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2013年1月12日 (土)

愛宕社★鳥居・愛宕社宝殿・三重塔②~諫早市

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昨日の続きです。階段を登っていくと、上の方が、広場になっており、三重塔と、愛宕社宝

殿が建ててあります。

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愛宕社宝殿は、思ったより大きく、立派なものでした。


永禄六年(1563)に西郷純堯(すみたか)の時代遡るそうですが、最初は木造で、台風で

よく壊れたといいます。享和元年(1801)に、石造りになったそうです。


この頃、大村の大村純忠(キリシタン大名)を、武雄(佐賀県)の後藤貴明、平戸の松浦

氏、キリシタン嫌いの西郷氏が大村を攻めますが、大村氏は兄の有馬義貞に応援を頼ん

で、戦っています。


この、愛宕社は、京都の愛宕権現を勧請したものだそうですが、愛宕信仰は武の神様、鎮

火、防火の神として信仰されており、戦いの武運長久を祈って建てたものでしょう。


三重の塔です。四角の所に文字が彫ってあります。

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「仁王経千部 讀誦 並 一部一字一石塔」と読めました(説明版にも書いてありますが)。


施主は百武与次兵衛昌芳という人だそうです。「仁王経」は護国の教典として尊重され、

国家安泰、五穀豊穣を祈念して建立されたと思われるそうです。


なお、この三重塔は下の理由によって、再建されたものですが、それに先立ち、基壇部を

調査したところ、多数の河原石(一つの石に一字づつ経文の字が書いてあります。一字

一石経といわれる。)と、祭祀に使われたと思われる、小皿2枚と、12枚の銭貨が出土した

そうです。

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              (説明看板より撮影)

さて、ここにはもう一つ話があり、幕末の頃、罪を得た武士が、この石殿内で切腹をしたそ

うですが、そのため、血で汚されたという事で、壊され、石垣に落とし込んであったそうで

す。


昭和59年、諫早史談会が引き上げて、昭和60年、ライオンズクラブが創立30周年記念

事業として愛宕社宝殿、三重塔を復元し、市の文化財になったそうです。  (終了) 

(参考・文引用:「説明版」「諫早を歩く~山口八郎著」「諫早市の文化財~諫早市教育委員

会著)


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