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2012年12月16日 - 2012年12月22日

2012年12月21日 (金)

鴛鴦(おしどり)の池:別所ダム★水裁判のこと~長崎県雲仙市小浜町雲仙

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雲仙を訪れた方は、雲仙の外れ、この湖に来られた方もいると思います。

ここのほとりに、

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この碑がありますので、当然、池と思われても仕方がないと思いますが、ここは、「別所ダ

ム」なのです。この「鴛鴦の池」の名称については、この横にこのように書かれています。


「・・・湖畔に立ち、静かに瞑想するとき、自然と人工の調和に心の安堵を覚え 湖水に浮

かぶ『おしどり』に平和と愛情の象徴を見いだすであろう。・・・」と言うことで、「鴛鴦の池」と

命名されています。


以前は、現在より鴛鴦が多かった見たいですが、近ごろ少なくなったみたいで、人間と同じ

で離婚が多くなったのかな?


さて、雲仙は修験者(山伏さん)の修行の場所でした。大宝元年(701)行基菩薩によって

温泉(うんぜん)山大乗院満明寺が建立されたといいます。


77年後、法権の争奪により焼失、寄進により再建されるも承平元年、又もや焼失、その

後、仮院であったが、永久二年(1114、永久三年の説も有り)定僧という人が発起し、再

建。


雲仙の瀬戸石原に七〇〇坊、別所(このダムがあるあたりを別所といいます)に三〇〇坊

(ここらあたりは、文献によって、瀬戸石原二、三百坊、別所に二七〇坊ともあります。)

もちろん、そのころは、ダムでも湖でもありません。地形から見れば盆地だったのでしょう。



別所とは、本寺から離れたたところに、僧房を作ったことから、名付けられたのでしょう。


この、瀬戸石原と別所の僧は、仲が悪かったみたいで、瀬戸石原の稚児がかわいがって

いた「白雀」を、別所の稚児が貸せ、と言ったことから、喧嘩になり、別所の稚児が、誤っ

て殺してしまったそうですが、子どもの喧嘩に親が出る、ということで、両方の僧が出て大

喧嘩。


行基が建てたという、満明寺に放火した者があり、ただの喧嘩では収まらず、城主の有馬

義直が兵を派遣して鎮圧。


原因が稚児にあったということで、この湖の下にある滝に、稚児を集め、全員突き落とした

そうです。今も、「稚児落しの滝」として有名です。


この、事件があったのが、亀元三年のこと。おりしも、島原半島ではキリシタンが普及した

頃。たぶん、僧は散り散りになって、別所は再建されることは無かったのでしょう。


なお、この「白雀の乱」の原因については、「稚児争い」(いわゆる男色)のことだとも聞いた

ことがあり、根井浄氏の「修験とキリシタン」の本によれば、「・・・満明寺の白雀の乱の本質

は、キリシタン伝道にからむ一山衆徒の内乱であった解釈される。」という論考もあります。


さて、時代は変わります。この別所はそのままうち捨てられたのでしょうが、小浜史談に

よると、「別所は四万坪以上の平地であって各所に水が湧き水田になっていた。」との記述

があり、開拓をされたみたいで、最近、パワースポトとして有名になりつつある、このダムの

脇にある磨崖仏から、数メートル行ったところ、ここの開拓に尽力した方々の墓がありま

す。

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年代がよく読めませんが、「享保」あるいは「文化」の文字は読めました。


