幻の肥前鳥居 その1 ~長崎県南島原市有家町・島原市
以前、諫早の愛宕社の鳥居のことで、「肥前鳥居」のことを書きましたが、この鳥居、佐賀
長崎で、鎌倉時代から、江戸期に作られたそうです。諫早は諫早神社の前にもあったそう
ですが、水害の時流されて、これ一本しか残っていないそうです。
復習です。下の左の写真が「愛宕社」の肥前鳥居です。イラストは、説明版から。
これを見て、以前から心にひっかかるものがあり、島原半島の神社を通りかかるとき、よく
鳥居を見て行ったのですが、全部、「明神鳥居」ばかりでした。
先日、有家町郷土誌を読んでいて、やっと思い出しました。一番上の写真、有家の「温泉
神社」ですが、元来は「四面宮」。地元では「お四面さん」と呼んでいますが、大宝7年
(701)に、雲仙の「温泉神社(当時はうんぜんじんじゃと呼んでいました)」の末社として、
吾妻町、千々石町、伊佐早(諫早市)に作られ、雲仙満明寺一乗院を併置し、神仏混淆の
社(やしろ)であったそうです。
また、神社明細帳(明治8年編)には「寛永14年、キリスト教の乱に社殿旧帳ことごとく焼
失」(島原の乱は寛永14年~15年・1637年)と書かれているそうです、それ以前にも、天
正8年(1580)に領主、キリシタン大名有馬晴信による、仏教破壊の命で破壊投棄がおこ
なわれれ、修験道の歴史が一時断絶したそうです。
島原の乱後、寛永15年に再建、四面大明神として修験道も復活し、金剛院の併置となっ
たそうですが、明治の神仏分離令により、「温泉神社」と改称されたそうです。実に、多彩な
歴史を持つ神社です。
この神社の横のお店屋さんと話をしていると、ここらあたりの畑、宅地のため地面を掘る
と、五輪の塔碑、宝篋印塔などが数多く出てくるそうで、現在神社本殿裏に、整備されてい
ます。
さて、話を元に戻して、一番上の写真が、現在の温泉神社の鳥居ですが、「有家町郷土
誌」、また、以前、有家町史談会の会長をされておられた、松本小四郎氏によると、この鳥
居は、大正11年の地震で倒壊し、現在の様な明神鳥居に再建されたそうですが、以前
は、「肥前鳥居」だったに違いないと思われますが、話が長くなるので、又明日。
(参考:「有家町郷土誌」「温泉神社説明版」「有家町広報誌・史跡巡り(昭和60年9月号」)
年取ると、夜、眠くなるのが早くて、ポチ困りますね。数年前までは1時、2時まで起きてい
たのですが・・・・・それでは、ポチ、ポチお休みなさい。まだ、9時だけど。
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島原半島の歴史解りやすくてたすかります
知らないことばかり
ありがとうございます
投稿: 新潟市 | 2016年5月14日 (土) 21時58分
コメント、ありがとう「ございます。
あまり真面目なブログではないので、恐縮しております ヾ(_ _*)ハンセイ・・・・
島原半島、諫早方面を中心に取り上げようと思っているのですが、資料不足と、勉強不足で、なかなか進みませんが、ボチボチと書いていきますので、時々覗いて見てください。
投稿: sugikan | 2016年5月14日 (土) 22時33分