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2012年2月26日 - 2012年3月3日

2012年3月 3日 (土)

雲仙・絹笠山~かくれキリシタン像(?) その2 (雲仙市小浜町雲仙)

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さて、昨日の続きです。山を下りながら、どうしようかと考えたのですが、好奇心の方が勝

って、まあ行くところまで行ってみようと。

あまり道が分からないのですが、ブログ「三鈷の松」によると、林の中に岩があり、その左

下を抜けると道がある。多分この石かなと思い左に回ってみると。

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意外に良い山道が続いています。

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歩くこと15分~20分程度。道に迷うことはありません。多少のアップダウンはあっても、山

の中腹を横切って行く道ですから、そんなにきついこともありません。

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やっとありました。意外に少し広い広場になっています。荒れてはいますが、手水鉢も。

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後で言われたのですが、手水鉢がハート型になってなかったかどうか?残念ながら、写真

でははっきりと確認できません。

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古びたワンカップの酒のコップ等もあり、時折訪れる人もあるような感じ。

一番上の写真がその像ですが、キリシタン像と判断されたのは足元に彫ってあるのが蟹

だからです。

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キリスト教にはいろんな象徴があり、キリスト教の絵画を見ると、そのどこかに象徴が描い

て書いてあります。羊とか、魚等々ですね。

たとえば、羊は迷える羊の話、ルカ福音書、マタ福音書等に書いてあり、魚の話も種々の

福音書の中に出てきており、キリスト自身のシンボルです。

さて、帰って「キリスト教のシンボル事典}を調べても蟹は載ってない。もう一度、ブログの

三鈷の松を調べると載ってました。さらに調べると、「ありあけの歴史と風土 第20号」に

吉田安弘氏の「金比羅の有翼天使像とおめき村の掟」に、この中にこの像のことも書いて

ありました。結城了吾氏(元26聖人館長)の本にも蟹のことが。

Photo_4

要するに聖書ではなく、フランシスコ・ザビエルの話でした。

ファウスト・ロドリゲス(神父?)が伝えたそうですが、舟で海を渡っているとき嵐にあい、そ

の時、き、ザビエルが紐に繋いだ十字架を海にひたし無事を祈っているとき、紐が切れ海

に沈んでいったそうです。ところが、浜辺についたところ、はさみに十字架を挟んだ蟹が海

から出てきたそうです。


この話、聖人伝説かなと思っていたら、歴史家の間にも議論があり、マドリッドの宮殿に保

管されている十字架がファウスト・ロドリゲスの説明とピッタリ合っているそうです。

「鹿児島カテドラルザビエル記念聖堂」の鐘にも蟹が彫ってあるそうです。


とにかく、他にも隠れ切支丹像として蟹が彫ってあるのがあるようです。皆さんも、島原半

島の神社等に行ったとき、蟹とか魚とか彫っていないか見てください。ひょっとしたら・・・


さて、しばらくこの像を見ていたのですがふと疑念が。

下の台座に建立者の名前が書いてありますが、「小浜町 雲仙公(不明) 栗原(不明)

 同(不明)  同(不明)」となっているのですが、引っかかるのが「小浜町」の文字。


小浜村が町制施行で小浜町になったのが大正13年。キリスト禁止が、明治政府により取

りやめになるのが明治6年。公式に認められるのが明治32年「神仏道以外の宣教布並堂

宇会堂に関する規定」。


「小浜町」と彫ってあるなら少なくとも、大正13年以降に作られたもの。それなら、何もこん

な山の中、しかも仏像に偽装して作る必要もないのだが。

例によって「雲仙お山の情報館」によって聞いたところ、詳しくは変わらないが、古くはない

ものだということ。また、書かれている名前は雲仙の人であり、子孫はいないが、雲仙で唯

一の信者だったとか。


先祖の供養か、まだ、大正、昭和初期の時代、この地域でキリスト教徒と言うのが、はば

かられたので、あのような像を造ったのか?隠れ切支丹だったのか?

