嶋原街道の一里塚①★唐比一里塚・木秀一里塚~長崎県諫早市
一里塚といえば、皆さんご存じの通り、街道に旅の目印として、一里(約3.92㎞)ごとに、
目印をつけたものです。塚の側に、榎の木を植えたり、標識を立てていたそうです。
話は変わりますが、島原藩は高力隆長が仙台に配流されたのち、寛文9年に丹波福知城
主松平氏が島原藩主として配されます。これに関しては、林銑吉著島原半島史に、「徳川
幕府の政策として諸侯を封ずるに親藩譜代外様を適当に配し・・・・特に忠房(注:島原藩
主松平忠房)を島原に配して長崎の監視を命じ・・・それで、忠房は参覲前又帰国、及び阿
蘭陀船入国時のとき、出帆の時必ず長崎を巡視して、直接其の詳細を将軍に報告したも
のである。」
と書いてあり、島原藩主二代目松平忠雄に至っては、38年間の間に50回余になるそうで
す(島原藩主・長崎監視道)。
さて、島原から長崎まで領主が使った道は、二本ばかりあるそうですが、この街道も使って
います。
この嶋原街道には一里塚は二カ所しか残っていないそうで、あまり家から遠くではないよう
なので、お出かけを。といっても、昔の街道は荒れているところがありますから、特に、イノ
シシ対策に愛用の槍を持って・・・
行ってみたら、国道251号線のすぐ上
黄色の線が唐比温泉センターへの道、一里塚は赤い矢印の方(ここまでは車で行けま
す)。青い丸印あたりに、一里塚がありました。
車道に、「嶋原街道、森に入り200メートル」と書いてあったので、森に入っていくと、落ち
葉は積もっていましたが、あっけないくらいの良い道。以前、ボランティアの方で整備したと
の話も聞きましたが・・・しばらく行くと、最初の写真のように、標識まで立っていました。多
分、これが無かったら分からなかったと思います。
時代劇で見る一里塚が、こんな所にあるとは夢にも思いませんでした。いつも書いている
ように、自分の住んでいるところなど、もう一度、良く見て行く必要がありますね。
多分、この道を勝海舟、坂本龍馬も通ったのでしょう。しばし、歴史の夢に浸っておりまし
た。
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