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2012年2月5日 - 2012年2月11日

2012年2月11日 (土)

雲仙市美術展覧会(第6回)見てきました

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第6回雲仙市美術展覧会が開催。2月9日~12日(日)午後6時まで。場所は小浜町の体

育館です。本格的な美術館なんてない貧乏市ですから、体育館での開催です。


市展が良いのは、知っている方が出品していること。「この人まだ生きていたか。」とか

「お!少しはうまくなったな。」とか「書だけだと思ってたら、写真まで手を出したか、まあ、

昔から浮気性だったからな。」とかいろいろ見て歩くのは楽しいもの。


出品者は、県展の受賞者とか、審査員をされた方とか、中央での作品展で受賞された方と

か、かなりハイレベルなのもありす。

私も、図画の成績は2しか取ったことがありませんが、見るのは好きで、昔は月に2~3度

は福岡の美術館、博物館、ギャラリーを見てあるいた身。審美眼の成績があれば5だった

でしょう。


さて、上の絵はチョークの絵です。去年「チョークのある生物」が日展洋画部門で特選を取

った吾妻町出身の小野大輔さんのです。ちゃんと「チョーク絵です。触れただけで消えま

す。要注意」の注意書きが。黒い紙の上にチョークで書いてあったみたいでした。


可愛い写真ですね。

2

若い子も良いが、少し年増も良いな。てなことも思いながら・・・

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この書、外人さんのです。「祭」。千々石と書いてありましたから多分、英会話スクールを

開いている方か、学校の外人の英語指導助手さんのかな?

前衛書道なら、私の方が少しはましかな。何しろ、普通に書いても前衛で、自分でも読めな

いからな。

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光が反射して申し訳ありませんが、これを撮った方、心臓病があり、いつ死ぬか分からな

いからと言うことで、定年前に仕事を辞め、写真を撮り続けています。まだ、元気なようで

安心しました。良い写真ですね。

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下が会場ですが、私のかみさんの絵も張ってあります。どれでしょう。去年より上手になっ

ているようですが、よく見るとかなり先生の筆が入ってますね。私の審美眼はごまかせま

せん。(写真をクリックすると拡大します。)

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さて、開館時時間より少し早めに行ったので、近くをぶらぶらとしていたら、知らなかった

欲情、ではなく浴場が2つばかり。左は「長崎県まちづくり景観資産/源泉かけ流し/脇浜共

同浴場(通称 おたしゃん湯)」です。なんとも渋い感じの浴場。

右は、「上脇浴場」「部外者の入浴を固くお断りします」と書いてあったので、近くの人に聞く

と自治会で作った浴場とか。小さいながらも自治会で浴場を持っているとは、さすがに湯ど

ころ小浜町。

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帰りがけの国道で下の看板を。よく見るとあの名門、世界チャンプも出した「角海老ボクシ

ングジム(現・角海老宝石ボクシングジム)」の古びてはいますが看板が。ちゃんとJR山手

線大塚駅と書いてありますが。何でここに?わざわざ東京からここまで貼りに来たのか

な?看板の絵がノスタルジックで良いですね。

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2012年2月10日 (金)

ため池のオブジェクト~諫早市森山町上井牟田

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2~3日前の長崎のNHKのローカル放送で放映していましたね。


長崎は諫早市森山町上井牟田というところのため池に、月替わりでオブジェクトが飾られ

ます。これは1月の分、辰年ということで龍、気合いが入っていますね。

作ったのはこの地域の土曜会という10名程度の飲み仲間(私の知り合いも入っています

が、)。なにか、やってみようと始まり、もう10年以上になるかと思います。

でも、良いですね。地域のつながりが薄れいくなか、何かしてみようかという気持ちは。

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2月はバレンタインディーで「チョコレート」上の右側が少し囓られているのが何ともいえま

せん。


場所が分かりにくいので紹介を、国道251号線、長崎から愛野町まで行く途中、森山町に

入ると、地場産の物を売っている「旬屋」というのがありますから(地元の野菜なんか新鮮

で良い物を売ってますよ。バイキングもやってて1000円。時々行ってますが、なかなかで

す。)

そこから100メートルほど行くと、モーテルがありますから、そこの角を曲がって、モーテルに

は入らないで、そのまま坂を上がります。途中ゴルフ場に行く道がありますが、これも無

視。

急な狭い下り坂になりますから、注意して。坂を下れば分かれ道(県道124号線)になりま

すから、左に行ってください。すぐに分かります。


さて、NHKでもやってなかったのが。「幸せの鐘」

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左の方、滑車の所にロープがありますから、引いてください。さあ、どうなるか。

