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2013年2月27日 (水)

五穀岳~長崎県諫早市森山町

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またもや、ローカルな話です。五穀岳といっても、地元の方も、登った方はあまりいないと

思います。


森山町には、蓮華石岳とか、獅子喰岳とか面白い名前の低山があり、登ろうかと思ってい

たのですが、「イノシシの餌になるよ。」とか、石切場になっていたりで、断念していたので

すが、地図を見ると、「五穀岳」。ここは、何となくいけるような気がして、

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まあ、車で行けるところまで行って、後は歩いてみようと思ったら、途中、「五穀公園」の案

内板が二カ所ばかりありましたが、なんと、道は狭いものの、頂上のすぐ下まで道が通って

いて、拍子抜け。平成9年に、参道と公園が作られたもののようです。


駐車場から、少し階段を上がると、山頂には一番上の写真ように、石仏が祀ってありまし

た。なお、展望台まで作ってあり、残念ながら、この日は、少し霞んでいましたが、諫早干

拓から、有明海、雲仙岳まで、展望の良い事。特に、干拓は一望のもとです。

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さて、「五穀岳」と言うからには、「五穀豊穣」を祈ったものでしょう。「森山町郷土誌」を調べ

てみると、森山町田尻名(田尻、釜)で、毎年4月13日を、「五穀さん祭り」として、各家で餅

をついて、お供えをし、肴を持ち寄って、お祭りをしていたそうです。


現在では、自治会長、班長さんなど代表者が寄って、お参りをし、各地区でお祭りをするよ

うになったそうですが、少し淋しいですね。


さて、「五穀豊穣」を祈るためでしょうが、それぞれに石仏が彫ってあります。

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残念ながら、女を見る目はあるのですが(見れなかったのカミサンだけ)、神仏の種類につ

いては見る目が無く、一つ一つ分かるなら、それなりに面白いのでしょうが・・・・


それぞれに、寄進者の氏名と年号が、左右に彫ってありましたが、年号は天保13年

(1842)、文化10年(1813)、天保13年(1842)、安政6年(1859)、安政4年(1857)

になっていました。


年表によると、この頃の干拓事業としては、中仕切干拓、文化15年(1819)。井牟田下名

他籠干拓、文政12年(1829)。森山地先180町干拓、天保11年(1840)。山東大開井

牟田下名大開干拓、安政元年(1854)となっており、この頃、盛んに干拓がおこなわれた

みたいで、石仏建立の時代にも近く、何かの関係があるのでしょうか?


森山町といえば、干拓の歴史ですが、その時代から、五穀豊穣を願い、何百年と、五穀岳

の神仏を守ってきた地域の方の心に感動するものです。諫早湾干拓の問題も早く解決して

くれると良いのですが・・・近隣町に住む者としての気持ちです。


島原、諫早方面の方には、「安・近・短」の、気持ちの良いところですから、お弁当でも持っ

てどうぞ。    (参考:「森山町郷土誌」)


明日はカミサンの白内障の手術。付き添いがあるので、今宵もポチと早めに、お休みなさ

い。  

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