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2013年3月

2013年3月31日 (日)

2013 「観櫻火宴(かんおうかえん)」&「橘公園花まつり演芸大会」~長崎県雲仙市千々石町

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昨日は「観櫻火宴」。日本一の松明武者行列。最初は数十名程度で始まったのですが、

年々盛んになり、武者の装束を着け、松明を持つもの、主催者発表1,500名、警察発表

150名。まあ話は大きく。消防団が付き添いながら、海岸から商店街を通り、橘神社の会

場まで歩いて行きます。


悪役軍団に稚児武者、後で、バトルがありますが、もちろん稚児武者の勝利、稚児武者が

手に持っているのは、スポーツチャンバラ用の刀で、これは、お土産に。

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佐賀の、葉隠れ鉄砲隊の皆さんですが、当時の佐賀藩のアームストロング砲を模したも

の、もちろん空砲です。本物でやってほしんですけれど・・・・・号砲一発ではなく、空砲一

発(音は大きく、火花も飛びます)、一番上の写真。「弥栄(いやさか)」「おう」のかけ声で、

出発です。

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神社へ着いたところですが、人が多くてというより、写真を撮る人が多くて(皆さん本当に良

いカメラをお持ちで、羨ましいこと)、良い写真が撮れませんでした。安物のカメラのせいで

はありません。

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釜蓋城(橘神社の後の山)で、佐賀、龍造寺に攻められ、討ち死にした、千々石大和守直

員(天正少年遺欧使節、千々石ミゲルのお父さん、当時25歳)、と家老の町田兵七郎、木

戸萬九郎が中央に並びます。その後中学校の、吹奏楽部の御神楽。

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来年中学校にあがる子どもの(町外の方も参加できます)元服立志式、自分の名前を書い

た名札を掲げ、一人一人、自分の夢を語ります。

最後に、天正少年遺欧使節の寸劇があり、終了しました。

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さて、今日は「橘公園花まつり演芸会」。昔は、この花祭り、橘中佐を祀った神社をひか

えた所であり、各町の選手が集まり、柔道大会、剣道大会、弓道大会もあり、賑わっていた

のですが、いつの間にか武道関係はなくなってしまいました。


舞踊ですが、右の方、23歳から、この花祭り演芸大会に関係を持ち、今年82歳、もちろん

踊りのお師匠さんです。踊るときの足腰はしっかりしてますね。

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太極拳に、カラオケ。

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ブルーアイランド雲仙によるフラダンス。皆さん遠くから見るとお若いですね。近くから見る

と・・・・・いや、お若いですよ、それなりに。

ちぢわ舞華連(まいかれん)と千々石第一小学校生徒による、元気よく、「よさこい」。

全部で15ほど演技がありましたが、見物人も結構多く、楽しく過ごせました。

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昨日、今日、天気が良かったせいか、結構な人出でした。この、二つのイベントが終わる

と、段々露店も店をたたみ、いつもの静かな公園に戻っていくことでしょう。桜が散り、春が

終わり、私の好きな葉桜の季節です。

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公園が近く、毎日桜を見ていると、ポチ花疲れしました。

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2013年3月29日 (金)

2013 しまばら芝桜公園(3月29日現在)

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今日は、島原の病院へ。ついでに、眉山ロードの千本木湧水にちっと確認に、この事は後

日書きますが、帰りがけに「しまばら芝桜公園」に。


何回か、ご登場願った、「しまばら芝桜公園」です。平成21年、市民団体「芝桜公園を作る

会」が、中尾川砂防堤防内に、二十万本以上の芝桜を植えたそうです。


島原と言えば、「鯉の泳ぐまち」、又、湧水が有名ですが、赤、ピンク、青紫、白の芝桜で、

湧水の中を2匹の鯉が泳ぐ様子をデザインしたそうです。


今年は、桜の咲くのも早かったのですが、芝桜も昨年より、早いみたいでした。

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写真の奥の方に見えるのが、砂防ダムですが、この上から全体が見えます。

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奥の方はかなり咲き始めているのですが、手前の方は、まだ十分には咲いていません。多

分、砂防ダムの関係で、日が当たりにくいのかな?いずれにしても、もう一息という所でし

ょう。


場所が分からない方のために。諫早から小浜方面にむかい、愛野町から千々石町の峠の

頂点の手前から、島原へ向かうグリーンロードに乗ります。そのまま行くと(30分程度か

な?なお、この道は交通取り締まりが多く、特に、愛野町~吾妻町あたりの、下り坂は要注

意。下り坂の所で、取り締まりとはなんたる事だと、地元では悪評サクサクですが・・・・私も

3回捕まりました。)がまだすロードに出ますが、そのまま行くと行き過ぎるので、島原のイ

ンターの所で降りて下さい。


分かりにくければ、市役所の横の道を山手の方にまっすぐ登って下さい。

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左の写真、赤の方向です。行き過ぎて黄色の方向には行かないこと。赤の丸印が市役所

です。曲がるところに、信号がありますから、右方向に曲がってしばらく行くと、右の写真の

場所に出ますが、赤が芝桜公園方向、黄色が「眉山ロードです。こちらにも駐車場があり

ます。迷ったら、誰かに聞いてください(当たり前だけど)。


ついに橘神社の桜も散り始めました。明日は、日本一の武者松明行列の「観櫻火宴」が、

橘湾海岸~橘神社であります。写真の愛好家の方、バッチリですよ。暇な方はポチとお越

しを。

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2013年3月28日 (木)

シルバー川柳 2 ~買ってしまいました

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朝から、バトルがありまして、日野原重明先生が、朝からオリーブオイルを飲んでいて、体

に良いと言うことで、買って来たんですが、カミサンがそれを見つけて、


「オリーブオイルって油でしょう」。まあ確かに、私みたいにメタボは、油分が体に悪いと言

われれば、仰せの通りなんですが、ものは言いよう、頭から言われたのでは、こちらもカチ

ンときて


「日野原先生だって、飲んでいるじゃないか。」

「日野原先生は、この間TVで出ていたでしょう。病院中、エレベーターも使わず階段だっ

て、駆け上っているのよ。」

「あれは、TV用で、カメラの前でやっているだけだよ。聖路加国際病院の名誉医院長たる

ものが、病院の中をウロウロするか、いつもは部屋の中で座って仕事しているよ。(この部

分、私の創作で、ついつい口からでまかせで言ったもので、信じないで下さい)」


ということがありまして、本屋にぶらり行ったら「シルバー川柳 2」が置いてあり、はからず

も、帯に日野原重明さん大絶賛と書いてあるではありませんか。年金暮らしにもかかわら

ず、ついつい、買ってしまいました。

シルバー川柳の最初の本はいつか取り上げましたが、読んで見ると、相変わらの面白さ。



バラに似て 妻も花散り トゲ残し

ホント、カミサンも若い頃はバラみたいに美しかったんですが、今はトゲだらけで・・・



置き忘れ 知られたくない 大掃除

まあ、私のビデオやらDVDもほとんど処分しましたが、置き忘れを孫にでも見つかって、

「おじいちゃんこんなの見てる」と言われたら大変ですから、もう一度チェックを。



わが家にも 政権交代 夢にみる

まあ、夢見るだけで、とうてい無理でしょう、ウチは。



危ないと 孫に注意し 転ぶ母

永六輔さんが、「転ばない、風邪ひかない、食べ過ぎない」が長生きのコツと言ってました。



墓参り 「下見ですか?」と 尋ねられ

都会では、墓地がないとか、早めに見つけておいて下さい。



ああくやし 夫の名前が でてこない

わたしも、時々妻の名前を忘れることがありますが・・・呆けたのか、故意なのか?



ワシ3高 血圧・血糖 尿酸値

バブル期に、三高と言えば、高学歴・高収入・高身長でした。



もう限界 解散しようと 妻が言う

ウチも言われはしないかと、毎日ドキドキしているんですが。



孫たちに アドレス聞かれ 番地言う

昔は、アドレスと言えば、住所番地のことでしたが。高齢者の方も、携帯電話を持つ時代に

なりました。メールは、多分打てないでしょうが・・・



厚化粧 笑う亭主は 薄毛症

奥さんが厚化粧、旦那はハゲ。よく見ますが。私は、ロマンスグレーで、この川柳とは無関

係。



老後にと 残した夢も 夢のまま

そう言われれば、定年してやりたいことも、たくさんあったのですが、どうにも夢で終わりそ

う。



まな板の へこみに妻の 苦労しる

良いご夫婦ですね。こんな、夫婦を夢見ていたのですが・・・・


まだたくさん、面白い川柳がたくさんあるのですが、後は皆さん本を買ってお読み下さい。

身につまされるものばかりで、ウチだけじゃないんだな、ということがよく分かります。お買

い得の本です。若い方も、いずれは、こうなるのですから、高齢者の方も、若い方も、是非

お読み下さい。お薦めの本です。


「妻と我 長生き比べは 勝ってやる」 ポチ良かったかな?

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2013年3月27日 (水)

「鯨の塔」後日談 その2

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さて、「鯨の塔」後日談 その2 です。


80年配の男性の方が歩いてこられたので、念のために、聞いてみたら、「諫早水害の時に

流されたのを集めたんじゃないかの。」


すっかり忘れていました。昭和32年7月24日~25日にかけて、1,000㎜もの集中豪雨

が諫早市を襲い、諫早市で多数の死者行方不明者がでます。本明川が氾濫しますが、こ

こは、本明川のすぐ川沿い。


「上からも、地蔵さんとかいろいろ流れてきて、仲沖の公民館の所にも、集めて祀ってある

よ。」、とのことで、すぐ近くの仲沖の公民館に行ってみたら、裏側にありました。一番上の

写真になります。


ちなみに、ここは

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諫江八十八カ所の第四十四番札所でした。


ということは、鯨の塔とその横にある碑は、災害の時流されたものを、あそこに集めたもの

か?