三鈷の松にも「足元に蟹が彫ってありキリシタン信仰(隠れキリシタン?)の証だと云われ

ています。」と書かれていますが・・・


切支丹遺物には間違いないが、事実は闇の中。あとは、想像、推理するのみか。

見にいくときは、出来れば数人で行った方が良いでしょう。

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帰りは久しぶりに「六兵衛茶屋」へ。ここの裏が紅葉で有名になっている「三十路苑」です。

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冷えた体に「ろくべえ」はおいしかった。

※「ろくべえ」はサツマイモを干し、保存しておいて粉にし、水を混ぜ、下ろしがねの大きな

ようなもので押し出しだし、茹でてて食べるもの。

■参考:情報提供

・雲仙お山の情報館

・結城了吾著「ザビエル」

・「キリスト教シンボル事典」

・「ありあけの歴史と郷土第20号」吉田安弘氏「金比羅神社の有翼天使像とおめき村の

 掟」

・ブログ「三鈷の松」


2012年3月 2日 (金)

雲仙・絹笠山~かくれキリシタン像(?) その1(雲仙市小浜町雲仙)

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2月9日、十数年ぶりに絹笠山に登ってきました。

寒いし、心臓病はあるし、どうしようかと思ったのですが、絹笠山は849Mの山。昔、雲仙

に外国人が多く遊びに来たとき、夕日の素晴らしさにサンセットヒルという名前をつけたハ

イキングコース。以前登ったときもたいしたことはなく、天候も良かったで出発進行。なに

せハイキングコース。


今度登る気になったのは、三鈷の松という雲仙の知られざる所を紹介したブログがあり、

その中に、「絹笠山の隠れキリシタン像」という記事と、「島原半島のキリシタン文化~かく

れ切支丹の遺物と遺跡」という本に絹笠山の「金比羅山社の聖なる蟹」という写真が載っ

ており、見ておきたかったのですが、実際見てくると疑問に思う事があり、ここしばらく考え

ていたのですが、やはり謎が残るまま、まあ、専門家でもないし気楽に書いてみましょう。


話が長くなるので、絹笠山登山とキリシタン像の2回に分けて書きます。

絹笠山に登るには、白雲の池と、温泉街から登る道、2つあるのですが、白雲の池から登

りました。寒いせいか、池の岸は薄く凍っていましたが、レッツゴー。

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入り口です。登山者の数をカウンターする機械が。「一列になって歩いてください」と書いて

あったので、一人で一列になって3~4回ぐるぐる回ってみました。(冗談ですよcoldsweats01

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霜柱と昨夜少し雪が降ったのか、誰も通っていない道を一人サクサクと。山頂まで道は

完備していますから、ゆっくり歩けば子供でも登れるでしょう。

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途中休憩所がありますが、ここらあたりから、林に入っていけばキリシタン像があるはず

なのですが・・・

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こんな所を行くのかと思うとちょっと腰が引きました。道がよく分からない。どうするか、

とにかく頂上までいってゆっくり考えることに。

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山の中で標識を見るとほっとします。とくに右の山頂0.3KMを見るとあと少し、何しろ学校

の運動場の400Mトラックより短いのですから、と思ったのが甘かった。やはり、平地と山

では違いますね。ここからは、ちときつかった。

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山頂です。以前はがっちりしたコンクリート建ての測候所があったのですが・・・良く運動会

などで天候が心配なときは、ここに電話をして、聞いたのですが。


看板に説明が書いてありましたが、大正 11年に島原半島西部を震源とする地震で27名

が死亡。これにより、災害に対する意識が高まり、大正13年に県立温泉岳測候所が設

立、絹笠山に測候所庁舎が建てられ、昭和14年に国に移管され、昭和44年に雲仙岳測

候所と名称を変更したそうです。

そして、昭和52年アメダス観測所に移行したそうです。意外と歴史があったのですね。

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アメダスでしょう。看板には「雲仙岳特別地区気象観測所」とありました。

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良い眺めですね。国見岳、妙見岳、平成新山などがはっきり見えます。下の方にゴルフ場

と温泉街。

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左手の海が橘湾。反対側、右手の海が干拓問題でゆれている有明海。夕日はこの写真

から少し左手の方に沈みます。綺麗でしょうね、二人で手でも繋いで見ると。lovely

さて、明日はキリシタン像の所へ。(続く)

(参考:各説明版より)



2012年3月 1日 (木)