「幸せの鐘を鳴らすのはあなた。」でも、ひとりでやっても味気ないですよ。恋する二人で

鳴らすのがベストでしょう。一人でやってみたら恥ずかしかった。


これは、愛野町~島原のグリーンロードの土手に見られます。国見町です。

多分、共同で草刈りをしたときにしたものではないでしょうか。「ファイヤー♡山の上 

Unzen」と書いてあります。山の上の地区の方でしょう。

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こんな、遊び心を持ったものが、あちらこちら出てくれば世の中も楽しくなるんですがね。皆

さんの所もどうすか。





2012年2月 9日 (木)

便秘を治す81のワザ+α~小林暁子・読売新聞 大手小町編集部

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便秘で悩む女性のかた多いみたいですね。NHKの「ためしてガッテン」でもやってみたいだ

し、その他、新聞、雑誌等でよく「便秘」ってタイトルをよく見ますが。


さて、この本、読売新聞の女性サイト「大手小町」の中の「発言小町」という掲示板がありま

すが、いろんな方の相談を投稿し、それに、いろんな方が自分の経験、解決法などを回答

して行くという掲示板です。

この本は、その中でも「便秘」について寄せられた悩みの、回答を集めたものですが、それ

に専門医の解説をプラスしたものです。なお、著者の小林暁子さんは、小林メディカル新

宿御苑院長さんです。


しかし、読んでいくとすごい便秘の方もいますね。『よく「一週間でなかったら倒れた」という

人がいるのですが、私たち母娘から見たら、超軽症の人がおおいですよ。』どんな母娘さ

んでしょう。


オリーブオイル、キシリトール、本屋さん、図書館にに入ると便意をもうよおす人が多いと

いうこと。バナナ、音楽療法、腹筋、浣腸のこと、オリゴ糖、ヨーグルトに含まれる乳酸菌に

もいろいろあって、人によって合うのと合わないのとがある事、納豆、発芽玄米のことなど

81のワザが書いてあります。


わたしも、以前少し便秘気味で、2~3日に1回、30分ほどしゃがんでいた経験がありま

す。整腸剤やお医者さんから薬をもらって飲んだのですが、出るには出るが、何か残って

いるような不快感を持っていました。整腸剤はしばらくは良かったのですが・・・


今は、愛するかみさんが、ニンジンとリンゴでジュースを作り、ヨーグルトとバナナを食べて

いますが、ほぼ順調にいっています。

とにかく、この本81のワザが書いてありますから「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」で取り組ん

でみてはかがでしょう。


2012年2月 8日 (水)

