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2013年2月

2013年2月28日 (木)

Aura vitaさんとAura vividさん

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今日はカミサンの白内障の手術で、一日病院で付き添い。でも、なんで、病院って、いるだ

けで疲れるんですかね。2日ばかりの入院です。


さて、Aura vitaさんとAura vividさん、カミサンがいないからといって、金髪娘を引き入れた

わけではありません。


この間から、悩んでいたアンプ、CDプレーヤーを入手しました。どうして、この機種にした

かというと、どうも、よく分かりません。でも、昔は、結婚相手が分からないまま、家同士で、

決めたこともある、という事で、良いんじゃないですか。上がアンプのvitaさん、下がCDの

vividさん。


前に持っていたアンプが、30㎏で、動かすのに苦労したのですが、これ、実に楽でした。

到着したのが、カミサンのいないときで、実に助かりました。すぐに、見えないところに隠し

て、カミサンがいないときに、組み立てようと、早く遊びに行け、早く遊びに行け、と願う事、

二日間。


やっと、いなくなった隙をみて、組み立ててみました。組み立てているところを見つかると、

例の冷たい目をして、「カミサン・ビーム光線」が飛んで来ますから、あせった、あせった。


普通は、こういう風に、二段に重ねて使うのは良くないのですが、PRに「多くのユーザーが

慣れ親しんだオーソドックスな様式、すなわち薄型のCDプレーヤーとアンプを重ねて使う

英国流儀の中に・・・・」と書いてあるので、重ねて使う事に。

表もシンプルなら、裏もシンプル

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残念ながら、スピーカーがもう一つつけられるように、ターミナルがあと一つ欲しい。

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左が前に買っていたスピーカー、DYUNAUDIO。いつか書いた、「デンマーク人、嘘つか

ない、でも、間違いはある。」という社長さんの言葉が気にいって買った物。


アンプの入力は、普通のコードと、バランスXLRがあり、バランス入力がお薦めしてあった

ので、バランスコードと、ついでに、オーディオ用のテーブルタップも新調。これで○万円し

ましたが、あと、インターコネクトコードとスピーカーコードも。今は、福岡の有名オーディオ

店○○苑の、お薦めのを使っていますが、そろそろ替え時。といっても、スピーカーコードも

1.5mペアで、315.000円なんてある世界(本当の話)。頭痛いですね。とにかくこの世

界は、入れば泥沼。


ここまでいったら、思い切って、家を建て替えて、リスニングルームでも作るか。ウチのカミ

サンが花粉症で、洗濯物を部屋の中で干していますから、パンティーなんかがヒラヒラし

て、バッハもモーツァルトもあったもんじゃない。


音は、大当たりですね。小型スピーカーなので、小さい音では低音が多少力不足。ボリュ

ームを上げたら、2階から「うるさい!」のカミサンの怒鳴る声。


さて、今日はカミサンがいないので、ガンガンかけていますが(田舎なので、近所迷惑は無

し。)音を上げると、以外に低音も伸びてきます。


グールドのバッハ、モーツァルト、カザルスのチェロ組曲、ブラームス、シューベルトの冬

の旅、マーラー、レスピーギの古典的リュートのためのアリア、グルダのアリア、中学校の

時良く聴いた、エラ&オスカー、アタワルパ・ユパンキのインデイオの道。


「爪」「あいつ」「学生時代」の作曲者平岡精二さんの自ら唄ったCD,石川セリが武満徹の

唄を歌った「翼」。グラシェラ・スサーナのアルゼチンタンゴ、吉田日出子の「上海バンスキ

ング」、メアリーブラック、久しぶりに、かけてみたアマリアロドリゲス、ドリスディ、ビリー・ホ

リディ、越路吹雪さん、嵯峨美子さん。大人の歌ですね。みんな良いな。


良い曲を、思いっきり聴けるって良いな。今日と明日は音楽の大饗宴。

今日はポチと幸せ。

 

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2013年2月27日 (水)

五穀岳~長崎県諫早市森山町

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またもや、ローカルな話です。五穀岳といっても、地元の方も、登った方はあまりいないと

思います。


森山町には、蓮華石岳とか、獅子喰岳とか面白い名前の低山があり、登ろうかと思ってい

たのですが、「イノシシの餌になるよ。」とか、石切場になっていたりで、断念していたので

すが、地図を見ると、「五穀岳」。ここは、何となくいけるような気がして、

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まあ、車で行けるところまで行って、後は歩いてみようと思ったら、途中、「五穀公園」の案

内板が二カ所ばかりありましたが、なんと、道は狭いものの、頂上のすぐ下まで道が通って

いて、拍子抜け。平成9年に、参道と公園が作られたもののようです。


駐車場から、少し階段を上がると、山頂には一番上の写真ように、石仏が祀ってありまし

た。なお、展望台まで作ってあり、残念ながら、この日は、少し霞んでいましたが、諫早干

拓から、有明海、雲仙岳まで、展望の良い事。特に、干拓は一望のもとです。

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さて、「五穀岳」と言うからには、「五穀豊穣」を祈ったものでしょう。「森山町郷土誌」を調べ

てみると、森山町田尻名(田尻、釜)で、毎年4月13日を、「五穀さん祭り」として、各家で餅

をついて、お供えをし、肴を持ち寄って、お祭りをしていたそうです。


現在では、自治会長、班長さんなど代表者が寄って、お参りをし、各地区でお祭りをするよ

うになったそうですが、少し淋しいですね。


さて、「五穀豊穣」を祈るためでしょうが、それぞれに石仏が彫ってあります。

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残念ながら、女を見る目はあるのですが(見れなかったのカミサンだけ)、神仏の種類につ

いては見る目が無く、一つ一つ分かるなら、それなりに面白いのでしょうが・・・・


それぞれに、寄進者の氏名と年号が、左右に彫ってありましたが、年号は天保13年

(1842)、文化10年(1813)、天保13年(1842)、安政6年(1859)、安政4年(1857)

になっていました。


年表によると、この頃の干拓事業としては、中仕切干拓、文化15年(1819)。井牟田下名

他籠干拓、文政12年(1829)。森山地先180町干拓、天保11年(1840)。山東大開井

牟田下名大開干拓、安政元年(1854)となっており、この頃、盛んに干拓がおこなわれた

みたいで、石仏建立の時代にも近く、何かの関係があるのでしょうか?


森山町といえば、干拓の歴史ですが、その時代から、五穀豊穣を願い、何百年と、五穀岳

の神仏を守ってきた地域の方の心に感動するものです。諫早湾干拓の問題も早く解決して

くれると良いのですが・・・近隣町に住む者としての気持ちです。


島原、諫早方面の方には、「安・近・短」の、気持ちの良いところですから、お弁当でも持っ

てどうぞ。    (参考:「森山町郷土誌」)


明日はカミサンの白内障の手術。付き添いがあるので、今宵もポチと早めに、お休みなさ

い。  

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2013年2月26日 (火)

慶師野の六地蔵と馬頭観音~諫早市森山町

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昨日までの晴天が嘘のように雨。


雨々降れ降れ、もっと降れ、わたしの、いい人連れて来い。なら、良いのですが、今日も医

者通い。帰りがけ、車を買い換えようかと、車屋さんに行ったら、やはりベンツは高い高

い。冷やかして、帰ってきましたが・・・乗せる女(ひと)もいないし。


さて、昨日は天気が良かったので、久しぶりに、森山町図書館コースをウォーキング。いつ

もの所ばかりでは面白くないので、少し山手の道を歩いていたら、六地蔵さんと馬頭観音

さま。


おじさんが通りかかったので、上の山まで登れないか聞いたら、イノシシの餌になるから、

止めた方が良いだろうとの事。今や、里の方までイノシシが出没している状況。多分、人類

に代わるのは、イノシシでしょう。「猿の惑星」ではなく、「イノシシの惑星」。


この、六地蔵さん、六体並んでいるのと、灯籠式の笠の下に、六体刻んでいるのがありま

すが、後者は肥前地方に見られ「佐賀型」と呼ばれているそうです。


天祐寺境内、唐比の天満宮、小野天満宮内、水晶観音境内に見られますが、今まで、見

た中で、これが一番小さいものでした。町誌にも載っていません。

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お地蔵さんは、お釈迦さんが亡くなられて、弥勒菩薩が現れるまで、六道(天上道、人間

道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)を巡り、それぞれの地蔵さんが、衆生を救うという

考えから生まれたそうです。


墓地などの入り口に祀られているそうですが、道祖神信仰と結びつき、町の外れ等に祀ら

れている事もあるそうです。

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馬頭観音さまですが、頭の所に馬の形の顔が彫ってあるのが分かると思います。良く、古

い道の脇に祀られています。昔、交通の手段として、馬が使われていた頃、馬を守るた

め、また、馬の労苦を慰めるため祀られたと言います。


さきほどの、おじさんと話しているとこの道は、諫早まで行くのに使われていたとの事。道

理で、六地蔵さんと馬頭観音さまが祀られているはず。

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ここから数㎞離れた所には、本格的な有喜街道がありますが、この道は、ここらあたりの

集落の方、また、上の方にも集落がありますから、諫早に行くとき、そちらの方が使った、

生活道路なのでしょうか?