長崎と西郷四郎~長崎歴史文化博物館「孫文・梅屋庄吉と長崎」展にて

1

今日は諫早の病院で定期検査。前立腺のなんとかかんとかの値が上がっているので、来

週は病院での楽しいお泊まり検査。看護師さんは、かみさんと違って優しくていいし。ガミ

ガミ言われなくてすむし。でも、近頃は男の看護師さんも増えて来ているし・・・看護師さん

の指名制度ってありませんかね。キャバレーみたいに。


予定より早く終わったので、長崎の漢方医さんの所へ。ところが、今日は休診。木曜日は

休みだって分かってたはずなのに馬鹿だなと反省。


時間があったので、昼サロへと思ったのですが、アルコールはドクターストップ、金はない

し真面目に資料を捜しに長崎歴史文化博物館へ。


しっとりと雨で濡れている風情も良いですね。団体客も来てなかったし、平日だし静かなも

のでした。あ~あ長崎は今日も雨だった。

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御白州。意外と狭いですね。遠山金さんは今日は代休だとか。

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さて、「孫文・梅屋庄吉と長崎」展をやっていたので、せっかくだから見ていきました。

受付の人、サボっているのではありません。私の写真の邪魔になるので横にどいたので

すが、一緒に写ってしまいました。

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なかに、一番上の写真の孫文の大きな像が。これだけは撮影して良いと書いてありました

ので、写真を撮って、主な人物の名前が横にが書いてあったので見ると。

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なんと「西郷四郎」の名が。講道館の四天王言われ、「姿三四郎」のモデルと言われた。

しかも肩書きは「東洋日の出新聞社」になっています。これ、ほんまかいなと思って、監視

している館員の可愛いお姉さん(多分臨時かアルバイトか?)を呼んで、「これ、あの西郷

四郎」と聞いたのですが、「分からないと」ということ。たぶん、「西郷四郎」の名前も知らな

いのでしょう。

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白線の四角で囲んだ人物です。帰って調べてみると、やはりその通りでした。ウィキペディ

アによると、講道館の師範代になり加納治五郎が洋行した折、講道館を出奔、大陸浪人

と言われた宮崎滔天と共に大陸運動に身を投じ(ここらまでは知っていたのですが)、19

02年鈴木天眼が長崎で「東洋日の出新聞」を刊行すると、同新聞の編集長を務め、長崎

で柔道、弓道を教え、長崎遊泳協会の設立に関わり、同協会の監査として日本泳法を指

導したそうです。

長崎の遊泳協会と言えば、古式泳法の小堀流。長崎市の方はねずみ島を思い出すでしょ

う。


この西郷四郎の物語は長崎遊泳協会のホームページ、「資料室」の「新聞記事」の中の

「姿三四郎を追って」(朝日新聞・福島版だそうですが)に詳しく書いてあります。「革命以

前に孫文はここにあった日の出新聞の土蔵にかくまわれていた。・・・」なんて書いてありま

す。面白いこと請け合いです。

病気を得て病気療養中の広島県尾道が終焉の地になったそうです。


西郷四郎については、我が尊敬する、夢枕獏先生の「東天の獅子」と読み比べれば、もっ

と面白くなると思います。企画展は3月25日までだそうですから、興味ある方は行って見

てください。


知りませんでした。西郷四郎が長崎と孫文と関係があるなんて。勉強不足でした。

反省をこめて、博物館付属のレストランへ食事をしに。

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例によって、一番豪華で一番安い銀嶺ランチを。もちろんお一人様ランチです。

外を見れば曇りガラス。「曇りガラスを手で拭けば」なんて歌がありましたが、拭いても先

の見えない人生。ああ、悲しき我が心、ですか。

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帰りは、こんなのも売店で売っていたので孫への土産に。

しっつこいけど、知らなかったな。



2012年2月29日 (水)

