雲仙鉄道 その15~記念碑にご注意 その2
昨日、書き忘れていましたが、このような記念碑等には普通、設置年月日、設置者等が書
いてあるのですが、裏を見ても、横を見ても、なんにも表記されていませんでした。不思議
といえば不思議。
千々石駅です。ここまでは「小浜鉄道」と表記してありましたが、ここからは「温泉鉄道」に
変わっています。「温泉軽便鉄道」とするのが本当なのでしょうが・・・・
ローマ字で、「TIJIWAEKI」と彫ってあります。今なら「CHIJIWAEKI」になるのでしょうが、こ
の「TIJIWA」の表記は、戦前に使われた、「日本式ローマ字」。昭和12年には、日本式ロー
マ字を基にして、内閣訓令第3号として「訓令式ローマ字」が公布されます。
縦の行「aiueo(あいうえお)」、横の行「akasatana(あかさたな)」を単純に組み合わせたも
の。「き」は「k」と「i」の交わるところで「ki」。「千々石」の「ち」は、当然「t」と「i」が交わるとこ
ろで「ti」になります。
試しにパソコンで、「t」「i」と打っていただくと、「ち」と出ると思います。あなたのパソコン、出
ない?それ安物のパソコンでしょう?
訓令式ローマ字は、「日本式ローマ字」ですから、戦争で負け、米軍が日本に入ってきたと
き、英語に準拠した、「ヘボン式ローマ字」に代わられます。
話を元に戻します。上に書いてある、「唐比浜」、「上千々岩」。もちろん「浜」、「上千々石」
で、これは間違い、その証拠に、昭和5年10月号の時刻表ですが、「千々石」、「上千々
石」、「濱」とちゃんと書いてあります。
次の駅は「浜駅」ですが、ここは、開業が大正15年7月になっています。愛野~千々石の
開業は、大正12年ですから、この駅だけが開業が遅れています。理由については、残念
ながら分かりませんでした。
お~ここは良いですね。ちゃんと旧字で「濱」。しかも、「温泉軽便鉄道」となっているではあ
りませんか。惜しむらくは、「鉄」を「鐵」に。ここも、設置年月日、設置者の名前なし。
次は、「水晶観音。」先ほどの時刻表には「水晶觀音」と旧字で書いてありました。
ここも、ちゃんと、「温泉軽便鉄道」、「濱」の字。良いですね。「観」の字が「觀」にして欲し
い。
次が「愛津駅」ですが、ここにきて、やっと設立年月日、設置者が分かります。
横の方に、「平成六年二月建立 愛野町」。
デザイン的にも全部同じ記念碑。そろっていますから、多分、各町で話し合って、設置した
ものなのかな?内容は、各町で業者に発注したものと思えます。
さて、最後の愛野駅です。
やはり、ここも「平成六年二月建立 愛野町」となっておりました。
こうしてみると、我が千々石町の記念碑が間違いが多く、町民を代表して陳謝いたします。
おまけです。
千々石の記念碑の横に、写真を焼き付けた石碑がありますが、
左の駅名の看板、「千々石と」書いてあるのが分かると思います。そういえば、戦前は横書
きの場合は、写真のように右から左に書いていましたから、各記念碑も昔風に右から左に
書けば、いっそ風情があったものと思います。
暇なので、もう一つおまけです。上の時刻表、全国の地図が載っており、別冊に九州だけ
の地図が付いていますが、
片方は単なる間違いでしょうが、「喜々津駅」が出発駅になっていました。なお、この地図
の地名は、新漢字表記です。
また、この時刻表、「朝鮮及滿洲」、「薹湾(わんは難しい字なのですが、私のパソコンでは
出てきません。私のパソコンも安物なのかな?)」の地図と時刻表ものっており、時代を感
じさせるものでした。
以上、「記念碑に注意」を終わり、次回から、千々石駅~愛野駅まで、現場を回ります。
今日は、町内放送で、78才の男性が行方不明で、容姿などを説明しており、見かけたら
連絡をして欲しい旨の要請があっておりました、私もポチポチ年なので、もうすぐこうなるの
かな。実感として聞いておりました。
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