湯煎餅★又、後日談~湯煎餅発祥の地?(雲仙市小浜町)
梅雨もあけたということで、あとは、正月を待つばかり。
さて、湯煎餅も最終回を書いたのですが、またもや、「又、後日談」です。
湯煎餅の由来については、最初に書きましたが、湯大夫(溫泉の元締め)本多西男氏が、
菓子店・小高竹三郎氏に命じて、作らせたとか、島原の藩主の献上品にしたとか、旧島原
藩主 松平公が、創案したとか、諸説あり、詳しくは分からないのですが、とにかく、明治24
年頃に、小高商店で発売された事は、事実のようです。
この小高商店は昭和37~38年ころ店を閉ざしたそうで。その後、小浜の旅館等も移り変
わり、小高商店の所在地も不明で、郷土史家の方に聞いても、湯元(湯大夫の屋敷)付近
ではないかと言うこと。
で、一生懸命考えると、なにかウル覚えながら、どこかで見たなと。探し回ること数日。や
っとありました。なんと、いつもお世話になっている、長崎県衛生公害研究所から出してい
る「雲仙・小浜温泉誌~1989年(平成元年)出版」。
昭和10年代の小浜温泉街の図ですが、この時代、日中戦争、太平洋戦争と続く時代です
から、溫泉案内記、郷土史等は全く姿を消していったそうです。
当時の姿は、古老の話に頼らざるを得ず、上図の注に「旅館名は元高砂屋・重松義仁氏
らの話をもとにして作成」と記されています。
さて、この中で、赤の矢印の所に、なんと、「小高センペイ」と書いてあるではありません
か。場所は、幸いにも現在営業をしている、「伊勢屋旅館」の横、路地をはさんだ所。上の
写真、黄色い矢印が、伊勢屋旅館です。路地を挟んで、今、十八銀行がありますが、多分
ここが、湯煎餅発祥の地、小高センペイ屋だったのでしょう。(赤の矢印)
旅館がかなり変わっており、当時の名前が残っているのは、ざっと見て、「春陽館」、「一角
楼(小浜観光ホテル~廃業)」、「伊勢屋」「津多屋(現・つたや?)」、「浜松屋」、「うぐいす
屋」、「春島屋」、「恵比須屋」が並んでいるので、比較してみると、ここが湯煎餅発祥の地
だった事は、ほぼ間違いないと思います。記念碑が欲しいところですね。
なお、同書によると大正7年当時、東京では、アンパン1個2銭、豆腐一丁5銭、砂糖1㎏
44銭。これに対して、湯煎餅は1缶約30銭だそうですから、結構、良いお値段だったこと
が分かります。
(参考・文引用:「雲仙・小浜温泉誌 1989年(平成元年)~編集 長崎衛生公害研究所
発行 小浜町)
暑さのせいか、食欲も、○欲も、ポチ減退ぎみ。
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