「ユゴーの不思議な発明」そして「トリックものがたり」

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本屋で立ち読みして、面白そうだったので買ってみました。

腰巻きをみると、失礼、本に帯があっていろいろ宣伝が書いてありますが、あれを業界用

語で腰巻きと言います(色っぽいでしょう)。

映画化された本。腰巻きの後ろを見ると、「アメリカで最も素晴らしい絵本に贈られる賞 コ

ールデコット賞金賞受賞」と書いてありますが、全くの絵本ではありません。

すこし、変わった本で、530ページの中で、絵が続くと思ったら文章になったり、又絵が続

いたり、絵は300点あまりです。


主人公は、時計屋を経営しながら、古い博物館で、時計の手入れをしている父を持つユゴ

ーという少年。

時代は、20世紀初め。

ユゴーの父は偶然に博物館で誰も覚えていない、ほこりを被った、字を書くからくり人形

を見つけ、修理をはじめ、人形をスケッチしたノートをユゴーに贈るが、博物館が火事にあ

い、ユゴーの父も巻き込まれ死んでしまう。物語はここからいろいろ展開しますが、ユゴー

少年はからくり人形を修理し、動かしてみる。

そして、人形が書いたのがルミエール兄弟が映画を発明し、その映画初期で活躍したメリ

エスの映画の一場面の絵と、ジョルジュ・メリエスの署名。

ここで、ひとつの物語が終わるが、ここからもう一つ、ここからこのメリエスの物語が始まり

ます。もちろん、メリエスは出てきますが、フィクションの話です。

そして、この本、文章の最後のページ読んだら、「え!」と言いますよ。

さて、この本を読んで思い出したのが「からくり人形」について書いてある本。

Torikkumonogatari

この本に「チェスをする自動人形」というのが書いてあります。著者は松田道弘さん。

十八世紀末、時計技術の発達と共にゼンマイ仕掛けの自動人形が多く作られたみたいで

すが、人間と実際のチェスの試合をする人形は人々にショックを与えたそうです。

もちろんこの時代コンピューターがあるわけではなく、仕掛けはあるのですが・・・


人形を作ったハンガリー生まれの技師ケンプレは「実にくだらない何の実用価値もありま

せん。ただ大胆な思いつきと、幻想(イルージョン)を生み出す手順がうまく組み合わされた

ので、見る人の目をおどろかす効果をつくりだせたのです」と答えたそうです。


要するに、チェスのうまい人間が隠れているのですが、実演前に機械の中を全部見せてし

まうというやり方がうまかったのでしょう。今でも、マジックの前に箱の中を全部見せて、人

間やライオンを出すということをしますが、同じような事だったのでしょう。

ただし、学者たちには論議があったそうです。ユリーゲラーの手品と同じですね。

マリア・テレジア、ナポレオン、ベンジャミン・フランクリンも、フレッド大王、英国のジョージ4

世も見物をしたそうですが。


ケンプレの死後メルツェルという機械技師が人形を買い受け興業をし大成功。メルツェル

の死後人の手を転々として、最後はフィラデルフィアの中国博物館に寄贈されたそうです

が、1854年6月5日ナショナル劇場から火事が起こり、中国博物館にもおよび、焼けてし

まったそうです。ひょうっとしたら「ユゴー」の方もこの話に影響を受けたのかな?


さて、「このとりっくものがたり」の「チェスをする自動人形」の項目の次になんと「光の錬金

術師ジョルジュ・メリエスのトリック地獄」。「ユゴーの不思議な発明」の主要人物のひとりで

す。

メリエスの時代、奇術が全盛期を迎えていたそうですが、もちろん熱心に通ったそうです。

その後、劇場を買い取り、経営者になりましたが、リュミエールの映画を見、買い取ろうとし

ましたが失敗。別口で、機械を手に入れ自分で映画を作り、自分の劇場で上映したそうで

す。

メリエスの映画についてはYou Tubedで代表作の「月世界旅行」少しばかり見られます

が、世界最初のSF映画です。


メリエスの映画は、奇術の影響を受け、椅子に座った女性が消えるとか、小さなトランクの

中から机、椅子、子供、奥さんまで出すというようなものです。今では子供でもわかる映画

のトリックですが、当時としてはみんな驚いたようです。メリエスはこの後不幸が続き、養

老院に入り亡くなったそうです。


「ユゴー」の不思議な発明」は前半は「からくり人形」、後半は「メリエス」のこと。

「とりっくものがたり」も「からくり人形」話の後に「メリエス」のこと。

偶然のことでしょうか?何となく、狐につままれたみたいな日でした。


(参考:とりっくものがたり~著者:松田道弘)


2012年2月 7日 (火)

”史上最短”の民話~開高健講演会より

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開高健講演会のカセットブック。2巻になっています。

今日、本の整理をしていたら出てきました。発売1990年。22年前のカセットです。

第1巻が41歳、第2巻が53歳の時の講演会の録音です。

開高健を読み出したのが、高校生の時。対談集「悠々として急げ」の裏表紙の言葉。



Festina Lente

古語に《フェスティナ・レンテ》という。

悠々として急げ、の意である。

もとはこれ、ある王様の治政の座右の銘だったと伝えられるが、

衆庶の日常必須心得としたいものである(著者のことばより)


これを読んで《フェスティナ・レンテ》という言葉はいつも頭の中に響いていたものでした。

もっとも、悠々としすぎてこの歳になってしまいましたが。


第1巻は「経験・言葉・虚構」。41歳の時の講演会。

・”史上最短”の民話

・ライオンという言葉を発明した男

・作家は全て人間主義者

・「文学」は病の産物か?


