右か左か?~男雛と女雛
古いギャグですが 、4月4日は何の日でしょう、というのがありました。
3月3日が女の子の節句、5月5日が男の子の節句。4月4日は、真ん中なので、オネエ
の節句。皆さんご存じですね。
数十年間だったか、男雛と女雛、どちらが右で、どちらを左にするかの議論があったよう
な気がします。
現在は、向かって左が男雛、右が女雛が普通になっているようですが、昔は、宮中の並び
方で、左側(向かって右側)の方が上位の席であったようです。
それにならって、古い時代は向かって右が男雛、左が女雛だったようです。明治になり、
日本も西洋化を受け入れ、大正天皇は西洋式に右に立たれたそうです。
以後、昭和天皇、皇后陛下、現天皇陛下、皇后陛下もそれにならい、天皇陛下は右(向
かって左)、皇后陛下は左(なんかややこしくなってきましたが・・・)に並ばれるようになっ
たようです。
この、雛人形もそれにしたがい、東京の人形協会が、向かって左に男雛、右に女雛を並
べるようにしたそうですが、どのように置くのかで「現代式」、「古式」としているそうです。
余談ですが、舞台なんかも向かって左が下手(「へた」とは読みません、「しもて」)、右が上
手(「じょうず」とは読みません「かみて」)。向かって右が上席になるのですが、国旗、市旗
を飾るとき、国旗は下手、市旗は上手に飾ります。日本式に考えると、なにかひっかかる
のですが・・・・・多分国際的な儀礼を踏襲しているのでしょうが。
ついでにもう一つ、宮中内では両殿下は儀式用の和服を身につけられますが、国外から
来賓が見えられ、正式な場では洋装になられます。
数十年前、永六輔さんが、陛下がどうして日本伝統の着物で迎えられないのか、「天皇に
着物を着せる市民連合」、略して「天着連」なるものを作りましたが・・・・
さて、こちらでは昔はどうだったか考えていくと、灯台もと暗し、昨日から紹介している押し
絵雛、下の写真は大正時代のもの、有家町で見たもの。
こちらが、明治中期のもの、島原城内の復興記念館に飾ってあったもの。
これ、現代風に向かって左に男雛、右に女雛を置くと、そっぽ向いたことになり、絵になり
ません。少なくとも大正時代までは、こちら地方では、右に男雛、左に女雛を置くのが普通
だったのでしょう。
あと、二体ほど別の所で見ましたが、やはり、男雛、女雛の配置は同じでした。
なに?夜になったら、左右ではなく、上下になって、組つほぐれつになるから、そちらの方
を見たい?それもそうですね。
ウチの雛人形が夜に、何をやっているか、ポチと覗いて見るか。
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