さて、ここまでが前置きで、ここからが本論です。時代は飛びます。


千々石には「千々石川」があり、灌漑用水、飲料水として使っていますが、この上流が、こ

こが盆地だったころ、「加持川」が流れていました。「加持祈祷」の「加持」であり、修験道の

修行場であったことが伺えます。


さて、昭和26年頃といいます。雲仙が国際観光地として発達。各旅館が、思い思いに、加

持川水源から、水を引き始め、千々石町側は黙認できず、主な両館業者を相手取り、裁判

になったそうですが、法令に規定がなく、長崎地方裁判所でも最も古い未解決事件になっ

たそうです。


ここで、解決すべく、加時川を堰き止め、「雲仙別所ダム」jを作る構想がでて、昭和28年頃

から具体的促進に乗り出したそうです。竣工は昭和44年3月。設計は長崎県農林部耕地

課になっていました。県の仲裁があったのでしょう。ダムの完成と共に、盆地、加持川はな

くなってしまいます。


このダム、干害の時には、田の跡などが見えるそうです。加時川が流れている頃の写真を

地元の専門家にも聞いて捜してみたのですが、どんなわけか、全然出てきませんでした。

不思議と言えば、不思議です。


今なら、発掘調査をしていたのでしょうが・・・多分、いろんなものが出てきたと思います。

次回は、パワースポット、大黒天あたりのことを・・・・

雲仙の歴史は深いものがあり、もし間違っていたら、コメント欄でご指摘を。

(参考・引用:「雲仙史談」「千々石郷土誌」「修験道とキリシタン~根井浄著」)


もうすぐクリスマス。ポチポチ、プレゼントの用意を(カミサンは除く)。

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2012年12月20日 (木)

iPad mini買いました

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性懲りもなく、iPad miniを 買いました。これで、iPadの初代、iPodのクラッシク、nano、

iPhone4SとiPad miniになったわけです。


注文は、アップルストアーのオンラインからです。こちらから注文すると、時間はかかります

が。刻印サービスがつきます。


到着前に、左から、純正のスマートカバー。しめれば、スリープ状態になり、開ければ、即、

画面が立ち上がるもの。カスタマーレビューを見ると、少し辛口にかいてありますが、2

週間ほど使ってみて、良好です。これ、本体の上だけのカバーになりますから、裏側はそ

のままです。


金属の手触りが嫌いなのと、裏側が少し心配なので、バックカバーを。真ん中の写真。右

の写真が保護フィルムですが。Amazonに頼んだら、いつもの通り、たった、一枚の保護フ

ィルムが、この大箱に・・・

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納品まで2週間程度という事でしたが、10日ほどで到着。包みを開けるのは楽しい時で、

「恥ずかしがるでない、もそっと近くに、良いではないか。」などと悪代官になったつもりで、

つぶやきながら、包みを脱がせると、やはり、アップル。なんとも、あっさりした箱。電源、コ

ード、4枚の紙切れ、そして本体。

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一枚(一冊ではありません。どこかの携帯みたいに分厚く、何が書いてあるか分からな

い説明書みたいなものではありません、)の説明書。iPad情報1枚。リサイクルについての

シールつきの説明書一枚。アップルのロゴのシール(2枚付き)。老眼と近眼と乱視の目で

は、字が小さくて、何が書いてありか分かりません。


iPad初代と、miniを比べたもの。厚みも、重量も全然違います。やはり、かわゆいですね。A

KBの渡辺麻友ちゃん(私の好み)と、うちのカミサンみたい。

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と言うことで、完全装備です。今回の刻印は、買った日付と名前を入れました。こうすれ

ば、何年前買ったか一目瞭然。


使い心地ですか?良いですね、とにかく寝転んで使うには最高。初代のは重たくて、年寄

りには辛かったのですが・・・



なお、このカバーの色は(PRODUCT)REDといって、収益の一部が、エイズ、結核、マラリ

ア対策に寄付されるそうです。nanoもこの(PRODUCT)REDを買いましたが、裏の刻印は

「世界に平和を 人に愛を」と入れています(happy01)。


さて、今日はauさんと、某家電店によって、iPhone5とRetinaディスプレーモデルを見てきま

した。買うか、買わざるべきか?それが、問題じゃ!(iPone5は多分買うな)。


これだけ買うと、数年かけて、ポチポチ貯めた、へそくりが、無くなりそう。ポチのご協力

を・・・

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2012年12月18日 (火)

久山茶屋 長崎街道絵巻通~長崎県諫早市久山町

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昨日書きましたが、久山の磨崖仏を見に行ったら、なんと、道路が途中で消失。しかし、左

