本明川の飛び石 その1~長崎県諫早市
昔は、橋が現代ほど多くなく、住民は川の飛び石を渡っていました。
先日、書いたように、諫早の郷土館で「諫早市郷土館 解説シート」という冊子をいただき
ましたが、表紙を見ていると
赤い枠の所が、昔の本明川に架かっていた眼鏡橋になります。本明川洪水後、今の諫早
公園に移設し、そのそばの本明川に公園橋が架かっていますが、眼鏡橋は、若干、下流
の所にあった事になります。
この地図、諫早図書館蔵の諫早家古地図の中にあるそうです。
説明によると、文久4年(1864)頃のものだそうですが、見取り図ではなく、測量したもの
だそうで、かなりの精度をもったものだそうです。縮図1818分の1。
さて、この本明川をみていると、青の四角の所、なにやら、○印が点々と書いてあって、ひ
ょっとしたら、飛び石かなと思って、GoogleのEarthで調べるとビンゴ
皆さんも、Googleで本明川を見て行くとすぐに分かります。ここの河原は歩きやすく、ウォー
キングがてら、見に行ったら
いや、あちらこちらあるもんで、しばらく見ていたら、皆さん結構利用していました。橋と橋
の間に住んでいる方は、ぐるっと回わらなければならないので、利用しているのでしょう
が、飛び石のある川は風情があって良いもんですね。
ということを、考えていると、ふと、ある疑問が。この本明川は昔から、洪水を起こしたとこ
ろ。元禄12年には洪水を起こし、次の年の大干害の犠牲者の供養、治水、領内の安泰の
願いを込め、諫早家当主、第7代目茂晴公が富川渓谷に500羅漢の磨崖仏を彫っていま
す。
特に、昭和32年の7月25日には、大雨に伴う諫早地方の災害、特に本明川に大水害を
おこした事は、まだ記憶に新たなところです。
と言うことで、この本明川はかなり河川改修をしたところ。この事を考えると、飛び石を残し
たままだと、工事の邪魔になるはず。どうしたのか?どうも、釈然としません。
さて、どこで確認するか?考慮することしばし、ピンときたところが、私のカン良い所。と言う
ことで次回のお楽しみ。
なお、一番上の写真は対岸が、諫早神社(旧四面宮、地元では、お四面さんとして親しま
れているそうです。)この写真、次回に関係あるので覚えておいてください。
飛び石、私も渡ってみましたが、歳のせいかポチと滑りそうになりました。情けない。
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