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2013年7月24日 (水)

スクイ(石干見)について その2~雲仙市吾妻町

Photo

いつもお世話になっている、Google earthです。黄色の矢印は、話題の諫早干拓の堤

防。赤い矢印が、吾妻町のスクイです。緑の矢印も、どうも、らしいのですが、今回は海の

下だったせいか、確認できませんでした。


片方のスクイは眼鏡橋みたいにくっついた感じ。もうひとつ、右側のスクイですが、真ん中

あたりは、随分崩れていました。


下の写真、向かいの山が多良岳。写真左上にかすかに建物が見えますが、諫早湾干拓

の排水門、白い線が見えますが、干拓の堤防です。

Dscf2549_2 

右側のスクイと、少し離れた所にあるスクイですが、真ん中あたりはほとんど崩れていまし

た。両方とも現在は使われていないのでしょう。

Dscf2546 Dscf2553

このスクイについては吾妻町史に詳しく書いてありますが、昔は、各々の所有だったそう

ですが、昭和25年の漁業法の改定で、協同漁業権に変わり、組合が免許を出すようにな

ったそうです。


各家で、各々の図面を持っていたそうですが

Img

補修するのも、干潮時の3時間ほどしかできないので、多数の人を雇とっていたそうです。

造るのも、ただ単に、石を積むのでは無く。

Img_0001_2

オロモトという排水溝も、小さすぎても、大きすぎてもできず、難しかったそうです。


なお、こんな原始的な方法で、どれだけ魚が捕れたかというと、昔は、現代の漁法みたい

に、大量捕獲もなく、海に多くの魚がいたみたいで、藤里氏の話として、「昭和14,5年に

はよく魚が入って、1回で何千斤もとれたという。このときはボラだけでも百斤ほどとれた。

こういうときは、隣近所の人を20人くらい雇いゴにしてスクイにいった。」と書いてあります

から、かなりの漁獲量があったことが分かります。


スクイに入った魚として、シクチ、イエッ、ボラ、ウナギ、シラス、シマウオ、オコゼ、スズキ、

ハダラ、グチ、イェガンチョー、カレイ、アミ、ムツゴロウ、コチ、エビ、赤貝、ミズイカ、ツガ

ネ。ワタリガネがあったそうです。方言が入っていますから、私も、分からない、魚の名前

もあるのですが・・・


このスクイも、昭和32年の諫早水害の折、崩壊し、修理の人夫賃が高い関係もあり、そ

のまま放置されたものがあり、「吾妻町誌」が出版されたのは昭和58年ですが、スクイを

保有者は昔は12人いたそうですが、石垣が崩れたり、ブルドーザーで押して海苔養殖場

にしてしまい、1人だけになったそうです。現在は、この方も、スクイはやっていないみたい

でした。


以前、この、スクイを再建しようとしたそうですが、残念ながら、いろんな関係で、ダメだっ

たそうです。見たところ、再建するのに、まだ間に合いそうな感じなのですが・・・・体験型の

観光資源としても、役立つと思うのですが・・・・・雲仙市は、何か、思い切ったことができま

せんね。(参考・引用:吾妻町史より)・・・・・・・・・・・・・・・スクイの項終了 



7月24日は劇画の日。1964年、青林堂が「ガロ」を創刊した日です。ポチ懐かしいナ。

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コメント

ガロは懐かしいですね・・・阿佐ヶ谷で飲んでいた頃に青林堂社長の長井さんによくお会いしました(^^)

そう言えば、COMもありました。
こちらは、永島慎二ファンでしたが、彼も阿佐ヶ谷ですね。喫茶店ポエムの支店の方には良く通いましたが。

ポエムは「漫画家残酷物語」のたまり場でしたっけ・・・どんな店か見たくて1度だけ入ったことがあります

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