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2013年7月26日 (金)

カステラの切り落とし

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先日は、センペイの子(耳)の事を書きましたが、上の写真は、カステラの切り落としです。

カステラを焼いた後、形を整えるため、端の方を切り落としますが、これが、カステラの切

り落としです。


15㎝ほどに切って、パックに入っていますが、昔は長いまま、ポリ袋に詰め込んであった

のを覚えています。農家の方が、間食に安くて、量が多いので、よく買ってきたそうです。


この、「カステラの切り落とし」が、どういわけか美味しくて、通(つう)の方は、本体より、こ

ちらの方をおいしいと好んでいます。


残念ながら、大手の老舗では、ほとんど置いてなく、地方のカステラ屋さん、お菓子屋さん

でカステラを焼いているところ、土産物屋さんに所々置いてあります。私が、買ったところ

は、1パック300円。3パックで500円のお買い得です。


さて、このカステラ、

Img_0001

この本に、「カステラ文化と福砂屋」、「長崎カステラを全国にー文明堂の奮戦」、「長崎以

外には店は出さないー創意工夫の『松翁軒』」、「渡辺庫翁の『カステラ屋さん 覚え書き』」

と、カステラの歴史が詳しく書いてあります。


最初、南蛮菓子が入ってきたのが平戸。ポルトガルの「バンデロ」という菓子で、松浦の殿

様が、近隣諸侯、一族にお裾分けをしようとしたところ、膳部頭(料理人の頭)が、こんな

バサバサして固い物は出せないとして、砂糖湯で煮て出したところ、喜ばれ、これが、平戸

名物のカスタードのルーツだと言うことだそうです。この「バンデロ」が、いわば、「カステラ」

の大元(おおもと)だと書かれてあります。


「福砂屋」の始祖福砂屋寿助が、ポルトガル人の直伝を受け、菓子店を営んだのが、寛永

元年。6代目の福砂屋市郎次事大輔が安永4年に現在の所に店舗を移したそうです。

なお、「福砂屋」の商標は「蝙蝠」ですが、これは、明治初期中国で桃と同様に慶事のシン

ボルとして、「蝙蝠」を使っていたとの事だそうです。


「文明堂」は、カステラを全国的に有名にしますが、かなり宣伝に力を入れたようで、創始

者本人の「中川安五郎苦闘録」には、「・・・新聞広告はその日限りだが、旅客の往来する

鉄道沿線に立看板を出したならば、これは大衆的であり、且つ永久的であるので効果も

大きいに違いないと考え全国要所の鉄道沿線に、『長崎文明堂カステーラ』と黒地に白字

で浮かした大看板を大々的に意匠的に出したが、果たして衆目を驚かした・・・」と書いて

あります。


「松翁軒」は、八代目貞次郎のとき、明治33年、パリの大博覧会にカステラを出品し、日

本に与えられた二つの銀杯のうち、一つの名誉大金杯を受賞したそうです。


この、松翁軒は、昭和36,7年に天草から来た中年婦人の婦人から、地卵を仕入れたそ

うですが、その後婦人が来なくなって、困ったそうです。養鶏場からの赤卵では、カステラ

が、パサパサで粘りけが無かったそうです。なお、松翁軒の一門として、博多の千鳥饅頭

の方もおられたそうです。


今年、出版された本ですが、

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この本には、伊藤小七郎、後の村山等安が、カステラを創作したと書いてあります。


豊臣秀吉が佐賀の名護屋城(大陸への進攻を目指したときの前線基地)に来たとき、長

崎金屋町乙名として城を訪れた際、 多くの献上品と同時に、カステラの材料、道具を持ち

込み、秀吉に喜ばれたそうで、長崎の外町(長崎には古くからの内町、人口が増え新しく

出来た外町があります)の代官になります。


小七郎は、キリシタン(この頃、長崎はほとんどキリシタンでした)洗礼名、アントウニオ、

略してアントンと言っていましたが、秀吉から、アントンを逆さまにして、トウアンと名乗れと

言われたそうです。苗字は、母方の村山を名乗り、これ以後、村山等安と名乗ります。


この件については、「長崎町人誌」にも、「・・・長崎略縁起に村山等安はもと伊藤小七郎と

云う者で、南蛮菓子料理に長けていたと記していある。」と書いてあります。


なお、この本、当時の長崎の様子、イエズス会の模様、イエズス会と托鉢修道会との確

執、有馬晴信のデウス号攻撃のいきさつ、千々石ミゲルまで登場します。お薦めの本で

す。小説と言っても、他の史料と比べていくと、かなり調査して書いた本だと言うことが分か

ります。 

(参考・文引用:「長崎町人誌・第3巻」「NAGASAKI 夢の王国~典厩五郎著」)


カステラの切り落としから、ポチ脱線しましたが、いつものことですから、スミマセン。

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コメント

「かすていら」今日のNHK-BSプレミアム 20:00~ 最終回でした。さだまさしの友達が駅のプラットホームまで見送りに来て、ビニール袋に入っているかすていらの切り落としを彼に渡しました。車中で上品にちぎって、口の中に入れて食べる主人公。子供達を魅了する美味しいお菓子は、いつの時代にも、どの地域にも存在するものだということが、この画面を見てしみじみ思いました。(7月26日のカステラの切り落としを思い出したので、ちょっと遡って訪問しました・・・)
ところで、東京に旅立つまでの長崎のさだまさし、ずっと見てましたか。

残念ながら、BSは入れてなくて、見られませんでした。小説が出ているので、機会をを見て。

カステラは昔、高級菓子で、進物にいただいたとき、嬉しくて、食べたものでした。
現在の子供は、いろんな食べ物があるせいか、あまり食べないようになりました。(大人も一緒)

将来、子どもたちが、お菓子といったら、どんなものを思い出すのかな?
そういえば、おまけ付きのグリコキャラメル、懐かしいですね。

そういえば昭和30年頃に長崎で一番人気があった「京屋老舗」というカステラ店はご存知ですか?
全盛時には歌舞伎座内にも支店があったそうです

残念ながら、うちは福砂屋ばかりでした。

調べると、昭和23年頃に、京屋老舗で修行した方の息子さんが、大村で三城菓子店舗を開かれているようです。銀座、大阪宗右門町にも支店があったそうです。

なお、カステラについては、典厩五郎「NAGAAKI 夢の王国」に、村山等安とカステラの事が面白く書いてあります。最も小説だけど・・・・この事は、「長崎町人誌 第三巻 さまざまな暮らし編 食の部」にも、少し触れてあり、まったくの創作ではなさそうです。なお、「長崎町人誌」には、カステラのことが詳しく出ていますが、「京屋老舗」については、記載がありませんでした。

「長崎町人誌」は以前より時々拾い読みしていますが、先日は「トルコライス」のネーミングに関する郷土史家故中西啓氏の一文を見つけ喜んで記事にしました(^^)

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