なお、ここから下を見ると、家が建て込んでいますが、森山町は干拓の歴史であり、ここら

一帯も昔は海だったのです。

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諫早まで行くには、山沿いに歩いて行ったのでしょう。六地蔵さん、馬頭観音さん。みんな

が通るのを見守っていてくれたのでしょう。


おじさんに、聞いて見ましたが、もちろん由来等も分かるはずもありませんでした。

ぶらぶら、歩いて見れば、なにかにぶっつかるものですね。庶民の歴史は、大切にしたい

もの。歴史書に載っている事だけが歴史ではありません。


外はポチポチ雨。私は、ボチボチお休みなさい。

 

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2013年2月25日 (月)

また買いました★「月(ゆえ)と日本語」~井上純一著

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これで、このシリーズ3冊目だったですか。買おうか、買うまいか迷ったのですが、月(ゆ

え)さんの可愛さに負けて、買ってしまいました。隣の、40代オタク夫が邪魔なのです

が・・・


今回は、月さんが通う、日本語学校が舞台になります。学校での愉快な人間関係、日本語

の楽しさ、難しさ。


このたびは、筑波大学国語博士矢澤真人教授が出演して、日本語について、分かりやす

く、解説をしています。


「そっこう」。「速攻」ですね。漫画の「スラムダンク」の影響で広がったという事ですが、「動

作の終了時点」に注目する言葉で、「早く食え」は、「早く食べ始めろ」と言う事ですが、「速

攻食え」は、「早く食い終われ」。終わりの地点を重視する副詞は日本語では、少ないそう

です。さすが、専門家の見方は違いますね。


その他、「ありがとう」の応え方。「結構です」の使い分け。「すみませんありがとう」。「承知

と了解」の違い。「お疲れ様とご苦労様」。「お客様の息子さま」?・・・・・


「キレイに使ってくれてありがとう」?「微妙」って良いコト、悪いコト?「ヤバイうまい」って?

「てゆうかぁ」使用で上級者?「わかってないし」は後ろに続く?・・・・現代使われている言

葉、その背景にあるものについても書いてありますから、役に立ちますよ。日本語について

いろいろ考えさせられます。


ところで、「独場」。なんと読みます。普通は「独場」と書きますが、辞書によれば、「『独

場』の『』を、『』と誤って生じた語」(大辞林)。だそうです。本来は「独擅場」、「どくせ

んじょう」と読むそうです。


漫画は面白いわ、知識は身につくわで良い本ですよ。でも、重ね重ね、40代オタク夫、邪

魔だな。月さん相変わらず、可愛いね。


日中友好も、民間ならポチポチとうまくいくのにな。

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2013年2月24日 (日)

緋寒桜の郷まつり★鳥刺し~長崎県雲仙市国見町

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昨日は、国見町「神代小路(こうじろくうじ)まちなみ散歩」、今日は「緋寒桜の郷まつり」の

一環で、芸能大会。3月10日まで、土、日曜日を中心として、いろいろイベントが組んであ

ります。今日は特に、郷土芸能の「鳥刺し」があるということで、出かけて見ました。


最初は、会長さんの挨拶と、説明役の、本年度の雲仙の観光大使さん。足の置き位置、

プロの方から指導を受けたのでしょうが、何となく、素人ぽっくて良いですね。

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最初が、長崎で「江戸大道芸」の、西村ご夫妻。定年後、お二人で続けておられます。い

つ見ても(夫婦かくの如くあるべきでしょうが)、仲良くて、羨ましい限りです。

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次が「ひょっとこ愛好会」の「ひょっとこ踊り」。近ごろ、あちらこちらで流行ってきています。

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次が、「鳥刺し」。「神代鍋島塾」ホームページの説明によると、延享4年(1747)、神代鍋

島家八代当主・鍋島茂興公が、鍋島家の佐賀本藩の名代として第116代桃園天皇の即

位の礼に参列のため京都に上京。同行していた家臣が、そこで習い覚えたのが初めてだ

そうです。


が、今で言えば公用出張。そんなときに、このような踊りを習ってきて良いのかな?今なら

新聞沙汰でしょう。お殿様が、よほど話の分かる方だったのかな?


その後、神代楠高地区の保存会が保存して今に至っています。長い間、伝えていくのも

大変だったでしょう。


裸に9尺のふんどしを身に巻きつけて、竿を持ち、鳥を刺す様子をユーモラスに表現しま

す。昔は、鳥を取って、生業とする職業もあったそうです。

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一番上の写真、左の人の詞に合わせて、仕草をして行きます。


「見んさいな見んさいな(くりかえし)鳥を刺して見んさいな、八日の日は三笠の山に鳥刺し

にいったら、ぐわぐわするのは、テンかイタチか、いやモグラモチかジーモチか、シジュウ

ガラかコガラか、その又明日の日は・・・・・・刺そうと思ったら寺のこっけら(四度繰り返し)

小坊主が、ちょっと出てとがめた。とがむればとうがめろ。罰かぶれば罰かぶれ、仏の前

では鐘のばち、神の前では太鼓のばち(注:罰とばちのかけことばでしょう)、かかの罰ち

ゃするばち(注:すりばちの駄洒落か?)で、さそうと思うたがトリモチがねばらん、鼻くそと

ってこちつけろ、いやねばるねばる・・・・・・」と、長いので止めますが、セリフもユーモアた

っぷり。


後ろ姿は、

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Tバックも顔負け。・・・・・言う事ありません。


さて、最後はオカリナ演奏。素朴な楽器の音色も良いですね。

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鳥刺しは、まつり中、この日、1回だけしかありませんが、緋寒桜、鍋島邸見学がてら、お

出かけを。  (参考:「神代鍋島塾」ホームページ・「国見町郷土誌」より)



今日は天気もよく、桜さんもポチポチ咲く準備かな?

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2013年2月23日 (土)

神代小路(こうじろくうじ)まちなみ散歩&鍋島邸緋寒桜

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鍋島邸の緋寒桜。今が一番の見ごろでしょう。奥の建物が鍋島邸。主屋、御座敷、隠居

棟、土蔵、長屋門が国の重要文化財の指定です。最近まで、調査、改修をしていて、入れ

ませんでしたが、やっと入れるようになりました。次の調査、改修が150年先だと言う事で

す(これは本当)。


今日は、「神代小路まちなみ散歩」があるとかで、参加してみました。案内人の方が、いる

のは心強いですね。参加料500円。

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こちらが、長屋門。上の写真の入り口です。

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町並みですが、なにか気づきませんか?電柱が一本もありません。別段、電気が来てなく

て、江戸時代の燭台を使って生活をしているのではありません。景観の問題で、電線は全

部、埋設にしてあるそうです。スッキリして良いですね。


前後しましたが、神代鍋島藩の位置です。(以前にも書きましたが・・・・)

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変な領地割りのようですが、これには、当時、島原半島を治めていた、有馬氏に楔を入

れ、有馬氏と島津氏を牽制させる、豊臣秀吉の思惑だったとの説もあります。


元に戻って、左が、家老宅の門、元禄時代そのままとってあります。右、石垣の上に石が

積んであります。敵が攻めてきたとき、投げつけるもの。鉄砲が出てくるまで、戦いでの負

傷の原因は、矢、槍、投石が多かったといいます。また、泥棒が乗り越えるとき、音をたて

ますから、泥棒除けにもなります。つぶて石というそうですが、参加者の中に、五島出身の

方もおられ、五島では、泥棒除けにしているそうで、「こぼれ石」と言っているそうです。

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道を歩いていると、竹で作った、垣根が多く見られます。矢竹だそうで、戦の時刈り取っ