と、思っていたらふと疑問が、私がこの「鯨塔」に興味を持ったのが、「諫早史談~田中為

市著」、ですが、これは初版が昭和40年、「その対岸仲沖側の堤防の一角に、一基の碑

が建ててある。」と書いてあり、諫早水害が32年。なら、災害後も流されずに残っていたこ

とになるのですが・・・ということは、はやり何かの時に、ここに移設されたものなのか?


さて、疑問は解けぬまま、某日、諫早の郷土史を研究されている方に、たまたま出会い、

聞いたところ、鯨の塔までは知っておられたものの、今の位置に置かれたいきさつは、分

からないとのこと、ただ、田中為市氏の事も知っておられ、出版は昭和40年であるが、水

害以前の事を思い出して、書かれたのかも知れないとのお話し。また、ここ一帯は、災害

後土地をかさ上げされており、その工事の時、移設された可能性も考えられる、と言う事。

しかし、わたしが言う、漁協解散時の関係も考えられると。なにがなにやらと、いう感じです

が・・・・


結局は、①水害で流され、その後この場所に集められた。②土地、河川工事の時集められ

た。③漁協解散時に集められた。と3つの事が考えられるのですが、近所の人も知らない

となれば、これ以上は、当時の漁業関係者を見つけて、話を聞かなければならないのです

が、そこまでの元気はなく、田中為市氏が書いておられるように、「余り人通りのない堤防

の一隅に寂しく建っている・・・」ではなく、現在は、人通りのあるところに丁重に建てられ、

「よっかったね鯨君」と声をかけ、「鯨塔」を後にしました。


さて、ここ一帯は、前は漁村で、以前の写真を見たことがありますが、今は面影もありませ

ん、

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道を歩くと恵比寿さんの像があちらこちら置いてあり、これだけが港町だった面影をとどめ

てめていました。何となく、長崎出身の蛭子能収さん(おなじエビス)的な雰囲気で、いつま

で見ても、飽きませんね。


今回も、昔のことを知る人が少なくなってきていることを肌で感じました。所詮、庶民の歴

史は埋もれてしまっていくのかな?


満開だった桜が、今日の雨で早くも散り始めました。ポチ感傷的になる時期です。

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2013年3月26日 (火)

「鯨の塔」後日談 その1

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3月5日~6日、2回にわたり「鯨の塔」の事を書き、多分、漁協の解散時に、ここに移転し

てきたと考えていたのですが、漁協の解散の時期がいつか、どうも気になって、図書館へ

調べに行ったら、あいにくの休館。


考えていると、頭にピコンとくるものがあり、もう一度出かけ、この碑の裏を見ると、

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なんと、全部書いてあるではありませんか。これに気づかなかった、私のおろそかさ。

はやり、裏を見るのも大切ですね。私も、カミサンの裏を見なかったので、失敗しました

が・・・


本文と概略を書いてみると、「当諫早業業協同組合は、諫早湾(泉水海)の湾奥に位置し、

魚貝が湯水の如く湧き出る豊かな漁場で、我々の祖先は此のよき漁場を護り・・・」。ここ

で、諫早湾(泉水海)と書いてありますが、調べると、有明海の湾内西部にはさらに、諫早

湾(泉水海)といわれるところがあっただそうです。


明治35年法令の制定で、「漁業組合」、昭和6年に「漁業会」、昭和24年、水産業協同組

合法の施行により「諫早漁業協同組合」として発足、泉水海12組合の本部組合となったそ

うです。


さて、昭和27年に諫早湾干拓の構想が持ち上がり、西岡、久保、高田県知事と受け継が

れ、ご存じの通り紆余曲折を経て(いまも問題を引きずっていますが)、県政に協力をする

ということで、平成3年6月、解散に至ったそうです。


と言うことで、この時期に、「鯨の塔」も移設したのかと思ったのですが、ちょうど、近所のお

ばあさんが出てきたので、この「鯨の塔」について尋ねたところ、「気がついたら立っとっ

た。」との返事。


まあ、興味の無い方には、全く関係ないのでしょうが、この方、野呂邦暢さんが住んでいた

頃のことも知っておられ、実際に話もしたことがあったとか。野呂さんの一面も聞くことがで

きました。はやり、誰にでも声はかけて見るもんですね。面白い話でした。ここには書けま

せんが。


さて、帰ろうかと思っていたら、80年配の男性がおられたので、同じ事を聞いてみたら、

意外な情報が・・・・・少し長引くので、明日へ続く。


何でもポチポチと努力すると、ポチポチと情報が集まるものですね。女の子の方もポチポ

チ努力して集めようかな

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2013年3月25日 (月)

今日はお誕生日!

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結婚記念日が11月12日、カミサンの誕生日が3月25日。


さて、これスラスラ言える旦那さんが、何人いるでしょう?ちなみに、聞いて見てください。

答えきれましたか?


以前、誕生日を一月間違えて、2月15日に、誕生日のケーキを買って来た大失態の事を

書きましたが、今年はちゃんと、間違えずに買って来ました。


お誕生日ケーキを買ってきても、二人で食べるには多すぎるし、春らしく「桜のモンブラ

ン」。上の「HAPPY BIRTHDAY!」の飾りが、チャーミングで何とも言えませんね。


まあ、この歳になって(九州男児の端くれでもあるし)、妻の誕生日にケーキを買ってくると

は、何というか、夫の見本、夫の手本、夫の理想像、夫の模範、夫の逸材、山内一豊の夫

(あれは妻か)。なんと褒めても、褒めすぎることはないですね。


一個だけは買いにくいし、私の分も買って来て食べましたが、確か、3ヶ月ぶりのケーキで

したか。ケーキってこんなにおいしかったんですね。


以前、「亭主関白協会」の事を書きましたが、詳しいことは「亭主関白協会」のホームペー

ジに書いてありますが、関白(亭主)は、天皇(妻)を助け、家庭の平和を作る努力をすべき

だと言う協会ですが、会員になると会員証が貰え、裏に、「愛の三原則」が書いてありま

す。もう一度紹介をしておきます。


「ありがとう」をためらわずに言おう

 

「ごめんなさい」を恐れずに言おう

 

「愛している」を照れずに言おう


私ですか?なかなか言えません。ご亭主の皆さん、努力してください。


さて、カミサンですが、ケーキを食べながら、感激のあまり、涙をうっすらと・・・出していませ

んでした。


いつもは、カミサンの悪口ばかり書いていますが、本当はポチ

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2013年3月24日 (日)

今日は防火講習会

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昨日は、自治会の常会、今日は防火講習会。行きたくも無かったのですが、カミサンが、

「行ってきなさいよ」。「ヘイ、ヘイ」、と言うことで初めて参加してきましたが、良かったです

ね。


最初は、消防署の職員の方から、災害時の注意のビデオとお話し。地震等の災害が起き

る前に、タンスなど倒れた無いように準備をしておくこと、災害時には、近隣の協力体制が

必要なことのお話し。


ついで、実習。最初は、家庭用の消火器から。これ、使い方は、上の黄色のピンを抜いて、

ホースを火元に向けて、レバーを握る。と、簡単そうに見えて、本当の火を見ると、多分パ

ニックに陥って、手順分からなくなってしまうでしょう。機会があったら、実際に練習しておく

ことが大事。なお、噴射時間は15秒、範囲は3~5メートルで、思ったより噴射時間が少な

いのに驚きましたが・・・・

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さて、自治公民館のところに、ホース収納庫が置いてありますが、中身は初めて見ました。

ホースが2本。20メートルが2本です。筒先。消火栓を開けるなんとか(名前忘れました)。

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そいでもって、水はどこに?と思ったら、こんな所にありました。

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これ開けると、消火ホースを繋ぐ、なんとかと、水を出すために回す、なんとかがあります。

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手順は、ホースを繋いで筒先をつけて、火元まで引っ張っていって、筒先を火元に向け、

合図して、水を出すなんとかを回すということで、一番上の写真になります。


ホースは、手を離すと水の勢いで、ホースが暴れ、足や頭にあたると、骨折することもある

そうですから、2~3人、できれば若い方に任せた方が良いそうです。私も、筒先を持ちまし

たが、かなりの水圧。皆さんも、万が一の事もありますから、機会があったら是非参加し

て、近くの消火栓など確認してみてください。


ホースが40メートルというと、私の家まで届かないのですが、その時は、私のホースを使

ってみるか。でも、水の容量が少ないからな。


消火は良いけど、私の心の炎は消さないで。ポチお願いよ。

 

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2013年3月23日 (土)

今日は草刈り

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水菜の花です。野菜の花もこうして見ると、綺麗なもの。


今晩は、自治会の常会があるとかで、前もって、ちょこっと書いていきます。

この2~3ヶ月いろいろあって、庭の方の手入れに意欲が湧かず、そのまましていたら、ご

覧の状態。

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これはいくらなんでもと、草刈りを。

いつもの、相棒の草刈り機を取り出したのですが、ずっと使ってなかったので、エンジンが

かからない、かからない。はやり、使わなくても時々は動かしておくべきですね。

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これ、以前書きましたが、普通は先が金属の円盤になっていて、歯がノコギリみたいになっ

ていますが、私のは、ナイロンのヒモみたいに(私はヒモではありません、みたいなもんで

すが・・・)なった物を使っています。大きな石が多いところ、又、木があるところは、木を痛

めずに(少しは傷がつきますが)、手軽に使えます。


ヒモはすれて、段々短くなりますが、回しながら、真ん中の所を、石みたいな固いところで、

トントンとたたいてやると、また、伸びてきます。

なお、草刈り機を使うときは、小石が飛んで来るときがあるので、防護マスクを忘れないよ

うに。


一時間ほどで

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まあ、見られる程度には。あと、一週間ほど枯らかして、焼きますが、野焼きは禁止されて

いますから(このあいだ回覧板で回ってきました)、よい子の皆さんは、野焼きはなさらない

ように。ここらへんは、誰でもやっていますが・・・・(これ内緒)


あと、堆肥をいれて耕して、なにを植えようかと思っていたら、諫早の八江農芸(花や野菜

の種、苗をうっています)から、花まつりのお知らせが来ていました。野菜栽培のミニ講習

会もあるとか、ナス、トマト、キュウリ、ニガウリ、ピーマン、スイカ、エダマメ、トウガン、カボ

チャ。これだけあると、何植えるか迷いますね。


参考のため、日程を貼っておきますが、バイパス店の方ではなく、本店の会場だそうです

から、お間違いのないように。

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ところで、草刈民代さんっていいですね。ファンです。先祖の方は、草刈りと関係があった

のかな?