の写真、赤の四角の所、なにやら面白そうなタヌキの彫像と、通路が・・・

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通路の中を見たら、これまたビックリ

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長崎から小倉にいたる、長崎街道の名所が、通路の左右にびったり描いてあるではありま

せんか。


あらためて、タヌキの土台を見たら、「久山茶屋 長崎街道絵巻」、協力者として、久山自治

会、NPO法人ふれあいフレンド、NPO法人長崎街道松並復元会、西諌早中学校、創成館

高等学校、そして、個人の名前がずらりと書いてありました。


この上の車道は、251号線と34号線を結ぶ車線、(諫早~飯盛)になっていますが、新し

い道が出来たために、途切れ、歩道として、この通路が出来たのでしょう。


左右の絵、紛れもなく、タヌキの絵で有名な、堤けんじ氏の絵です。調べて見ると、平成21

年の完成。堤けんじ氏が8ヶ月書けて下絵を描き、地元の小中学生が色づけをしたそうで

す。


完成して、3年余を経ていますが、落書き一つありませんでした。愉快な絵がたくさんあり

ますから、子どもでも連れて見に来てください。

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各写真、クリックすると拡大しますから、お楽しみを。

なお、この通路を出たところ、

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ここの道が、長崎街道であったことが分かります。街道は整備がしてあるらしく、日を改め

て、彼女(もちろんカミサンではありません)と二人で、お手々つないで歩いてみるつもりで

す。


でも、この久山町、磨崖仏は見れるし、愉快な絵は見られるし、楽しいところでした。

場所は、昨日の記事を見てください。目標は、国道34号線、諫早市久山町の、ホテルビル

フェルド(横文字で書いてあります。潰れています。)横の道から入ります。


今日は漢方医さん行き、話していると、寒さと、暖かさが繰り返しているため、体調を崩し

ている人が多いとか(本日は2時間待ち)。まあ、気を楽に、ポチポチ生きていきましょう。

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2012年12月17日 (月)

久山の磨崖仏三十三所観音~長崎県諫早市久山

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先日、古本屋をあせっていたら、「諫早の文化財」という、小冊子があり、「久山の磨崖仏三

十三観音」のことが書いてあり、磨崖仏については、富川渓谷の五百羅漢、、長田の御手

水観音、慶巌時と見て来たので、行かないわけにはいかないだろうと、買い物ついでに出

かけて見ました。


場所は、国道34号線から500mばかり入って、目印はお堂ということで、600mばかり行

っても、お堂は見当たらず。道は途切れていましたが、面白いものがあったので、これは、

次回のお楽しみ。


ちょうど、おばあちゃんが通りかかったので、聞いてみたら親切に教えていただきました。

やはり、頼りになるのは、おじいちゃんに、おばあちゃん。


分からないはずで、ここらあたり、新築のアパートがびったり。赤の四角の所です。昔は、

道から見えていたそうですが・・・・


薬師堂です。前に土俵があったので、祭日の時などには賑わったことが伺えます。この、

薬師堂の後の、崖の石に磨崖仏が掘り込んであります。

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詳しい説明は、説明版があるので、ご覧下さい。クリックすると拡大します。

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30~50㎝程度の小さな磨崖仏ですが、見つめていると、鄙びた感じが、何とも言えませ

ん。

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一番上の写真。左側に「十三番」という文字が読めます。上の写真、文政十一年の文字

と、人の名前を書いた記銘があります。(説明版参照)


「当所巡礼中」と刻んであるのは、「西国三十三所観音巡礼の講加仲間が、帰ってから

その功徳をみんなのものとする為に、建立したのであるかもしれません。」(諫早を歩く:山

口八郎著)

なお。この石工の三次良さん、山口露山著「久山郷土誌」によれば、・・・山口三次郎が文

政11年33歳の時、信仰の為彫刻したるもの・・・と載せてあるそうです。

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なお、ここに行くときにはご注意を。ズボンに、びったり、草が(草の名前なんだっけ?思い

