« 雲仙鉄道 その13~愛野周辺の1944年の航空写真について | トップページ | 雲仙鉄道 その15~記念碑にご注意 その2 »

2013年5月13日 (月)

雲仙鉄道 その14~記念碑にご注意 その1

1

一応、温泉鉄道の歴史をおさらいしたいと思います。


大正9年7月(1920年)   温泉軽便鉄道株式会社創立

大正10年8月(1921年)  小浜鉄道株式会社創立

大正12年5月(1923年)  愛野~千々石間の温泉軽便鉄道開通

昭和2年3月(1927年)   千々石~肥前小浜間の小浜鉄道開通

昭和2年6月(1927年)   温泉軽便鉄道、小浜鉄道、島原鉄道三社で諫早より直通運 

                  転開始

昭和7年11月(1932年)  赤字経営により三社直通運転解消

昭和8年7月(1933年)   温泉軽便鉄道と小浜鉄道合併し、雲仙鉄道となる

昭和8年11月(1933年)  諫早より直通運転再開

昭和13年8月(1938年)  雲仙鉄道解散           (以上説明板より)


なぜ、愛野~小浜間の短い距離の間に、2つも鉄道会社があったのか、これは以前詳しく

書いていますので省略します。


温泉鉄道の事を再開しようと、旧駅跡を訪れたとき、千々石の「上千々石駅」の記念碑を

見ていると、なんだか変だぞと・・・


「上千々」が「上千々」に。おまけに、下の方、次の駅を書いてある所。

2 3

「木津ケ浜」ではなく、正確には「木津の浜」。「下千々岩」なんて駅はありません「千々石」

です。


この、記念碑、誰が建てたのか、この碑の下に、銘板がはめこんであります。

「幼かった頃 ふるさとの歴史を きざんで ここに鉄道が通っていた 懐かしい当時を偲ん

で   平成元年11月 建碑贈」となっており、氏名が彫ってあり、多分、この方が全部を

寄贈されたのかと思ったのですが、寄贈年月日が平成元年、後で書くように、この駅の記

念碑が各町に建てられたのが平成6年頃。


多分、下の部分だけ建てられ、上の部分は後で建てられたのではないかと、近所の方、

2、3にあたったのですが、返事は「さあ?」でした。


ということもあり、小浜に用事で行った帰りに、各記念碑を見て回りました。

Photo Photo_2

「肥前小浜駅」です。「小浜駅」ではありません。これについては以前書いたので省きます。


上に「旧 小浜鉄道」と書いてありますが。ここは昔を偲んで、「旧 小浜鐵道」と、旧漢字で

かいて欲しかったですね。「小浜」も「小濱」で。ここは少し高いところにあるので、写真が撮

りにくくて。「わたしゃ、もう少し背が欲しい」。


「木津の浜駅」。ここも、「木津駅」ではなく、「木津の浜駅」。これも以前書きましたから省き

ます。「木津の濱駅」。旧漢字が良いのですが・・・・


この駅だけ、「近代化産業遺産」のプレートが嵌まっています。ここは、はっきりとプラットホ

ームが残っていますから、ここだけが指定かなと思って調べると。


「近代化産業遺産」の「観光の部門」で、雲仙市は「雲仙観光ホテルと雲仙観光関連遺産」

の名称で、「雲仙観光ホテル」、「雲仙ゴルフ場」、「旧小濱トンネル群」が指定となっていま

す。


トンネルがあるのは、「上千々石駅」から「小浜駅」の間。残念ながら、他の旧駅は「近代化

産業遺産」には入ってないようですね。次は、「上千々石駅」で、上に書いたとおりです。


次の駅も、少し問題のある記念碑の「千々石駅」ですが、ちょうどウォーキングの時間にな

ったので、またね。


今日は、銀行に行って、振り込みをしたら10万以上は、身分証明書になるものをと言わ

れ、TSUTAYAのカードを出しましたが、断られました。やはりTSUTAYAでは、まだ、ポチと

通じないんですかね。最近できた、武雄市の図書館では、TSUTAYAのカードが図書カード

としても使えるそうですが・・・・ポチと残念。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ 





« 雲仙鉄道 その13~愛野周辺の1944年の航空写真について | トップページ | 雲仙鉄道 その15~記念碑にご注意 その2 »

雲仙鉄道」カテゴリの記事

コメント

こんにちは

>今日は、銀行に行って、振り込みをしたら10万以上は、身分証明書になるものをと言わ
れ、TSUTAYAのカードを出しましたが、断られました

やはり身分証明書は健康保険証以外は顔写真が載っていないと駄目なんじゃないでしょうか

はやり、顔写真がいるんですかね。
千々石ではかなりの顔(ヤクザではありませんが)と思っているのですが・・・

お庭のヤマボウシ、咲かないとか、ウチも昨年植えましたが、その年からきれいに咲いてくれました。土地のせいなんでしょうか?今年は咲くと良いですね。
楚々とした風情で、(ウチのカミサンとは違って・・・)良い花でした。

TOKです。雲仙鉄道の話楽しみにしています(^0^)。

話は一寸違うのですが、木津の浜と千々石の話を少し。
パールバックの「つなみ」を原作とした映画が千々石近郊で撮られたことを亡くなったおじさんから聞きました。ロケハンの結果千々石を選び、パールバック女史も滞在されたそうです。屋内の撮影は千々石とのことですが、屋外は海から遠いため、木津の浜にそっくりなオープンセットを建てたそうです。おじさんのお姉さんも撮影に協力して、木津の浜に馬を連れて行ったとか、、、木津の浜はこぢんまりとした美しい村のようですね。
早川雪舟、伊丹十三、ミッキー・カーチス、ジュディー・オング、太田博之が出演、津波シーンの特撮は円谷英二と、いまでも豪華な顔ぶれです。版権のためか日本ではほとんど上映されていません。2005年に雲仙市誕生を記念して雲仙観光協会が企画して一回上映されたそうです。

それで、パールバックの「つなみ」を図書館で借りて読みました。私が中学生だったときでしょうか、パールバックは「大地」という映画を見に行った以来です。
児童文学に分類されているだけに、分量も物語も負担ではありません。同じ村に住む漁師の息子のジヤと百姓の息子のキノと妹のセツの話です。
前半で津波の説明をしているのですが、火山が原因で津波が起こり、ジヤの浜は今まで人が住んでいなかったようにあとかたも無くなります。この小説は「島原大変肥後迷惑」を下敷きにしているといわれています。
物語は時を経て、津波で家族を失ったジヤがあらたな家族を迎えて浜で生活を始めるところで終わります。

いつも情報ありがとうございます。

パールバックの映画、雲仙のほうで、確かに1回上映しております。
ウチのカミサンも見に行っていました。私の方は、仕事があり、行けませんでしたが・・

話は変わりますが・・・
雲仙の災害に関しては、鍋島藩の「島原地変記」等いろいろ有りますが、小浜にも、「肥前温泉災記」いうのを、小浜の某料亭の方が持っておられたのですが、島原市の方に譲られ、現在は島原図書館にあるそうです。
この、写しの、写しを持っているのでいつか紹介したいと思っております。

温泉鉄道は、地図とにらめっこです。あそこあたり、ここ数年で大きく変わりましたから・・・
又の情報をお願いします。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/577450/57376564

この記事へのトラックバック一覧です: 雲仙鉄道 その14~記念碑にご注意 その1:

« 雲仙鉄道 その13~愛野周辺の1944年の航空写真について | トップページ | 雲仙鉄道 その15~記念碑にご注意 その2 »

フォト
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