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2013年5月28日 (火)

雲仙鉄道 その20~愛野駅まで

Photo_3

Google

写真は昨日の続きの所です。


上の写真、水色の矢印が、」汽車が畑に入る込むところ。昨日書いた所です。赤い矢印

が雲仙鉄道跡、昭和22年の写真ですから、雲仙鉄道が廃線になって9年目の写真です。

もちろん線路は撤去されていたのでしょうが、跡はまだ整理ができていない状態。黄色の

矢印が島原鉄道、四角の所が愛野駅。


下の写真、例によって、Googleの写真です。赤の線が畑へと入り込むところ。青の矢印

が、チンコ屋さん、すみません、パチンコ屋さん、左と後ろの空き地みたいに見えるのが駐

車場。パチンコ屋さんより、駐車場が広いこと。都会のパチンコ屋さんとは大違い。「4」の

所が愛野駅です。


この間の、おじいさんの話によれば、汽車はこのパチンコ屋さんの後ろの駐車場あたりを

走っていたそうです。まだ、ここらあたり、三分の一程度は畑になっております。

Photo_4 Photo_5

右の写真。私が鉄道跡だと勘違いしていた、有明川の堤防から撮った、パチンコ屋さんの

裏側の駐車場です。ここらを走っていたのでしょうが、あとは、住宅あり、倉庫あり、アパー

トありで、面影もありません。

Photo_6

あと、気になるところが、鉄道の合流地点。


2番目の写真「3」、ピンクの矢印の白いところが、国道251号線と、国道57号線が重複

するところです。白い線の右側、少し長細く見えるのが、農協の集荷場。ここらあたりを、

横切って合流したのでしょうが・・・・この国道のすぐ横を川が流れており、

Photo_7

右側の道が国道です。国道の右側の建物の後ろが島原鉄道。この川に、鉄橋が架かって

おり、愛野町がこれを利用し、橋を架けたと仮定したとすればの話ですが、鉄道の合流地

点も少しは正確にわかるのですが・・・・・・・例によってGoogleで見ると

Photo_9

クリックすれば大きくなります。


分かりにくいのですが、2つの橋が架かっています。「1」の橋は少し斜めに、「2」の橋は

川と直角に架かっています。黄色の矢印が島原鉄道。


愛津のおじいさんの話では、橙色の矢印、派出所の方から入っていたということですが、

どうも、地図で距離を測ってみると「1」の橋の方が正解みたいな感じ。あくまで、鉄橋を利

用して橋を架けていたらの話です。近所の方にも尋ねたのですが、分かりませんでした。


派出所の横の所から、線路まで行ける道があります。

Photo_10

諫早方面の線路です。多分ここのどこかに合流地点があったのでしょう。

Photo_11

こちらが島原へ続く線路です。赤い四角が愛野駅。さて、AKOさんからいただいたコメント

から始まった、千々石駅~愛野駅まで、やっと終点を迎えました。

AKOさんには感謝いたします。これで、雲仙鉄道の、特に愛野側の線路跡が分かりまし

た。  (参考・写真:「愛野町閉町記念誌~愛野」・Google earthより)


昨日から、長崎も梅雨入り、梅雨が明けたら、灼熱の恋の季節。青春時代の、ひと夏の恋

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コメント

「愛野関連」の詳しい調査、お疲れ様でした。そして有難うございました。
愛野の一町民として厚くおん礼申し上げます。
 今後も、体調には充分ご留意のうえ、楽しい情報をよろしくお願いします。
      (五回ぐらい、ポチ押しとこ。)

ポチ、ありがとうございます。

一応、愛野町まで行き着きましたが、まだまだ調べることがあるので、ポチポチと書いていくつもりです。

今後ともよろしく、お願いします。

 お疲れ様でした。

 廃線跡を隠してしまうのは①農地土地改良②河川改修③都市化です。愛野では三つとも見られます。それらを解き明かして頂きました。ありがとうございます。
 それにしても雲仙鉄道跡は良く残っています。跡自体はなくとも、畑の畦は変わらないので推定できますし、線路の脇にあった建物や、線路跡に建った建物でも推定できます。これらを活かすことができれば地域活性できますよね。

