雲仙鉄道 その20~愛野駅まで
写真は昨日の続きの所です。
上の写真、水色の矢印が、」汽車が畑に入る込むところ。昨日書いた所です。赤い矢印
が雲仙鉄道跡、昭和22年の写真ですから、雲仙鉄道が廃線になって9年目の写真です。
もちろん線路は撤去されていたのでしょうが、跡はまだ整理ができていない状態。黄色の
矢印が島原鉄道、四角の所が愛野駅。
下の写真、例によって、Googleの写真です。赤の線が畑へと入り込むところ。青の矢印
が、チンコ屋さん、すみません、パチンコ屋さん、左と後ろの空き地みたいに見えるのが駐
車場。パチンコ屋さんより、駐車場が広いこと。都会のパチンコ屋さんとは大違い。「4」の
所が愛野駅です。
この間の、おじいさんの話によれば、汽車はこのパチンコ屋さんの後ろの駐車場あたりを
走っていたそうです。まだ、ここらあたり、三分の一程度は畑になっております。
右の写真。私が鉄道跡だと勘違いしていた、有明川の堤防から撮った、パチンコ屋さんの
裏側の駐車場です。ここらを走っていたのでしょうが、あとは、住宅あり、倉庫あり、アパー
トありで、面影もありません。
あと、気になるところが、鉄道の合流地点。
2番目の写真「3」、ピンクの矢印の白いところが、国道251号線と、国道57号線が重複
するところです。白い線の右側、少し長細く見えるのが、農協の集荷場。ここらあたりを、
横切って合流したのでしょうが・・・・この国道のすぐ横を川が流れており、
右側の道が国道です。国道の右側の建物の後ろが島原鉄道。この川に、鉄橋が架かって
おり、愛野町がこれを利用し、橋を架けたと仮定したとすればの話ですが、鉄道の合流地
点も少しは正確にわかるのですが・・・・・・・例によってGoogleで見ると
クリックすれば大きくなります。
分かりにくいのですが、2つの橋が架かっています。「1」の橋は少し斜めに、「2」の橋は
川と直角に架かっています。黄色の矢印が島原鉄道。
愛津のおじいさんの話では、橙色の矢印、派出所の方から入っていたということですが、
どうも、地図で距離を測ってみると「1」の橋の方が正解みたいな感じ。あくまで、鉄橋を利
用して橋を架けていたらの話です。近所の方にも尋ねたのですが、分かりませんでした。
派出所の横の所から、線路まで行ける道があります。
諫早方面の線路です。多分ここのどこかに合流地点があったのでしょう。
こちらが島原へ続く線路です。赤い四角が愛野駅。さて、AKOさんからいただいたコメント
から始まった、千々石駅~愛野駅まで、やっと終点を迎えました。
AKOさんには感謝いたします。これで、雲仙鉄道の、特に愛野側の線路跡が分かりまし
た。 (参考・写真:「愛野町閉町記念誌~愛野」・Google earthより)
昨日から、長崎も梅雨入り、梅雨が明けたら、灼熱の恋の季節。青春時代の、ひと夏の恋
の事をポチ思い出します。今は、ポチ、老いらくの恋。
« 雲仙鉄道 その19~愛津駅周辺 | トップページ | 雲仙鉄道 その21~昔の愛野村駅風景 »
「雲仙鉄道」カテゴリの記事
- 雲仙鉄道~しつこく「木津トンネル」の写真の事(2022.09.16)
- 雲仙鉄道~しつこく「第1号機関車について」これで〈お・し・ま・い〉(2022.02.20)
- 「小浜鉄道・株券払込み証」★小濱鐵道~私としたことが・・・(2021.01.27)
- 「雲仙鉄道廃線跡(千々石)」~一枚の絵葉書より(2020.10.11)
- 「小浜鉄道のトンネル」★私としたことがm(_ _)mそして「パールバックと木津」(2020.07.23)
「愛野関連」の詳しい調査、お疲れ様でした。そして有難うございました。
愛野の一町民として厚くおん礼申し上げます。
今後も、体調には充分ご留意のうえ、楽しい情報をよろしくお願いします。
(五回ぐらい、ポチ押しとこ。)
投稿: 筑前浪人 | 2013年5月29日 (水) 17時37分
ポチ、ありがとうございます。
一応、愛野町まで行き着きましたが、まだまだ調べることがあるので、ポチポチと書いていくつもりです。
今後ともよろしく、お願いします。
投稿: sugikan | 2013年5月29日 (水) 22時55分
お疲れ様でした。
廃線跡を隠してしまうのは①農地土地改良②河川改修③都市化です。愛野では三つとも見られます。それらを解き明かして頂きました。ありがとうございます。
それにしても雲仙鉄道跡は良く残っています。跡自体はなくとも、畑の畦は変わらないので推定できますし、線路の脇にあった建物や、線路跡に建った建物でも推定できます。これらを活かすことができれば地域活性できますよね。