出せません。)張り付いて。取るのに苦労しました。


なお、国道からの入り口の目印になる、「ホテルビルフェルド」です。ホテルには入らないで

この横の道に入って、まっすぐ行ってください。(このホテル、どうも潰れているみたいで、確

認の電話したら、「この電話は、現在使われておりません、・・・」のコールが流れました。)

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国道から、ほんの少しの所です。興味のある方は行ってみてください。

(参考・引用:「諫早市の文化財:諫早市教育委員会」「諫早を歩く:山口八郎著」)


衆議院選挙は終わりましたが、年が開けたら今度は市長選挙。もう少しポチポチやってく

れませんかね。

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2012年12月16日 (日)

頼山陽と天川屋~長崎県雲仙市千々石町  附録:大門松追い込み&ドクターヘリ

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千々石に天川(あまかわ)屋という旅館があります。今は新館が出来て、ほとんど、そちら

で営業をしています。こちらは旧館。この天川屋に頼山陽が泊まったのは、千々石の人は

ほとんどの方が知っているところですが・・・


頼山陽については、学校でも習ったのでご存じだと思います。私は歴史の時間が嫌いで、

寝ていたので詳しくは覚えていませんが、歴史家、思想家、漢詩人、文人で、「日本外交

史」を書き、尊皇攘夷思想に影響を与えました。(これくらいは覚えています。)


さて、この頼山陽が千々石町に来ており、これについては、大正5年の、坂本竜之介著「山

陽遺蹟研究会」に書かれているらしく、それがそのまま「千々石郷土誌」に載っていますの

で、簡略に書いてみます。多少面白い話が、載っています。


頼山陽は長崎に63日間滞在。肥後に渡る予定が、「䌫を解いて僅か半時ならぬに、雲行

き愈いよ怪しくなり温泉山(雲仙岳)、黒雲漲りて・・・・海水忽ち闇く、怒濤瀾船を呑まねば

已まぬ大時化となった・・・」このため、「一陸地に漂着した。」そして、「一漁村に達し、一民

家に請ふて宿ることを得た。」


この、一夜の宿を請うたのが、「天川屋伍平というものの家であった」。すなわち今の天川

屋になります。ところが、このとき「嚢中一銭の貯えもないので、巳むなく紙を展べ筆を執

り、彼の程明道が『漠辭盃酒十分醉。只恐風花一點飛』を書いて与えたそうです。


主人は、皆目分からず、「之を壁に貼り、見る毎に一夕の宿料を損したと恨んで居た。」そ

うですが、神代村の医師母里柳庵(ぼりりゅうあん)が、この書き物を見て、「山陽の眞蹟た

るを認めて」、銀二朱で持って帰ったそうです。同家にて秘蔵しているとの事だそうです。


「伍平、後に至りて山陽の事を聞き、其の眞蹟を僅に銀二朱で売ったのを、甚く悔んだそう

である。」と言うことでした。


このあと、千々石から国崎の岬(南串山町)の沖合から、早崎海峡をへて、大屋の島につ

き、澁江龍淵という儒者を訪れますが留守。一通の書を預けますが、これが


「泊天草洋」、天草洋に泊す。「雲耶山耶呉耶越。水天髣髴青一髮。・・・・」という有名な漢

詩です。


口之津町で、「青一髮」という焼酎を造っています。宮崎康平さんが、この漢詩の一節から

名付けたそうです。


一人で作っているため、なかなか手に入りません。知人から、一度もらったことがありまし

たが、スッキリした良い焼酎でした。機会があったら是非一度。


「附録」


いよいよ、大門松の追い込みです。聞いてみたら、12月23日(日)の午前中に、完成式を

おこなうそうです。皆さんもどうぞ。特に、写真家の方は良い素材ですよ。

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さて、この間、ドクターヘリの事に、少し触れましたが、小浜の埋め立て地の所で、上から

なにか音がすると思ったら、ドクターヘリが降りてきて、ビックリしました。

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患者の方、無事なら良いのですが・・・


総選挙、ポチポチ結果が出てきました。この先、世の中どうなるんでしょう。

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