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2013年3月11日 (月)

「まだれいな」銘キリシタン墓碑~島原市杉谷寺町山寺名

P3010027

島原で有名な、「まだれいな」のキリシタン墓碑です。正面に干十字「カルワリオ十字紋」

現在は、「カルワリオ罪標十字架」という方が多いみたいですが、彫ってあります。なお、

「カルワリオ」とは、イエス・キリストが十字架に架けられた丘の名前で、普通は、「ゴルゴ

タの丘」といっていますが、ラテン語では「カルワリオ」というそうです。


この、墓碑は、山寺名の共同墓地の中にあり、

P3010025_2

多分、保護のためのコンクリートの覆い、標注がなければ分かり難い所でしょう。墓碑の入

り口には、六地蔵が置いてあります

P3010031

6体以上ですが、置いてある土台を見れば、後の2体はあとから、作られた物と思われま

す。


なお、後の2体のお地蔵さんの首は、とれてしまっています。こちら方面、お地蔵さんの首

が取れたのが多いのですが、キリシタンによるものか、明治の神仏分離に伴う廃仏毀釈運

動の影響によるものか、よく分からないところがありますが、六地蔵さんだけが無事だとい

うのは少し奇異な感じがしました。


さて、この「まだれいな」の墓碑は、説明版によれば、慶長19年(1614)以前のものと思

われると書かれてあります。


「日本キリシタン墓碑総覧」によれば、「飯島宗義氏により発見され、大正15年、森豊造氏

との共同調査で世に出たと。」書いてありますが、出典は、昭和17年、片岡弥七氏著「長

崎縣下發見キリシタン墓碑総䌫」です。


なお、詳しい説明は「日本キリシタン墓碑総覧」を読んでもらえればと思いますが、墓碑は

キリシタン特有の伏墓ではなく、立碑として作製され、製作時期も、1620年頃、禁教時代

に於ける、一時的な、キリシタン信仰の高揚を示唆する、貴重な資料である、ということだ

そうです。


なお、一般的には「まだれいな」と言っていますが、上の写真の赤い四角の所に文字が書

かれているのですが、発見当時の状態です。

Img_3

  (島原半島史上巻~林銑吉著から)


「日本キリシタン墓碑総覧」にも、同じ写真が載っていますが、多分、片岡氏所蔵の写真で

しょう。


さて、十字の左の横の文字~一番上の写真の赤で囲んだ所です。下の左の写真は「島原

半島史」の写真を拡大したもの。右がこのたび拓本を取ったもの。

Img_2_2 Img_0001_3

「日本キリシタン墓碑総覧」では、これまでは、「まだれいな」と判読されていたが、本稿で

は拓本から『またれいな』とする。」となっていますが、難しいですね。風化して、肉眼では

ほとんど読めない状態です。


なお、「ぶらっとさらく島原~松尾卓次著」には、「記録では慶長18(1613)年、原城下で

林マダレイナ外7名が火あぶり刑にされているが、その関係は分からない。」と書かれてあ

ります。

(参考・写真:「日本キリシタン墓碑総覧~企画 南島原市教育委員会 監修 大石一久」

「ぶらっとさらく島原~松尾卓次著」「島原半島史~林銑吉著」「説明版」より)



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コメント

先日は、ブログの転載を承認いただきまして、有難うございました。
それに、アドバイスまでいただきまして、感謝しています。
後で自分のコメントを読み返しながら、
またしてもトンチンカンな事を・・・お恥ずかしいです

いつか絶対、長崎へゆっくり旅行したいと思っています。
少しずつ、sugikanさんのブログ等々で勉強させて戴き、機が熟したらGO!
という感じです。

今朝、こちらの記事を拝見しながら、直感で、「まだれいな」は、「マグダラノマリア」と頭に浮かびました。この名前は、洗礼名としてつけられる事もあるので、キリシタンの方の霊名として彫られたのかも知れませんが…。
墓碑などもお参りしてみたいと思いました。

それとは別に、今、諫早に相当昔から湧いているかもしれない温泉がないか?リサーチの最中です。
面白い歴史が紐とけるかもしれないと、ワクワクしながら探しています。

サクラ

私は単なる野次馬ですから、所々勘違いして書いているところがあるので、ご注意を。

さて、キリシタン墓碑に興味があるなら。昨年「日本キリシタン墓碑総覧」というのが、出版され、これが現在一番詳しい本です。ネットで長崎文献社で検索すると出てきます。

温泉で言えば、雲仙が一番でしょう。肥前風土記にもでてきます。島原半島には、キリシン関係、雲仙の修験道関係、島原の乱の原城(ところで、島原の乱、宮本武蔵も参加していますよ。)等、見るところもたくさんあります。

観光ボランティアさんがいて、詳しく説明してくれます。お問い合わせは、観光協会か雲仙市役所の観光課まで。

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