しあわせの書/泡坂妻夫~彼女(彼)の心をつかめ

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本棚を整理していたら、ひょっこりでてきました。

泡坂妻夫、本当は泡の「己」は「巳」なのですが。

1990年に直木賞を受賞しましたが、1975年に幻影新人賞佳作、1978年に日本推理

作家協会賞、1982年角川小説賞受賞、1988年泉鏡花賞を受賞しています。

家業は、紋章上絵師という珍しい職業の家系に産まれ、絵師として働く傍ら小説を書いて

いました。また、奇術師としても有名であり、1968年に石田天海(有名な奇術師)賞を受

賞。2009年没。


この本は、ただの小説でなく、奇術のトリックを使った本です。まあ、よくこの本を作ったも

のだと感心しましたが、私も、一時印刷業で飯を食っていたものですから、作者も大変な

ら、印刷業者も大変だったでしょう。

といっても、何のことか分からないと思いますが、某ブログでこのトリックを暴露しています

が、ルール違反ですね。図書館で借りてきた推理小説の初めの1ページ目に犯人の名前

を大きくマジックインクで書いているようなもので、本当に世の中馬鹿がいます。


トリックについてはここでは明かしません。著者も前書きに書いています。『読者の幸せの

ためにー未読の人に「幸せの書」の秘密を明かさないでください』


さて、同じ材料で料理の仕方がまったく変わるように、この本を使って、婚活中の方、利用

できますよ。もちろん男性も女性も。今回は男性の立場で書きます。


実は小説の内容は忘れたのですが、この本の適当な頁を開き、また相手にページ数を言

わせても良いし、本に書いているようにペーパーナイフを差し込んでも良いし、そこの頁の

最初の文字(2~3文字)を覚えてもらい、それを当てるというものです。ピッタリと当たりま

す。2~3回練習すれば、ド素人の方にでも。


最初こう切り出します。

「にんげん強烈なものを見たり、一所懸命見つめるとそれが網膜にしばらくの間、焼き付く

事があるんだって。本当だと思う?そして、それが読み取れる人がいるんだって言うけど、

僕も訓練したら少しだけど、出来るようになったんだよ。試しにやってみようか。」


ここで、さりげなく「しあわせの書」をバックから取り出します。相手に本を見せ、中は見え

ないようにして、ぱらぱらとめくり、ストップと言わせます。

Dscn1546

向こうの頁は自分から見えないようにします。相手は、向こう側にいます。


『最初の1行目の最初の2~3文字だけ、一所懸命見て。あまり、目を瞬かないように、し

っかり網膜に焼き付けるように見て。さあ、大丈夫だね。

今度は僕の目をしっかり見て、瞬かないように。(例えば、「訝(いぶか)しい」という字だっ

たら)なんとなく分かるんだけどな、3文字だということは分かるな。もう少し近づいてみて。

なにか難しいのがひとつあるな。これ漢字みたい。あとは、ひらがなかな(ここらの演技は

一生懸命考えるように)?もう少し、近づいて、僕の目をもっとしっかり見て。

下の二文字は上は「し」は分かるな、次は縦線が二本みたいだから「い」だ。上の文字が

分からないな。

もう少し近づいてみて。あっ、左は「言」だ。右が分からない、悪いけどもう少し近づいて。』

この頃になると、二人の間は、まつげが触れるばかり。

『もっと良く僕の目を見て、あっ、「牙」だ「言」と「牙」で「訝」。わかった、「訝しい」だ。違

う?」もちろんピッタリ合っています。

二人の間も唇が触れる間隔に。あとは、あなたの腕次第。さあ、この本すぐに買うべし。も

ちろん、トリックの種も書いてあります。


ただ、注意すること。トリックは絶体に明かさないこと。あなたの神秘性が失われます。2

回はしないこと。これ、マジックの基本です。「これやるとね、精神的につかれるからパワ

ーが戻るまで時間がかかるんだ、明日まで一緒にいてくれるなら、また、見せるよ。」とで

も誤魔化してください。

私?長崎から東京まで行って、3日間缶詰で催眠術を習ってきましたから、こちらを使い

ます。



2012年2月28日 (火)

すわ日野江城へ~南島原市北有馬町

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先日、「有家町史談会 嶽南風土記」のブログをを見ていると、日野江城の周囲を整備し

ていると、なにか出てきたとか。 教育委員会の文化財の方に訪ねると、不耕作の畑、又、

所有者不明の土地を市が買い上げ、竹藪になっているところを切り開いたら上の写真の

墓が出てきたとのこと。

なお、近所の方はこの事は知っていて、墓石には元禄の文字が読め、女性の方の墓では

ないかとの話でしたが、何となく右側に建っている像が気になったので、すわ日野江城

へ。ほぼ有家町史談会の記事とダブルのですが。

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昔はなかったのですが、セミナリヨ跡の記念碑です。下はセミナリヨと日野江城の位置の

関係図です(クリックで拡大します)。

Dscn1342   

本丸への狭い道を行くと、尾藤碑があります。島原の乱の折、重傷を負いながらも日野江

城にもどり、名号を自然石に刻んで絶命したと言われています。ここの碑の少し下の方に

あります。昔は、竹藪だったのですが、綺麗に払ってありました。

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「元禄八□□歳(?)