て、矢にするそうです。


所々、右の写真の様な家があります。まっすぐ入ろうにも、生け垣が邪魔で、まっすぐ入れ

ません。矢印のようにしか入れなく、敵がはいってくる時間を稼ぐために、わざとこのように

してあるそうです。これがなければ、自動車もゆっくり入れるのですが、昔の伝統を守って

おられるのでしょう。

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お殿様が、勉学に来られた家らしいのですが、右の写真の様に、座敷が一段低くなってい

ます。お殿様に、お教えするとき、この一段低いところから講義され,お殿様は上の段の

座敷で、学ばれたそうです。左の写真が正面玄関。

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家はご覧のとおり、茅葺き。古びて雨漏りするそうですが、これを葺きなおすとなれば、大

変でしょう。外側をトタンで覆った家が多くなって来ています。

座敷をよくみると、ちゃんと、陣笠に刀。いつでも、飛び出せるようにしてありました。

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他にも案内していただいたのですが、今日はこれくらいで・・・・


なお、明日が芸能大会、お茶会。3月に入って民謡、オカリナ、詩吟俳句大会、鎧武者さ

るく、とイベントがたくさんあるみたいですから、皆さんもどうぞ。「神代小路まちなみ散歩

は」、毎日午前11時からと、午後2時からおこなっています。開会15分前に、お越し下さ

いとのことです。普通では、入れないところも、見せてもらえますよ。


この一帯は、国の重要伝統的建造物保存地区に指定されています。ガイドさんがおられ

ますので、雲仙市観光協議会まで、お問い合わせを。


天気は良いし、これで連れが(もちろんカミサン以外)いたら、ポチ良かったんですが・・・

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2013年2月22日 (金)

右か左か?~男雛と女雛

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古いギャグですが 、4月4日は何の日でしょう、というのがありました。


3月3日が女の子の節句、5月5日が男の子の節句。4月4日は、真ん中なので、オネエ

の節句。皆さんご存じですね。


数十年間だったか、男雛と女雛、どちらが右で、どちらを左にするかの議論があったよう

な気がします。


現在は、向かって左が男雛、右が女雛が普通になっているようですが、昔は、宮中の並び

方で、左側(向かって右側)の方が上位の席であったようです。


それにならって、古い時代は向かって右が男雛、左が女雛だったようです。明治になり、

日本も西洋化を受け入れ、大正天皇は西洋式に右に立たれたそうです。


以後、昭和天皇、皇后陛下、現天皇陛下、皇后陛下もそれにならい、天皇陛下は右(向

かって左)、皇后陛下は左(なんかややこしくなってきましたが・・・)に並ばれるようになっ

たようです。


この、雛人形もそれにしたがい、東京の人形協会が、向かって左に男雛、右に女雛を並

べるようにしたそうですが、どのように置くのかで「現代式」、「古式」としているそうです。


余談ですが、舞台なんかも向かって左が下手(「へた」とは読みません、「しもて」)、右が上

手(「じょうず」とは読みません「かみて」)。向かって右が上席になるのですが、国旗、市旗

を飾るとき、国旗は下手、市旗は上手に飾ります。日本式に考えると、なにかひっかかる

のですが・・・・・多分国際的な儀礼を踏襲しているのでしょうが。


ついでにもう一つ、宮中内では両殿下は儀式用の和服を身につけられますが、国外から

来賓が見えられ、正式な場では洋装になられます。


数十年前、永六輔さんが、陛下がどうして日本伝統の着物で迎えられないのか、「天皇に

着物を着せる市民連合」、略して「天着連」なるものを作りましたが・・・・


さて、こちらでは昔はどうだったか考えていくと、灯台もと暗し、昨日から紹介している押し

絵雛、下の写真は大正時代のもの、有家町で見たもの。

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こちらが、明治中期のもの、島原城内の復興記念館に飾ってあったもの。

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これ、現代風に向かって左に男雛、右に女雛を置くと、そっぽ向いたことになり、絵になり

ません。少なくとも大正時代までは、こちら地方では、右に男雛、左に女雛を置くのが普通

だったのでしょう。

あと、二体ほど別の所で見ましたが、やはり、男雛、女雛の配置は同じでした。


なに?夜になったら、左右ではなく、上下になって、組つほぐれつになるから、そちらの方

を見たい?それもそうですね。


ウチの雛人形が夜に、何をやっているか、ポチと覗いて見るか。

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2013年2月20日 (水)

ちゃポリタン食べました

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この間、長崎のチャンポンについて触れましたが、この「ちゃポリタン」、「ちゃんぽん」と

「ナポリタン」からつけた名前でしょう。チャンポンの麺に具材を入れ、ケッチャップで味を

つけたものです。何となく可愛いネーミングですね。「ちゃポリタン」。


少し前から、販売もされているようなのですが、半調理品で手をかけなければ、いけないよ

うな感じなものです。


今回の発売のものは、コンビニのフ○○○○マートから、期間限定で一月間、19日から、

九州地区で販売。レンジでチンすれば良いものです。昨日、夕方買いに行ったら売り切れ

ていました。今日、行ってみたら、二個残っていただけ。九州以外の方は写真でガマンして

ください。


今や、高校生と共同発売、した「じゃGAぱん」、「みかんこまち」、地元大学と共同開発し

た、お弁当。地元密着の方向が見えます。


焼きちゃんぽんは知っていたのですが、この「ちゃポリタン」、ケッチャップ味とはこれ如何

に。


ラベルを見ると、「長崎県生麺協同組合」、「長崎かんぼこ組合」、「カゴメ」、共同開発

になっていました。開発した側と、コンビニの販売の思惑が一致したものでしょう。


さて、チャンポンにケチャップ味とは、どんなものがと思って食べたら、意外と合ってます

ね。


考えれば、「イチゴ大福」も出て来たときは、「ゲェ~そんなのありかよ。」と思っていたので

すがいつの間にか定着。走り高跳びも、正面跳び、はさみ跳び、ベリーロールしか無かっ

たのですが、メキシコオリンピックの時、フォリスベリーが初めて背面跳び。驚きましたが、

今や、全員背面跳び。何事にも発想の転換は必要のようです。


雲仙市でも、長崎チャンポンに対し、小浜チャンポンと名前をつけて売り出していますが、

この、「ちゃポリタン」くらい思い切らなければ、違いは出てこないのではないでしょうか。


ポチポチ熱は下がってきましたが、明日から、又、カミサンが帰ってくるかと思えば、ポチ

ポチ辛いですね。

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2013年2月19日 (火)

観櫻火宴 2013 のお知らせ(日本一の松明武者行列)~長崎県雲仙市千々石町

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カミサンが白内障の手術のため、ゆっくりできると思ったら、風邪引いて、ここ数年風邪に 

かかたことはないので、やはり歳のせいでしょう。熱が、38,7分くらいあって、もうふらふ

ら。


昨年も紹介をした、「観櫻火宴(かんのうかえん)」、冑.を身につけ、松明を持って、海岸か

ら商店街を通って、橘神社まで、練り歩いて来ます。早々とチラシが出ていたので・・・


この、イベント、衣装は貸してくれますので(人数制限アリ)、早めに、申し込みを

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特に、稚児武者、元服武者になる小、中学生は喜びますよ。うちの孫も昨年参加して、大

喜びでした。

写真は、クリックすると拡大しますから、ご確認を。 写真愛好家の方も絶好の被写体で

す。


また、ポチポチ熱が出て来たので今日はおしまい。ポチ。

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2013年2月18日 (月)

第14回 島原子どもフェスティバル~長崎県島原市

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入り口のアーチの真ん中に見えるのが、島原城です。島原城あたりは、昔、森岳という小

山があり、そこに島原城を作ったのですが、古い本などには、「森岳城」とも書いてありま

す。右に少し見えているのが、「森岳公民館」といいます。このあたりが、二の丸にあたる

ところです。


昨日、島原城の梅を見に行ったとき、ちょうど、第14回 島原子どもフェスティバルが開

催。私も、7、8年前、島原にいたとき、ボランティアとして参加していたので、懐かしく、覗

いて見ました。


始まりは、近ごろの子どもは、押さえつけられる事が多く、自分たちで伸び伸びとしている

ところが無いので、子どもたち自身に、いろんな企画を考えさせ、実施させたらどうかと言

う事から出発したものです。


カフェに餅つき、もちろん、これも子どもたちが企画をし、運営をしています。

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最初は、保健センターで小規模に実施していたのですが、いつの間にか会場が足りなくな

り、こちらの方に移りました。事務局によれば、今年の参加者は、4000名くらいだろうと

いう事でした。

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なんとかレンジャーをやっているのは、高校生のボランティア。


綿菓子に、ポップコーン。これも、子どもたちが作っています。どういうわけか、神出鬼没

の、来年開催の、がんばらんば国体のマスコット、がんば君も。

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この、フェスタの良い所は、小学生の時参加した子どもが、中学校になっても、ボランティ

アとしてやってくる事。高校生になってもやってくる子も多く、今年は、高校生がリーダーに

なって、随分はかどったという事です。小学生ばかりの時は、随分、手をとったものでした

が・・・


島原には、高校が4校あり、それぞれボランティアとして参加していました。工業高校と、農

業高校はそれぞれの特長を生かして、工業高校は手作りの遊具。機械科の生徒かな?

