが薄れてきています。これも、いじめの一つの原因でし

ょう。



さて、いろいろ書きましたが、作者の小林凜くん、実に力強く、明るい俳句を書き

ます。そして、その感性の素晴らしさ。「盲目のピアニスト 辻井伸行」という表現

を見ますが、「盲目」いらないんじゃ無いですか。小林凜君も、素晴らしい才能で

す。



春嵐賢治のコートなびかせて (10歳)

帽子飛び春一番の悪戯や (8歳)

ゆっくりと花びらになる蝶々かな (9歳)

穴の主7年眠り夏の空 (10歳)

落とし文誰を思いて文落とす (10歳)

無花果を割るや歴史の広がりて (10歳)

冬蜘蛛が糸に絡まる受難かな (8歳)

ぬかるみに車輪とられて春半分 (8歳)



作者が描いた絵も入っています。

Img_0001_4   

ブーメラン返らず蝶となりにけり(10歳)


年齢を書いていますが、作者が作句したときの年齢です。もう一度、年齢と俳句

を読んで見てください。


作者は、小学校の時、不登校をしているそうですが、お母さんが書いておられま

す。「凜が俳句の世界を我が家にもたらしてくれたおかげで、『張り切って不登

校』と心から言える。」、この前向きな姿勢。


この本、今年の4月に出版されていますが、7月で5版をむかえています。読む

方が多いのでしょう。皆さんも、この本、是非、読んで下さい。今年、一番感動し

た本です。

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2013年8月 3日 (土)

2013 第6回ふるさと夏祭り~雲仙市千々石町

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今日は、千々石の「ふるさと夏祭り」。この日は、神社の虫除け祭、夏越祭でもあり、大村

でも、「夏越祭」を大々的にやっているみたいで、ローカルTVで実況をしていますが、、こ

ちらはこじんまりと。


昨年も書きましたが、茅の輪。くぐり方にも作法があり、ちゃんと、くぐる順序が書いてあり

ます。昨年よりも、参加者が多いみたい。

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七夕の飾りがありましたが、町内の子どもたちが作った物で、順位を決め、後で表彰があ

ります。

国体のマスコット「がんばくん」。いつも。「らんばちゃん」と一緒ですが、今日は一人。さて

は、振られたか、まさか、離婚したんじゃないでしょうね。なんか、心配。

4 5

未来の、「ゴルゴ13」。定番の金魚すくい。暑さのためか、何となく元気なし。

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カブトムシ、くわがたむし売り場の所に、なぜか、フィギアーが?

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へたばっている、「ラスカル」くん。多分、十八銀行のテントでしょう。もう一つは、親和銀行

のテント。こちらは人間がへたばっていました。どちらも、休日出勤で、御苦労さまです。

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さすが、餅蒔きとなると、人がどっと集まりますね、

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おなじみ、中学校ブラスバンドの「御神楽」。近ごろは、「御神楽」のほうが有名になって、

あちらこちらで、引っ張りだこです。

二小の合唱、「棚田へ行こう」。日本の棚田百選の地があるところです。この子供達が、大

きくなって、あとを継いでくれれば良いのですが・・・・

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宮司さんとの、じゃんけん大会。児童館、保育所の踊り、「わらウんだWAっ!」。これ見て

いると、少子化という言葉を実感。

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第一小学校の、「琉球の風を感じて~エイサー」。口之津町のおやじバンド「祇園ゑび

す」。

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熟女好きな私のために、大きく載せます。婦人会の「千々石ヨカね節・千々石音頭」

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「ブルーアイランド雲仙」」の、フラダンス、「ヘマナオ・コウイアオエ」。遠くで見ると良いです

ね。

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ところで、祭りの途中、変な男が二人来まして、道に停めている車が、なにやら、かにやら

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某所に、通報があったとかで、私は関係なかったのですが、年取ると、段々角が出来てき

て、多少やりとりを、「ここら、農道で、トラックを停めて農作業をしているが、あれも、駐禁 

か?」と訪ねたら、「なります」。農家の方は、トラック停めて、農作業をするのは、駐車禁

止違反なるそうですから、要注意。必要なときは、警察へ行って、道路占有許可を取って

きてください。でないと、交通違反になります。


帰りがけ見たら、道に、まだ車が停めっぱなし。

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駐車違反を取締に来たら、全部撤去するか、交通切符を切るはずですが、なにもなし。

これ、徹底的にやらないということは、職務怠慢なのか?駐車しても関係なかったのか?