千々石の橘公園の桜は満開で、お客さんがポチポチではなく、どんどんやって来ていま

す。常会が終わったら、ポチと夜桜見物でも・・・一人っきりで・・・・淋しく・・・・

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2013年3月22日 (金)

日本タンポポはいずこに

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タンポポ、良いですね。ただし、これ西洋タンポポです。


実は、数年前から、黄色のタンポポを見るたびに、日本タンポポではないかとの、淡い期

待を持ちながら、調べているのですが、ついに出会ったことはありません。まだ見ぬ、永遠

の恋人みたいなものです。かなり、山の方も調べたのですが・・・・


こちらは、関東以西、四国、九州の西の方に多く見られる、シロバナタンポポ。

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シロバナタンポポは、日本の在来種だそうです。

西洋タンポポと、在来種の違いは、裏側を見ると分かります。

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赤の四角の所、「総苞片」と言われる所ですが、これが反り返っているのが、西洋タンポポ

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黄色の日本タンポポはないので、シロバナタンポポで代用しますが、「総苞片」の所が、反

り返ってないのが、分かると思います。これが在来種のタンポポと西洋タンポポの違いだ

そうです。


日本タンポポが少なくなっているからといって、日本と西洋のタンポポが戦いをやっている

わけではないのですが、日本の住宅地等を含めた、土地の環境などが、ニホンタンポポの

生態に合わなくなってきている、という事らしいのです。私は植物学専門でないので、間違

っていたらお許しを。


日本タンポポ、私みたいに、どこかの片隅で、ひっそりと咲いているのでしょう。家でカミサ

ンにおごられ、いつも家の片隅でひっそり生きている私みたいに・・・・会いたいな。


今日はポチと感傷的な内容でした。

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2013年3月21日 (木)

「桜だより」だよ~千々石町橘公園・諫早公園・森山町・とけん山公園

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私の娘の名は、「さくら」、と付けようと思っていたのですが、生まれたのが夏。残念でした。


3月15日、「桜だより」を書いて、その時はまだまだ蕾だったのですが、一週間足らずで、

あっという間に、あちらもこちらも開花。今年は、異常開花ではないのですか。


上の写真が、橘神社の開花基準木の桜、15日には、まだ一つも花は咲いていなかったの

ですが。


毎年、ボチボチ桜が咲き始める頃、露店がでて、それから満開になるのですが、今年は順

序が逆になったみたい。今日の朝には一店も出ていませんでした。橋の下の桜も満開状

態。各写真は、クリックすると拡大しますから、それでお楽しみください。

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いつもウォーキングを楽しんでいる、諫早の森山町図書館前のマイ・ウォーキングロード。

桜の満開はもう少し。右側には「森山花の会」の皆さんが、植栽している花壇。ビオラ、花

芝、パンジーなど、一年中楽しめる、ウォーキングロードです。


ちなみにアナウンサーで、「公園には色とりどりのパンジーが咲いています。」と言うのを、

「公園には色とりどりのパンティーが咲いております。」と言ったのは、若かりし頃の、久米

宏さん。(この話、以前書いたかな?春が来たらボケがひどくなって・・・)


桜には関係ありませんが、右の写真。図書館の前の所にある「もぎたて市」。お爺さんの車

が、ベンツのシルバーカー。これに乗る人、平気で右でも走るから困るんですよね。


後に大きなカメがありますが、焼酎用に作ったらしいのですが、全然売れなく、壊している

のを、福岡まで行って持って来たそうです。でも、これだけの焼酎、飲むのに何年かかるの

かな?

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あいにく、図書館が休みだったので、二反田川河川公園まで。

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町外の方には、知られていませんが、以外と良い所です。


近ごろ、有名になり始めた、桜の通り抜けの道。国道251号線の、森山町唐比の交差点

のすぐ近くの道から、山手に入る道、国道57号線に抜けますが、少し分かりにくいかな?

分からなかったら、聞いてみてください。地元との方と話をするのも、いいコミュニケーショ

ンです。唐比の方の入り口の所に、「風の森」があり、そこの中に、いつか書いた「Cozy」さ

んがあります。時々寄って、ランチを食べています。

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諫早公園。ここは、芝生がはってあって、家族連れで、お弁当広げるのに良いですね。こ

の間完成したばかりの、ミニ眼鏡橋。桜が似合いますね。せっかくだから写真をパチリ。

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小浜町のとけん山公園。小浜から、雲仙に登る道の途中から、山手に入ったところにあり

ます。海が見えて良い公園です。駐車場はありますが、あまり広くありません。

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とにかく、どこもかしこも、桜の咲くのが早いみたいで、この分では来週いっぱいには、散っ

てしまう感じなので、花見に行かれる方は、お早めに。


冗談ではなく、ポチポチ花見をではなく、急いで花見を。下のバナーも、急いでポチしてね。

 

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2013年3月20日 (水)

2013 春うらら茶会~日米親善人形交流展 附録:島原芝桜公園(3月20日)

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さて、「幻の肥前鳥居」。少しばかり、新しい情報が入ったので、又、後日。今日は、春うらら

茶会があったので、そちらの方を。


昨年も、この、春うらら茶会~日米親善交流展(正式名称:~青い目の人形~リトル・メリ

ーと仲間たち ’日米親善人形交流と島原’展)のことを書きましたが、このような歴史があ

ったこと、忘れてはならないと思いますので、再度取り上げます。来年も取り上げるつもり

ですが・・


この人形は、戦前、親日家のギューリックさんが、日米友好のため、12,700体を日本の

子どもたちに送りました。

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各学校では、町内の小学生、幼稚園の生徒などを集め、写真の様な盛大な歓迎会を開い

たそうです。


残念な事に、戦争が始まり、敵の人形だということで、廃棄され、現在全国で300体、長崎

県ではわずか2体しか残っていません。


一番上の写真の人形は、島原第一小学校のリトル・メリーちゃん。戦後、小学校に残され

ていた箱を開けたら、雛人形と一緒にリトル・メリーちゃんが眠っていたそうです。

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この雛人形と一緒に、入れてあったそうですが、誰かが隠したのか?


アメリカから送られた人形に対し、日本からも、子どもたちから募金し、47体を送ったそう

ですが、その一体が「長崎瓊子(たまこ)」。長崎代表です。

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ニューヨーク州ロチェスター市科学博物館に、どういうわけか、「ミス青森」という名で保管さ

れていたそうですが、これが長崎から代表して送られた答礼人形、「長崎瓊子」ということ

が73年ぶりに確認できたそうです。


この、日米親善人形交流展、全部「島原親善人形の会」の会員の手で運営されています。

(私も、事務局長の美貌にひかれ入っていますが・・・・)。10年目を迎えましたが、今度、

島原の小学校の郷土関係の、副読本に取り上げられるそうです。素晴らしい、歩みです。


イベントも少し組まれていて。

天気が良ければ、外の御馬見所で開催されたのですが、雨が降り、天気が悪かったので、

島原城内の復興記念館の中で。お客さんも結構多く、「森岳婦人会茶道教室&モリモリ広

場茶道教室の子どもたち」のお茶の接待。第一小学校生徒による紙芝居、、「リトルメリー

ものがたり」。ひかわ学童おひさまクラブによる合唱。島原半島国際交流クラブによる、み

んなで歌おう。

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雨を吹き飛ばす楽しさでした。


帰りに、島原城のお堀を見たら桜が満開。お城に桜、良いですね。

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さて、島原の芝桜公園。昨年より、根が張ってきたみたいです。花は、少し咲き始めている

ところで、まだまだ時間がかかりそうです。

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暖かくなったと思ったら、明日からはまたポチ寒くなりそう。老いの身には辛いですね。

皆さんも今晩はポチ暖かくして、お休みを。

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2013年3月19日 (火)

幻の肥前鳥居 その2 ~長崎県南島原市有家町・島原市

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昨日の続きです。

肥前鳥居については、ネットで調べるといろいろ出ていますが、諫早の説明版は、笠木と

島木が二本一体化したように書かれていますが、島木が省略されているものもあるそうで

す。

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              (「有家町郷土誌」より)


有家町のも、多分このこの形ではなかったでしょうか。有家町郷土誌、有家町報176号の

「史跡巡り~「温泉神社『一の鳥居』」によれば、昨日書いたように、地震で倒壊後、大正

11年に再建されましたが、「台石を残し倒壊、その年に鳥居の改修は、おこなったものの

鳥居上部の鰹節型(別名舟底型とも云う)は、取り除かれ、新たな物と、作り替えたもので

ある。」という事だそうです。


「尚古い、舟形上部右半分は、大地震の時、池の中に落ちたままで後になり、後に池の中

から発見され、神社に保存されている。

また、左半分は、時の世話人により、猿田彦天神ときざまれ、現在久保田名、隈田俗に云

う石橋四つ角の、道祖神として、崇拝されている。」(有家町郷土誌)