手作りのゴーカート。そのほか、ロボットとか、ソーラ関係とか出品して、子どもたちに説

明していました。

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農業高校は、畜産科の生徒が、小動物園。実際に触れる事ができます。

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この、子どもたちが、大きくなってからも、ボランティア活動を続けてくれると良いですね。


さて、警察もパトカー、ミニパトカーまで出演。人気がありました。

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私も、子どもを押しのけて、乗って来ました・・・本当に大人げない。


今日は少し風邪気味、咳が止まりません。私の咳は「ゴホゴホ」ではなく、「ポチポチ」。

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2013年2月17日 (日)

ありえ蔵めぐり&島原城吉野梅園満開~南島原市・島原市

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昨日、行く予定だった、「ありえ蔵めぐり」。カミサンの風邪のおかげで、いけませんでした

が、本日行っていきました。


今日の長崎新聞に、同じ雛飾りの写真が写っていましたが、私の写真の方がいいな。

やはり、写真はカメラではなく、腕の問題。


さて、このイベントは16日と17日開かれていますが、酒造業、みそ、醤油、ソーメンの製

造業者の5軒の蔵で開催され、地元の特産品の販売、ひな人形が展示されています。


ひな人形の展示は3月3日までだそうです。

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昔ながらの、懐かしい風景。落ち着きを感じます。

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各会場には、特産品が並んでいました。


現在、島原市でもひな祭りがおこなわれており、昨年紹介をしたので、今年は、有家のお

ひな様を。各写真はクリックすると少し拡大します。

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下の写真の左は、明治時代、島原ではやった押し絵雛です。

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下の左の写真が、江戸時代より雛人形で有名な鴻巣(埼玉県)の人形。長崎で見られるく

らいですから、よほどのブランド品でしょう。右が、江戸時代のおひな様。

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床の間に飾ってある右と左の絵、多分、栗原玉葉の絵でしょう。明治16年、山田村(現雲

仙市吾妻町)生まれ、東京女子美術学校。苦労しながら絵を描き続け、大正3年第7回文

部省主催展覧会に出品した、「さすらひ」が入選。


日本画壇で大きな地位を占め、婦人雑誌の表紙に多く用いられたそうです。大正9年に生

まれた、「月曜会」は玉葉を中心とし、当時の女流画家のほとんどが入会していたそうで

す。


いいですね、うちのカミサンの塗り絵とは大違い。なお、玉葉の絵は、吾妻町内に2枚しか

ないといわれていますが(吾妻町史による)、もう一枚某所にあるそうです。

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さて、蔵の中も見られ、昔ながらの、はねぎしぼり。青いポリタンクには水が入っています

が、全部で一㌧もあるとか、右は人力で絞っていたものだそうです(こちらは今は使われて

いないそうです)。機械で絞ったのとは、はやり違っているとのことでした。

  Photo_14 Photo_16

ところが、会場の片隅に、信じられないものが

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左が憧れのノートン、右が「CORBIN」。前輪の「吉田蔵酒造場」「清酒萬鶴」の文字が泣け

ますね。人形さんより、こちらを見ている時間の方が長かった。


さて、このあと、島原城に向かいましたが、丁度、昔の二の丸、今の文化会館があるあた

りで、 「子どもフェスタ」が開催中、私も少し関係していたので、これは、又明日。


島原城の災害記念館でも、ひな祭りの最中。

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スヌーピーなどの新作の雛人形とかもたくさんありましたが、右に写っているのは、押し絵

雛人形。100年ほど前の明治中期に、呉服屋 で売り出され、70年ぶりに日の目を見た

そうです。


さて、島原城の吉野梅苑は満開でした。行くなら今のうちでしょう。

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城に桜もいいですが、こうして見ると梅も似合いますね。


私にはポチがお似合い。

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2013年2月16日 (土)

第8回 雲仙市としょかんまつり~長崎県雲仙市

Photo

朝から、カミサンが知恵熱を出して。知恵熱知っていますね?「小児の乳歯が生えるころ

起こる熱病」(新明解国語事典より)。カミサン精神的に幼いから、知恵熱ですね。


さて、この「雲仙市としょかんまつり」も、第8回です。町村合併で、各町の読み聞かせグル

ープが集まって、実施したものです。


各町で、規模は違いますが、毎週、あるいは毎月、子どもたちを集めて、読み聞かせをし

ています。


今回の参加グループは、おはなしのへやぐりとぐら(国見町)、みずほ♡なかよし会(瑞穂

町)、おはなしの会くれよん(吾妻町)、愛のおはなしのへや(愛野町)、てぶくろの会(千々

石町)、プーさんの会(小浜)、絵本の森の会(南串山町)の皆さんでした。


本当なら、絵本を手に持って、みんなに見せながら、読み聞かせするのですが、参加者が

多く、会場が少し広く、後からは絵本がみえないため、

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Photo_7  P2160628

各グループ、紙芝居にしたり、プロジェクターを使ったり、知恵を出し合っていました。


読み聞かせばかりでは飽きるので、

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手遊びを交えながら、左が「あぶくたった」。右が「きゃべつのなかから」です。皆さん、幼稚

園などでした覚えありませんか?私たちの時代にはなかったので、見ていて楽しかった。


絵本の中身も、昔とは変わって、いいのが出版されています。私たちの頃は、「桃太郎」

とか「金太郎さん」とか「一寸法師」とか「かぐや姫」とかだったのですが、今は実に多彩を

きわめています。


さて、最後までいたかったのですが、知恵熱のカミサンの昼飯も作らなきゃいけないし、残

念ながら、途中で会場を後にしました。


なお、昼からは、子どもたちの「あつまるんば子どもクラブ」の発表会、囲碁、将棋、生け

花、水彩画の体験もおこなっていました。


明日は、わんぱく小学校シリーズ(ちこく姫、飼育係長、給食番長、おそうじ係長等)の作

者の、よしながこうたくさんのライブペイントが午後2時から、朝10時30分からは、ワーク

ショップ、「番長と絵を描こう!」があるそうです。興味のある方は、どうぞ。


なお、3月2日には、ピアニスト、辻井伸行さんのお母さんの講演会もあるとのPRもやって

おりました。こちらは、入場券が入りますのでお早めに、雲仙市教育委員会まで。


帰りがけ見たら

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図書館の不要になった本、雑誌のお持ち帰りコーナーです。結構いい本もあったのです

が、何しろ昼飯を作らなければ・・・・


ところで、子どもに本を読んでやっていますか?特に小さいときは大切な事ですよ。わたし

も、よく読んでやりました。「昔々、桃太郎というキャバクラに、白雪姫という美しい、コンパ

ニオンがいました・・・」。だから、うちの子ちょっと他人とかわっているのかな?


カミサン、まだポチポチ熱があるみたいで、明日も飯作りか・・・

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2013年2月15日 (金)

長崎県立総合運動公園陸上競技場&体育館完成間近~長崎県諫早市

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何回もご登場いただいた、諫早市にある「県立総合運動公園」です。


昭和44年の第24回国民体育大会主会場として、昭和39年から整備をされたものです

が、平成26年の第69回国民体育大会、第14回全国障害者スポーツ大会開催のため、

平成21年から、古い競技場を解体し、やっと完成間近になりました。


この間まで、高いフェンスに囲まれて中が見えなかったのですが、行ってみると、入れない

ように、ネットは張ってあったものの、高いフェンスは取り除かれ、中は見えるようになって

いました。

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こちらが、正面玄関。北村西望さんの制作した像が残っていますが、昔は、真正面にあっ

たような気が、少し移設したのかな?