線路の上を走った蒸気機関車を調べました。①島原鉄道の開業用に譲渡された1号機関車は現在埼玉県大宮の鉄道博物館に展示されています。諫早 - 肥前小浜間直通運転がなされたとのことですから、雲仙鉄道も走ったことでしょう。②旧温泉鉄道2号機関車と同じ形式の160形蒸気機関車がまだ現役で明治村で走っています。蒸気機関車12号と呼ばれています。
今度、彼女に乗りに行かないと行けませんね。
投稿: TOK | 2013年5月30日 (木) 17時03分
ありがとうございます。27日のコメントと合わせて、書きます。
昭和52年7月に、小浜町観光課より、「雲仙観光圏」という小冊子が在り、その中で、雲仙鉄道に関し、「大株主は愛野の田中氏と千々石の城台氏であった。用地は大方ご両人の分で足りた。」とあります。
小浜鉄道は、湯大夫の本多氏が少し絡む絡む話もあるのですが、まとめ中です。
なお、愛野~千々石間、最初は違った路線で、山王さんの、反対を回るような感じで計画されていたみたいです。これも、又いずれ。
なお、機関車に関しては、「千々石ネット」の「島原・口之津・雲仙鉄道写真」にも、いろいろ載っておりますので、ご参考までに。
投稿: sugikan | 2013年5月30日 (木) 19時29分
TOKです。
久しぶりコメントします。
つくば市の国土地理院(本院)に行ってきました。旧版の地図の閲覧と空中写真の確認の為です。ブログの話題の愛野の地図は昭和4年発行のものと昭和23年発行のものがありました。昭和4年のものには「温泉鉄道」の路線と「あいの」駅、「あいづ」駅の記載があります。空中写真と同じ程度の情報でした。
ただし、その当時の千々石の地図はなく、温泉鉄道の全線は確認できません。
私は宇都宮の地図を何枚か白黒でコピー(柾版)して頂きました。一枚500円です。
インターネットの閲覧は地図を拡大するとボヤッとしていますが、現地はPCでデータを拡大できるのでむしろ紙のものより楽に見ることができます。空中写真も同様です。
閲覧は無料ですので、時間を取ってじっくり検討することができます。
国土地理院の九州測量部(福岡市)でも同様なサービスを行っているそうです。
投稿: TOK | 2013年8月 6日 (火) 08時01分
お~良いですね。
こちらも、「肥前小浜」の地図、「明治33年測図 大正15年修正測図 昭和4年12月25日印刷同12月28日発行」
五万分の一の地図を入手しましたが、愛野から小浜まで全線確認できます。
どういう訳か、「濱駅」、「下千々石駅」、「木津の濱駅」と、千々石側のトンネル一カ所、記載されていませんが。
この地図使って、書きたいこともあるのですが、使用申請が面倒くさくて・・・・
投稿: sugikan | 2013年8月 6日 (火) 23時06分
TOKです。
測量年は異なりますが、同じ昭和4年発行なので縮尺が違うのでしょうね。
私が調べた地図は大正4年測量で縮尺は2万5千分の一です。著作権所有印刷兼発行者はは大日本帝国陸地測量部です。
投稿: TOK | 2013年8月 7日 (水) 06時39分
こちらは、5万分の1です。地図標記は「肥前小浜」。橘湾が中心です。著作権等は、同じですが、当時はここが全国測
量したみたいで、新田次郎さんの『劒岳 点の記』(つるぎだけ てんのき)でも、主人公は、ここに席を老いていたのでは?
投稿: sugikan | 2013年8月 7日 (水) 22時32分
TOKです。
5万分の1を「地図検索表示画面」で検索しました。肥前小浜で何種類もあるのですね、、、
島原鉄道が敷設されていない。(明治37年発行)愛野から千々石まで温泉鉄道が敷設された。(大正15年発行)小浜まで敷設された。(昭和4年発行、昭和9年発行、昭和21年発行)温泉鉄道が廃止された。(昭和22年発行)
おかしなところが有るので、次回つくばに行ったときに閲覧の対象にしたいと思います。
明治時代の測量があってこそ、富国があったという感があります。
地図を見て改めて思ったのですが、千々石と小浜の線路が猿葉山の陸側、街道沿いではなく、海側を通したのは何故なのでしょうか?よほど海側の方が工事が大変だったと思うのですが。
投稿: TOK | 2013年8月 8日 (木) 07時22分
地図は、千々石内でも若干おかしな所があります。当時の限界でしょう。
どうして陸側を行かなかったのか、大体、結論が見えてきていますが、またいずれ。
投稿: sugikan | 2013年8月 8日 (木) 22時32分