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一番上の写真が、「猿田彦天神」になった、鳥居の一部です。場所がよく分からず、若い男

の子がいたので、聞いたのですが知らないということ。年寄りの方も見当たらず。ウロウロ

していたら、こんな所にありました。後からみれば、鳥居の端の方だった、ということが分か

ると思います。


さて、有家町誌に載っている、池の中から見つかった部分です。これが、神社の中に保管

されているとか。

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神社の中を見ても、それらしき物は見当たらず、丁度、宮司さんがお祓いをしていたので

尋ねると、猿田彦大神の方はご存じだったのですが、神社内にあるという、上の写真を見

せても、よくわ分からず、神社の横の方のお店の方で、生まれて、ここで育ったという方に

尋ねても、分からす、しばし、神社の中を見つけていたら、ありました。

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神社本殿の裏側。多分横にしたままでは、ということで下部を埋めて、立てたのでしょう。


こうして見ていくと、一の鳥居は、島木を省略した笠木だけのものだと分かるとおもいます。

なお、鳥居の柱の部分は以前の残った物を使ったのでしょうが、三本継ぎになっておりま

す。年代は彫ってありませんが、温泉神社の歴史を考えると、かなり古いものだと思われ

ます。地震がなかったら貴重なものとして、残っていたと思うと、島原半島に於ける「幻の肥

前鳥居」です。


余談です。

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温泉神社に行くには、大きな鳥居が参道にあり、神社の入り口に、今まで書いた鳥居があ

りますが、その間にもうひとつ、この写真の鳥居(年代的には明治6年のもの)があったそ

うですが、バスが運行を始め、通れないということで、温泉神社内に移したそうです。


貫の部分、新しいのが分かると思いますが、台風のとき落ちたそうです。その時、「四面

社」と書いた、額束も落ちたそうですが、まったく無事だったそうです。神社横のお店屋さん

から聞いた話です。「やっぱり、神様の魂が入っととやろな。」と言われていました。


地震に、台風。やはりおっかないですね。古人曰く、「世に恐ろしきもの、地震、雷、火事、

カミサン。」


東北の、地震、津波大変でしたが、こちらの島原半島も、昔から、地震、噴火、山の崩壊な

ど、何回か襲われております。自然の脅威の前には、人間の非力をつくづく感じますね。

(参考:「有家町郷土誌」「有家町広報誌~史跡巡り㉑)」)


今年の桜は、一斉に咲き始めたみたいですが、本当は、ポチポチ咲いていくのが情緒があ

って、良いのですが・・・・「お酒飲む人 花なら蕾 今日もポチ咲け(酒) 明日もポチ咲

け(酒)」。

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2013年3月18日 (月)

幻の肥前鳥居 その1 ~長崎県南島原市有家町・島原市

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以前、諫早の愛宕社の鳥居のことで、「肥前鳥居」のことを書きましたが、この鳥居、佐賀

長崎で、鎌倉時代から、江戸期に作られたそうです。諫早は諫早神社の前にもあったそう

ですが、水害の時流されて、これ一本しか残っていないそうです。


復習です。下の左の写真が「愛宕社」の肥前鳥居です。イラストは、説明版から。

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これを見て、以前から心にひっかかるものがあり、島原半島の神社を通りかかるとき、よく

鳥居を見て行ったのですが、全部、「明神鳥居」ばかりでした。


先日、有家町郷土誌を読んでいて、やっと思い出しました。一番上の写真、有家の「温泉

神社」ですが、元来は「四面宮」。地元では「お四面さん」と呼んでいますが、大宝7年

(701)に、雲仙の「温泉神社(当時はうんぜんじんじゃと呼んでいました)」の末社として、

吾妻町、千々石町、伊佐早(諫早市)に作られ、雲仙満明寺一乗院を併置し、神仏混淆の

社(やしろ)であったそうです。


また、神社明細帳(明治8年編)には「寛永14年、キリスト教の乱に社殿旧帳ことごとく焼

失」(島原の乱は寛永14年~15年・1637年)と書かれているそうです、それ以前にも、天

正8年(1580)に領主、キリシタン大名有馬晴信による、仏教破壊の命で破壊投棄がおこ

なわれれ、修験道の歴史が一時断絶したそうです。


島原の乱後、寛永15年に再建、四面大明神として修験道も復活し、金剛院の併置となっ

たそうですが、明治の神仏分離令により、「温泉神社」と改称されたそうです。実に、多彩な

歴史を持つ神社です。


この神社の横のお店屋さんと話をしていると、ここらあたりの畑、宅地のため地面を掘る

と、五輪の塔碑、宝篋印塔などが数多く出てくるそうで、現在神社本殿裏に、整備されてい

ます。


さて、話を元に戻して、一番上の写真が、現在の温泉神社の鳥居ですが、「有家町郷土

誌」、また、以前、有家町史談会の会長をされておられた、松本小四郎氏によると、この鳥

居は、大正11年の地震で倒壊し、現在の様な明神鳥居に再建されたそうですが、以前

は、「肥前鳥居」だったに違いないと思われますが、話が長くなるので、又明日。

(参考:「有家町郷土誌」「温泉神社説明版」「有家町広報誌・史跡巡り(昭和60年9月号」)


年取ると、夜、眠くなるのが早くて、ポチ困りますね。数年前までは1時、2時まで起きてい

たのですが・・・・・それでは、ポチ、ポチお休みなさい。まだ、9時だけど。

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2013年3月16日 (土)

北村西望特別展~南島原市南有馬町

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今日は天気も良く、カミサンが家にいるので、何かないかと思っていたら、「北村西望特別

展」が、西望記念館(北村西望の生家)で開催されていました。これ幸いと、「行ってきま

す」。北村西望は、日本を代表する彫刻家の一人です。


カミサンも、私がいるのが鬱陶しいのか、行き先も聞かずに黙っていました。


写真は、パンフレットですが、長崎の平和祈念像を作っているところです。こうして見るとす

ごいですね、。長崎の原爆記念日の慰霊祭は、この像の前でおこなわれます。

庭には、現物の四分の一の像が置いてあります。

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西望記念館は西望公園の一角にあります。西望の生家です。庭も整備され、作品が10点

ほど展示してあります。

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この敷地内に、先ほど書いた生家が、記念館としてあります。庭の作品を鑑賞するのは、

ただですが、記念館に入ると、入場料を取られます。もちろん中には西望の作品が置いて

あります。


何回か入ったことはあるのですが、今日は特別展だとかで、ちゃんとお金を払って入りまし

たが、平和祈念像の試作品が2体おいてあり、ひとつは、写真のような座像、そして、もう

一つは、立像でした。これは、珍しかった。写真撮影禁止のため、写真は撮れませんでし

た。


何十年か前、大分県の「朝倉文夫記念館」に行ったことがありますが、その時、長崎から来

たと言うことで、北村西望の話が出て、朝倉文夫は明治16年生まれ、北村西望は明治17

年生まれ。


朝倉文夫の猫の彫刻が、今でも目の奥に残っていますが、朝倉文夫は1,902年、25歳

の時に第2回文展で、最高賞の2位(最高賞が2位みたいです)、次の年も2位、次の年は

3位と天才ぶりを発揮します。


これに対し、北村西望が文展最高賞を取ったのが、1,915年(大正4年)。朝倉文夫に遅

れること13年です。北村西望は、朝倉文夫に対しライバル感を持っていた、との話を聞い

た覚えがあります。


北村西望は、「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」という言葉を残していますが、まさ

に努力の人と言えるでしょう。亡くなったのが104歳。こちらの方も、まさに、かたつむりの

歩みでしょう。


さて、記念館の入り口

P3150280_2

かわいい彫刻が立っていますが、名称は「将軍の孫」。自分の子どもだったか、孫だったか

がモデルだそうです。


赤い四角の所、以前は確か、「将軍の孫」となっていたのですが、この平和な時代に、とい

うことでしょう、「今日わ」になっていました。こちらの方が、入り口に飾られるものとしては、

ふさわしいでしょう。なお、中に、同彫像がありますが、こちらは「将軍の孫」になっていま

す。


いつもは、見られないものがありますから、春の一日ゆっくり、鑑賞してはいかがでしょう

か?庭でゆっくりしていくのも良いですよ。


明日も天気が良さそうだし、カミサンはなにもなさそうだし、ポチポチどこへ行くか、考えま

すか。

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2013年3月15日 (金)

桜だより~長崎県雲仙市千々石町橘公園・小浜町とけん山公園

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このところ、暖かい日が続いていたので、桜はどうかと思ったら、橘神社の桜、この調子だ

と例年より、早くなりそうです。

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橋の下の桜、毎年ライトアップするメインの桜ですが、咲きかかっています。

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花見の宴会をする所は、日当たりのせいか、もう一歩ですが、日当たりの良い方は、もう満

開の桜が一本。外の桜も、ちらほらと開花しはじめています。


小浜町のとけん山公園。ボンボリの準備は出来ていました。さくらは、蕾が膨らみもう一

歩。多分この調子なら、こちらも去年より早めの花見ができそうです。

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春といえば、何となくウキウキ。天気は良いし。ガールハントに出かけたら、いつもの通り

空振り。明日も晴天の予報なので頑張るぞ。


桜の季節には、いつも思い出します。電報。「桜散る再起乞う」。ポチと寂しい文句ですね。

 