なんのためにガソリン使って来たのか、わけ分け分かりません。


でも、毎日ならですが、一年に一回の祭り、人の家のガレージの前に停めているわけでも

なし、少しぐらい通りにくいのを、某所に通報するとは、住みにくい世の中になったもので

す。


さて、祭りが終わって関係者は、夜回り補導。カミサンが関係者で、「行ってきてよ。」、

「ハイハイ」。逆らえない、ひ弱な私。ポチ同情してください。今、帰って来てブログ書いてい

るところです。ところで、夜回りで見つけたのが、猫一匹、酔っ払い(成人)二名でした。

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2013年8月 2日 (金)

おおきな木★3冊の本から~シェル・シルヴァスタイン

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久しぶりに、シェルおじさんの登場です。ただ、シェルおじさんは、1999年に亡くなっている

し、有名な本はほとんど、翻訳され、ブログで取り上げたので、、これで、シェル・シルヴァ

スタインの事は、最後になると思います。一番有名な本。「おおきな木」です。皆さん、この

本を読んだ事として、以下書きたいと思います。


おおきな木には、3種類の本があります。シェル・シルヴァスタインの原本、「The Giving

Tree」。ほんだ きんいちろう訳の「おおきな木」。ほんだ きんいちろうさんが亡くなられ、

出版社が出版を続けられなくなったため、村上春樹さんが翻訳した、「おおきな木」。


この本の題は、「The Giving Tree」であって、「The Big Tree」ではありません。村上春樹さ

んは、後書きで、「長く読み続けられた本なので、混乱を避けるために『おおきな木』とい

う本の題はそのままに使わせていただきました。」と書いていますが、裏読みすると、本の

題も変えたかったのでは?


この二人の訳は、全くちがっており、特に、主人公の少年のことを、ほんださんは、「ちびっ

こ」、「そのこ」、「おとこ」、「よぼよぼの そのおとこ」、というふうに、表現を変えています

が、村上さんは、少年が、老人になっても、一貫して「少年」と表現をしています。シェル・シ

ルヴァスタインは、一貫して、「the boy」です。


親にとって、子どもが六十歳になろうが、七十歳になろうが、「子ども」です。シェルと村上

さんは、明らかに、大人を対象に書いているのでしょう。子どもに、よぼよぼの老人の絵を

見せて、「少年」と言っても、理解できないでしょう。


ほんださんと、村上さんの訳にもそれが如実に表れています。

ほんだ訳、「むかし りんごの きがあって・・」

村上訳、「あるところに、いっぽんのきがありました。」


ほんだ訳、「まいにち ちびっこは やってきて」

村上訳、「少年はまいにち その木の下に やってきました」


ほんださんの訳は、リズムがあって、子どもにピッタリでしょうが、村上さんの訳は、口で読

むより、目で読むタイプの文章です。比べて見ると、明らかに、子どもを対象にした訳と、

大人を対象にした訳ということが分かります。

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二冊の本があります。「『おおきな木』の贈りもの」は、主に、シェル・シルヴァスタインの人

生を描いたもの。「子どもとファンタジー」は、「おおきな木」を、スウェーデン、英国、韓国、

日本の7歳から17歳までの子どもに読ませ、「子どもたちが、『自己』を発見する課程を感

情や認識の側面からとらえようとした発達心理学」の本。


これを、読むと、年齢によって、国によって、読み方が違っていることがよく分かります。

「・・・・なんで木がしゃべるのか教えて・・・・」

「・・・林檎の木が少年を甘やかさなければ、少年の人生も、もっと変わったものになったか

もしれないと思えてならない・・・・・」

「・・・年老いているのに、小さい頃の少年がわすれられないのかもしれないけれど・・・・。り

んごの木はバカだなあと思う。・・・・」


まだ、たくさんな意見がありますが、「りんごの木」の解釈。「りんごの木」を「母(親)」と見る

か、「友人」と見るか、「自然」と見るか、「神」と見るか。


「母」と見るのが、ダントツに多いのが日本、次いで、韓国、英国、スウェーデンの順。「友

人」と見るのが、スウェーデン、英国、日本、韓国の順、。「自然」とみるのが、韓国、スウェ

ーデン、英国、日本の順。「神」と見るのが、英国、韓国。スウェーデン、日本は無し。


たぶん、日本で、この本を、子どもに読んで聞かせる方は、「母」として、読まれている方

が、ほとんどなのでは?


