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2013年7月10日 (水)

巌流島の決闘★歌川国芳展から~?????

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              (「歌川国芳展図録」より)



下関のホームページ、「巌流島」で見ると、今年、2013年は「巌流島の決闘」401周年で

す。昨年が400周年。来年が402周年でしょう。普通、5年置きとか、10年置きとかが、記

念の年になるのですが、こちらでは、毎年が記念の年になるようです。こんな考えもあると

いうことで、下関のこと好きになりました。


先日から、長崎歴史文化博物館で、「歌川国芳展」が開催され、長崎では7月24日(水)ま

でですが、某所より招待券が二枚届き、何となくカミサンに見せると、「私も行く」と。いらな

いことは言わない事ですね。おかげで、神経を使いました。なにせ、おっかない人だから。


さて、国芳展の最後の方の浮世絵です。「巌柳島報讐図」が画名になっています。

この絵見て、「じぇ、じぇ、じぇ、じぇ、じぇ」。佐々木小次郎が、優男で、宮本武蔵がむくつけ

き男のはず。これで見ると、反対の感じ。右の方宮本武蔵ですが、いやに、色白く優男、

佐々木小次郎が、むくつけき大男。


おまけに、武蔵は、船の櫂を削って長い木刀を作っていたはずが、この絵では、木剣を二

本。小次郎が刀の鞘を投げ捨てたとき、武蔵は「小次郎破れたり!鞘を捨てるとは勝つ気

が無いからだ(だったかな?)」と言ったはずですが、小次郎の腰にはちゃんと、刀の鞘

が・・・ありますね。試合の時は、立会人がいたのみで、見物人はいなかったはず。


イメージとしては

Img_0001

           (下関市「巌流島」ホームページより)

という感じなのですが。


図録の解説には「近代の小説では宮本武蔵の決闘の相手は佐々木小次郎となっている

が、江戸の実録や講釈などでは、養父の敵、四十余あまりの大男佐々木巌流である。小

倉の海上への小島へ決闘に向かう武蔵は櫂をを二つに折って左右の手に持ち巌流と戦

う。切り込んできた巌流の刀を飛び越しざま、櫂で巌流の眉間を一撃、地に降りざまさらに

頭を撃って巌流を倒した。これによりこの小島の名を巌流島と呼ぶようになったという。」と

書いてあります。「近代の小説」は、多分、吉川英治の「宮本武蔵」の事でしょう。


巌流島の決闘については、武蔵の養子、伊織が建てた武蔵顕彰碑に刻まれた、「小倉碑

文」、「沼田家記」、「本朝武芸小伝」、「丹治峯均筆記」等あり、武蔵が時刻に遅れたとか、

遅れなかったとか、いろいろあるようです。


「沼田家記」には、武蔵が決闘に弟子を連れていき、武蔵が小次郎を打ち倒し、小次郎が

息を吹き返したが、弟子達が打ち殺したとあるそうです。


さて、私たちのイメージとしては、吉川英治著、「宮本武蔵」があり、それを、映画化、TV化

したものばかり見て来たので、そう思い込んでいたようですが、真実は如何に?ネットで調

べるといろいろありますね。


この試合、見物人がいるようですから、入場料を払っても。ポチ見たかったな。

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