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2013年3月14日 (木)

私は「これ」で痩せました。

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「これ」と言えば、「これ」しかありませんよ。「これ」、「努力」のみ。


良く、「これ」を飲んで痩せました、という宣伝がありますが、本当に効くなら、百万人が百

万人、全部飲んでいるでしょう。これだけ、多種多様の健康食品があるところをみると、完

全に効いているものは、無い証拠でしょう。


さて、前にも書きましたが、血液検査で大異常がおき、国立大村病院(正式名称:独立行

政法人 国立病院機構 長崎医療センター)を紹介され、診察して貰ったのが昨年の11月

2日。その時、完全な肝障害とされ、とにかく太り過ぎだから、少し痩せるように指示をう

け、その時の体重が、69,8㎏。あわや70㎏。


とにかく、脂肪肝もあるということで、それからの涙ぐましい努力、運動と食事節制。

ノルディクウォーキング、雨の日はスローステップ運動、日に3回のラジオ体操。甘い物は

拒否。ケーキ、もちろんコーヒーはノーシュガー、女の子からの甘い言葉も拒否。間食も拒

否。


あれから、約4ヶ月半。体重計を見てください。64,8㎏。5キログラムの減量。体を動かす

のが楽になりました。お腹周りも、少し細り、おかげで、お腹が邪魔で見えなかった、可愛

いチンコも、少しは見えるようになりました。病院の検査結果も、ほぼOK.。


よく、標準体重を出すのにBMIを使います。体重(㎏)÷身長(㎝)×身長(㎝)です。BMI

の理想は20~24ですが、現在の私のBMIは25,3。少し太り気味。しかし、議論はあるよ

うですが、少し太り気味の方が長生きしている人が多いそうです。


とはいっても、はやりもう少し、脂肪肝が解消するまでは続けるつもりです。とりあえずの目

標60㎏です。


お医者さんに褒められたので、自分へのご褒美にケーキでも、と思ったのですが、自分に

も「甘く」しないということで、我慢しました。痩せたいなら「努力」の二文字しかないでしょ

う。でも、無理はしないでネ。


あ~、今日はポチ気持ちが楽になりました。家に帰ってちゃんと、ウォーキングしました。

 

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2013年3月13日 (水)

「なぬかもりの石」と徳利淵~長崎県雲仙市瑞穂町

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国道58号線(愛野~島原に行く開拓道路・今のグリーンロードの一段上の山側を走ってい

ます。)の道の側、独立行政法人種苗管理センター雲仙農場の横の空き地に石がありま

す。


どこにでもあるような石ですが、この石には話があります。

この事は、瑞穂町史談会で出している、「みずほ史談」の、「生活文化部長 前田晴夫氏」

が「『なぬかもり』の石」という事で書かれております。


昔、藩と藩の境には、藩境の藩境石、藩境石塚などがありますが、その他にも、川、あるい

は、大きな石を目印に境界をしていたそうです。


瑞穂町には、「天草石」と呼ばれる大きな石があり、吾妻町と瑞穂町の境界であったそうで

すが、林道拡張に伴い、一部が割り取られたそうです。


そして、現存しているのが、この「なぬかもりの石」だそうです。以前は、ここらあたりは、野

芝に覆われ、「にしばる」と呼ばれ、遠足の場所であったそうです。大小2個の石があり、

「めおと岩」と呼ばれ、大きい方が上の写真、「なぬかもりの石」と呼ばれ、小さい方は、育

苗センターの防風林の中にあります。フェンスで入れないので外の方から

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分かりにくいと思いますが、四角で囲んだ石です。


この、前田晴男氏が書かれたものによると、「なぬかもりの石」には、次のような話があり

ます。


昔、何故か、赤子がこの岩の傍に捨てられていたそうです。赤子は泣くじゃくっていました

が、「不憫に思われた神様が人間に姿を変えて現れ、石の角から顔を見せて泣く子をあや

し、近づいてくると反対側の角に移動し、近づいたら移動しの繰り返しで七日間おもりをさ

れたが与える乳もなく、食べさせる物もなく、ついに赤子は動くことも出来なくなってしまい

ました。」。「なぬかもり」は、「七日守り」の事でしょう。


この話を読んで思い出したのが、以前書いた、雲仙の「七日回りの石」。昔の雲仙は女人

禁制。子どもを僧房に預けたが、どうしても会いたく、赤ちゃんを連れて、「七日回りの石」

まできて、休んでいると、いつの間にか、赤ちゃんがいなくなり、泣き声が岩の反対側から

聞こえてくる。そちらに行くと、赤ちゃんの姿はなく、泣き声が、岩の反対側から聞こえてく

る。また、そちらに行くとまた姿はなく、反対側から泣き声が聞こえてくる。母親は狂ったよ

うに、岩の回りを7日7晩回り、息絶えてしまった。


「なぬかもりの石」「なぬかまわりの石」。題も似ているなら、中身も似ている。雲仙の話が

こちらに伝わったという事も考えられますが、「七日」と「回る」。何となくひっかかりますね。


「初七日」、「七日参り」、「七五三」、「七七・四九日」など「七日」というのが多いですね。

「回る」も「輪廻転生」、「胎内巡り」、「巡礼」など、「回る」と同じようなものであり、この「七

日」、「回る」、何か、仏話の話に出てきませんかね。二日ほど捜しているのですが・・・


さて、この石の存在も、話も忘れられていくのでしょうが、せめてもは、名称を書いた標識で

ほしいものです。


ここから、しばらく走ったところに徳利淵というのがあります。

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流れが徳利に似ているところ、濡れた部分が徳利に似ているので、徳利淵と名付けられた

のでしょう。平成23年に地域の人が、道路からでも見えるように整備したそうです。

この、上の方には水神様が、祀られています。年代は分かりませんでしたが、鳥がいたず

らしないようにか網が張ってありました。

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何となくホットするようなお顔でした。

(参考・引用:「みずほ史談 第8号~「なぬかもりの石」 前田晴男著」より)


さて、今日もカミサンは、何とか会で、昼のお食事会。料理代を聞いたら、なんと、5,000

円。私は500円のコンビニ弁当。ポチどころか、随分と羨ましかった。

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2013年3月12日 (火)

すくい漁場~長崎県諫早市高来町水の浦

Photo_2

「すくい漁」と呼ばれる、漁法があります。潮の干満の差が激しい所で、それを利用して、魚

を捕る干潟地域特有の、原始的な漁法です。


満潮になったとき、すくいに入った魚が、干潮に伴い残され、それを捕獲するものです。有

明海沿岸に、江戸時代から明治の中頃まで、200以上あったそうですが、今はこの「水の

浦」が県内唯一の「すくい」だそうですが、島原の新田町に2006年、復元されたものがあ

るそうです。島原の資料には「石干見」と書いてあり、「いしひみ」、「いしひび」、などともよ

ばれるそうです。


行って見たのが、丁度昼頃、考えも無く行ったのがバカで、丁度満潮の時。

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なにも見えません。時間をかなりずらしていったら、お~ありました。

Photo_6

赤い四角で囲ったところです。

Photo_9

かなり、大きめの石が、円形に積んでありました。ちょっと、分かり難いので、自家用飛行

機を飛ばして、空から写すと

Sukui2

本当は、Googleの写真ですが、赤の四角の所に、丸くなった所、ここが「すくい」です。


場所は諫早干拓堤防のすぐ近くの、高来町、水ノ浦バス停から海側にに10分程度歩いた

所です。国道に、「水の浦のスクイ漁場」の小さな標注が立っています。車でも行けるところ

です。駐車場はありませんが・・・・道端にでも止めて。一番上の写真、上の方にかすかに

写っているのが、諫早干拓の堤防です。


さて、今日はカミサンが留守で、久しぶりの、孤独のグルメ。

Photo_14 Photo_15

このお店、橘湾の道沿いの所にありますが、結構流行っていたのですが、三度ほど、経営

者が変わったみたいです。なにか、スパゲティとか、カレーとか、ピザとか、スープとか、サ

ラダとか、食べ放題のコースになっているみたいです。


ハンバークとステーキが売り物みたいで、ハンバークを頼みましたが、ハンバークってこん

なに大きかったのですかね。うちのハンバークは、いつも、この三分の一くらいなんです

が・・・・


今日は、ポチと体重が増えたかな?