 線路の上を走った蒸気機関車を調べました。①島原鉄道の開業用に譲渡された1号機関車は現在埼玉県大宮の鉄道博物館に展示されています。諫早 - 肥前小浜間直通運転がなされたとのことですから、雲仙鉄道も走ったことでしょう。②旧温泉鉄道2号機関車と同じ形式の160形蒸気機関車がまだ現役で明治村で走っています。蒸気機関車12号と呼ばれています。
 今度、彼女に乗りに行かないと行けませんね。

ありがとうございます。27日のコメントと合わせて、書きます。

昭和52年7月に、小浜町観光課より、「雲仙観光圏」という小冊子が在り、その中で、雲仙鉄道に関し、「大株主は愛野の田中氏と千々石の城台氏であった。用地は大方ご両人の分で足りた。」とあります。
小浜鉄道は、湯大夫の本多氏が少し絡む絡む話もあるのですが、まとめ中です。

なお、愛野~千々石間、最初は違った路線で、山王さんの、反対を回るような感じで計画されていたみたいです。これも、又いずれ。

なお、機関車に関しては、「千々石ネット」の「島原・口之津・雲仙鉄道写真」にも、いろいろ載っておりますので、ご参考までに。

TOKです。

久しぶりコメントします。
つくば市の国土地理院(本院)に行ってきました。旧版の地図の閲覧と空中写真の確認の為です。ブログの話題の愛野の地図は昭和4年発行のものと昭和23年発行のものがありました。昭和4年のものには「温泉鉄道」の路線と「あいの」駅、「あいづ」駅の記載があります。空中写真と同じ程度の情報でした。
ただし、その当時の千々石の地図はなく、温泉鉄道の全線は確認できません。

私は宇都宮の地図を何枚か白黒でコピー(柾版)して頂きました。一枚500円です。

インターネットの閲覧は地図を拡大するとボヤッとしていますが、現地はPCでデータを拡大できるのでむしろ紙のものより楽に見ることができます。空中写真も同様です。
閲覧は無料ですので、時間を取ってじっくり検討することができます。

国土地理院の九州測量部(福岡市)でも同様なサービスを行っているそうです。

お~良いですね。

こちらも、「肥前小浜」の地図、「明治33年測図 大正15年修正測図 昭和4年12月25日印刷同12月28日発行」
五万分の一の地図を入手しましたが、愛野から小浜まで全線確認できます。

どういう訳か、「濱駅」、「下千々石駅」、「木津の濱駅」と、千々石側のトンネル一カ所、記載されていませんが。

この地図使って、書きたいこともあるのですが、使用申請が面倒くさくて・・・・

TOKです。

測量年は異なりますが、同じ昭和4年発行なので縮尺が違うのでしょうね。
私が調べた地図は大正4年測量で縮尺は2万5千分の一です。著作権所有印刷兼発行者はは大日本帝国陸地測量部です。

こちらは、5万分の1です。地図標記は「肥前小浜」。橘湾が中心です。著作権等は、同じですが、当時はここが全国測
量したみたいで、新田次郎さんの『劒岳 点の記』(つるぎだけ てんのき)でも、主人公は、ここに席を老いていたのでは?

TOKです。

5万分の1を「地図検索表示画面」で検索しました。肥前小浜で何種類もあるのですね、、、
島原鉄道が敷設されていない。(明治37年発行)愛野から千々石まで温泉鉄道が敷設された。(大正15年発行)小浜まで敷設された。(昭和4年発行、昭和9年発行、昭和21年発行)温泉鉄道が廃止された。(昭和22年発行)
おかしなところが有るので、次回つくばに行ったときに閲覧の対象にしたいと思います。

明治時代の測量があってこそ、富国があったという感があります。

地図を見て改めて思ったのですが、千々石と小浜の線路が猿葉山の陸側、街道沿いではなく、海側を通したのは何故なのでしょうか?よほど海側の方が工事が大変だったと思うのですが。

地図は、千々石内でも若干おかしな所があります。当時の限界でしょう。
どうして陸側を行かなかったのか、大体、結論が見えてきていますが、またいずれ。

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