もう一つの眼鏡橋~長崎県諫早市
何回も出しますが、この風景が好きで。手前がこの間から紹介をしていた「ミニ眼鏡橋」、
奥に見えるのが、本来の眼鏡橋。国の重要文化財です。新緑に包まれていいですね。
諫早には、このほか、もう一つの眼鏡橋があります。
人が渡るだけの橋です。どこが、眼鏡橋だよ、と言われても・・・正面を見ると
右の写真、3枚の銘板があります。左は「本明川」と書いてあり、右には、橋の由来が書い
てあります。真ん中、一段高いところ
誰が読んでも、「眼鏡橋」.何回読んでも「眼鏡橋」、間違いなしの「眼鏡橋」。なぜ、ここに
「眼鏡橋」があるのか、察しの良い方はお分かりだと思いますが、橋の由来が書いてある
銘板を引用します。これについては、諫早市内の方くらいしかご存じないと思いますの
で・・・・
眼鏡橋の由来
「ここは、郷土諫早の象徴として市民に親しまれてきた、名橋眼鏡橋(二連拱式石橋)が本
明川の清流にその優美な影を宿していたところである。・・・・・・・」
そのあと、眼鏡橋の由来、昭和32年の大洪水の折、この石橋が流木をせき止め、濁流が
両岸からあふれ、市街地に流れ込み、人命と財産が失われた事が書いてあり・・・・
「まもなく本明川の改修工事が国の直轄で施工されることとなり、眼鏡橋は撤去のやむ
なきに至ったのであるが、昭和33年11月重要文化財の指定を受け、現在地から四五〇
米上流の諫早公園に、昔の姿そのまゝに移築復元を完了したのである。
市民に親しまれてきた歴史的大石橋、眼鏡橋の名にちなんで再び、この橋を眼鏡橋と命
名する。
昭和41年3月竣功 諫早市長 早 川 員 」
ずっと以前、私は、諫早公園の近くに架かる橋が眼鏡橋跡だと思っていたのですが、あれ
は「公園橋」で、本来の眼鏡橋は下流にあったと聞き、場所が気になっていたのですが、
他の事を調べに、ぶらぶら歩いていたら、思わぬ出会いでした。
(「ふるさとの思い出 写真集 明治大正昭和 諫早~諫早史談会」より)
本明川に架かる、昔の眼鏡橋です。美しいですね。
この界隈、飲み屋さんが多く、私も何回も通ったはずなのですが、今日まで気づきません
でした。諫早早公園から、下流450m地点ですから、諫早公園に行かれたら、散歩がてら
にいかがでしょうか?この間書いた、本明川の「飛び石」も風情があります。
昔、通ったスナックを覗いたら、不況のせいか、つぶれていました。ポチと美人ママさんの
顔を思い出しました。歩きながら昔を思い出し、ポチと感傷にふける、ロマンティックな私で
ありました。
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