第2巻は「地球を歩く」

・セーヌの下のウンチ

・戦争レポーターをやめたわけ

・アマゾンは現代文明爛熟の地

・地球から酸素がなくなる


さて、”史上最短”の民話はこう始まります。言葉、虚構と言うことを考えるたびに、ひとつ

の事を思い出す。

プリンストン大学、ハーバード大学、東京大学の言語学、民話学の研究者が、人口数十人

の沖縄のある島に研究に行って、取材が終わり、帰ろうとしたとき、老人が追ってきて

「家に帰ったら、これくらいの虫がいました。」と言ったそうです。研究者は、老人が家に帰

って戸を開けたら、ムカデみたいな長い虫がいたのかと思ったら、どうも違うみたい。良く聞

くと「家に帰ったら、これくらいの虫がいました」というのが民話だったそうです。ただそれだ

けの。

これには、プリンストンも、ハーバードも、東京大学もひっくり返って、呆然としたそうです。

民話は家庭等の現世のバリエーションがあって、別の世界を作っていくもの。

開高健、奄美大島で落ち合って、この話を聞き、研究者にどんなことかと尋ねても呆然とし

たままだったそうです。

開高健「民話コンクールがあったら一位になっただろう」「どんなシュールレアリズムの詩を

もってもかなわないだろう。」とも語っています。そして「いまだに謎のように漂う」


しかし、便利な民話ですね。「いいこと、お話をしてあげるからすぐ寝るのよ。家に帰った

ら、これくらいの虫がいました。おしまい。お休みなさい」使ってみませんか?


私も短いお話が得意で、子供によく聞かせたものです。「昔々、ある所に、おじいさんとお

ばあさんがおりませんでした。おしまい。」「相撲で熊に負けた金太郎は泣いて帰りました。

おしまい。」「桃を切ろうとしたおばあさんは誤って手を切ってしまいました。おしまい。」こん

な話ばかりしていたので、少し変わった大人になったのかな?

皆さんはちゃんとお話してあげてくださいね。


第2巻のテープは切れてしまって聞かれませんでした。残念。


「家に帰ったら、これくらいの虫がいました。」

何なんでしょう。でも、なにか面白いな。「家に帰ったら、これくらいの虫がいました」か。

 

2012年2月 6日 (月)

高岩山登山~豪華昼食(南島原市西有家町・雲仙市小浜町雲仙)

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さて、先月の30日少し寒かったのですが、天気も良く、少しムズムズしはじめ。と言って

も、あちらの方でなく、足が。心臓病を持つ以前は休みごと雲仙、多良岳あたりをウロウロ

していたのですが。


さて、無理せず気楽に登れるといったら、宝原から登る高岩山。あそこなら、まあ大丈夫だ

ろうと出かけました。

高岩山といったら、大きな岩が山頂付近に多く、外国人から「ロッキーヒル」と呼ばれてい

たそうです。山頂からは、島原半島の南部から天草地方まで眺められます。この日は少し

霞んでいて残念。この一帯は修験道の修行の場所でもあったそうです。

また、近年は西有家町がこの山に住んでいたと言われる、大男伝説の「みそ五郎」を町

おこしのシンボルともしています。(島原半島一帯、諫早地方もみそ五郎伝説はたくさんあ

るのですが。)

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これは、山頂にあったミニ五郎。

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道は山頂まで良いのですが。やはりそこは山。段々と急坂に。昔だったら高下駄を履いて

走って登れるくらいの感じだったのですが。少しずつ心臓がパコパコと。帰ろうかと思って

携帯電話みると、アンテナが三本立っていたので、まあ、いざとなったら救急車のお世話に

なろうかとそのまま登りました。

Photo_7 Photo_29

途中でこんな標識が、「奧」というと、引かれるのが私「奧」にはなにがあるのかな。

いいな、「奥の院」。新宿の某所の某サービス業の店もこんな名前だったかな?

でも「一夜大師」なにかいわれがあったのをどこかで読んだのだが・・・・

少し入り込んだのですが、道がよく分からず断念。

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高岩山の山頂ですが、もう少し行くと岩戸神社です。

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山頂付近は大きな岩がゴロゴロ。

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やっと無事つきました。中には「保食神」が祀られているそうです。

普賢の山岳信仰から推して、大宝(701)~神亀(727)年に創建されたと推測されている

そうです。

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地元の方でしょうか、お供え物が。ただ、上を見ると落書きをしていく馬鹿が。

 Photo_21 Photo_20

正面の左が妙見岳、右が平成新山、普賢岳です。眺めは抜群。

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さて、登るときから登山用のステッキを持ってくればと思っていたのですが、登り口に杖代

わりの竹や木の枝が。気づきませんでした。

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見慣れないものが置いてあると思ったら、登山者の数をカウンターする器械でした。

行ったり来たりして、数を上げようかと思ったのですが、この年になってと思い止めました。

2 Photo_25

宝原の写真ですが、まだ左右に広がっています。ツツジの名所です。

案内板によると、雲仙のツツジは島原藩時代から守られていたそうです。

元禄6年、安永4年に下のような制札が立てられたそうです。

禁  札

一 是により境地内、諸殺生のこと

二 みだりに竹木、伐採のこと

  付、躑躅堀とり、並びに花おりとること

三 野原、放火のこと 

 右の條を堅く守るべきことなり

        安永四年二月    主  殿

 