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最後の舗装工事、仕上げ工事をおこなっているみたいでしたが

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何となく、気になるこの壁の傷、ひびがはいったのかな?手当はしてあるようでしたが、あ

ちらこちらにありました。オープンまでには綺麗にするのでしょうが・・・・


この、競技場の側に

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新しい体育館です。入り口の看板はカバーで覆われていましたが、風でめくれたのか、「諫

早中央体」まで見えました。多分、「諫早中央体育館」という名称でしょう。


どうも、3月2日に朝からオープニングの式典があって、昼からイベントがあるみたいで

す。私の所には招待状が来ていないので、詳しい事は分かりませんが・・・・3月3日から共

用開始みたいなので、私も、少し走ってみようかな。100mを25秒くらいで・・・オープンし

たら、内部の写真を紹介します。


諫早市はどんどん発展をして、裕福な市。歴史文化館建設の構想もあるみたいだし。それ

に比べれば、私の住んでいる所は・・・・・


金はなくとも、愛とポチがあれば・・・・・か。

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2013年2月14日 (木)

十二支公園の謎~長崎県諫早市

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昨日は、小さな赤鳥居の謎に迫りましたが、なんか、拍子抜けという感じでした。今日も、

多少、体の空気が抜けていくという、拍子抜けする話です。


でも、昨日の鳥居、ゴミを捨てられて困っておられる方は、試してみてはいかがでしょう

か?意外と効果があるような話でした。


1月31日「女夫木の大スギと十二支公園」と言う事を書きましたが、十二支公園について

は、どうにも由来など分からない、と書いておりました。


夫婦木にいったとき、下のような看板があり、行ってみると、公園といいながら、真ん中に

猿田彦の石碑。入り口には「十二支公園 牛 平家と大スギの里」の標識。


「十二支公園」と書いてあれば、十二の公園があるはず。また、この公園の様子を見れ

ば、何か史跡と関係があるのではないかと、誰でも思うはず。

Photo_3 Photo_4

5

たまたま、この前書いた「木秀の一里塚」を見に行ったとき、途中の道で、こんな看板を。

Photo_7 Photo_8 

やはり、なにかあるのかと、諫早に関する資料を、数日あったってみたのですが、分から

ない。


ところが、昨日書いた、諫早の某図書館の副館長さんと話していると、この公園の事に関

しても、話が出て、数十年前、県だったか国だったかの公園(環境?)整備事業があり、

その補助金を使い、作ったものだそうです。


こちらとしては、何か、歴史的由緒があるものと思っていたのですが、体から空気が抜け

ていくようで、ガックリしました。


ただ、この宗方公園はいつも買い物に行く道の近くにあるので、ちょっと見ていこうと、場

所を聞いて行ってみました。道にある看板は、上の写真の所しかないので、多分、聞いて

行かなかったら分からなかったでしょう。

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現場に行くと、入り口の看板はこれっきりでした。一番上の写真が、公園です。ブランコと

すべり台が一緒になった遊具が、はしっこにポツンと。でも、のびのび遊ぶなら、かえって

こんな所がいいでしょう。駐車場、トイレは完備です。


お爺さんがいたので、話をしていると、20~30年くらい前に出来たとか。この先に、キャ

ンプ場もあるよ、ということで

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なんとも立派な橋が、橋を渡って5分ほど歩くと

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16張ばかりテントが張るようにしてありました。さっきのお爺さんの話では、あまり、利用

が無いとか。まあ、場所自体も分かり難いからでしょう。


さて、他のブログを読んでいくと、十二支公園は、市内の史跡や、謂われのある場所を公

園として整備した、とありますが、もしそうなら、その謂われの説明版くらい設置して欲しい

ものです。せめて、公園の入り口名前くらい、きちんと書いておいて欲しいと思います。


しかし、考えて見ると「十二支公園」とは、良いネーミングですね。なにか、ありそうな感じ

で、私も、引っかかった一人ですが・・・・


そういえば今日はバレンタインデー。チョコよりポチを。

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2013年2月13日 (水)

謎の小赤鳥居

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国道251号線を走ってると(もちろん車で)、いつの頃からか、こんな赤鳥居、といっても5

0㎝くらいの小さな鳥居が立っていて。こんな具合です。

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小浜の郷土史を研究している方も気づいたらしく、40~50歳くらいの男が立てていたが、

一体全体、あれは何だ。という事で、調べる事、ここ半年あまり。


すると、ここだけではなく、唐比から、山際に抜けて行く道。

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M町のモーテルに行く道。(私、モーテルには入っていません。絶体に。一人で入っても面

白くないから・・・)

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という事で色々考えたのですが、ここらあたりは霊山雲仙を控えているところ。雲仙は昔、

修行僧のメッカで、今も、時々、修験者の方が通っている事もあり、その関係で、ひょっと

したら結界でも張っているのかなと思い、地図に鳥居のあるところを落としていったのです

が、よく分からない。


ところが先日、他の事で某図書館に行って、副館長さんと話していると、ひょっとこの鳥居

の話に及んで、聞いてみると大笑い。


某町で、ゴミを道端等に捨てるのがあまりにひどく、

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こんな看板を立てても、いっこうに効果が無く、誰が考えたのか、赤い鳥居を立てたとこ

ろ、これが効果覿面(できめん)。捨ててあるゴミの量が減少したそうです。これを聞いた

隣町がマネをして、あちらこちらに立てていったそうです。(役所の環境課あたりだそうです

が。)小浜の郷土史家が見られた人物も役所の方だったのでしょう。


鳥居は神聖なものであり、そこをついた心理作戦であったのでしょうが、日本人ははやり、

神仏に対しては、恐れの気持ちも持っているのでしょう。


という事を、カミサンに話したら、、「あら、そんなの知ってるわよ」。人が半年も考えていた

事を、しらっとした顔で。これだから、うちのカミサンは嫌いだ!


なに、あなたも知っていた?いけず  !!


日頃は温和な私も、今日はポチと腹がたちました。

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2013年2月12日 (火)

買ってみました「エンディングノート」

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先日、週間ポストに「エンディングノート」の事が出ていたので、紹介しましたが、本屋さん

に行ってみると、田舎の本屋さんにも関わらず、4種類ほどの「エンディングノート」が並ん

でいたので、そのうち一番安いのを、一冊買って来てみました。


蓮如上人の「御文章」、「白骨の章」に「・・・我やさき、人やさき、けふともしらずあすともし

らず。・・・」と書いてあるとおり、いつ何時、何が起こるのか、分からないのが世の習い。


週刊ポストに、書き込んで「エンディングノート」にするわけにもいかないでしょう。父は、

ノートに、色々書いておりましたが、はやり、分かりにくい所もあり、この、本を利用する

と、残された方が困る事も少ないでしょう。


「私に関する事」「財産お金に関する事」「もしものとき」「伝えておきたいこと」」「万一の時

のアドレス帳」など、多彩にわたっています。


「履歴書」。幼稚園から書いてありますが、私は「諏訪幼稚園中退」。問題児で中退ではな

く、単に引っ越しで家を変わったためですが。最終学歴、「諫早自動車学校」。


「20代の頃」に熱中していた事、めぐりあった人、そのほかの思いで。「40代の頃」までし

か書いてありませんが、60代だって「めぐりあった人」があっても良いじゃありませんか。

Img_0001

ちょっと分かりにくいですが、家系図です。右のページには配偶者の分がありますが、全

部書けますか?家紋も書く欄がありますが、これ、葬儀屋さんから聞かれて、とっさに返事

出来ませんでした。知っておきたい事です。


「介護」~「お願いしたい人や場所」。「彼女」、「彼女宅」。いればの話です。

「棺に入れて欲しいもの」。「ポルノ雑誌」。なお、CD、DVDの類は、ダイオキシンの問題で

火葬場によっては入れる事が出来ません。


「戒名」。「○○○院○○○居士」という戒名を見ますが、「○○○院」を入れた場合は、本

寺に、○○万円寄付がいりますから、入れて欲しいか、欲しくないか、はっきりした方が、

良いですね。残された方の、懐具合を考えて。


「死亡通知や葬儀の案内をだしてほしくない人」の項まであります。もちろん、カミサン、と

いうわけにはいかないでしょう。


おや、「ペット」の欄までありますね。「名前」「種類」「生年月日」・・・ペット化の時代を感じさ

せます。


あと、「財産・お金にかんすること」がありますが、これは、ちゃんと書いていたが良いで

す。へそくりも書いておくのかな?