月妙紅信女 霊位  

九月二十六日」と読めました。信女ですから女性の方の墓ですね。

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「宝(空)山妙林信女」ですか?年号は見当たりませんでした。下に四角の台石と見えるも

のがあり、建てられるように彫ってありましたので、下の台に建っていたのでしょう。

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「不明 歳(?) 芳身童女 霊位」でしょうか?左が墓石、右は台でしょう。

一番気になっていたのが下の像ですが、お地蔵さんのようでした。

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日野江城の築城が建保年間(1213~1219)、島原城築城に伴う廃城が元和2年(161

6年)、墓に書いてある元禄は1688~1704年。ですから、日野江城が廃城になったあ

との墓でしょうが、見た限りでは地蔵さんまで建て、一般の人の墓ではない感じを受けまし

た。このような所は町内にまだ点在しているそうですが、今後の調査でしょう。


さて、ここまで来たので、頂上まで上がって役小角(えんのおずの)へお参りを。

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説明版によれば「本祠は温泉寺満明密寺傘下の修験道信仰を表現するものとして貴重な

石祠である。」とし「この通称八天様と称する役小角祠は寛文(1661~1673)七年十二

月柘植嘉門他三氏により建立されたもので、・・・」としてありました。


ついでに、有家史談会のブログに書いてあったで佐代姫伝説の「佐代姫神社」を訪ねるこ

とに。どこにあるかと思えば、城の坂を下りきって、少し右側にありました。

看板を読むと、松浦の佐代姫伝説とは少し違っているようですが、伝説は、各地へ散らば

りいろいろ形を変えていくものでしょう。ひょっとしたら違う「佐代姫様」なのかな?

Dscn1428

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お堂内ですが、説明版に書いてあるように「男根を奉納して供養祈願すれば、世俗のあら

ゆる願望が叶えられるといわれており・・・」左の方をご覧下さい。

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小さいのから、立派なのまで、私もひとつ奉納しようかな。

2012年2月27日 (月)

ヘビがタコになる話

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海の真ん中に見える島が対馬です。福岡より韓国に近い島です。昔は6ヶ町だったのです

が、今は合併して対馬市になりました。上の方が上対馬、下の方が下対馬。30年ばかり

前、上県町に3年半ばかり住んでいました。その時、50年配の上司の人がこんな話をし

てくれました。


自分は昔、釣りが好きで手こぎ舟も持っていた。若いときミズイカ(対馬ではミズイカ釣りを

好んでいる人が多く命を落とした人もあるくらい。)を釣りに行ったとき、釣り針にかかった

ので引っ張ってみたらヘビが食いついていた。そしたら、そのヘビのあたりの海が真っ赤

になって、見る間にヘビがタコになっていた。おどろいて、釣り具も投げ捨て帰ってきた

が、あれを機会に釣りを止めた。これを経験したのは自分一人ではないが・・・

嘘をつくような人ではなく、性格も剛胆な人でしたが。


この話、しばらく忘れていたのですが 、立平進氏著「ふるさとの心象風景」を読んで見る

と、「ヘビがタコになる話」として、この話が載っていたのです。立平氏は民俗学者であり、

以前は県立美術博物館に勤めておられました。

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立平氏の本では、この話は平戸、五島あたりでも聞かれ、平戸藩主の「甲子夜話」のなか

で「蛇の蛸に変ずるは、領内の者往々見ることあり、蛇海浜に至り、尾を以て石に触れれ

ば、皮分裂し、その皮すなわち足となる。」と書かれてあり、170年前からこのような話が

語り継がれたことはたしかであり・・・・と書いておられます。


立平氏はこの話の原因として、「共同幻覚な作用が発動した可能性が考えられるというこ

とである。・・・」と記しています。

「民俗学事典」には、「社会が単純で人の素質に定まった型があり、外から攪乱する力

の加わらぬ場合には、多数が一度に同じ感動を受け、不思議な幻や音を共通に見たり聞

いたとしても少しもさしつかえない。」とし、柳田国男氏の民俗学に触れながら、吉本隆明

氏の「共同幻想論」を引用し、「山を駆けずり回ってたいへん疲労をおぼえた。この疲労は

判断力を弛緩させ、そのとき白昼夢のように山人に出遭い、あたかも現にあるかのような

光景を視させる。」・・・「山人がいるとか、人さらいがいるとか、山奥の雰囲気をおそれた

体験や言い伝えを、幼児のときでも聞いていたとすれば、猟師はたやすく山人に出遭い、

山人を銃で撃ち、山人と話を交わすという入眠幻覚をうることができるはずである。」とし、

「まったく同じ生活環境にある共同体の成員には、共有する記憶というものが認められる

のではないだろうか、といったのはまさにこのことでであった。・・・・・」と、共同幻想というこ

とで書いています。


まあ、古い人は「口裂け女」の話を覚えていると思いますが、あれもその一種だったのか

な?