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さて、帰ってもかみさんはいないし、思い切ってホテルでお食事といきました。

豪華なところでしょう。そのはず、九州ホテルのレストラン「百年ダイニング」です。

九州ホテルというと、昭和天皇(確か現皇太子殿下ご夫妻も)を初めとして、ノーベル賞を

取り詩聖といわれたインド人のタゴール、岡本太郎、松本清張、星野哲郎、深作欣二等々

有名人が泊まった由緒あるホテルです。

豪華な雰囲気。思い切って豪華に一番安い「ハッシュドビーフ」を頼みました。家で作るとき

は豚肉か鶏で誤魔化しますが、本物の「ビーフ」がたっぷり。(本当に気が小さい事。「一番

高いやつを」と言いたいのですが。)

Photo_26 Photo_27

ここから眼下に、もうすぐ私が行く「地獄」がよく見えました。

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無事今日も一日生き延びました。感謝、感謝。

(参考:西有家郷土誌 各掲示板)

2012年2月 5日 (日)

この一曲~Me and Bobby McGee/ジャニス・ジョプリン 

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ジャニス・ジョプリンこの名前を覚えている人は少なくなってきているでしょう。1960年代

のロックシンガーを代表するひとりです。映画「ローズ」のモデルです。


作詞作曲はクリス・クリストファソン。ロース奨学生(ケネディ、クリントン等もこの奨学生)、

オックスフォードヘ留学。ヘリコプターの操縦士として退役後、陸軍士官学校の英語教授に

なるが、1965年ドロップアウト、ソングライターに。


「Frrdom's just another word.For nothing left to lose.」

「自由とは、別の言葉で言うと、失うものが何もないこと。」有名なフレーズです。

私はこの曲を聴くたびに、先日書いた、シルヴァスタインの「ぼくを探しに」を思い出すので

す。

この曲の2番。少し長いですが。



「Me and Bobby McGee」2番

ケンタッキーの炭鉱地帯から

カリフォルニアの太陽の話まで

ボビーとアタシは

どこまでも気があったわ

どんな天気になっても

何が起こっても

そうよアタシのボビーは

全世界からアタシを守ってたわ

ある日サリーナ近くで

彼と別れたの

彼は生まれ故郷を探していたのよ

うまく見つかったのならいいけれど・・・

でもアタシの思い出の内のたった一日のために

未来のすべてを売り払っても良いわ

ボビーの体に

ぴったり寄り添うためになら・・・

自由ってことは

失う物がなにもないってこと

何もない・・・ボビーは行ってしまったわ

(訳:竹内邦愛)



ボビーと別れた”me”。

”missing piece”を探しに出た”ぼく”は、ついにぴったりした”missing pice”をみつけ、快適

に旅を続けるが、別れていく。

自由ってことは、失うことが何もないってこと。”missing piece”がある限り”ぼく”は自由でな

いし、”ボビー”がいる限り、”me”は自由でない、なぜなら両方がいる限り、失う物があるか

ら。愛する者を失っても自由が良いのか。不自由でも愛する者を持っていた方が良いの

か。


長田弘著「アメリカ心の歌」にはこう書いてある。要約すると、ジャニス最後のカナダツァー

に出たとき、汽車の中で誰かがジャニスにギターを手渡す。「わたしだけが知っている曲は

一つきり」・・・ジャニスは「ミー・アンド・ボビー・マッギーを」うたいだす。・・・そしてこの歌が

われわれの国歌であるかのように、とジャニスの最後の日々の記録(デイヴィド・ドルトン「

ジャニス~ブルースに死す」田川律・板倉まり訳)は伝える。旅のあいだずっと、われわれ

は何百回も歌った。


ジャニスは何を考えながらこの歌を歌っていたのか。


ジャニス1943年生まれ、1970年27歳であまりにも早い死。シルヴァスタイン1930年

生まれ。「ぼくを探しに」が書かれたのが1976年。はやり、1960年~1975年までのベト

ナム戦争があの時代に大きな影を落としていたのでしょう。あの混沌とした時代を生きてき

た者しか分からないかも知れません。


さて、「捨離断」というのが流行っていますが、ひょっとしたらみんな「自由ってことは、失う

ことが何にもないっていうこと」を心のどこかで求めているのでは・・・


私も「捨離断」したいのですが、捨てられるのは私の方かな。かみさんから。

ともあれ、天国のジャニスよ2000年代に生きる我々が、失うものをなんと多く持ちすぎた

ことか。

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