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2013年3月18日 (月)

幻の肥前鳥居 その1 ~長崎県南島原市有家町・島原市

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以前、諫早の愛宕社の鳥居のことで、「肥前鳥居」のことを書きましたが、この鳥居、佐賀

長崎で、鎌倉時代から、江戸期に作られたそうです。諫早は諫早神社の前にもあったそう

ですが、水害の時流されて、これ一本しか残っていないそうです。


復習です。下の左の写真が「愛宕社」の肥前鳥居です。イラストは、説明版から。

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これを見て、以前から心にひっかかるものがあり、島原半島の神社を通りかかるとき、よく

鳥居を見て行ったのですが、全部、「明神鳥居」ばかりでした。


先日、有家町郷土誌を読んでいて、やっと思い出しました。一番上の写真、有家の「温泉

神社」ですが、元来は「四面宮」。地元では「お四面さん」と呼んでいますが、大宝7年

(701)に、雲仙の「温泉神社(当時はうんぜんじんじゃと呼んでいました)」の末社として、

吾妻町、千々石町、伊佐早(諫早市)に作られ、雲仙満明寺一乗院を併置し、神仏混淆の

社(やしろ)であったそうです。


また、神社明細帳(明治8年編)には「寛永14年、キリスト教の乱に社殿旧帳ことごとく焼

失」(島原の乱は寛永14年~15年・1637年)と書かれているそうです、それ以前にも、天

正8年(1580)に領主、キリシタン大名有馬晴信による、仏教破壊の命で破壊投棄がおこ

なわれれ、修験道の歴史が一時断絶したそうです。


島原の乱後、寛永15年に再建、四面大明神として修験道も復活し、金剛院の併置となっ

たそうですが、明治の神仏分離令により、「温泉神社」と改称されたそうです。実に、多彩な

歴史を持つ神社です。


この神社の横のお店屋さんと話をしていると、ここらあたりの畑、宅地のため地面を掘る

と、五輪の塔碑、宝篋印塔などが数多く出てくるそうで、現在神社本殿裏に、整備されてい

ます。


さて、話を元に戻して、一番上の写真が、現在の温泉神社の鳥居ですが、「有家町郷土

誌」、また、以前、有家町史談会の会長をされておられた、松本小四郎氏によると、この鳥

居は、大正11年の地震で倒壊し、現在の様な明神鳥居に再建されたそうですが、以前

は、「肥前鳥居」だったに違いないと思われますが、話が長くなるので、又明日。

(参考:「有家町郷土誌」「温泉神社説明版」「有家町広報誌・史跡巡り(昭和60年9月号」)


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コメント

島原半島の歴史解りやすくてたすかります
知らないことばかり
ありがとうございます

コメント、ありがとう「ございます。

あまり真面目なブログではないので、恐縮しております ヾ(_ _*)ハンセイ・・・・
島原半島、諫早方面を中心に取り上げようと思っているのですが、資料不足と、勉強不足で、なかなか進みませんが、ボチボチと書いていきますので、時々覗いて見てください。

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