橘中佐銅像後日談 その1~長崎県雲仙市千々石町
以前、橘中佐の銅像のことについて書きましたが、その後日談です。
前の話と重複する部分もあると思いますが、お忘れでしょうから・・・
私が、橘中佐の銅像が立っていた岩を見つけたのは、左の写真、岩の所の銘板はがはめ
込んだ跡があったからであり、、この銘板は、現在の橘神社入り口の、銅像の横の岩には
め込んであるものでしょう。寸法、内容を読むと分かると思います。(写真右)
某日、その話をしていると、岩の上に、銅像の足形もあるよ、と言う方がおり、再度行って
見ました。
昔、銅像が立っていたときの写真です。
今の写真です。同じように、盛り上がっていることが分かると思います。登って見ると。(よ
い子も、悪い子も、危ないので登らないように。)
本当の足形と思っていたのですが、残念。赤い四角の所に、鉄が埋め込まれた跡がありま
した。固定するためかな?
現在の銅像の足元です。高い所にあるので、どうなように固定してあるか見えません。
さて、一番上の写真が、最初銅像が立っていた所から、橘中佐が眺めていた方向の写真
です。橘湾です。
橘中佐を気取っていたら、80歳年配の方が通りかかったので、銅像の位置などを聞いて、
しばらく話をしていたら、戦前のことですが、台風が来てこの銅像が倒れたことがあったそ
うです。
その時、この銅像が、頭からひっくりかえった、という状態では無かったそうですが、足か
ら、ズルズルと滑り落ちるという感じだったそうです。頭から返っていたら大打撃だったでし
ょうが、足から滑り落ちたので、被害はなかったとのこと。「この銅像には、魂の入いっとた
とばい。」と話してくれました。
この事は、どの資料にも載って無く、やはり、高齢者の方の話は聞くもんですね。
さて、この銅像、終戦直後、占領軍の命令か、壊されるのを恐れてか、隠され事があります
が、誰が、どこに・・・・それは、また、明日。
(参考:「千々石町懐しいふるさと写真集」~千々石町老人クラブ連合会より)
今日は、橘神社の桜を見てくると、ポチ、ポチと蕾が出てきていました。春はもうすぐ。
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