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2013年3月11日 (月)

「まだれいな」銘キリシタン墓碑~島原市杉谷寺町山寺名

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島原で有名な、「まだれいな」のキリシタン墓碑です。正面に干十字「カルワリオ十字紋」

現在は、「カルワリオ罪標十字架」という方が多いみたいですが、彫ってあります。なお、

「カルワリオ」とは、イエス・キリストが十字架に架けられた丘の名前で、普通は、「ゴルゴ

タの丘」といっていますが、ラテン語では「カルワリオ」というそうです。


この、墓碑は、山寺名の共同墓地の中にあり、

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多分、保護のためのコンクリートの覆い、標注がなければ分かり難い所でしょう。墓碑の入

り口には、六地蔵が置いてあります

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6体以上ですが、置いてある土台を見れば、後の2体はあとから、作られた物と思われま

す。


なお、後の2体のお地蔵さんの首は、とれてしまっています。こちら方面、お地蔵さんの首

が取れたのが多いのですが、キリシタンによるものか、明治の神仏分離に伴う廃仏毀釈運

動の影響によるものか、よく分からないところがありますが、六地蔵さんだけが無事だとい

うのは少し奇異な感じがしました。


さて、この「まだれいな」の墓碑は、説明版によれば、慶長19年(1614)以前のものと思

われると書かれてあります。


「日本キリシタン墓碑総覧」によれば、「飯島宗義氏により発見され、大正15年、森豊造氏

との共同調査で世に出たと。」書いてありますが、出典は、昭和17年、片岡弥七氏著「長

崎縣下發見キリシタン墓碑総䌫」です。


なお、詳しい説明は「日本キリシタン墓碑総覧」を読んでもらえればと思いますが、墓碑は

キリシタン特有の伏墓ではなく、立碑として作製され、製作時期も、1620年頃、禁教時代

に於ける、一時的な、キリシタン信仰の高揚を示唆する、貴重な資料である、ということだ

そうです。


なお、一般的には「まだれいな」と言っていますが、上の写真の赤い四角の所に文字が書

かれているのですが、発見当時の状態です。

Img_3

  (島原半島史上巻~林銑吉著から)


「日本キリシタン墓碑総覧」にも、同じ写真が載っていますが、多分、片岡氏所蔵の写真で

しょう。


さて、十字の左の横の文字~一番上の写真の赤で囲んだ所です。下の左の写真は「島原

半島史」の写真を拡大したもの。右がこのたび拓本を取ったもの。

Img_2_2 Img_0001_3

「日本キリシタン墓碑総覧」では、これまでは、「まだれいな」と判読されていたが、本稿で

は拓本から『またれいな』とする。」となっていますが、難しいですね。風化して、肉眼では

ほとんど読めない状態です。


なお、「ぶらっとさらく島原~松尾卓次著」には、「記録では慶長18(1613)年、原城下で

林マダレイナ外7名が火あぶり刑にされているが、その関係は分からない。」と書かれてあ

ります。

(参考・写真:「日本キリシタン墓碑総覧~企画 南島原市教育委員会 監修 大石一久」

「ぶらっとさらく島原~松尾卓次著」「島原半島史~林銑吉著」「説明版」より)



14日のホワイトデーまで、もうすぐ。なにをお返しするか、頭が痛いですね。送る相手?私

にもポチいますよ。もちろん、カミサン以外。ヴィトンか、エルメスか、シャネルか、ポチ頭が

痛いですね。

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2013年3月10日 (日)

橘中佐銅像後日談 その2~長崎県雲仙市千々石町

Photo_2

橘中佐の銅像の行方については、千々石町郷土誌によれば、「終戦後、占領軍の進駐に

より軍国主義の表徴であるとして撤去の運命に迫られたが、志のある町民の人々はこれ

を隠ぺいし・・・」とありますが、この「隠ぺい」した場所については2説あり、銅像が立ってい

たあたりを上山(じょうやま)といいますが、この林の中に隠したと言う説、もう一説は、白い

布に包んで、海岸に埋めていたという説があり、近所の方、高齢者の方に尋ねても、確た

る返事は得られませんでした。


郷土誌には、「志のある町民」、とは書いてあるものの、あれだけの銅像、運ぶのも大変な

ら、隠した場所も明確にならないなら、多分、強固な、口の固い団体か、組織が関係した

か?


あの当時、そのような関係団体なら、「在郷軍人会」あたりかと、調べて見たのですが、な

にせ、昔のこと、どうにもお手上げ状態。


ところが、郷土史家のS氏と話をしていたら、S氏もそのことを調べたことがあり、砂浜に埋

めたとばかり思っていたところ、やっと関係者を調べ、聞いたところ、やはり、「在郷軍人

会」が絡み、それに、青年団が加わっていたそうです。両方とも、上下関係が厳しく、これな

ら人力的にも問題なく、秘密保持の面でもしっかりしていたのでしょう。


なお、隠したところは、現在の小学校のプール(以前は保育園があったところ、昭和27年

に開設になっています。)あたりだということでした。一番上の写真がプールがあるところで

すが、二宮金次郎の銅像も残っています。多分、今の子どもは誰も知らないでしょうが。

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昭和40年頃の第一小学校の航空写真ですが、終戦直後とはあまり変わっていないでし

ょう。黄色の道路は現在の国道。右側が橘神社の方向になります。


現在は、国道方面の校舎が運動場になり、校舎は3番目の校舎の方に移り、鉄筋三階建

てになっています。広い空き地に見えるのは運動場でしょうが、現在は体育館になってい

ます。


赤く囲んだ所が、プールあたりになり、多分、ここらあたりに隠されていたのでしょう。

なお、この後、昭和22年に橘中佐の生家に隠され、昭和29年に現在の橘神社の入り口

に移設されました。


ということで、橘中佐銅像のいきさつが分かりました。残念ながら、隠された日付は分かり

ませんでした。


余談ですが、橘神社駐車場に

Photo_4

手すりの向こう側に、コンクリートで作った、柱があります。昔は、これに鎖が付いていたの

ですが、何に見えますか?私のチンコはこんなに立派ではありません。


橘中佐が軍人だったということもあり、大砲の弾丸を模して作ったそうです。数十年前、こ

の事を聞いたことがあり、この事はどこにも書いてありませんが、多分本当の事でしょう。


この話も、段々知る人も無くなり、風化して無くなる事でしょう。私たちの回りから、どんどん

忘れらてしまう話が増えてきました。淋しい限りです。   (この項おしまい)

(参考:写真~「千々石町郷土誌」「千々石町懐しい故郷写真集~千々石町老人クラブ」)



私と、ポチのことは忘れないで、下のバナーをポチよ。

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2013年3月 9日 (土)

橘中佐銅像後日談 その1~長崎県雲仙市千々石町

Photo

以前、橘中佐の銅像のことについて書きましたが、その後日談です。

前の話と重複する部分もあると思いますが、お忘れでしょうから・・・


私が、橘中佐の銅像が立っていた岩を見つけたのは、左の写真、岩の所の銘板はがはめ

込んだ跡があったからであり、、この銘板は、現在の橘神社入り口の、銅像の横の岩には

め込んであるものでしょう。寸法、内容を読むと分かると思います。(写真右)

Photo_2 Photo_4

某日、その話をしていると、岩の上に、銅像の足形もあるよ、と言う方がおり、再度行って

見ました。

Photo_5

昔、銅像が立っていたときの写真です。

Photo_6

今の写真です。同じように、盛り上がっていることが分かると思います。登って見ると。(よ

い子も、悪い子も、危ないので登らないように。)

Photo_7

本当の足形と思っていたのですが、残念。赤い四角の所に、鉄が埋め込まれた跡がありま

した。固定するためかな?

Photo_10

現在の銅像の足元です。高い所にあるので、どうなように固定してあるか見えません。


さて、一番上の写真が、最初銅像が立っていた所から、橘中佐が眺めていた方向の写真

です。橘湾です。


橘中佐を気取っていたら、80歳年配の方が通りかかったので、銅像の位置などを聞いて、

しばらく話をしていたら、戦前のことですが、台風が来てこの銅像が倒れたことがあったそ

うです。


その時、この銅像が、頭からひっくりかえった、という状態では無かったそうですが、足か

ら、ズルズルと滑り落ちるという感じだったそうです。頭から返っていたら大打撃だったでし

ょうが、足から滑り落ちたので、被害はなかったとのこと。「この銅像には、魂の入いっとた

とばい。」と話してくれました。


この事は、どの資料にも載って無く、やはり、高齢者の方の話は聞くもんですね。


さて、この銅像、終戦直後、占領軍の命令か、壊されるのを恐れてか、隠され事があります

が、誰が、どこに・・・・それは、また、明日。

(参考:「千々石町懐しいふるさと写真集」~千々石町老人クラブ連合会より)


今日は、橘神社の桜を見てくると、ポチ、ポチと蕾が出てきていました。春はもうすぐ。

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2013年3月 8日 (金)

元祖「鯖くさらかし岩」~長崎県時津町

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   (時津町教育委員会説明版より)


時津町というと、有名な「鯖くさらかし岩」があります。


魚売りが近くを通りかかり、岩が落ちそうなので、落ちるのを待って、通ろうと待っていた

ら、魚が腐ってしまった、という話です。


今日、時津に行ったところ、ここは、何回も通ったことがあるのですが、国道のすぐそば、こ

んな所にあったとは気づきませんでした。まあ、昔からボーッとした子だから。

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上の絵は、時津町教育委員会の説明版に描いてあった絵で、江戸時代に書かれた「長崎

名勝図巻」から転記してあるみたいです。ここらあたり、昔の絵とは随分変わっています。

岩の下の方が、「長崎名勝図巻」のようになっているか、下の木を切って欲しいものです

が。



説明版を見ると、前から聞いた話とはチト違うみたいで、岩の名前も、「継石坊主(鯖くさら

かし岩」となっており、「江戸時代、一世の狂歌師として有名な蜀山人太田南畝(長崎奉行

所支配勘定方)が長崎在勤中の文化二年(西暦1805年)時津に遊び、この奇岩を眺めて

「岩角に立ちぬる石をみつヽおればになへる魚もさはくちぬべし」

と歌ったので一躍名高くなった。・・・」


とすれば、この「鯖くさらかし岩」、蜀山人の歌を基にして、名づけられたのかな?それと

も、それ以前に、このような話があって、蜀山人がそれを知って、狂歌を作ったのかな?


