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2013年5月20日 (月)

雲仙鉄道 その16~千々石駅から山王さんへ

Photo

以前、旧小浜鉄道(千々石駅~肥前小浜駅)のことを、書きましたので、今回から、千々

石駅~愛野駅の温泉軽便鉄道のことを書きます。この二つの鉄道は、以前書いたよう

に、昭和8年に合併し、雲仙鉄道になりますから、最終的な名称、「雲仙鉄道」で表記を統

一します。


さて、赤の所が、千々石駅の祈念碑があるところなのですが、この祈念碑の右側にプラッ

トフォームがあったとか、黄色の消防小屋のところで、「駅の跡」といって遊んだとか、もう

少し後ろの方だったとか、今のところ調べ中です。


さて、ここから左の方向、諫早方面に行くと、大きな坂道にかかりますが、この下の道に入

ります。この大きな道の下に、旧道が見えます。


先へ進むと、千々石断層が見事に見えてきます。現在でも、台風の後など落石があり、通

行止めになりますから、鉄道が通っていた頃は、不通になることも再三再四だったでしょ

う。なお、この道は、数十年前までは、舗装もなく草に覆われている道でした。

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この道をまっすぐ行くと、濱駅があります。右側に建物が続いていますが、大正15年(ま

だ雲仙鉄道は通っていました。)の地図を見ると、多分、この建物の所を通っているようで

す。

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この道を行くとすぐにカーブミラーがありますから、右折。すぐにまたカーブミラーがありま

すから左折するとまっすぐな道に出ます。汽車道です。ここを進むと、国道251号線と合

流します。

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空中写真、大正15年の地図を見ても、この251号線、はっきりとは分かりませんが、

251線は,1956年(昭和31年)に、長崎口之津諫早線として2級国道の指定。1965

年(昭和40年)に一般国道になりますから、汽車が通っていた頃は、まだ、十分な道で

はなかったのでしょう。もっとも、あの時代、まだ車は今のように普及していませんから。

Photo_15

           (「愛野町閉町記念誌」より)

さて、この251号線を長崎方面にすこし少し走ると、「水晶観音駅」です。

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聞くところによれば、この横の店の所に駅があったとのことです。これからすぐに、唐比の

交差点にでます。ガソリンスタンド、セブンイレブンが建っていますが、本来の汽車道は、

この手前から入ります。

Photo_17

黄色がガソリンスタンド、正面にセブンイレブンがあります。赤の線の道が、線路道です。

途中までは、車で行けますが、途中から歩行者道路になります。車の走れる道路には出

られますが・・・

途中、線路跡の盛り土が見られます。

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道が終わる頃、日吉神社がある、地元では「山王さん」と呼んでいる、こんもりした小さな

山が見えてきます。黄色の所が、山王さんです。


この道が終わって、そのまま右手に、歩道がありますが、この歩道が、登るような感じで、

いつも不思議に思っていたのですが・・・・

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何となく変な感じの歩道で・・・少しばかりの上り坂です。

Photo_23

ここから、昨年、TOKIさんから頂いたコメント、「ところで、反対方向、日吉神社に向かう線

路は山の手前から築堤で高度を取っているように見えます。現在は残っていませんが、

昔の人はスゴイですね。」


この言葉が、どんな意味か、ずっと心に引っかかっていたのですが、この歩道を歩いて行

くと・・・・お後がよろしいようで、又、次回。


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コメント

 いつも楽しみに読んでいます。今回は、スリリングな展開でドキドキしています。

 251号線のどこを汽車が走っていたのか?雲仙鉄道は単線でしたから線路幅はせいぜい一車線分有れば良かったはずです。クルマを通すために道路幅をどちらに広げたのか?
 そのヒントらしきものが水晶観音駅の北120mに有る小さな橋にあります。グーグルのストリートビューで下をくぐり抜けると見ることができます。橋自体はコンクリート製で橋台部を含めて何回かに分けて作られています。西側から見た北側の橋台部に石積みが残っているのが見て取れます。多分ここが最も古い部分でしょう。
 そう、線路は251号線の南側の車線、長崎・諫早方面の車線にあったと想像しています。

なかなか難しいですね。
あそこは、唐比盆地の天満宮に行く道になります。

場所としては、汽車の堤を作った感じですが、よく分かりませんでした。
堤を作ったときに通り抜けられるようにし(千々石の鉄道の堤にもあります)、、近代になって広げ、コンクリートにしたのか?堤にしてあったのを近世になって、トンネルをほがしたのか?

石垣の横に家がありますが、こことの兼ね合いなど、聞き取りが必要でしょう。

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