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2012年12月23日 - 2012年12月29日

2012年12月28日 (金)

「宿神」第3巻・第4巻読了★夢枕獏著~後書きから

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昔なら、2日もあれば読めたのですが、近眼に若干の乱視、おまけになによりも老眼。つい

での、おまけに、登場人物を覚えきれない。前のページで出ていた人物を、忘れてしまう。


おかげで読み終わるまで、一週間、かかりました。内容については延べませんが、TVの平

清盛と比べれば面白いですよ。


さて、夢枕獏師匠、後書きにこのように書いています。


『記・紀』の神話に出てくる神々以前の神々ー日本土着の神々。

そこにぶつかるたびに、ぼくは、何か不思議な匂いをいつも嗅いでいたのである。

それが、縄文の神々の香りであったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本各地に残る神社の縁起や祭礼の中に、この古代縄文の神々の痕跡が、わずかなが

ら残されているのではないか。

あちらこちらの神社の御神体を何度か見せていただく機会があって、その時、驚いたこと

がある。

「これが、うちの御神体なんです」

そう言って、ある神社の方が社の扉をそっと押し開いてそれを見せてくれたことがある。

ほのぐらいその空間に、鎮座ましましておられたのは、なんの変哲もない、赤ん坊ほどの、

ごろりとした丸い石であった。

「あっ」

と、声を挙げてしまった。

ぼくの鼻に、その時匂ってきたのが、あの縄文の香りだったのである。


わたしも、地方の氏神様を見ると、本当に、そこらにあるような石が、御神体として、お祀り

してあるところがあります。縄文の匂いまではしませんでしたが、どうして、これが御神体と

して、何百年か分かりませんが、守り続けられてきたのか、首を傾げたことが何回もありま

す。


逆に、巨石に対する信仰は、皆さんご存じだと思いますが、日本人の信仰の根源は、一体

何なのか、どこから生まれてきたのか?・・・知りたいものですが、自分なりの、結論は今

だに、見つけきれません。


今日は御用納め。ポチとゆっくりしましょう。

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2012年12月27日 (木)

死なないですむ方法

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諫早市、唐比のハス公園で撮った写真で、自分でも気にいっていて、数年前、年賀状に使

おうと思っていたら、ハスの花は、仏様の花であって、正月そうそう、縁起でもないとカミサ

ンから、ひどく怒られ、2~3日ションボリしたことがあります。


最近、どうにも忙しく、「パタパタママ」ならぬ、「ばたばたパパ」をやっておりますが、どうい

うわけか、お二人の、お坊様の話を聞くことがありましたが、同じ話。蓮如上人が、人間死

なないで良い方法がある、というお話をしたということ。


浄土真宗の方は、御仏壇を見ると、真ん中の、阿弥陀如来をはさんで、左右に、お坊様の

肖像がかけてあります。右が親鸞聖人、左が蓮如上人です。


蓮如上人は、本願寺の八世。衰退にあった本願寺を再興させた、本願寺中興の祖です。


蓮如上人が人間、死なないで済む方法があるといったとき、弟子達は、そんな馬鹿な~。

と思ったのかどうかは知りませんが、「どうするのでしょうか?」と聞いたところ、蓮如上人

曰く「生まれなければ良いのだ。」と答えたそうです。まったく、そのとおり、「生まれなけれ

ば、死なないですむ。」


「そんなの、当たり前だろう。」という方は、コロンブスの卵を思い出してください。


さて、親鸞聖人は

「親鸞閉眼せば賀茂河にいれて魚にあたうべし」


小野小町、壇林皇后、安藤広重とも書いてあり、誰が本当か分かりませんが

「我死なば焼くな埋めるな野に晒せ痩せた犬らの腹こやせ」


四国巡礼が終わり、帰りの船で行方不明になり、入水自殺とみられる八代目団蔵の辞世

「我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」


なかなか、我々平凡な人間には言えない言葉・・・


高田渡の「あきらめ節」の最後に

「あきらめなされ あきらめなされ あきらめなさるが無事であろう 

わたしゃ自由の動物なれば あきらめきれぬとあきらめる」


と言うのがありますが、我々凡人は「(人間は死ぬと分かっていても)あきらめきれぬとあき

らめる。」言うところでしょうか。


ところで、この間手相を見てもらったら、「あなたの寿命はあと98年です。」と言われまし

た。さて、98年の間に何やりましょうか・・・浮気は一度したいと決めているのですが・・・カ

ミサンには内緒よ。


ポチポチと、しぶとく生きるのが一番かな?