この、「鯖くさらかし岩」、以前にも書きましたが、小浜から雲仙に上がる道、西有家から雲

仙に登る旧道、諫早市飯盛町にもまったく同じ話が伝わっており、諫早市森山町にも同じ

話があるとか。まだ、雲仙の「鯖くさらかしの岩」しか、確認していなく、他の所は旧道の所

が多く林の中で、いまだに分かりません。特に、イノシシさんが多くて・・・


考えれば、同じ話が各地に同時派生したとは考えがたく、この時津の話が元祖で、各地に

伝わっていって、「そんな岩なら、おれん所にもあるたい。」、ということで、各地にも「鯖くさ

らかしの岩」と名付けられた岩が、点在するのではないでしょうか。


県南にこの話があるということは、佐世保の県北方面にもこの話、あるのではないでしょう

か、話が残っているところを地図に落としていけば面白いと思うのですが、どなたか調べて

みませんか。私?私はすでに、身も心も、腐りきっていますから、パス。


ロッククライミングの道具を持っていってなかったので、登れませんでしたが、今度はポチと

挑戦してみますか。登攀禁止とは書いてありませんでしたから。

 

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2013年3月 7日 (木)

「永六輔のお話し供養」~永六輔著

Img_3

去る者は日日に疎し、という言葉があります。文選(もんぜん)の雑詩の中、作者不明の十

九首の中の一首からきているそうです。「去る者は日に以て疎く/来たる者は日に以て親

し・・・」

親しい人でも、遠く離れると次第に縁が薄くなったり、死んだ者は、月日がたつにつれて、

忘れられていく事です。


我々凡人はさることながら、有名人も例に漏れないでしょう。織田作之助、坂口安吾、三

島由紀夫、川端康成、正宗白鳥、福田恆存、小林秀雄等々、あれだけ話題を呼び、本屋

の本棚に並んでいたのに、今は、ほとんど見うけられなくなりました。文庫本もめっきり減り

ました。


永六輔さん、この本の最初にこう書いています。


「人の死は一度だけではありません。

最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき。

でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。

最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。

そう僕は思っています。・・・・・でも、人は歳月の中で、亡くなった人のことを忘れがちです。

だから、ときどき誰かと故人の思い出話をしたり、街角で出会ったりしましょう。

それも供養のひとつだという気がします。」


この本で、供養される人。


渥美清さん

私が、初めて見たのが、伝説的なバレエティショー、NHK「夢で逢いましょう」。こんな顔し

た人がいるのかと思いましたが、「寅さん」で、国民的俳優になりました。


淀川長治さん

「日曜映画劇場」の司会をし、番組最後の挨拶、「さよなら、さよなら、さよなら。」で、有名で

した。


石井好子さん

言わずと知れた、シャンソンの大御所。


坂本九さん

御巣鷹の飛行機事故で亡くなりました。「夢で逢いましょう」の今月の歌で、「上を向いて歩

こう」を唄いましたが、一発で覚えた歌でした。今でも、少し上を向いて、唄っている姿は覚

えています。


中村八大さんといずみたくさん

「夢で逢いましょう」で、「八+六=九」。「中村八大+永六輔=坂本九」のコンビで、ヒット曲

をたくさん出しました。いずみたくさんの、「見上げてごらん夜の星を」、星を眺めているとき

何となく口ずさんでしまいます。


岸田今日子さん

強烈な俳優でした。「砂の女」は凄かった。


立川談志さん

亡くなってまだ間もないので、覚えてる方は、たくさんおられるでしょう。立川流の落語があ

る限り、忘れられない人です。


永六輔さんは、この本に書かれた人々の、知られざる一面も書いています。高齢者向けに

も読みやすいように、大型の文字を使っています。唐仁原教久さんの絵も、素晴らしいです

よ。ご一読を。


さて、この本の最後は、「あなたのお話供養」として、白紙のページになっています。皆さん

は、どなたの方をお書きになるのか・・・・


ところで、永六輔さんパーキンソン症候群だそうですが、一時は、何を話しているのか分

からなかったのですが、先日、ラジオ番組、「誰かとどこかで」を聞いたら、随分復調したみ

たいで、でも、あの生きの良いお兄さんが、80歳になったなんて・・・・


白紙のページ、私のことはまだ書かないでよ。ポチとお願い。

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2013年3月 6日 (水)

「鯨の塔」捜索記 ② ~諫早市

P3020059

昨日の続きですが、「鯨の塔」の跡でもないかと、見つけていると、第三の男が登場。


「鯨の塔というのはここら辺に・・・・」と尋ねると、そこの道を左に行って、最初の角を右に

曲がるとあるよとの事。


「左に行って、右ですね。」「左に行って、右ですね。」「左に行って、右ですね。」、今度は間

違わないように、3回ばかり確認をして、ついでに、「鯨の塔というのは、ここらに建ってい

たのでは無いですか?」、と聞くと、「さあ?」。多分、新しい家がたくさん建っているので、

新しい住民の方か、このようなことには、まったく興味の無い方なのでしょう。


とにかく、今度は、「左行って、右」、「左に行って、右」と間違わないように」呪文のように何

回も唱えていくと。白い説明版が目に付きましたが、記念碑などは見当たらず・・・・


行ってみると、なんと「野呂邦暢 終焉の地」。諫早が生んだ芥川賞作家です。

P3020055 P3020053

かなり広い敷地でしたが、もちろん家はなく、雑草が生えていました。ここに、住んでいたこ

とは、もちろん知らず、思わぬ出会いで、ビックリしました。説明版はクリックすると、読める

程度には、拡大します(老眼にはきついかな?)。


さて、この道をまっすぐ行くと、今度は間違いないでしょう。

P3020070_2

多分これでしょう。寄って見ると、最初の写真になりますが、一番右の石碑。真ん中、上の

方に「鯨塔」の文字。右下に「明治十八年一月吉日」、左に見にくいですが、「諫早津漁民

中敬立」。


これを、見るにつけても、諫早津の漁民の方が、「敬立」、「敬(うやまって)立(たてる)」で

すから、生活に困窮していた漁民の方の救世主になった鯨に対する気持ちが、心に沁み

るような感じでした。


右から2番目の石碑

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「龍宮」の文字。島原方面では、小浜町富津弁天公園の岬の先端に「ジュウゴサマ様」とし

て、自然石が置かれています。漁民の方が、釣りに出て釣り糸を入れるとき、「ジュウゴ様」

と言って縁起を担いだといいます。見たところ、普通の石なのですが、どうして神様として祀

られているのか、いつも、日本人の信仰の不思議さを感じさせられます。


雲仙市の吾妻町史も「じゅうごさん」の事が書いてありますが、「じゅごさん」は「竜王」が

訛ったものではないかとの記述があり、漁民部落の船津を中心に、阿母崎(あぼさき)、大

熊、船津集落の海岸に建っているそうです。いずれにしても「龍宮」、「竜王」、海に関する

神様でしょう。なお、この「龍宮」の碑の横には、「諫早漁業協同組合」の文字が彫ってあり

ます。


左から3番目の碑。表の文字はすり切れて分かりませんが、横に「諫早漁協組合」と書い

てあります。


その横の、立派な御影石には、「諫早漁業組合之碑 長崎県知事 高田勇 揮毫」と立派

な碑が立っていますが、多分諫早干拓のため、漁業が出来なくなり、また、県漁業組合の

組織の改編もしていたみたいなので、その関係で諫早の漁協組合が解散した記念碑なの

かな?


一番左には、恵比寿様の石仏が二つ

P3020063

考えるに、「野呂邦暢氏」の説明版に、「対面(注:野呂氏宅)には漁協協同組合があった」

と書かれていますから、解散記念か、ここらは随分開発が進んで、河川工事もやっている

みたいですから、そのときに、漁業に関する物を、全部集めて祀ったのでしょう。この並び

方を見ると、お分かりになるのではないでしょうか・・・


さて、「諫早史談」には、「余り人通りもない堤防の一隅に寂しく建っている」、と書いてあり

ます。今のところに移転して人目に触れることは良いことだと思うのですが、説明版は欲

しいですね。あと、数十年すると、いわれも分からないし、最初からここに建ててあったと

誤解を招くでしょうから。

(参考:「諫早史談~田中為市著」「吾妻町史」「おばま~史跡巡りガイド)


本当に捜すのに、ポチと疲れました。行かれる方があったら、光江橋あたりで、聞くのが

無難です。私の好きな、若い女の子でなく、高齢者の方にポチと尋ねて下さい。

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2013年3月 5日 (火)

