愛宕社★鳥居・愛宕社宝殿・三重塔②~諫早市
昨日の続きです。階段を登っていくと、上の方が、広場になっており、三重塔と、愛宕社宝
殿が建ててあります。
永禄六年(1563)に西郷純堯(すみたか)の時代遡るそうですが、最初は木造で、台風で
よく壊れたといいます。享和元年(1801)に、石造りになったそうです。
この頃、大村の大村純忠(キリシタン大名)を、武雄(佐賀県)の後藤貴明、平戸の松浦
氏、キリシタン嫌いの西郷氏が大村を攻めますが、大村氏は兄の有馬義貞に応援を頼ん
で、戦っています。
この、愛宕社は、京都の愛宕権現を勧請したものだそうですが、愛宕信仰は武の神様、鎮
火、防火の神として信仰されており、戦いの武運長久を祈って建てたものでしょう。
三重の塔です。四角の所に文字が彫ってあります。
「仁王経千部 讀誦 並 一部一字一石塔」と読めました(説明版にも書いてありますが)。
施主は百武与次兵衛昌芳という人だそうです。「仁王経」は護国の教典として尊重され、
国家安泰、五穀豊穣を祈念して建立されたと思われるそうです。
なお、この三重塔は下の理由によって、再建されたものですが、それに先立ち、基壇部を
調査したところ、多数の河原石(一つの石に一字づつ経文の字が書いてあります。一字
一石経といわれる。)と、祭祀に使われたと思われる、小皿2枚と、12枚の銭貨が出土した
そうです。
(説明看板より撮影)
さて、ここにはもう一つ話があり、幕末の頃、罪を得た武士が、この石殿内で切腹をしたそ
うですが、そのため、血で汚されたという事で、壊され、石垣に落とし込んであったそうで
す。
昭和59年、諫早史談会が引き上げて、昭和60年、ライオンズクラブが創立30周年記念
事業として愛宕社宝殿、三重塔を復元し、市の文化財になったそうです。 (終了)
(参考・文引用:「説明版」「諫早を歩く~山口八郎著」「諫早市の文化財~諫早市教育委員
会著)
今日はお寺に行ってお説教を聞いてきました。ポクポクポク。ではなく、ポチポチにしてね。
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