長崎のハタ・諫早の凧揚げ取り締まり
さて、皆さんは長崎名物をご存じでしょうか?
「長崎ぶらぶら節」という民謡があります。「長崎名物 ハタ揚げ 盆祭り 秋はお諏訪のシ
ャギリで 氏子がぶらりぶらりと いうたもんだいちゅ」。と言うことで、第一番目に、「ハタ揚
げ」があげられています。ということで、長崎名物の第一がハタ揚げと言うことになります。
「盆祭り」は「精霊流し」、他の所と違って、爆竹などを使って、賑やかなお盆行事。
「秋はお諏訪のシャギリ」は、諏訪神社の「おくにち」の祭りのこと。
これに最近は「ランタン祭り」が加わり、以前の日銀長崎支店長が講演会で、長崎は祭り
が多いところですね、などと言ってました、どうも、口調からすると、長崎人は浪費癖がある
という感じでしたが・・・・
さて、ハタと言えば唐八景、唐八景と言えばハタ揚げと決まっていて、4月7日にハタ揚げ
大会が開かれていました。
この大会、ハタを揚げるヨマ(ハタを揚げる糸)に、ガラスを細かく砕いて、糊と混ぜ、ヨマに
塗り、乾かして、ハタの方に、このヨマを使い、ハタとハタを絡ませ、ヨマを切るというもの。
切れて飛んだハタを追っかけて、拾いに走った思い出があります。この、他人のハタに絡
めて切るのは、難しいものです。
もちろん、切られたからといって、恨むようなことはありません。あくまで大人の粋なお遊び
です。
さて、長崎のハタは上の写真の様に菱形です。裏は
実に単純で、二本の竹を組み合わせたもの。ヨマを竹が交差した所と、一番下の部分に取
り付け、この二本を結び、これに揚げるヨマを結びつけます。バランスを取るのが難しく、下
の方に、ほそ長く切った紙を使い、長い尻尾をつけたりします。
さて、長崎でハタ揚げが盛んなら、お隣の諫早でも盛んで、江戸時代に取り締まりまであっ
たとのこと。
「諫早市史」の、「奢侈(しゃし)取締」の所、「寛永年間の倹約令」、「文化向上と服装取
締」、「諫士に對する取締」などの中に、「凧揚げの取締」というのが書いてあり、長いので
要約すると、長崎では凧の大きさを文数で呼んだそうで、長崎は20~30文の小型が多か
ったそうです。
これに対し、諫早では、紙の枚数で何枚入りと言ったそうで、八枚入りになると、かなり大
型になり、長崎ではこの大型の凧を「つぶらかし」と呼んでいたそうで、これに凝ると、財産
を潰すからだと言われています。
その、費用のかかる遊びを、お上が見逃すはずはなく、取締が出たそうです。
一、左の通り達帳を以て相達候事。
達 帳
凧揚の儀、童、子供尾長の外一切後停止置かれ候については、一統其の心得いたし、吃
度、取止め候様、・・・・・・・自然心得違ひ取り扱い候者これあるい於ては、御取揚の上、其
者は申すに及ばず、親々々も急度其〆り仰付らるヽ儀に候。」
「尾長」は多分、子供用の凧の下に、紙で長く尻尾をつけたものかな?「其者は申すに及
ばず」、「親々々」まで、取締の対象になるとは。
なお、面白いことに、凧ばかり取り締まっても、それを揚げるヨマを売る者があってもよろし
くないと、それも取締になったそうです。
一、市中、其外において、凧相拵(こしらえ)、扨(さて)又、右よま杯一切賣出さざる様、自
然相用ひざる者之有るに於ては、御取揚げの上、急度手當仰付けらる儀候。
この取締が出たのが、慶応四年、江戸時代最後の年号。4年後に明治になりますが、取締
はなくなったため、反動的に盛んになり、凧商などが集まり、凧合戦などを主催したそうで
す。いまでは、この大型のハタ見たことがありません。ゲイラカイトばかりが飛んでいます。
(参考・引用:「諫早市史」より)
女遊びは、できないし、ハタ揚げにでもポチ凝ってみますか。
« 愛のハタあげ大会~長崎県雲仙市愛野町 | トップページ | センゴク一統記第3巻 宮下英樹著~出ましたよ »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 令和6年 橘神社大門松造り進捗状況(2024.11.25)
- 台風10号~確かに通ったはずなのですが?(2024.08.31)
- デビュー決定!!(2024.07.14)
- 今日はうれしい炊飯日より(^o^)(2024.06.02)
- 狭心症その後(2024.04.15)
はじめまして、ブログを始めて4ヶ月ほどになりますが、まだよく慣れておりません。貴方様のブログを拝見させていただき多だ感激するばかりです。実は過去のブログで「雲仙鉄道」のことを詳しく記載されてるのを拝見しました。主人が小浜出身ですのでとても懐かしく早速其の1~その12までを印刷させていただき家の宝となりました。本当にありがとうございました。これからもご活躍を心より応援させていただきます。
投稿: 小さなともちゃん | 2013年4月10日 (水) 01時33分
コメントありがとうございます。
お褒めの言葉、ありがとうございます。日記代わりに、書き始めたのですが、いつの間にか
二年ほどになりました。
「島原鉄道」は、資料がたくさん出ているのですが、、「雲仙鉄道」は資料がなく、苦労します。
まだ、課題が二つばかりと、千々石~愛野の分が残っているのですが、又いつか。
なお、私のブログは、勘違いで書いているところもあるので、要注意です。すみません 。
投稿: sugikan | 2013年4月10日 (水) 21時51分