私の義兄は、心筋梗塞で急に亡くなったものですから、息子に話を聞くと、預金通帳がど

こにあるか、畑が(息子はサラリーマンをしていましたから)どこどこあるか、非常に困った

そうです。


半分冗談めかして書きましたが、これに、相続の問題なども絡み大変です。私の知ってい

る独身女性(高齢者)の方は、公証人役場で手続きをして来たそうです。


なお、死後も、しなければならない事が山ほどあり、役場、保険、貯金、四十九日、忌明け

のお礼等々ありますから、残された方に、なるだけ負担をかけないように、ちゃんとしてお

きましょう。もっともあの世から、みなさんバタバタしているのを見るのも一興かな?


とにかく、本は買わないまでも、立ち読みで良いから目を通して見てください。気づかない

事もたくさんあって、絶体役に立ちますよ。


あなたも、ポチポチご準備をどうですか  。

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2013年2月11日 (月)

「安德天」と「二位尼(にいあま)」の碑 ② ~諫早市夫婦木

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昨日は、長崎のランタンフェスティバルの開会式。子どもを長崎に送っていったら、人が多

く帰るのが遅くなって、お休みしました。


さて、「安德天」の続きです。先日、安德天皇のお祖母さんの「二位尼」の碑の事を書きま

したが、その碑より先に進む事200m程度。

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「旧嶋原街道 安德天碑」の石碑があり(この碑も、諫早史談会の方が建てられたもので

す)、この階段を上がったところにすぐに広場があり、真ん中に「安德天」の碑がありまし

た。

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広場は綺麗に掃き清められ、碑にも新しい花が飾られていました。この土地の方が、丁重

に祀っている事が分かります。また、この碑の所までしか、舗装がして無いところをみる

と、わざわざ、ここまで来るためのものだと思われます。


さて、仁徳天皇の伝承については、各地に残っているところですが、「諫早を歩く~山口八

郎著」には、次のように書かれています。一部要約しながら書いてみると、


壇ノ浦で二位尼と共に入水した安德天皇ですが、その実、こっそり生き延び、ここまで来た

が、ここで源氏の手にかかって生涯を閉じられたという伝説が残っていおり、そういう安德

天皇のお墓は全国にいくつもある。「恐らくは似た年頃の平家の子どもたちを影武者とし

て、安德天皇だと匂わせて八方に散らせ源氏の追っ手を引きつけ、ご本人はこっそりと安

全に落ちのびるという、策を練ったものと思われます。たといご本人でなくとも、可哀想な

平家の子どもが犠牲になったものと思えば安德天皇として、お祭りすることこそ、最も

ご本人の気持ちをくんだ慰霊の道だと思います。夫婦木の皆さんが、八百年来お祭りを

続けて来られたのも、素晴らしい事だと思います。」


碑が立っている、この広場に立つと、つくづくと同じ気持ちにさせられました。


さて、諫早市史によると、女夫木の安德天皇の伝承では、安德天皇は、壇ノ浦から豊前、

肥後の五箇米良、筑後潟から島原に上陸、島原安德で足を休め、雲仙を越え、串山村京

泊(現在の雲仙市南串山町京泊)から海路有喜、鶴田越から乙女木まで来られたが、源

氏の知るところとなり、討ち取られたということでした(地図の場所は大体の所です)。

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里人は深く崩御を痛み、ご遺骨を治め手厚く祀ったと言う事です。


さて、ここの碑には「安德天皇」ではなく、「安德天」と彫れています。本来、無銘の自然石

の小碑が立っていたのを、お粗末だと言う事で、立て直したものだそうです。


「安德天皇」と彫ると畏れ多いということで、「天」で止めたと言う事です。「大黑天」とか、

「弁財天」とかありますから。

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正面に「安德天」、横に「女夫木」と彫られています。


なお、市史によると、「諫早は平氏との交渉が深かったと思われる。」と書かれてありま

す。


影武者だったのか、本当の安德天皇だったのか、あるいは、安德天皇の崩御を知った、

平家方の者が、霊を慰めるために立てたものか分かりませんが、今も夫婦木の方々から

篤く祀られて様子が見てとられました。

(参考・引用:「諫早を歩く~山口八郎著」「諫早市史」)


近ごろ疲れ気味で、試しに、「コエンザイムQ10」というのを飲んでみました。ポチ、効いた

ようです(まだ一粒しか飲んでないので気のせい?)。赤マムシの方が良かったかも。で

も、あれ、あちらの方にも効きますから。お相手がいれば良いのですがね・・・・ポチ

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2013年2月 9日 (土)

泣く子と地頭には勝てぬ

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女夫木の「安德天」の続きを書こうと思ったら、本日は法事。


子どもが孫を連れて来ていて、ブログを書き始めたら、泣くこと、泣くこと。どう、あやそう

が、抱っこしようが、泣き止みません。


ほんとうに、「泣く子と地頭には勝ちません。」ところで、この意味、「道理の分からない者に

は 、いくら理を尽くして言っても通用しない。」(新明解 国語事典)と書いてあります。


まあ、この子にはいくら理を言っても分からないでしょう。言葉自体を理解していないので

すから。


「地頭」とは「昔、荘園を管理し、租税を徴収した職名。」とあり、「荘園」とは「奈良時代から

室町時代にかけて、貴族・社寺が私有した土地。」とあります。


さて、この「泣く子と地頭には勝てぬ。」という言葉が、いまも残っているところを見ると、地

頭は、かなりの権力をもっていて、道理の分からない人々が多かったのでしょうね。


うちは、「泣く子とカミサンの小言には勝てぬ。」といったところかな?うちのカミサンも、道

理が分からないかたです。

孫がまだ泣いているので、今日のところはここまで。


赤ちゃんは、「おぎゃーおぎゃー」。私は「ポチ、ポチ。」

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2013年2月 8日 (金)

第7回 雲仙市美術展覧会開催~長崎県雲仙市

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昨日に続き、「安德天」について書こうと思ったのですが、今日から、雲仙美術展覧会が開

催されるという事で、こちらの方を・・・

昨年から、有名になった、チョーク画の小野大輔氏の「チョーク絵のある静物」。後の女性

がチョーク画で、前の方が油絵です。実物は、この写真より迫力があります。

2

うちのカミサンの絵もありますから、ごますりのために、写真を載せますが、まあ、毎年下

手な絵を出しますね。来年は対抗して、私も出品しようと思っていますが、私のは抽象画

の方で、書道は前衛が得意です。(冗談)


こちらの方になると、かなりいい絵ですね。才能なのか、努力なのか?

3

写真の方も、レベルが高いですね。もっとも、私も、店頭展示品大特価のデジタルカメラで

はなく、ちゃんとしたカメラなら自信はあるんですが、なにせ、ニコンのF2時代からの男で

すから。

4

書道は、どうにも苦手で、崩し字が全然読めません。せめて、作品の字の横にルビをふ

っていただければありがたいのですが・・・・

5

デザイン。こちらの高校にデザイン科で有名なところがあり、関係者かな?

6

日本画も大作が並んでいました。有名な方もおられますが・・・

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このほか、彫刻、工芸などもありましたが、いつもの通り、写真を撮るのを忘れていまし

た。

皆さん、一生懸命努力したあとがみえました。作品の数が少しすくないようでしたが、力作

揃い(カミサンのを除いて)でした。


会場は、雲仙市の吾妻ふるさと会館、雲仙市役所の横です。期日は、2月11日(月)ま

で、時間は午前10時から午後6時まで。見応えのある作品が多いですよ。


美術の成績は2,書道は1でしたが(他の学科はオール5でした  )、鑑賞眼はポチ

と厳しいですよ。

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2013年2月 7日 (木)

「安德天」と「二位尼(にいあま)」の碑 ① ~諫早市夫婦木

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先日、女夫木(めおとぎ)の大スギの事を書きましたが、この近くに、有喜(橘湾の海に面

する町)から、諫早の城下にでる旧道があり、「殿さん道」と呼んで、昭和初期まで人の往

来があったそうです。


その、街道近くに「安德天」と「「二位尼」の碑があるとかで、この間はもっと山の奥かと思

い、間違った方向に行きましたが、今度はちゃんと調べて。


なお、安德天皇については九州、四国地方に数十カ所の伝承地があるそうです。

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先日、書いたように、諫早の小栗小学校横の道を行き、諫早刑務所の横を通って行くと、

夫婦木(みょうとき)のバス停がありますから、そこから山の方に入って行きます。旧街道

になります。


さて、この道あまり広くはなさそうだし、先日、旧道を行って、途中でドンづまりになり、車の

横を擦ったことが、まだ頭の中にあり、ここらに車を置いて、今日のところはどこまで車で

行けるか下見程度と、歩いたのですが、最初が少し急坂で、心臓が「パコパコココポパコ

パコッパコパ。」と少し不整脈気味になってきたので、急いで携帯を出して調べると、まだ、

アンテナ3本ちゃんと立っていて、これなら救急車にも連絡できるなと、先に進みました

が道は

Photo_4

こんな感じで、舗装してありますから、車は十分に通れます。ただ、途中、建設会社の資

材置き場みたいなのがあったり、養蜂場があったりで、途中トラックに出会ったら、少し窮

屈かな、というところ。


さて、この舗装道路は、「安德天」の墓の所まで続き、そこからは、本当に昔の街道を思わ

せる道になります。

Photo_6

「安德天」の所で、車はUターンできるように、少し広く取ってあります。ここから先は、少し

歩いて見ましたが、他の集落へと続いているみたいで、私のベンツの軽トラックならいける

かな?


