本明川の飛び石 その2~長崎県諫早市
さて、昨日は一つの疑問。本明川は河川改修がされたはずなのに、なぜ、工事の邪魔に
なる飛び石が残してあるのか?
確認するところはないのか?しばし考えると、ピンとくるところがあり、諫早市郷土館へ走っ
て行きました。
はやり正解で、実に詳しく知っておられました。本明川の飛び石は、昭和32年の大水害で
全部流されたそうです。その後、河川改修などあったそうですが、地元の人の熱望によっ
て、国土省だったかに話し、飛び石が復活したそうです。
なお、自治会によっては、遊び心か、この辺に眼鏡橋があったのか
(Google earthより)
眼鏡橋風に飛び石を作った所もあるそうです。
郷土館に行ったとき、「ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 諫早」と言う写真集
(以下、「ふるさとの写真集」と略します。)を紹介されましたが、見るにつけ面白いので、高
かったけど、早速手に入れました。
その写真集の中にあったものですが、一番上の写真、諫早神社(旧四面宮)を本明川の対
岸から見たところですが、鳥居が2本ある事が分かります。本当は3本あって、
赤の四角が、現諫早神社。緑の丸印の所に、鳥居の印が書いてあります。この3本の鳥居
を通って神社へ行くのですから、これが参道に当たるのでしょうが、一番上の写真のよう
に、飛び石を渡って行くようになっています。
昨日の最初の写真と比べれば、川が拡張されているのが分かると思います。
なお、奥にある鳥居、これが多分肥前鳥居でしょう。多分、笠木だけの鳥居に見えます
が・・・・これも、あと2本の鳥居も諫早の災害で流されたそうです。
鳥居の柱が川原にありますよと、といわれたので行ってみるとありました
短いみたいですが、昔の写真を見ると、柱が二本つなぎの鳥居みたいですから、この長さ
なのでしょう。
諫早神社(お四面さん)の飛び石風景です。眼鏡橋が架かる前の30年間は、本明川を渡
る唯一の通路であったそうです。昭和26年の写真だそうです。
古地図を見ると、この飛び石の上流にもう二つばかり、飛び石が書かれています。多分ど
ちらかだとこ思いますが。
説明によれば、「本明川の水で洗えば、洗剤そこのけに白くなる不思議さ。」と書いてあり
ます。井戸端会議の場所でもあったのでしょう。昭和28年の写真ですが、後の橋は新四
面橋です。
「想い出の写真集」に、あと2枚ほど飛び石の写真が載っていたので
左は、諫早公園の高城から城見町の二の丸を結ぶ通路であったそうです。昭和10年の
写真。
右は、昭和初期に作られたものだそうで、形を見ると、将棋の駒の様な形をしています。水
の流れを考えたものでしょう。
このような、写真集、昔の、ひいては現在の私たちの生活を知るのに、大切なものなので
すが、もっと出して欲しいですね。
さて、千々石も河川改修、橋を架けるため、又近ごろは河川改修に伴い、川に風情を付け
るためか、わざと飛び石を作っているので、何が何だか分からなくなっていますが、一つだ
け温泉神社の所に確実なのがありました。
諫早の飛び石は、新しいものとはいえ、住民の熱意で作られたもの。あと、百年もすれば
文化財でしょう。
飛び石には、あまり目をむける方がいませんが、我々民衆の生活に密接に関係があった
もの。河川改修、橋を架けるときはには大切にしてもらいたいものです。
(参考・写真・文引用:「ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 諫早」~諫早史談会
編) ■本明側の飛び石・終了
今日は久しぶりに歯医者さんへ。この歳になっても、歯医者さんはポチ怖いですね。
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