ほんださんは、後書きで、エーリッヒフロムに触れながら、「『愛とは第一に与えることであ

って、受けることではない』と主張してしたのを、記憶している人も多かろう。これこそ、この

物語に貫流する中心的な思想なのである。と書いています。皆さんも、そのような感じで、

読まれていると思います。


さて、この物語で、一番気になる言葉、木が切り刈られたあと、

ほんだ訳、「きは それで うれしかった・・・だけど それは ほんとかな。」

村上訳、「それで木はしあわせに・・・なんてなれませんよね。」

原文、「And the tree was happy・・・but not really.」


ほんださんの姿勢は、断定的ではなく、こどもに考えさせようとする、態度がみてとれま

す。なおこの部分、これまで、「木はしあわせでした。」と、ずっと書かれていましたが、これ

が本当だったかどうか、本音が見てとられるところで、木の意識の二重構造が見られま

す。これが、この物語の一種の難解性を生んでいるところでしょう。


さて、蛇足ですが、先ほどの、「子どもとファンタジー」のなかで、「・・・・切り株になった、り

んごの木にもう一度実がなって・・・・」という、子どもの感想がありますが、

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多分、シェルおじさんの、「おおきな木」を意識して書いたのでしょうが、佐野洋子さんの、

「おぼえていろよ おおきな木」。


老人の家の横に、おおきな木があり、落ち葉は散る、洗濯物は日陰になる、朝から小鳥

が集まって鳴いてうるさい。


木を切りとりますが、今度は、昼寝のハンモックはつれない、洗濯物を干すロープの、つ

なぎ所がない。ということで、老人は困るのですが、いつの間にか、切り株から芽が出てく

るという物語です。


さて、シェルおじさんの、「おおきな木」にも、芽が出て来て、また新たな物語りが始まるの

か、天国のシェルおじさんが知るのみでしょう。


参考:「『おおきな木』の贈りもの~マイケル・G・ホーガン著 水谷阿紀子訳」「子どもとファ

ンタジー~守屋慶子」「おおきな木~シェル・シルヴァスタイン著 ほんだ きんいちろう訳・

村上春樹訳」)


今日は「パン(8)ツ(2)」で「パンツの日」。ポチと覗きたい、あなたのパンツ。なに?暑い

から履いてない!

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2013年8月 1日 (木)

夏はソーメン

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この人の、この随筆を読んでいると、この人でも、猛暑のせいで、食欲が無くなるのかと。

この人は、漫画家の「東海林さだお」さん。この随筆は、週刊朝日連載「あれも食いたい 

これも食いたい」。


今週号で、1278回の連載。食べ物の話ばかりですが、よく続くもので、それも、「カレー」だ

とか、「缶詰」だとか、庶民的な話ばかりで、また、その観察眼の鋭いこと。


今回は、ソーメンの話で、猛暑で食欲はないが、腹は減る。噛むのがしんどい。何が良

いかと言うことで、ソーメン。


この、「噛むのがしんどい。」のところの観察。「噛むという行為は、上下の歯が運動してい

ることを意味している。・・・・・いま上下の歯が運動していると書いたが、実際に運動してい

るのは下の歯だけなのだ。/上の歯に下の歯を打ちつけることによって噛むという行為は

成り立っていて、上の歯は動かずにじっとしている。」


どうです、この観察眼。実験してみましたが、本当のことです。この歳まで、気づきません

でした。


東海林さん、この後ソーメンを食べるのですが、「・・・あっちを噛み、こっちを噛み、ついに

十噛み。/次の一口も十噛み。/そうして、ソーメンは十噛みが最も適しているということ

が判明した。


さて、ソーメンと言えば、「三輪ソーメン」が有名ですが、「手延べソーメン」の生産量につ

いて言えば、一位が兵庫県、二位が長崎県、三位が香川県、四位が岡山県、五位が三輪

ソーメンの奈良県です。


長崎は、生産量が多いと言っても、ほとんどが、西有家町と有家町です。これには、「有家

町郷土誌」に、「須川(注:南島原市西有家町須川)そうめんの由来は、寛永14年(163

7)の島原の乱で島原半島南部一体はほとんど無人化し、幕府の移民政策で小豆島から

移住した人々が自家消費として製造していたものが始まりである。西有家を中心に発展

し、有家、北有馬に広がり、本県の特産となった。」とあります。


西有家町では、ソーメンのルーツは中国にありということで、皆さんで、中国まで研修に

行かれたことがありましたが・・・


日本農業規格で、「乾めん類品質表示基準」というのがあり、機械麺の場合、素麺の太さ

は直径1,3㎜未満。1,3㎜以上1.7㎜未満はひやむぎ、1,7㎜以上はうどうん。手延

べ麺の場合は、そーめんも、ひやむぎも同基準だそうです。


東海林さだおさんは、ソーメンを食べるのは、十噛みが適していると書いていますが、私

の場合は、二十噛みしました、なにせ

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宮内庁献上品で、1977年、皇太子殿下が、ソーメンの製造工程をご覧になられ、その

折、宮内庁に献上したもので、十噛みでは、もったいなく、二十噛みさせて頂きました。


ソーメンは、やはり細いですね。ウチのカミサンの足と、ポチとも、比べものになりません。

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