原城の抜け穴 その後~南島原市南有馬町
今年の4月に、「原城の抜け穴」と言うことで、書きましたが、このときは、穴の位置、形さ
え分からず、穴好きの私としては、残念な思いでしたが、なんと、
1990年(平成2年)に、南有馬町(現南島原市南有馬町)から出版された、子ども向け
の、島原の乱を題材にした、「動乱 原城史:監修=笠原一男・漫画=古城武司」に、写真
が載っているではありませんか。以下、この間のブログとダブル部分があると思います
が・・
この穴、1963年(昭和38年)の豪雨で、地盤沈下して突然出来た穴。本によると、「内部
は段状になっており、一番深いところで4,3メートルの深さでした。瓦や陶器の破片が発
掘され、昔のくわの跡も見つかりました。・・・」とあります。
赤の矢印の所が、原城の本丸にある、記念碑です。私としては、もっと崖の方かと思っ
て捜してみたのですが、こんな所だったとは、唖然としました。
こちらは、海岸にある穴で、古くから知られていたそうで、海岸の崖下から6メートル、高さ
1,1メートル、幅0,7メートルから0,8メートル。
2009年(平成21年)に9月、東海大のグループが小型ロボットカメラで調査。どうも、この
模様が2009年9月23日、テレビ朝日の「スーパーモーニング」で放映されたみたいで
す。
海側から、入った人のスケッチ図です。
本丸から見つかった穴と、こちらからの穴が繋がっているかどうかは、まだ分かっていな
いようで、先ほどの本に、「この穴(注:本丸の穴)は、海岸からの横穴につながっていたも
のと想像されます。」と書いてあり、調査しないと、繋がっているかどうか、不明でしょう。
なお。2009年の西日本新聞には、「『抜け穴』の発掘調査に新年度から着手する。」とあ
りますが、まだ、着手しておりません。
現在、南島原市は「世界遺産登録」を目指しており、仄聞するところによると、来年くらい
から調査が始まるようです。(あくまで仄聞です。)
この、抜け穴、はっきりすると、遺産登録への、一つの大きな武器となるのでしょうが・・・
なお、本丸の穴は、ここらあたりかな、としか分かりません。海岸側は、昭和63年、地元
郷土史家グループが測量調査をおこなった直後、豪雨で内部が崩落し、人が入れないそ
うです。多分、地元の役所でも入れない様にしてあると思います。調査を待ちたいもので
す。 (参考・文引用:、「動乱 原城史:監修=笠原一男・漫画=古城武司」)
穴と言えば、覗きたくなる、私のポチと悪い癖。
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