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2013年4月 2日 (火)

幻の肥前鳥居 その3~南島原市有家町・島原市

Img_0004

千々石の桜も、ほとんど散ってしまいました。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりし」。若

い女性の方は、せいぜいお遊び下さい。え?遊びまくっている。時代が違いますからね。


さて、「有明の歴史を語る会」から「ありあけの歴史と風土」という機関誌を出しています

が、第16号で、杉本伸一氏が「殿様の鳥居」という記事を書いておられます。

元文元年(1763年)に島原藩三代藩主松平忠俔(ただみ)が、雲仙岳登山道路3合目に

作ったそうですが、この方は信心深く、同年、護国寺三十番神も建立されたそうです。


この写真と、杉本氏の記憶を元に書いたのが下の左図です。右の図は、諫早愛宕社の入

り口に書いてある、肥前鳥居の図。笠木と島木が一体になっています。

Img_0005_2 3

ほとんど一緒ですが、上の写真も斜めから撮ってあるために、もう一歩よく分かりません。


ひょっとしたら、これ肥前鳥居ではと思い、島原の専門家に聞くと、残念ながら、この鳥居、

平成4年7月30日の土石流で流されますが、一部発見され、眉山ロードの途中の広場に   

展示してあり、説明版にも昔の写真があるとのこと。


島原に用事があったついでに寄って見ると、

P3290108_2

左に写真がありますが・・・・

P3290110_2

ほとんどボロボロで、しかも大事な、笠木、島木の端が木に邪魔されて、はっきりとは確認

できませんでした。

P3290119_2

掘り出された鳥居の柱が三本立っていましたが、この柱には「吉日」と彫ってありました。

鳥居の大きさは、高さ4,3m、幅4,4m、柱の周囲2,3mだったそうです。


その右に建ててあるのは

P3290120 P3290126

上の写真に比べれば、少し細く、彫ってある文字を読むと、どうも「大正七」と、読めるよう

な文字もあり、殿様の鳥居とは違うみたいな感じでした。他に建てられていたのが、土石流

で流されてきて、一緒に掘り出され、ここに建てられたものでは・・・・・・?


土石流に流されていなければ、肥前鳥居だったのではと、広場を後にしましたが。とにかく

残念でした。まさに、幻の肥前鳥居です。島原半島に、肥前鳥居が残っていないのか、ボ

チボチ回って調べてみるつもりですが、情報がありましたら・・・

(幻の肥前鳥居編 終了)


昨日もカミサンとバトルで、毎日いじめられる私、これってDVではないですか。ポチと可哀

想な私。

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