「鯨の塔」捜索記 ① ~諫早市




Photo

諫早に「鯨塔」というのがあると聞いて、調べると、昭和40年初版、昭和49年復刊の田中

為市氏著の「諫早史談」に、「鯨の塔と諫早津漁民たち」として書いてありました。


諫早市の説明板によると、ここら一体は、「諫早津」とよばれ光江(みつえ)、古中川原(ふ

るなっこら)、新中川原(しんなっこら)、倉屋敷、唐津の5地区の総称だそうです。「津」と付

いていますから、船舶が来着するところです。


昔は、長崎輸入の生糸の荷を運ぶルートの拠点として、この光江が使われたそうで、長崎

から陸路光江まで運び、光江から海路有明海を、それから筑後川を遡り、久留米の住吉に

揚げ、長崎街道に入っていったそうです。今では、新しい家などが建ち、面影は残っていま

せん。


さて、「鯨の塔」は明治18年に建っていますから、そんなに古いものではありません。


「諫早史談」をまとめてみると、当時、漁業で生計を立てている方が多く、あまり漁業がふる

わず、生活が苦しいとき、この漁区に大きな鯨が迷い込んで来て、逃げられないように、追

い込んで仕留めたそうです。


おかげで、近隣に売りさばき、収益を上げたそうですが、その年の正月も楽しく送ることが

でき、これも、鯨様の恩だと言うことで、鯨の霊を慰めるため、「鯨塔」を建てたそうです。


ここにも、庶民の歴史があるなと、一度訪ねることに。本によると、本明川下流に架かる、

光江橋の対岸にあるとかで、この橋はすぐに分かりましたが

Photo_2

光江橋です。改修されているのが一目瞭然。左右の欄干も違っています。

河原も意外ときれいにしてあり、石垣は昔の岸壁でしょう。

Photo_3

本によると「自然石の大きな碑であって・・・」「それから80年を経た今日では塔も古びて、

あまり人通りもない堤防の一隅に寂しく建っているが・・」ということで、すぐに分かるだろう

と思ったら、どこを捜しても無い。一時間ばかり捜したが無い。日が暮れたので、再度、調

べに。


今度は、少し住宅街に入っていって、高齢者の方に、聞くことに・・・

第一の男性、70歳代の方でしたが、聞くと、やはり昔はここらあたりは、ほとんど漁業関係

者が多かったとか。今では、全然面影もありません。


さて、「鯨の塔」の場所を聞くと、「そこを右に曲がって、左に行って・・・・」。なにせ、私、良

家のお坊ちゃまで、世間の右も左も分からない人間。とにかく、「右は箸を持つ手、左は茶

碗を持つ手、私のチンポコ右曲がり。」などと、気楽に行っていたら、完全に迷子。


まあ、川の方に行けばと思い行っていると、今度は第二の男、70歳代くらいの男性。

「鯨の塔は」と聞くと、「ああそれなら、そこの土手に上がって、左に曲がって100m位行っ

たところに・・・」

これで、やっと見られると喜んだら、「昔、あったとばってん、いつの間にか、なくなってしま

っとっとよ。」これには、「ゲッ」。対馬の国宝級の仏像なら盗まれるのは理解できるのです

が・・・

Photo_4

とにかく、ここらあたりだろうと、跡かなにかないか、見に行きましたが、何にもない。

そこへ、現れたのが第三の男、「鯨の塔」はと尋ねると・・・・・


おあとがよろしいようで、続きはまた明日。

(参考:「諫早史談~田中為市著」「諫早市説明版}より)


3月5日は啓蟄(けいちつ)。冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃のこと。私の浮気の虫も

ポチと顔を出してきました。

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2013年3月 4日 (月)

長崎県立総合運動公園陸上競技場完成

Photo

「長崎県立総合運動公園陸上競技場」。やっと完成です。何となく長い名前で、3回続けて

言ったら、舌を噛みそう。国体のネーミングが「がんばらんば国体ですから、「がんばらんば

競技場」あたりで良いんじゃない?


3月2日がオープニングイベントがあったみたいですが、カミサンの病院のお迎えで、行くこ

とが出来ませんでした。カミサンへの思いやりでなく、後が怖いから・・・


さて、前と比べれば全然の違いですね。上の写真が正面玄関ですが、左には、北村西望

氏の彫像がちゃんと飾られていました。


三階建てになりますが、雨が降ってもいいように屋根がかぶせてあります。でも、台風の

時、この屋根大丈夫かな?右の写真が、メーンスタジアム。

Photo_2 Photo_3

3月3日が、供用開始とあって、各団体が練習やら、ジュニアの陸上競技の教室がおこな

われていました。コースもいいですね。私も、軽く一周400m、30分くらいで走って(走ると

いうより、ヨタヨタ歩いただけか。)みましたが、いい感じですね。


下の部分は、、一周ぐるりとガラス張りになっていましたが、中に入ると、ずらりと部屋が並

んでいました。

Photo_4 Photo_5

今までの施設には無かったトレーニング室。授乳室まで用意してある心づかい。

Photo_7 Photo_8

外の様子ですが、右側の写真の様に、観客席へ行く、車いす用にゆるいスロープが。

Photo_9 Photo_12

残念ながら、観客席には入れませんでしたが、前とは比較にならないくらいの立派

さ。

Photo_11

後は、来年の国体に向けて、競技力の向上でしょう。でも、あまりヒートアップして、問題が

起こらないように。


文化施設も作って欲しいんですけど。特に、文化施設は、長崎市に集中していて、わが雲

仙市には、合併前に各町が作った施設しかないんで・・・まあ、言っても、同じか。そういえ

ば、体育施設も同じようなもの。


さて、私も国体を目指して、ポチとトレーニングに取りかかりますか。種目ですか、シルバー

玉入れ競技です。国体種目にはなかったかな?高齢化社会だからあっても、良いでしょ

う。是非入れましょう。入れるようにポチと応援を。

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2013年3月 3日 (日)

桃カステラ~長崎

P2200784



 「景気よく開きし妻の桃匂ふ」


今日は3月3日、桃の節句です。桃の節句というと、上の名句を思い出します。ちゃんと、

五七五、桃という季語が入ってますから、立派な俳句です。もちろ「桃」は「腿」の掛詞(かけ

ことば)です。


長崎では、女の子の初節句の時、お祝いを貰った親戚、知人に、内祝いとして、桃カステラ

を贈ります。カステラを桃の形に切って、上に溶かした砂糖をかけ、着色し、マジパンなど

で葉を作って飾り付けます。


各店によって、形が少しずつ違いますが、上の写真は、他の店とはちょっと違った形をして

いますが、口コミで有名な店のものだそうです。食べて見たら、上の部分がしっとりして、な

かなかの美味。口コミになるはず。


長崎の料理は、味付けが甘いと言われています。これは、昔、長崎が唯一の貿易港であ

り、砂糖が多く輸入され、貴重品だった砂糖をたくさん使うのが、贅沢の証であったというこ

とからきているそうです。


平戸のカスタードにいたっては、カステラを一口大くらいに切って、卵の黄身をからめ、糖

蜜(砂糖のシロップ)で揚げるというか、絡めるというか、さらに、仕上げに砂糖をまぶしたも

の。辛党の方は、聞いただけで、具合が悪くなるのでは。


長崎の昔の方は、料理で甘みが足りないとき(砂糖の分量が少ないとき)、「長崎の遠か

~。」などと言います。(今の若い方は使いませんが)


ところで、砂糖で思い出すのが、小学校の給食のトマトに砂糖をかけて食べた事。他の県

の人に話したら、ビックリしていましたが・・・


だからって、長崎の人間も甘いかって?ウチのカミサン見れば、分かりますよ。今日もまた

怒られました。


今日は、桃の節句、たまには、ポチではなく、桃(腿)を景気よく開いてみてはいかが?

            

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2013年3月 2日 (土)

辻井いつ子講演会~子どもの才能の見つけ方 伸ばし方

P3020037

辻井いつ子さんといっても、お分かりにならないでしょうが、上の写真。ご存じですね。全盲

のハンディキャップを乗り越え、日本人で初めて、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコ

ンクールで優勝した、辻井伸行のお母さんです。舞台の右側で、講演していますが、ちょっ

と写りませんでした。


話を聞いていると、いつ子さんの考え、話の、ポジティブなこと。

才能がないと、あれだけのピアニストにはなれないでしょうが、才能だけでなく、親の考え、

支え、人との交流の中で人が育っていくことが、分かります。とくに、最初のピアノの先生の

こと、小学生1年から高校まで指導をした川上昌裕氏とのこと、指揮者の佐渡裕との出会

い。その出会いも、いつ子さんのポジティブな思いから出てきたもの。その、ポジティブな思

いが世界的なピアニストを育てたのでしょう。


機会があったら、是非、聞いていただきたいお話です。会場で配っていたチラシに、【「親ば

か力」で才能を引き出す10の法則】が載っていたので、転記してみます。


① 子どもの可能性を信じる

② よく観察し、才能を発見する

③ 始めるのに「早すぎる」はない

④ 思いっきりほめる、抱きしめる

⑤ ネガティブな言葉は使わない

⑥ ファン第1号になる

⑦ ひらめいたら即アクション

⑧ 本物に触れさせる

⑨ いい先生を見つける

⑩ 明るく楽しく、あきらめない

※「親ばか力」とは、モンスターペアレントをはじめとする、自己中心的な親ばかになるので

はありません。子どもの可能性を信じて、よく観察する事です。そして、たっぷりの愛情をも

ってほめ、応援することで、子どもの才能を引き出してあげる力のことです。

(それぞれに、注釈が入っていますが、長くなるので省略します。)


会場では、ハンカチを出している方の姿もありました。私も、少しばかり・・・・


詳しくは、本も出ており、公式サイト「辻井いつ子の子育て広場」もあり、メールマガジンも

ありますので、子育て中の方は、是非ご覧下さい。自分の子育ての反省のために。


ウチは子育ても終わって、話を聞くのがポチ遅かったみたい。

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2013年3月 1日 (金)

2013 島原芝桜公園(3月1日)~島原市

P3010020

今日は、3月1日、春一番が吹いたとか。春一番じゃなく、春の嵐でしょう。雨はひどく降る

し。傘は吹き飛ばされるし。


明日からは、又寒くなるとか。困るんですよね。暑いなら暑い、寒いなら寒いで良いんです

が、こう寒くなったり、暑くなったりでは、自律神経が狂ってしまって・・・この間も漢方医の

先生と話をしたばかりですが。


さて、今日は島原の病院に行った帰り、ひょっと芝桜公園の事を思い出して、寄って見まし

た。雨の中をバカだなと思いながら・・・もちろんの事、まだまだ。


何名の方が雨の中、作業をしていましたが、これから、植え付け、草取りと作業が続きま

す。去年よりは、少しは、芝が張ってきているのかな、という感じ。


昨年の記録を見ると、2月19日が、ボランティアさんによる植え付け作業。3月30日が、

ぼつぼつ咲き始め。


4月1日から29日までが、「芝桜祭り」でしたが、4月27日見に行ったら、まあまあ見られ

ました。


その年の気候によって、咲き方は違ってきます。今年はどうなのかな・・・桜の季節になりか

かってきたので、近辺の、桜情報もあわせて報告していきますので、お楽しみに。


昨年の4月27日の状況です。

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あれから一年、早いもの。ポチと地球の回転が速くなってないのかな?

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