肥前鳥居発見~長崎県雲仙市瑞穂町西郷・八幡神社
昨日のモーモーフェスティバルの帰り、「雪屋」さんへ丸ぼうろを買っての帰りがけ、道が分
からないので、適当に走っていたら、「八幡神社」というのがあり、古い神社には興味があ
るのですが、新しそうなので、どうしようかと思いながらも、ちょっとお参りに。
鳥居をくぐった所の左側に、もう一つ、鳥居と石祠が。この、鳥居を見たとん、愕然。先日
話題にした、肥前鳥居ではありませんか。上の写真です。肥前鳥居について、もう一度復
習しますが、
鳥居の一番上の部分が、「笠木」、その下の部分が「島木」。柱を貫いているのが「貫」、立
っているのが、私の○○ポ、ではなく、「柱」。右の写真は、諫早市で唯一残っている、肥
前鳥居。諫早市有形文化財・建造物に指定されています。
佐賀県大百科には肥前鳥居について、次のように書いてあるそうです。
「肥前鳥居は、一般的な明神鳥居に比べ、どっしりした落ち着きのある風情を醸し出して
いる・・・・・佐賀を中心とする肥前一帯のほか、長崎県や福岡県の一部にも分布する。そ
の特徴は笠木・島木・貫が原則とし2,3本つなぎで組み立てられ、笠木と島木が一体化
し、木鼻が舟底状に流線型をなしている。また、柱の下部が張り出して作られ埋け込みと
なり、明神鳥鳥居などにみられる亀腹がもうけられていない。さらに柱の上端の笠木・島
木を支える部分に台輪が必ずつけらており、楔を設けることがない。・・・」
一番上の写真とぴったりするのですが、これには島木無しのもので、佐賀の肥前鳥居の
写真をみると、これと同じように島木無しのもあるようです。もちろん3本継ぎです。
確かに、貫の部分には楔はありません。
ただ、上部を支える台輪がありません。さらに。貫が柱の所で終わっていて、外側に出て
いません。風化か?。また、柱をみると、2本継ぎですが、普通は継ぎの部分は、左右で
高さを同じにしてあるのですが、左右の継ぎ目の高さが違うこと気になりますが。なぜなの
か?
多分、奉納者の氏名、奉納年月日、石工名等が彫ってあったのでしょうが、風化のためか
残念ながら分かりません。額束には「八幡大菩薩」と書いてありました。
ひょっとしたら、この鳥居、初期の肥前鳥居ではないのかな、と思えるほどの素朴な風格
を持っていました。しばらく、鑑賞していきました。市の文化財に指定しても良いんじゃない
のかな、とは思いますが、諫早、佐賀では指定してあるし・・・
ところで、今日、写真を整理していると、灯籠の文字で気になることが
「享保十一年丙牛天」。享保十一年は丙牛ですから間違いはありませんが、「年」ではなく
「天」の字が。
隠れキリシタン研究者では、天号年といって、墓などに「天」と言う字が彫ってあると、隠れ
切支丹だと言っています。「天」は「天国」に通じるということです。議論のあるところです
が・・・
ただ、わたしも、年号に「天」の字が入ったのを、いくつか見つけ、専門家の方に写真を見
ていただいたら違うだろう、という返事でした。でも、この灯籠、「年」ではなく、なぜ「天」を
使っているのでしょう?
まあ、昨日は巨乳には触れるわ、肥前鳥居は見れるし、人生たまにはポチと良い日があ
るもんですね。
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