しかし、何となく理解はできるが、上司の話は幻想ともおもえず、私も可愛い女が、歳を古

ると角が生えるというのも実際見ていますから(かみさんの事)。・・・地球上にはまだまだ

理解できないことがたくさんあるし。と言うことで不思議な話を思い出しました。


さて、今日はこちらも不思議な体験を。山際を歩いていると、今日は良い天気。

Dscn1317_2

少し山道に入ったのは良いのですが、山道の変なところに穴が。穴とみれば興味が湧き、

奧を見ると4メートルくらいの深さ。最初、防空壕かなと思って入ってみたのですが、まあこ

んな山の中に作るはずはないし。

Dscn1328 Dscn1318 

Dscn1325

ゴミが入り口付近に捨てられていましたが、左に続く道が、左に曲がるともう真っ暗。

カメラのシャッターだけは切ってきましたが、なにやらまだ長く続いている様子。

Dscn1319

真っ暗闇で、ここらあたりは猪が出て、奧が猪の巣になっていてはどうしようもないし、猪と

出遭って「今日は」では、済まされないし、引き返しましたが?ひょうっとしたら、天草四郎

の埋蔵金か?隠れ切支丹の聖堂か?誰が、何のために?こんな所に?近くの人の聞き

取りから始めることにしました。またのお楽しみ。








2012年2月26日 (日)

この一曲~愛の贈り物/嵯峨美子

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一時シャンソンブームがありました。イヴ・モンタン、エデイット・ピアフ、アダモ、ダミア、越

路吹雪、岸洋子、芦野宏、高英男、美輪明宏もシャンソンでデビュー、加藤登紀子もシャン

ソン出身。この嵯峨美子さんもシャンソンを中心に歌っています。

このアルバム、どうして、どこで買ったのか忘れたのですが、シルヴァスタインの「大きな

木」のことを考えていると、ふとこのアルバムに入っている「愛の贈り物」を思い出して、CD

をかけてみました。はやり大人の音楽ですね。「サンフランシフコの6枚の枯葉」など本当に

大人の雰囲気。




サンフランシスコの6枚の枯葉

前略 君は元気ですか

僕はやっと今日ついたよ

まずは送る この枯葉を

町で拾った 6枚の落ち葉

今ぼくのいるこのサンフランシスコ

枯葉の季節 あちらこちら

見歩くたび いない君に話しかけて独り言

船の中では 君のことが懐かしくて

苦しんだよ

(作詞 不明/高野圭吾 訳詞/G.WAGENHEIM  作曲/小林靖宏 編曲)


一番だけですけど。

なに?枯葉よりグッチのバックが良い?夢がありませんね。

さて、「おおきな木」で思い出した曲は



愛の贈り物

ある日 私が台所で夕食の支度をしていると

息子がやってきて私に紙切れをさしだしました

もう字を書いたり

数をかぞえたり出来るのです

わたしはエプロンを手でふくと

その紙を受け取りました

読んでみます

お部屋をかたづけてあげたこと 20円

スーパーにお使いに行ったこと 30円

この間お母さんが留守をした時

弟の面倒をみて上げたこと 45円

洗濯物を干して上げたこと 20円

洗濯物を取り込んだこと 18円

ベランダのお花に水を上げたこと15円

合計148円

私は息子をみました

彼は真剣な顔をして私をみています

いろんな事が思い出されます


私は鉛筆をとると紙を裏返してこう書きました

病気の時ずっとそばにいたのは プレゼント

子守歌を歌ったり お話をして上げたのも プレゼント

大好きなハンバークやケーキも プレゼント

それはお前が大好きだから

愛しているから 愛はすべて プレゼント

読み終わった息子の目に涙があふれていました

お母さんぼくもお母さんが大好き

そして新しい紙を取ると大きく書きました プレゼント

大好きだから 愛しているから

そう愛はすぺてプレゼント

(F.THEY 作詞/高野圭司 訳詞/嵯峨美子 補作子/H.HOWARD 作曲/小林靖宏 編曲)


何となく「おおきな木」を思い浮かべませんか。

それにしてもシャンソンは、冬の夜に聞くのが合うような感じ。これでワインでも飲めれば雰

囲気満点なのですが・・・・





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