土井口番所・原口番所■島原藩・佐賀藩の境~長崎県雲仙市愛野町
(島原藩主 長崎監視の道~島原殿さん道の会著より)
愛野町は、旧愛津村と野井村が合併した町です。ちょうど島原半島の入り口になる町であ
り、島原藩と佐賀藩諫早領の境にあたるところです。
愛津は古い地図など見ると、合津、会津などと書いてあり、聞いたところでは、昔は、橘湾
と有明海とが、今より内地に入り込んでおり、両方の海が近くで、津、すなわち、海岸、船
着き場が出会うようなところであり、合津、会津といったようです。
もう一説、江戸時代、対岸の唐津に相対する港として合津、会津、愛津になったと言いま
す。この愛津が、昔の交通の要所であり、諫早から来ると愛野で島原へ行く街道と、千々
石、小浜方面への街道に分かれます。
藩の境でもあり、両藩の領土の問題もあり、ここを通るのはかなり厳しかったみたいで。番
所が三カ所あり、上の地図の、原口番所、土井口番所、唐比にも番所があったようです
が、これは見つけきれませんでした、
島原半島ですが、ネックのところが愛野町。緑の○が有明海。干拓で広がっていますが、
昔はずっと奥の方まで海でした。赤の○が橘湾。これも内陸部まで海だったと言います。
こうしてみると、ここが交通の要所だと言うことが分かると思います。
原口番所跡は、ジャガイモ畑の中、いつか書いた首塚からまっすぐ行って、少し左側にあ
ますが、小さな石柱が建っているばかりです。知らなかったら、見逃すでしょう。
土井口番所は、愛野から千々石に行く坂から少し入ります。左の写真、矢印の方が、愛
野から、千々石に行く道に出ます。赤のところが番所跡です。
こちらも、小さな石柱が立っていますが、○○市会議員の後援会の看板が立っていて、見
えません。まったく、常識を疑うという感じで、こんな方が市議だと思うと、我が市の文化に
対する姿勢がよく分かります。なお、近所のおばさんに、場所を訪ねたところ、知りません
でした。悲しかった 。
さて、一番上の古図。見ていただきたいのが、番所間にかいてあるもの。竹矢来です。こ
の竹矢来、現代の地図に書き直してありましたが、
(同書より)
緑の下線が番所。地図に書かれた青い線が竹矢来です。海の所まで伸びています。こ
うしてみると、この愛野町、特に、愛津が当時の交通の要所であり、取り締まりが厳しかっ
たことが分かるかと思います。勝海舟、坂本龍馬が辿った道で、この番所を通ったことは
間違いないところです。
(参考:「長崎藩主 長崎監視の道~島原殿さん道の会」「愛野町郷土史」「新島原街道を
行く~松尾卓治著」)
いよいよ連休後半。歳取ったので、ポチと墓参りでもして、番茶を縁側で飲んでました。
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コメント
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知識、知識欲、そして文章のセンス、すばらしいですね。
更に、おそるべき ”足まめ”さ。
紹介されたところをすこし回ってみたいと思うのですが、腰が重くて、動けません。
読むだけにしておいた方が、無難なようです。
今回は、わが愛野を取り上げてくださって、有難うございます。
「00市会議員....」云々、の話は、耳が痛いですが。 奥方をおだいじに。
投稿: 筑前浪人 | 2013年5月 4日 (土) 15時56分
コメントありがとうございます。
愛野の方だということですが、近々、雲仙鉄道、千々石~愛野間の事を書こうと思っております。私が思っていた線路跡とは、全然違っておりまして、特に、山王~愛野駅間。
愛野のことで、もし、間違いがあったら、コメント欄でご指摘をお願いします。
愛野、森山あたりは、いろいろあって面白いですね。
え~奥様より、私がだいじにされたいのですが・・・・
投稿: sugikan | 2013年5月 4日 (土) 21時55分