「鯨の塔」後日談 その1
3月5日~6日、2回にわたり「鯨の塔」の事を書き、多分、漁協の解散時に、ここに移転し
てきたと考えていたのですが、漁協の解散の時期がいつか、どうも気になって、図書館へ
調べに行ったら、あいにくの休館。
考えていると、頭にピコンとくるものがあり、もう一度出かけ、この碑の裏を見ると、
なんと、全部書いてあるではありませんか。これに気づかなかった、私のおろそかさ。
はやり、裏を見るのも大切ですね。私も、カミサンの裏を見なかったので、失敗しました
が・・・
本文と概略を書いてみると、「当諫早業業協同組合は、諫早湾(泉水海)の湾奥に位置し、
魚貝が湯水の如く湧き出る豊かな漁場で、我々の祖先は此のよき漁場を護り・・・」。ここ
で、諫早湾(泉水海)と書いてありますが、調べると、有明海の湾内西部にはさらに、諫早
湾(泉水海)といわれるところがあっただそうです。
明治35年法令の制定で、「漁業組合」、昭和6年に「漁業会」、昭和24年、水産業協同組
合法の施行により「諫早漁業協同組合」として発足、泉水海12組合の本部組合となったそ
うです。
さて、昭和27年に諫早湾干拓の構想が持ち上がり、西岡、久保、高田県知事と受け継が
れ、ご存じの通り紆余曲折を経て(いまも問題を引きずっていますが)、県政に協力をする
ということで、平成3年6月、解散に至ったそうです。
と言うことで、この時期に、「鯨の塔」も移設したのかと思ったのですが、ちょうど、近所のお
ばあさんが出てきたので、この「鯨の塔」について尋ねたところ、「気がついたら立っとっ
た。」との返事。
まあ、興味の無い方には、全く関係ないのでしょうが、この方、野呂邦暢さんが住んでいた
頃のことも知っておられ、実際に話もしたことがあったとか。野呂さんの一面も聞くことがで
きました。はやり、誰にでも声はかけて見るもんですね。面白い話でした。ここには書けま
せんが。
さて、帰ろうかと思っていたら、80年配の男性がおられたので、同じ事を聞いてみたら、
意外な情報が・・・・・少し長引くので、明日へ続く。
何でもポチポチと努力すると、ポチポチと情報が集まるものですね。女の子の方もポチポ
チ努力して集めようかな。
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