話を元に戻して、まあ、行ける所までと思い歩いていると

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この石柱、右の方に、諫早史談会と彫ってありました。多分、これがなければ分からなか

ったでしょう。ここから林の中に入ったすぐの所に、ひっそりと、「二位尼」の碑がありまし

た。一番上の写真です。


「二位尼」は、昨年、NHKドラマ「平清盛」でやっておりましたが、壇ノ浦の合戦の時、安德

天皇と、神璽と宝剣を抱き入水した方です。平清盛の妻、名は時子、安德天皇の祖母に

なる方です。なお、ここの「二位尼」の森は勝手に伐ると祟りがあると言われています。


さて、ここまで来るのにゆっくり歩いて30~40分程度でしたか。近くの山からは「パン、パ

ン」と銃の音が、まさか、ゴルゴ13が練習しているわけでもなかろうし、多分、イノシシを撃

っている音でしょう。道の横を見ると、イノシシが掘った穴があちらこちらに、もし、出会って

いたら、晩飯はイノシシ鍋かな?と思いながら・・・・(本心はドキドキ)


山道は、一人では絶体来ない事。イノシシと出会ったら、もう一人の方を、突き飛ばして転

ばかし、自分はサッサと逃げる事ですね。


さて、今まで「安德天皇」と書かずに「安德天」と書いて来ましたが、その理由は次回に。


(参考:「諫早を歩く~山口八郎著」「島原藩主 長崎監視の道」「諫早の文化財」)


梅の花も、ポチポチと咲いてきました。でも、明日は雪の予報。ポチ降るくらいなら良いの

ですが・・・・寒さが身にしむ老いの身・・・・カミサンは冷たいし・・・・・・

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2013年2月 5日 (火)

平成24年度長崎県カーネンション品評会一般公開~長崎県諫早市役所ロビーにて

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諫早図書館に本を借りい行ったついでに、お隣の市役所ロビーで開かれている、カーネン

ション品評会の一般公開があっていたので、ちょっとのぞきに。

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カーネンションって、赤か白かくらいかと思っていたら、まあ、いろいろあるんですね、

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端っこの方に、「フラワーバレンタイン」の宣伝が。


2月14日は「フラワーバレンタイン」と書いてあるではありませんか。バレンタインデーとい

えば、女性から男性にチョコレートなどを贈る日。それを、花を贈れとは、何事ぞ。しかも、

ホワイトディーには、2倍返し、3倍返しとか・・・・


でも、調べて見ると、外国ではメッセージカードを交換したり、男性から女性に、花を贈る

のが普通だそうですから、あまり怒る事も無いか。日本も段々、西洋化していると思えば。

まあ、花でも見て、心を落ち着けて・・・

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この品評会、長崎県花き振興協議会カーネンション部会が主催になっていました。出品者

予定点数100点、出品予定者33戸。カーネンション部員が生産したものだそうです。


長崎県では、平成23年の産出額8億円、19400千本が出荷されているそうで、日本で6

番目の栽培面積を誇っているそうです。


さて、カーネンションといえば、母の日、5月の第2日曜日ですが、父の日は、いつなんでし

ょう?すぐに、答えきれますか?


母の日は、色々歴史があるようですが、ウィキペディアによれば、「日頃の母の苦労を労

り、母への感謝を祝う日。」となっていますが、父も苦労しているんですよ。感謝して欲しい

ですね。父の日の花は何でしょう?プレゼントくらいしてもいいではありませんか。


日本の父よ立ち上がろう。と、言っても無理でしょう。うちも、バレンタインデーも父の日も、

カミサンからも娘からも、なにも貰ったことはありませんから・・・


追伸:一般公開は今日まででした。明日行ってもなにもありません。


ポチとでも良いから、何か貰えないかな・・・

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2013年2月 4日 (月)

頭が痛い!

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頭が痛いといっても、病気ではありません。このたび、30年ほど使っていたCDプレーヤー

とアンプを処分したため、何に替えようかと頭が痛い。


スピーカーは、以前、タンノイの大型を使っていたのですが、カミサンから、いつも「邪魔。」

といわれ、「ついでにあんたも邪魔。」、なんていわれ続けて30数年、3年ほど前、仕事を

やめたのを機会に処分。


音楽なしでは暮らせない男だし、CD、LP合わせて1,000枚以上もっているし、(計算して

みたら、一枚2,000円としても、1,000×2,000=2,000,000円。といっても、10

代の頃から集めたもの。これだけもっていても、繰り返して聞くのは10分の1程度。よく、1

万枚もっているという方もいますが、同じようなでしょう。)


3年前に買ったのが、DYNAUDIOというデンマーク製の小型スピーカー。福岡の吉○○と

いう有名な、オーディオショップがお薦めしていたので、調べてると、このDYNAUDIOの社

長さんのPRの文章に、以前にも書きましたが、「デンマーク人嘘つかない、でも間違いはあ

る。」という言葉が気にいって、福岡まで試聴にに行って買ってきたもの。


さて、本来は試聴して買うのが良いのでしょうが、なにせ、長崎といえばオーディオショップ

の絶滅種(種ではなく、もはや絶滅か?以前は良い所もあったのですが・・・)ともいえる地

域、まして、島原半島にはそんな気のきいた店はなし。あっても、家電品店の、ペラペラし

た音のミニコンポばかり、といって、福岡まで出かける気力もなし。


本で、選ぶ事にしましたが、少し良いのは、何百万。スピーカーコードも1m○万円。まあ、

こんなので聞くなら、オーディルームでも増築するか。洗濯ものが、ひらひらする部屋には

似合わないだろうし、洗濯物が、ひらひらした中で、バッハでも無かろうと思い、中級品程

度を捜しているところです。


しかし、考えると、今より劣っていたオーディオで、「モーツアルト」を書いた小林秀雄もいる

し。要は音でなく、音楽を聴く事が大事だと思いながら、ここ数日、機種選定に悩んでいる

のですが、本当に頭が痛い。


もうポチとお金があったらな~

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2013年2月 3日 (日)

この一曲★手のひらを太陽に~第6回雲仙市民音楽祭より

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島原半島の西北部、合併した7ヶ町が集まって始まった、雲仙市民音楽祭。もう6回目を迎

える事になりました。


まあ、去年と一緒の出演者かなと思って行ったら、今年は意外と新しい団体が出演を・・

私も、テノール独唱で、シューマンの冬の旅から、二曲ほど唄う予定でしたが、インフルエ

ンザのため残念。(本気にしない!)


吾妻町の「和魂(太鼓)」に、愛野町の「沖縄三線硫旺会」。確か、今年初めてだったかな?

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千々石の「宇希愛(うきあ)」。たしか、某釣具屋さんの娘さんだったかな。小浜の「藤本流

三味線浜藤会」のおばちゃん方。失礼、熟女の方々。

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私が住んでいる、千々石の、「千々石ファミリーコーラス」の方々。地元の贔屓で大きい写

真を。できて、もう30年以上もたっています。昔は、皆可愛かった。(失言 m(_ _)m すみま

せん。今も、可愛いですよ。後ろ姿は。)

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南串山の「ムジカ・アコード」。弦楽合奏は、あまり期待していなかったのですが、意外や意

外。国見の「Fill in(フィル イン)」。子どもたちと一緒に、昔の遊びをしながら合唱。なかな

か工夫があって良かったですね。

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瑞穂の「津軽三味線愛好会」。なかなかの腕前。吾妻の方の女性独唱。声を聞いただけ

で、本格的な訓練を受けた事が分かります。このような方とは、一緒にカラオケには行かな

い事。

以前、音大の声楽出身の方を交え、数名でカラオケに行ったら、この方の唄の凄い事。あ

と、皆、シュンとして誰も歌えませんでした。

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愛野の「コール愛」。どこの町にもコーラスがありますが、どこも特徴があって面白いです

ね。南串山の「ギターどん弾こ会」。どん引きするほど、ヘタではありませんでした。

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この方は上手かった。多分どこかでやっていたのでは?国見の方のギターと歌でしたが、

ビックリした。小浜の「日本民謡協会島原うがわ会」。鵜川さんは、あちらこちらで指導をお

られ、日本民謡では有名な方です。

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愛野の「愛野小合唱クラブ」。私も、中学校の時、先生に引っ張られ、一時合唱部に所属し

ていたので、懐かしく・・・・これは本当。

7ヶ町の代表者の方が集まって、「レインボーハーモニー」。7ヶ町の集まりだから、虹の七

色に合わせて、「レインボー」だったかな?

