「安德天」と「二位尼(にいあま)」の碑 ① ~諫早市夫婦木
先日、女夫木(めおとぎ)の大スギの事を書きましたが、この近くに、有喜(橘湾の海に面
する町)から、諫早の城下にでる旧道があり、「殿さん道」と呼んで、昭和初期まで人の往
来があったそうです。
その、街道近くに「安德天」と「「二位尼」の碑があるとかで、この間はもっと山の奥かと思
い、間違った方向に行きましたが、今度はちゃんと調べて。
なお、安德天皇については九州、四国地方に数十カ所の伝承地があるそうです。
先日、書いたように、諫早の小栗小学校横の道を行き、諫早刑務所の横を通って行くと、
夫婦木(みょうとき)のバス停がありますから、そこから山の方に入って行きます。旧街道
になります。
さて、この道あまり広くはなさそうだし、先日、旧道を行って、途中でドンづまりになり、車の
横を擦ったことが、まだ頭の中にあり、ここらに車を置いて、今日のところはどこまで車で
行けるか下見程度と、歩いたのですが、最初が少し急坂で、心臓が「パコパコココポパコ
パコッパコパ。」と少し不整脈気味になってきたので、急いで携帯を出して調べると、まだ、
アンテナ3本ちゃんと立っていて、これなら救急車にも連絡できるなと、先に進みました
が道は
こんな感じで、舗装してありますから、車は十分に通れます。ただ、途中、建設会社の資
材置き場みたいなのがあったり、養蜂場があったりで、途中トラックに出会ったら、少し窮
屈かな、というところ。
さて、この舗装道路は、「安德天」の墓の所まで続き、そこからは、本当に昔の街道を思わ
せる道になります。
「安德天」の所で、車はUターンできるように、少し広く取ってあります。ここから先は、少し
歩いて見ましたが、他の集落へと続いているみたいで、私のベンツの軽トラックならいける
かな?
話を元に戻して、まあ、行ける所までと思い歩いていると
この石柱、右の方に、諫早史談会と彫ってありました。多分、これがなければ分からなか
ったでしょう。ここから林の中に入ったすぐの所に、ひっそりと、「二位尼」の碑がありまし
た。一番上の写真です。
「二位尼」は、昨年、NHKドラマ「平清盛」でやっておりましたが、壇ノ浦の合戦の時、安德
天皇と、神璽と宝剣を抱き入水した方です。平清盛の妻、名は時子、安德天皇の祖母に
なる方です。なお、ここの「二位尼」の森は勝手に伐ると祟りがあると言われています。
さて、ここまで来るのにゆっくり歩いて30~40分程度でしたか。近くの山からは「パン、パ
ン」と銃の音が、まさか、ゴルゴ13が練習しているわけでもなかろうし、多分、イノシシを撃
っている音でしょう。道の横を見ると、イノシシが掘った穴があちらこちらに、もし、出会って
いたら、晩飯はイノシシ鍋かな?と思いながら・・・・(本心はドキドキ)
山道は、一人では絶体来ない事。イノシシと出会ったら、もう一人の方を、突き飛ばして転
ばかし、自分はサッサと逃げる事ですね。
さて、今まで「安德天皇」と書かずに「安德天」と書いて来ましたが、その理由は次回に。
(参考:「諫早を歩く~山口八郎著」「島原藩主 長崎監視の道」「諫早の文化財」)
梅の花も、ポチポチと咲いてきました。でも、明日は雪の予報。ポチ降るくらいなら良いの
ですが・・・・寒さが身にしむ老いの身・・・・カミサンは冷たいし・・・・・・
« 平成24年度長崎県カーネンション品評会一般公開~長崎県諫早市役所ロビーにて | トップページ | 第7回 雲仙市美術展覧会開催~長崎県雲仙市 »
「史跡」カテゴリの記事
- 島原半島に関する三冊の本(2024.05.05)
- 島原ぶらり~ひな祭りなど(2023.02.23)
- 島原城築城400年~島原市(2022.12.01)
- 空照上人、雲仙の事について★まとめ②~終わり(2022.09.09)
- 空照上人、雲仙の事について★まとめ➀(2022.09.04)
« 平成24年度長崎県カーネンション品評会一般公開~長崎県諫早市役所ロビーにて | トップページ | 第7回 雲仙市美術展覧会開催~長崎県雲仙市 »
コメント