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2013年5月26日 (日)

有喜UKI(うきうき)ビーチ★安心安全だよ~諫早市有喜

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今日はとにかく暑く、梅雨を飛び越して、夏になった感じ。と言うことで、お気に入りの海水

浴場のご紹介を。

プールではありません。この間、有喜の祭り、有喜貝塚について書いたとき、たまたま見

つけたところです。思わず、おじさんも、「かわゆ~い」と言葉が出るくらいの小さなビー

チ。

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回りには、階段状の観覧席が作ってあるので、イベントもありそうな感じ。平成16年にオ

ープンした、ビーチです。

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この澄んだ海。

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砂浜は狭い感じですが、子ども連れなら、目も十分に行き届き、大きな海水浴場より、安

心でしょう。とくに、幼稚園、小学校低学年の子どもは、あちらこちら走り回って、迷子にな

りがちで、心配なものですが、この広さなら安心。もちろん、水上バイクは進入禁止ですか

ら、事故に巻き込まることもありません。安全です。周囲は堤防に囲まれているので、高波

の心配もなさそう。

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監視室、シャワー、更衣室、駐車場完備です。

遊泳期間が7月15日~8月26日まで。遊泳時間が、午前9時~午後5時30分まで。今

日は遊泳期間でなかったので、料金は取られませんでしたが、多分、期間中は駐車料金

は必要な感じ。でも、子どもの安心、安全を考えれば、たいしたことは無いでしょう。

蛇足ですが、丁度、漁船の手入れをやっておりました、これ、男の子が見たら喜ぶでしょ

う。

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ビーチから見える派手な建物。以前は、ホテルでしたが、今はちょっと違って、○○テル。

以前、若いのをつかまえて、「わい(標準語で「あなた」「君」)、あそこに入ったことがある

やろ。どげんやった(標準語で「どうだった」)」と聞いたところ、「良かったです」との返事。

私、泳げませんから、ビーチより、こちらの方が良いのですが・・・・相手がいれば・・・・

忘れていましたが、千々石の海水浴場にもお越しを。こちらも、監視人付きで、そんなに混

んではおりません。二人で眺める夕日がとってもきれいです。一応、千々石の住人として

ポチ宣伝を・・・


(追伸)

安心、安全で記事を書いたのですが、2年後の平成27年7月20日、小学5年生の男児が

事故で亡くなりました。ご冥福を、お祈りいたします。

さて、ここを紹介したのは、海水浴場をあちらこちら見に行った時、ここが、一番安全だと思

ったからです。事故のニュースに接した時は、まさかあそこでと、びっくりしました。

安全の理由として、①海水浴場が小さく、保護者の目が他の海水浴場より目が届くこと。

②堤防で囲まれ、外海の波、海流の影響を受けずに、波、潮にさらわれずにすむむこと。

③海との接触口に網が張ってあり、外海には出られないこと。④深いところには、ブイで表

示してあること。⑤水上バイクが入れないことでした。

さて、私、数十名の子供を連れて、野外活動を指導していましたが、ある時、海水浴に連れ

ていき、監視役を置き、海の水がヘソから上には行かないこと、など注意をしましたが、一

名溺れかかりました。皆がいる所でです。誰も気がつきませんでした。

唯一人、気づいた方がいたので、難をのがれる事ができましたが、あの時ほど海の怖さを

肌で感じた事はありませんでした。海は、溺れて、水面下に入れば、誰にも気づかれませ

ん。

それ以来、安全な海を捜していたので、上の様な記事を書いたわけです。

以上のように、水の事故は、プールでの事故をみても分かるように、他の事故とは違って

分かりにくいものです。

特に、子供を連れて、海水浴、川、プールに行かれる保護者の方は、目を離さないように、

注意をしていただきたいと思います。

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コメント

有喜ビーチ取り上げていただき、ありがとうございます。ところで、有喜貝塚の記事は、何処に有りますでしょうか?
江戸時代以前、有喜を治めた西郷氏は、元々島原半島のどこか
と記憶にありますが、出目は、何処なんでしょうか。
西郷氏は、今有喜小学校ある小高い山に宇木城を築き、伊佐早を攻め落としたよしー
此処も、取り上げていただいたら、嬉しく存じます。