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最後に、一番上の写真のように全員で、「手のひらに太陽に」を合唱。


この曲、良いですね。とくに、日本人は外国と比べ、自分に自信をなくしている人が多いそ

うですから、この歌、歌って元気出しましょう。(長いので一番だけ)



「手のひらに太陽を」


ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ

ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかに流れる ぼくの血潮

ミミズだって オケラだって アメンボだって

みんな みんな 生きているんだ 友だちなんだ

(作詞:やなせたかし  作曲;いずみたく)


そういえば、この間書いた「アンパンマンの歌」の作詞も、やなせたかしさんでしたね。


田舎なれども、ポチ、ポチと楽しい音楽会でした。

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2013年2月 2日 (土)

江東寺②松倉重政と板倉重昌の墓~長崎県島原市

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               (Googleマップより)

昨日は、涅槃像を紹介しましたが、この左側に松倉重政と板倉重昌の墓があります。

長崎県以外の方には、分かりにくいので少し、くどい説明を。


島原半島は、有馬氏の領地で、赤の四角がその居城「日野江城」ですが、もう一つ、黄色

の四角が日野江城の支城の「原城」。この間に、一里近くの橋が架けられたという話も残っ

ていて、「からはし」の名前が残っているそうです。緑の四角が「島原城」があるところ。


有馬氏はキリシタン大名有馬晴信の時代に、岡大八事件(各自調べてね)に巻き込まれ、

甲斐国鹿野に追放、慶長17年、死を賜ります。このとき、切腹は自殺になるので、キリシタ

ンの自分は切腹できないという事で、首をはねさせたとの話がありますが、確たる資料は

残っていないとの話です。


それから、多少、話はありますが、長くなるので、省略。


その後、元和二年(三年説も有り)、大和五条城主松倉豊後守重政が、ここの領主になっ

たのですが、最初は日野江城に入りますが、その後島原の「浜の城」、(現在の霊丘公民

館近くの公園の一角に、記念碑があります。もちろん城を偲ばせるものは何もありませ

ん。寛政四年の大地震で眉山が崩れ、ここら一帯は埋もれてしまったといいます。)に入城

します。


元和四年、島原城(昔は森岳城と呼ばれていました。)に着手。その築城の時、日野江城、

原城の石垣を運んで作ったという話です。


新しく城を作った理由として、林銑吉氏の「島原半島史」によると、 ㈠ 徳川幕府が一国城

の制をしいたこと。 ㈡ 日野江城を中心として有馬地方はキリシタンの巣窟であったこ

と。 ㈢ 治城、交通の利便性  ㈣ 呂宋(ルソン)を攻略する遠望があった事。(これにつ

いては話が長引くので今日は省略)  ㈤ 松倉重政は築城に造詣が深く、理想の城を築

造したかった、との理由が考えられるそうです。


この頃、キリシタン禁教令がありましたが、重政は最初は寛大であったそうですが、寛永二

年、参勤の折、将軍家光から、この事に対し叱責され、それから弾圧が厳しくなったそう

で、水責め、火あぶり、烙印、指切り、穴つるし、硫黄攻め、針刺し責め、木馬責め、竹鋸

引き、子責め、温泉地獄責め、斬首、磔等、残忍を極めたそうです。


寛永七年、重政は小浜で死去しますが(これにも、暗殺等の話があって、これも今日は省

略。)重政は「勇武豪宕の資であって良く家臣士卒を撫育したので、綱紀緩まず、領民には

峻厳の中にも呻吟しながらも、乗ずべき間隙がなかった。」といいます。


その子、勝家が家督を継ぎますが、性愚鈍であったそうで、民に厳しく、原城の乱を起こす

原因となります。(どこかの本に、日本で二番目のバカ殿様と書いてありました。真実は知

りません。)


さて、江東寺ですが、北有村田平に開山。重政が島原に築城するに伴い、島原城下今村

に移転し、松倉城主の菩提寺になったそうです。


寛政四年雲仙岳の噴火、眉山の崩壊で寺も埋没したそうですが、25年をかけ浄財を集め

再建したそうです。

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重政の墓ですが、寛政の大震災によって流失したものを、当寺の実言和尚が文政11年に

再建したものですが、右側に半分欠けた墓石が最初の墓で、災害復旧工事中に掘り出さ

れたものだそうです。(写真撮るの忘れました。すみません。)


この墓の左に板倉重昌の墓があります。板倉重昌は、原城の乱の時、最初の総大将とし

て、討ち死にをしています。板倉重昌の派遣に関しては、大久保彦左とか、柳生但馬守宗

矩がからんでくる話もあるので、またいつか。

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寛永15年に寺の中に立てられたそうですが、これも、寛政の震災で埋もれて行方不明

に。


島原藩にいた三河の板倉家の血縁、家老の板倉勝彪(かつたけ)に再建を依頼し、文化

14年に正面の墓を立てたそうですが、古町の別当中村家で、井戸を掘っていたところ、地

中から、流失した墓が発見されたそうです。向かって右側の少し小さめの墓です。


知っていて見るのと、知らないで見るのとは、はやり違いますね。これだけ知っていると、

見るときに興味が湧いてくるでしょう。もっとも、ほとんど説明版に書いてある事なのですが

ね  。


「松倉重政(しげまさ)」、「板倉重昌(しげまさ)」。名前も何となく似ているし、「島原の乱」

「寛政の大震災」両方とも関係があるし、その墓が並んでいるとことは興味深いですね。

                                      (江東寺編 おしまい)


(参考・文引用:「島原半島史~林銑吉著」 各説明版より)


今日は暖かく、お散歩していたら、梅の花がポチと咲いていました。

もうすぐ春~ですね。ポチッと気取ってみませんか。

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2013年2月 1日 (金)

江東寺①涅槃像~長崎県島原市

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今日は、島原の病院通い、ふと思い出して、「涅槃(ねはん)像」を見に。

島原に、「江東寺」というお寺があり、最近は、このお寺にある「涅槃像」を見に、観光客の

方も訪れているみたいです。


全長8m、高さ2m、鉄筋コンクリート造り涅槃像としては、日本最大のものだそうです。作

者は仏師として有名な、福崎日精氏だそうです。

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「涅槃」とは、辞書によれば、釈尊がすべての煩悩を無くし、高い悟りの境地に達し死んだ

こととなっています。(新明解国語事典)


亡くなるときは、頭を北にして、西の方を向いてそうですが、これが現在も「北枕」として、残

っています。西を向いていたので、浄土は西の方にあり、「西方浄土」という話も聞いた事

があります。


さて、ある学者が言っていた事ですが、この姿勢で寝るのが、一番体に良いとか。よく、北

枕で寝るのは縁起が悪いと避けますが、地球の磁力線は北極から南極に向かっているの

で、北を頭にして寝た方が体の道理に合っているとか。また、この姿勢で寝ると、心臓は上

の方になり、負担がかからないとか。お試しを・・・・


正面からだけ見た方には分からないでしょうが、一番上の写真、足の裏を見ると、なにやら

複雑な文様が彫ってあります。


「仏足石」といって、お釈迦様の足跡を石に刻み信仰の対象にしたそうですが・・・・

文様の一つ一つに意味があるみたいで、真ん中丸いのが「千輻輪相」、親指の下が「金剛

杵相」、魚みたいなのが「双魚相」。それぞれに意味があるそうです。ネットで流れています

から、各自学習を。「涅槃像」を見に来られたら、是非、足裏の方もご覧を。


さて、この横に、島原城を作った松倉重政と、島原の乱で総大将を務めた板倉重昌の墓が

ありますが、それは又明日。

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今日は雨が降って、猫さんもゆっくりと雨宿りでした。


私も、自分の足裏を見てみたら、ポチ臭かった。  

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