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2013年6月12日 (水)

雲仙鉄道 その23~富津トンネル修復跡の謎

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この話、以前書こうと思っていて、すっかり忘れていました。

数ヶ月前、小浜町の観光ボランティアのMさんから、富津を案内していただいたとき、聞い

た話です。


上千々石駅から肥前小浜駅まで、3つのトンネルがあります。汽車道を車で走られた方

は、トンネルが狭いので怖い思いをされたことと思います。


この各トンネルには名前がついていません。「千々石ネット」によると、千々石から、第1ト

ンネル、第2トンネル、第3トンネルと呼んだり、長崎大学の調査では、千々石側から、第2

トンネル、第1トンネル、富津トンネルであったとか、小浜側から、第1トンネル、第2トンネ

ル、第3トンネルと呼んでいたとか・・・どれが本当か分かりません。


とにかく、上の写真は、一番小浜側の富津の所にあるトンネルです。

さて、このなかにMさんから案内され、

Dscf1621

明らかに、補修した跡があります。さて、これは、なんでしょう?と言うのが、Mさんの謎か

けでした。


もちろん、トンネルが古くなって、危険になったための補修だと誰でも思うでしょうが、なん

と、これが大違い。ここに防空壕が掘ってあって、それを塞いだ跡だそうです。少し長い防

空壕であったそうです。終戦直後、浮浪者が住んでいて、Mさんが子供の時、ここを通る

のが怖かったそうです。


橘湾周辺には、加津佐の岩戸山の砲台跡、南串山町の震洋の基地、富津の山の上のが

っくり石の砲台(重機?)、千々石側のトンネル砲台跡、愛野の展望所下の砲台跡とあり、

戦中の方と話しをしていると、千々石の山の中に、随分、防空壕を掘ったそうですが、終

戦直前の本土決戦に備えたものでしょう。


多分ここもそうなんでしょうが、これは地元の人にしか分かりませんね。まだまだ、私たち

の回りに戦争の跡が残っているようです。なお、ここは狭くて、以外と車が多いので、入る

ときはご注意を。


明日、明後日は病院の検査。今日はポチと早めに、お休みなさい。

 

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雲仙鉄道」カテゴリの記事

コメント

土橋多助の記事よかったです 私もウォ―キングしていて森山東小から上がった道を上って降りたら迷子になりました

コメントありがとうございます
お墓の方は、案内板があるので、すぐに分かられたと思います。
あそこあたりの道、地元の方でないと、ちっと分かりにくいところがありますね。
私も時々間違ったことがあります。

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