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2013年3月 9日 (土)

橘中佐銅像後日談 その1~長崎県雲仙市千々石町

Photo

以前、橘中佐の銅像のことについて書きましたが、その後日談です。

前の話と重複する部分もあると思いますが、お忘れでしょうから・・・


私が、橘中佐の銅像が立っていた岩を見つけたのは、左の写真、岩の所の銘板はがはめ

込んだ跡があったからであり、、この銘板は、現在の橘神社入り口の、銅像の横の岩には

め込んであるものでしょう。寸法、内容を読むと分かると思います。(写真右)

Photo_2 Photo_4

某日、その話をしていると、岩の上に、銅像の足形もあるよ、と言う方がおり、再度行って

見ました。

Photo_5

昔、銅像が立っていたときの写真です。

Photo_6

今の写真です。同じように、盛り上がっていることが分かると思います。登って見ると。(よ

い子も、悪い子も、危ないので登らないように。)

Photo_7

本当の足形と思っていたのですが、残念。赤い四角の所に、鉄が埋め込まれた跡がありま

した。固定するためかな?

Photo_10

現在の銅像の足元です。高い所にあるので、どうなように固定してあるか見えません。


さて、一番上の写真が、最初銅像が立っていた所から、橘中佐が眺めていた方向の写真

です。橘湾です。


橘中佐を気取っていたら、80歳年配の方が通りかかったので、銅像の位置などを聞いて、

しばらく話をしていたら、戦前のことですが、台風が来てこの銅像が倒れたことがあったそ

うです。


その時、この銅像が、頭からひっくりかえった、という状態では無かったそうですが、足か

ら、ズルズルと滑り落ちるという感じだったそうです。頭から返っていたら大打撃だったでし

ょうが、足から滑り落ちたので、被害はなかったとのこと。「この銅像には、魂の入いっとた

とばい。」と話してくれました。


この事は、どの資料にも載って無く、やはり、高齢者の方の話は聞くもんですね。


さて、この銅像、終戦直後、占領軍の命令か、壊されるのを恐れてか、隠され事があります

が、誰が、どこに・・・・それは、また、明日。

(参考:「千々石町懐しいふるさと写真集」~千々石町老人クラブ連合会より)


今日は、橘神社の桜を見てくると、ポチ、ポチと蕾が出てきていました。春はもうすぐ。

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