『有喜の貝塚」については、Googleで「千々石deその日暮らし 有喜貝塚」で検索すると出てきます。なお、有喜には2~3日通い、都合よく、松里町の弘法さん祭り、祭りに出会い、ついでに、普賢山頂の烽火台まで見に行って、ヘロヘロになりました。この事もブログにのせております。
先日のTVで、松里町と有喜町合同の本浮流があったみたいで、見られずに残念でした。

西郷氏について、はっきりしないところがありますが、出目は肥後の菊池氏というのが共通しているようです。

なお、、「諫早を歩く~山口八郎著」には「南北朝の時代には、諫早は二つの勢力に別れていました。梅津川を境に南は、宇木城を拠点にした西郷氏が南朝方につき、北には船越城による伊佐早氏が、北朝について対立していました。・・・・・」とあり、西郷氏に滅ぼされた、伊佐早氏は上杉氏を頼って、越後に移ったそうですが、この間については、記録はないそうです。

なお、「諫早史談~田中為市著」には、「高来郡(たかくのごおり)の西半地方に宇木の西郷藤三郎、伊古(現雲仙市瑞穂町)に西郷二郎氏が居城していたらしい・・・・宇木(有喜)の西郷藤三郎は正和4年鎌倉幕府の行政にあずかるほどの豪族であり、・・・・・この子西郷二郎は南高来郡西郷において、杉峯城を居城として、菊池氏らと共に北朝軍に抵抗していた・・・・・」とありますから、島原半島云々については、この事ではないでしょうか。

また、「島原半島の歴史~松尾卓次監修」によれば、文明6年(1474)に西郷尚善が高城に移り、「杉峯城は、その支城として一族が守っていたのではないかと思われるが、詳しくは明らかとなっていない。」との記述があります。

なお、諫早また、有喜については本来的には、「諫早史誌」に詳しいみたいですが、まだ、読むには至っていません。上記の二冊の本は分かりやすく、図書館に置いてありますので、是非お読みください。
あと、諫早史談会が「諫早史談」?だったか雑誌を出版しており、多分、この方に詳しく研究された方がおられると思います。この本も、図書館に置いてあります。
諫早の郷土館に「諫早郷土館 解説シート(歴史編)」が置いてあり、私は無料でいただいて来ましたが、これにも、他に詳しいことが書いてあります。なお、郷土館の職員の方は諫早地方の歴史には詳しく、何度か、質問に行きましたが、親切に説明をしていただきましたので、是非、お訪ねください。(現在、立て替え中の為休館)。

なお、有喜には安德天皇が落ちのびたとき(この伝説は各地にありますが)、島原安德から有喜の東海岸、馬落としというところがあるそうですが、今は、崖崩れで分からないそうですが、乗っている馬が落ち血染めの岩というところが有り、岩の穴のところに馬頭観音が祭ってあったという記事がありますが、どこあたりかご存じでしたら、教えていただきたいと思います。現在詳しくは確認できなかったそうですが・・・・・

追伸です

「森山町史」によると
姓氏家系辞書に「西郷氏は、肥前にあり藤原北家と称す、有馬氏の族なり、高来郡西郷村より出ず」とある。
 南高来郡は、肥後の所領であった。南北朝動乱の時、その一族がここに移住し、杉峯城を築いて住むようになった。
 この人は、菊池家の分流で熊本県菊池郡西郷村から杉峯城に住むようになったので、前の西郷村の地名をここに移し、その地名をとって西郷氏を称するようになったと言われているが、宇木(有喜)城主西郷藤三郎とどんな関係であるか、はっきりしない。しかし、おそらく、同系統であろうと言われている。
 いつの時代に宇木に移ったかも不明であるが、河上文書に出てくるのが正和四年(1315)であるから、それ以前から郷土の支配者であったことは想像できる。

との記述があります。

この前の海水浴での水難事故があったのに安心安全と書いてあるのは、おかしいので消去してもらいたい。
救助の出来ない監視員なんて意味がない。

返答が長くなり、他にも、海難事故について、注意をしていただきたいこともあるので、記事の方に(追伸)で入れております。

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