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2013年5月22日 (水)

雲仙鉄道 その17~鉄道、山王神社参道を走る(雲仙市愛野町)

Photo_19

さて前回の続きからですが、昨日途中まで書いたところ、パソコンがフリーズして、書きか

けの原稿が、全部パーになりました。どうも、ウィンドウズ8さん、気むずかしいようで・・・


昨日、書いた道を行くとすぐに、山王公園(山頂付近に公園ができています)の駐車場。

多分ここの駐車上は、公園化したときか、繊維工場ができたときに広げたものでしょう。


ここで、ウォーキングをしている60代くらいの女性出会い、もう少し若かったら良いな、と

思いながらも、雲仙鉄道の事を聞くと、他所から嫁いできたのでよく分からないとのこと。


この女性、後で重要な役割を果たしますから、仮に美代子さんと呼んでおきます。なぜ美

代子さんにしたか?私の憧れの女性でしたから。人妻でしたけど・・・・(;ω;)


この写真から少し行くと

Photo_20 Photo_21

左の写真、赤の矢印が、神社への参道(階段)、黄色の矢印が、繊維工場へ行く道。駐車

場へ行くと、端の方、草が生えていましたが、道がありました。

Photo Photo_3

とにかく、どんど行くと、山道にしては広すぎるな、という感じ。ひょっとしたら、この先北口

の参道がありますから、先ほどの参道と参道を結ぶ道かと・・・・


北口の参道です。左に鳥居、右に神社へと上る階段。イノシシが出るせいか、柵がしてあ

って、現在登れません。

Photo_4 Photo_5

道が終わるかと思えば、まだまだ道は続きます。

Photo_6 Photo_7

が、しかし道は左の写真のように、途中で切れてしまいます。住宅、林があり、横から確

認しにくいにですが、一部、空き地があるので、横から見ると、右のような感じになります。

道は、山の一部を回るようになっているわけです。

Photo_8 Photo_10

さて、ここで「TOK」さんのコメント、「日吉神社に向かう線路は山の手前から築堤で高度を  

取っているようで・・・」の文章。


この、道が切れたところから、家が数軒建っていますが、その先は畑になっています。と

言うことは、この道、線路道の可能性が高いという所ですが、疑問が一つ。神社の参道を

汽車が横切ることがあろうか、と言うことです。


あとは、警察と一緒で証人探しですが、この日は運が良かったのか、下に戻ってヨロヨロ

歩いていると、向こう側から、自転車を押してヨタヨタと歩いている、80年代の老人の方。


少し、呆けているような感じだったのですが、「雲仙鉄道は・・・・・」と聞くと、事なげもなく、

「この上を・・・」と、私が歩いていた道の方向を指すではありませんか。証人1。


先ほどの道が切れたあたりの下の家で、花壇を手入れしている、60年配の女性の方。ま

あ、知らないだろうと思って、聞くと、先ほどの道が切れたあたりを指さして、

Photo_11

「ここを通って、先の方の白い家の辺りまで道があったんですけどね」。証人2です。

Photo_12

赤で囲んだ所に数軒白い建物とか、この後ろに白い塀の家がありましたから、多分ここら

あたりまで線路の土手が積み上げられて、手前の畑の方へ、走りこんでいたのです。

こんもりしたところが、山王さんです。



さて、空中写真を見ながら、うろうろしていると、「おーい、おーい」と呼ぶ声。振り向けば

さっきの美代子さん。「当時の事を、知っている人がいるから来て。」


行ってみれば、87だったかのお爺さん。美代子さんと同じ自治会の同じ班の方だとか。

やはり、汽車は山王さんを通って、こちらの畑に走り込んでいたとのこと。証人3です。こ

れだけそろえば証拠十分という所でしょう。


でも、神社の参道を横切る汽車があったとは・・・・・・さて、それから後の鉄道線路を聞く

と、私が思っていたのとは全然違っていて・・・又次回


しかし、何ですね。線路の土手が残っていたら、間違いなく近代化産業遺産に指定されて

いたのでしょうが・・・山王さんの線路跡の道だって、立派な近代化産業遺産だと思うんで

すが・・・もう少し整備と宣伝ができれば良いのですが、・・・・


今日は暑くて、ドクターストップがなければ、ビール一本飲んでいたんですが、はと麦茶で

ポチ我慢しました。でも、ビール、飲みたい、飲みたい、飲みたい。ポッチっとで良いから

飲みたい。  

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コメント

 今晩は。興味深く拝見、拝読いたしました。
山王さんは、こどもの頃の遊び場兼職場(薪とりの)でした。
現在は、ウォーキングコースで、写真の細い道を、ほとんど毎日、歩いています。
自宅は、旧線路脇(愛津駅近く)ですが、ほとんど関心を払うこともありませんでした。
 今回は、本当に良い勉強させてもらいました。
 時々は、予告編で、場所と時間も掲載していただくと有り難いんですがね。
出かけて行って、み教えをこいたいものです。

 謎がひとつ解けました(^0^)。感謝!

 「神社の参道を横切る汽車」は宇都宮の旧東北本線跡にもあります。現在の東北本線は鬼怒川の氾濫による線路の災害が原因で、宇都宮から北へ矢板までの区間が大きく付け替えになっています。
 旧東北本線は宇都宮から真っ直ぐに北上し、それ故小さな古墳の真ん中を通っていました。古墳ですからお社があります。現在でも、鳥居をくぐり線路跡を渡ってお社へお参りする様子を見ることができます。実際に行ってみると「これもアリなのか」と思いました。(栃木県宇都宮市川俣町)

筑前浪人様

子供の頃の遊び場というと、まだ、鉄道跡が残っていたのでは?
有明川が大きく、三軒茶屋にも、船着き場跡があったと聞いています。
当時の有明川を見たかったものです。

筑前浪人さんのほうが、情報が集めやすいと思います。なにか気づきがあったら、コメントをお願いします。

TOK様

神社の参道に汽車を走らせるという、恐ろしい考えを誰がしたのか分かりませんが、道々歩きながら本当のことかと思いました。

筑前浪人様

追伸です。
予告編の事ですが、調べ始めると、新しい情報が入ってきて、なかなか予定道理には書けない状態です。

本当は、ズボラな性格が災いしているのですが、ご了承を。

なお、私、み教えを、と言われるほどのものでなく、地域のことを知りたいと思う、単なる野次馬です。

 本編は愛野駅まで至りましたが、少しずつコメントを付けます。お付き合い下さい。

 築堤がいつまであったのか、改めて「地図・空中写真閲覧サービス」を閲覧しました。1975年にはまだ存在し、1979年の(閲覧用の)写真は鮮明ではありませんが、無くなっているようです。また周辺道路が整備されて行く様子も見て取れます。
 経済成長が大きな時代だったのだと思います。

 「地図・空中写真閲覧サービス」で驚くことは、①米軍の航空写真が非常に鮮明なこと、②計画的にくまなく撮影していることです。
 そして、雲仙鉄道跡にとって幸いだったことは、ことのほか鮮明な(撮影範囲が狭い)飛行経路の端部に愛野町の写真があったと言うことではないでしょうか。残念ながら千々石町が写っている写真は鮮明さが劣ります。
 「その20〜」にある愛野町記念誌「愛野」の表紙の写真は「地図・空中写真閲覧サービス」の閲覧用の写真より鮮明です。原盤からのコピーを手に入れたくなしました。

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