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2012年12月25日 (火)

思いでの水族館(沖縄美ら海水族館)~沖縄

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どうも、ここ数日、バタバタで、思いでの写真を一枚。


ご存じの、「沖縄美ら(ちゅら)海水族館」です。カミサンと旅行した時の写真ではありませ

ん。誰と行ったかって、そはまあ・・・


とにかくビックリしましたね。この水族館は、沖縄に行かなくても、一回は見ておくべきでし

ょう。


大感動でした。人生においても、こんなに感動したことは、ほとんど無かったでしょう。

みなさんも、機会がなくても、ぜひ一度行ってみてください。


2~3日ほど、ろくに寝ていないので、今日はここらでお休みなさい。夢はポチ、ポチ、ポチ

の事。

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2012年12月23日 (日)

2012 日本一(世界一)の大門松完成★橘神社~長崎県雲仙市千々石町橘神社

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今年も完成しました。橘神社の大門松です。門松は日本にしかありませんから、日本一と

いえば、世界一です。

朝から、最後の仕上げ。

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もう少し上が良かろうとか、下が良かろうとか、わいわい言いいながら、綺麗なお飾りが出

来ました。

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昼からは、お祓い。祝詞(のりと)を読んでおられる宮司さんは、橘中佐の子孫の方です。

世が世であれば、私どもは・・・でも、気さくな方ですから、橘神社にお寄りの節は、気軽に

お話でも。

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最後にみんなで、「いやさか」のかけ声を。「いや!そこ!」ではありません、この間亡くなら

れた「小沢昭一」の「みやさか」のおとうさん、でもありません。


「弥栄」と書いて、いよいよさかえること、繁栄を祈っての万歳です。

皆さんも一緒に、「いやさか」。


やはり、良いですね。この、門松があるのと、ないのでは、雰囲気が全然違ってきます。

この門松が出来ると、いよいよ正月を感じます。


仕事を、持ちながら、日曜日ごと作っていただいた皆さん、ご苦労様でした。大変だったで

しょうが、これを見るのが楽しみで、遠くから来られる方もおられるので、大変でしょうが,来

年もまた、よろしくお願いしますね。


出来上がりに、「いやさか、いやさか、いやさか」、ついでに「ポチ、ポチ、ポチ」

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雲仙大黒天(パワースポット)横の天照法師について~長崎県雲仙市小浜町雲仙

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最近、パワースポットとして紹介され始めた、雲仙の磨崖仏の大黒天です。


小浜町史談によると、永久3年(1151)。「満明寺が再建、瀬戸石原に三百坊、別所に七

百坊(この数字、本によって違いがあり、正確には分かってないみたいです)。大黒天彫

刻。」と書いてあります。


別所はもちろん、僧の修行したところですから、その時彫られたのでしょうが、年代まで

は?


この大黒天の横に石仏があります。青の四角が大黑天。赤の四角が石仏です。

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この磨崖仏、雲仙の別所ダム(鴛鴦の池)のほとりにありますが、ダムの工事が昭和36年

~44年。この磨崖仏は昭和40年に発見されたと、新聞に載ったそうですが、この横の石

仏。

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セメントで補修したような感じですが、横に二本の石柱が。

右の石柱は途中から折れています。

Pc200218

左は、

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「是ニ行者空照法師生存・・」まで読めましたが、下は土に埋まって読めません。

もう片方には、「昭和六年一月二十九日」の文字が。と言うことは、昭和四十年頃に発見さ

れたのでは無く、もっと以前から、この大黑天は知られていたことが分かります。四十年説

がインターネットのあちらこちらで見受けられますが・・・


さて、この「天照法師」ですが、西有家に関係があるらしく、西有家の郷土誌に載せてあり

ました。


生まれは、佐賀県東多久。当時、南有馬村で病気を治す霊験を現していた空照さんにお

願いし、西有家の八十八か所の設置を進めたそうです。


なお、「雲仙お山の情報館」の、西氏に聞いたら、空照師は、雲仙最後の修験者であった

そうです。、昭和六年に百日の回峰修行をされたそうです。延暦寺の「千日回峰行」では、

一日平均三十キロ、山中をめぐるそうです。雲仙の山中も岩が多く、上り下りが厳しいとこ

ろです。


なお、高岩山に登る途中に「奥の院・一夜大師」の小さな標識があり、登山道を逸れ林に

入り五百メートルくらいの所に、空照師の立像があるそうです。

Photo_2

  (西有家町郷土誌より)

台には、「開山空照師 昭和八年見岳名中」と刻んであるそうです。見岳は現在南島原市

です。


なお、ここから細いけもの道を登ると、巨岩があり、その中に石窟があるそうで、これがな

かなか見つけにくいそうで、ここで百日修行をされたものだと考えられています。


さて、この石窟の中には、一夜大師というものがあり、見岳名の信者の人が、セメント、砂

などを険しい山道を石窟まで運び上げ、一夜のうちに、大師像を作りあげたといいます。

Cimg0221

           (提供:雲仙お山の情報館)

なお、この場所については、聞いておりますので、体調が治ったら是非いきたいと思ってお

ります。


最初に戻りますが、空照師が百日修行をおこなったのが昭和六年。大黑天の横の像も昭

和六年。記念に作ったのかな?


雲仙の山は奥深く、修験者が多く修行をしていますから、まだまだ、知られていないところ

があるかも・・・


なお、空照師、行基が修行をしたという行基洞(ここも分かりにくく、二度ばかり捜しました

が分かりませんでした)で二十一日間の業をおこない、故郷に帰られたということです。

(参考:「西有家郷土誌」「雲仙歴史散策資料~西久海著」「雲仙お山の情報館」)


もういくつ寝るとお正月、お正月には、凧上げて、ポチを押して遊びましょう・・・

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