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2013年7月30日 (火)

愛野町にあった天草四郎陣中旗~雲仙市愛野町

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諫早から小浜に向かう、愛野町の峠の一番高いところに、「愛のベルハウス」があります。

現在、カステラの泉屋さんが経営で、お土産屋さんと、右側の広いところが、レストランに

なっています。写真では入っていませんが、この建物の左側が、愛野展望所で、昭和天皇

もお立ち寄りになった所です。


さて、昭和59年発行の「島原風土記 創刊号」、木田正巳氏の書かれた、「島原城余聞」

を読んでいると、おや?「かって『天草四郎陣中旗』が、愛野展望所『四郎の館』から消え

たときも思ったが・・・・・」。「天草四郎の陣中旗」といえば、天草の「天草キリシタン記念

館」にあったのでは?

Photo

         (天草キリシタン館所有「天草四郎陣中旗)


天草・島原の乱で使われた、旗です。描いたのは、山田右衛門。南蛮絵師で天草四郎の

幹部である山田右衛門は、密かに幕府側と通じますが、発覚し、牢に入れられますが、幕

府側の攻撃の折助けられ、乱の唯一の生き残りだと言われています。


旗の正式名称は「倫子地著色聖体秘蹟図指物(りんずじちゃくしょくせいたいひせきずさし

もの)」。1964年1月11日、国の重要文化財に指定されます。


なお、十字軍遠征の折、使用した十字軍旗、ジャンヌダルクの旗とともに、世界三大聖旗

とされています。寸法は縦108,6㎝ 横108、6㎝。


旗の干十字の上の方には、「INRI」と書いてあるそうですが、写真では確認できません。

「ユダヤの王 ナザレのイエス」のラテン語の頭文字です。


一番上の文字、「LOVADO」は「讃える」、「SEIA」は「在る」、「O」は定冠詞、

「SACTISSIMO」は「もっとも尊い」、「SACRAMENTO」は秘跡。文化庁訳では、「いとも尊き

聖体の秘跡はほめ尊まれ給え」だそうです。中央には葡萄酒をもった聖杯。その上に聖

体のパン。両脇にアンジェという天使。


この旗は、幕府側の総攻撃の時、本来は28日未明だったのですが、鍋島藩が抜けがを

けし、27日に一番乗りし、家臣鍋島大膳が戦利品として持ち帰り、藩主が家臣の鍋島家

に戻し、鍋島家に1959年頃まで、受け継がれてきたそうですが、その後、行方が点々と

したようです。


本当に、愛野にあったんかな?と思い、いろいろ調べると、「昭和52年の頃には愛野パラ

ダイス(注:愛のベルハウスの間違いか?)資料館『四郎の館』で展示されましたが、閉店

後は個人の所有となり・・・・」という文書もあり、また、南島原市議会の折、教育長の答弁

として、「ただいまの陣中旗、天草の本渡にある資料館にいまかざられておるあれですけ

れども、昔は愛野町のそこに飾ってあったということはしっておりますし.・・・・・」、と記録し

てあり、これはホントだなと。


ウチの、カミサンに「知っている?」とおたずねすると、「聞いことはあるばってん。」というご

返事。


もうひとかた聞くと、一番上の写真、赤の矢印の建物に「四郎の館」と書いてあったとか。

入って見た?と聞いたら「なんか、気味が悪くて入らなかった。」とのこと。現在、覗いて見

ると、倉庫になっていました。


後日、近所の方に聞くと、某観光会社が、「愛のベスハウス」を作り、「旗もあったよ。」との

事でしたが、会社がゴルフ場を、あちらこちら作り、破産。その時、手放したのでしょうか?

または、別の所有者の方から、借りていたか?残念ながら、愛野町の資料をあせってみ

たのですが、触れたものは全然ありませんでした。


天草のキリシタン館に、「天草四郎陣中旗寄贈者 松本高光翁公徳碑」があり」、「・・・・大

宰府の松本高光翁は、所有するこの陣中旗を永年に寄託し、当天草切支丹館での公開

に寄与されたが、平成7年6日『歴史的文化的遺産は私有すべきものではない 乱の霊を

なぐさめつづけている本渡こそ安住の地』ということで、寄贈されたそうです。この松本高

光氏が、個人としての最後の所有者でしょう。


陣中旗、愛野町にあったら、というより、乱の時に翻るがえっていた原城に、資料館でも作

ってそこに納められた方が、一番良いのでしょうが・・・


なお、「愛のベルハウス」は、写真、青印の所に西欧の鐘(ベル)があったような気がする

のですが・・・たしか、数十年前、天草切支丹館に行ったとき、大きな鐘(ベル)があって、

愛野から持ってきました、との説明を受けた記憶が、おぼろげにあるのですが・・・もちろ

ん、現在、こちらにはありませんが・・・・


文章内、「天草キリシタン館」、「天草切支丹館」の名称を使っていますが、平成22年7月

にリニューアルオープンしたみたいで、「天草切支丹館」から「天草キリシタン館」に変わっ

ています。


「キリシタン」については、「吉利支丹」、「切支丹」、禁教後は、蔑称で、「切死丹」、「鬼理

死丹」等使っていますが、「キリシタン」は歴史的な用語で、現在では、一般的に「クリスチ

ャン」と言います。

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鐘(ベル)が無いとポチ淋しいですね。あなたがいない、私みたい。

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コメント

いきなりのご連絡申し訳ございません。
HPを拝見させて頂きました。
2013/7/30 愛野町にあった天草四郎陣中旗の内容に興味を持ちまして
ご連絡させて頂きました。
私は大分で喫茶を運営しているものです。そこにおいて文書にありました「愛のベルハウス」の鐘を所有しております。
その件についてお話が出来ればと思いご連絡いたしました。
実は、その鐘の情報をあまり存じあげておりません。
お手数でなければご連絡していただけますと幸いであります。

かなりの昔、数十年ほど前だったと思いますが、リニューアルする前の「天草切支丹館」に見学に行ったとき、記憶では、入り口あたりに鐘が置いてあって、こちらが南高(昔の島原半島・南高来郡)から来たと言うこともあってか、案内の方から、「この鐘は愛野のベルハウスから持ってきました」と説明があり、へえ~と思っていたので、おぼろげながらですが、記憶で書いたものです。

その当時は、あまり興味が無く、その詳細は聞きませんでした。

ベルハウスの詳細については、私も地元の者ではなく、詳しくなく、「愛野町誌」を調べましたが、記載はありませんでした。確か、経営者が何回か変わったみたいな気がしたのですが・・・

ベルハウスの昔の写真がないか調べましたが、残念ながら、見つけることはできませんでした。

役に立たない情報で申し訳ありません。かえって、どういう経路で手に入れられたのか、お聞きできればと思います。

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