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2012年11月11日 - 2012年11月17日

2012年11月17日 (土)

マリリン・モンロー★死して五十年

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私のiPodの待受画面です。もちろん言わずと知れた、マリリンモンロー。iPhoneは、カトリー

ヌ・ドヌーブですが。


さて、マリリン・モンローが死去したのが、1962年8月5日。50年前、36歳の時です。生

きていたら86歳になりますが、もしもの話は止めましょう。モンローは36歳の時の姿のま

まに、私たちの心の中に生きているのですから。


モンローについては、色んなスキャンダル、逸話、そして、今もなお残る死亡の謎。多分、

20世紀に選ばれる人物の、ベストテンの候補に選ばれるでしょう。

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この本、単なる評伝ではなく、主な部分は「究極のマリリンAtoZ」ですが、モンローのエピソ

ードが、積み重さなって語られています。

今更ながらに、私たちが、モンローの全体像を捕らえてない事が分かります・・・一部をご

紹介



モンローの読書歴

おつむの弱いブロンド女優として名をはせたハリウッド時代のマリリンは文字も書けない、

まして読書などできない、と皮肉たっぷりにしばしば批評された。・・・彼女の家を訪れた記

者たちは、本棚に置かれたり積まれたりしている本の数に感銘を受けた。・・・だがすでに

1945年(19歳)に、ノーマ・ジーン(注:モンローの本名)はウエストウッド公立図書館の会

員だった。・・・1951年(ニューヨーク渡る4年前)マリリンはUCLAの夜間コースで「文学の

背景」を学んでいた。

次に挙げる本のリストはマリリンが読んだものの一部である。

「聖書」「ギリシャ神話」「緑の館」「郵便配達は二度ベルをならす」「審判」「ユリシーズ」「戦

争と平和」「エドガー・アラン・ポー作品集」「カラマーゾフの兄弟」



お気に入りの音楽家

「ルイ・アームストロング」「アール・ボスティック」「ベートーベン」「モーツァルト」


お気に入りの作家

「ドフトエフスキー」「J.D.サリンジャー」「バーナード・ショー」「トマス・ウルフ」



アルフレッド・ヒッチコック

偉大な映画監督のひとり、アルフレッド・ヒッチッコクは、かって本物の映画女優は三人しか

いないと言ったことがある。エリザベス・テイラー、イングリッド・バーグマン、そしてマリリ

ン・モンローだ。・・・・



ウォルト・ディズニー

ウォルト・ディズニーはマリリン・モンローのイメージから「ピーターパン」のティンカン・ベル

を創りだした。



ティファニーで朝食を

・・・・・・当初マリリンの脚本であったといわれている。原作はポールマン・カポーティ。結局

はオードリー・ヘップバーンが出演し、マリリンが欲しがっていたアカデミー賞にノミネート

されている。



ソフィア・ローレン

・・・・・「彼女は生き生きとした個性的なすばらしい女優でした。その一生は寂しいものだっ

たかもしれないけれど、精いっぱいしあわせそうに、何もないようにみせていたのです。」



シドニー・ギラロン(ヘアスタイリスト)

・・・・「マリリンほどスィートな人は知りません。あれほど評価されなかった人も、悲しい人生

を送った人も」


少し、マリリンらしい話を。



ヌード

「ボッティチェリのビーナスに異議を唱える人はいないでしょう。それなら、私のヌードにどう

して文句を言うのかしら」



埋葬されたとき

お気に入りのひとつ、明るいグリーンのプッチのドレス。スリップとブラジャーもつけてい

た。パンティをつけるのはハウスキーパーのユニース・マレイが拒んだと言われている。


さて、マリリンは段々と死に近づきますが、



・・・・・里親やアパート、ホテルを含めて、マリリンが36年の生涯で住んだ場所は57カ所に

およぶ。死は「自分の家」を買って間もなくのことだった。



フランク・シナトラ

・・・・最後の夜、マリリンはいつものように、フランク・シナトラのレコードをかけていた。大好

きな歌手だった。



ルイ・アルハンティ(フラワーショップのオーナー)

・・・・・マリリンの葬式の花飾りを作った人物。ジョー・ディマジオは「週に2度、永遠に」赤い

バラをマリリンの墓に手向けるようアルハンティに頼んだ。


ご存じのように、マリリンの検死をしたのは、日本人のトーマス野口博士です。



外見所見

防腐未処理の遺体は年齢36歳。体格・良、栄養状態・良好、栄養状態・良好、白人女性。

体重53キロ、身長162,5デンチ。頭髪は脱色したブロンド・・・・

長いのでこれくらいで止めますが、体腔、循環器、呼吸器、肝・胆臓器、血液・リンパ液、内

分泌腺、泌尿器、生殖器、消化器官、骨格・筋肉組織、頭部・神経系統・標本について

書いてあります。


なお、世界中から「マリリン・モンローの死の謎」について1週間に一回は問い合わせがる

そうですが、「もう私が話すことは何もない」と沈黙を守っているそうです。


マリリン・モンロー亡くなって50年ということで、話が長くなりましたが、この「究極のマリリ

ン・モンロー」、2006年、今から6年前、出版された本ですが、マリリンモンローの興味深

い話が、たくさん載っていますから、興味ある方は、お読み下さい。面白いこと請け合いで

す。 

今や、古今東西、歩くだけで、様になる女優なんていませんね。

(引用;「究極のマリリン・モンロー」井上篤夫編・著)


立てばビヤ樽、座ればタライ、歩く姿はドラム缶、というのは、私のカミサンのことではあり

ません。そんなことは、口が裂けたって(裂けたら言えませんが)言えませんよ。うちのカミ

サンはポチッと可愛い方ですからhappy01。ポチッとね。(たまには褒めとくか)

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2012年11月16日 (金)

小浜歴史資料館★円山応挙・池大雅・成富椿屋(ちんおく)展~長崎県雲仙市小浜町

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小浜歴史資料館、何回か登場して貰いました。先日は、西郷隆盛、福沢諭吉、勝海舟の

書でした。もちろん、所有者は小浜の湯大夫の子孫、本多家の所有物です。


今回は、円山応挙、池大雅、成富椿屋(明治33年、当時の皇太子殿下、佐賀市行幸の

時、皇太子殿下の御前で鶴松の画を揮毫したそうです)の日本画展です。これも、本多家

の所有物です。


特に、円山応挙といえば、お宝鑑定団によく出てきて、本物はあまり無いといった絵画で

す。「足のない幽霊」を書き始めた画家だとも言われています。


池大雅は、江戸時代の文人画家、雅号は「大雅堂」「霞樵(かしょう)」等。与謝野蕪村と共

に、文人画家として有名です。

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一番右が、池大雅、真ん中が、円山応挙、左が、成富椿屋。どうも、無造作に架けてあると

おっかない感じ。もっとも、監視カメラはばっちりと・・・

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左が池大雅、右が円山応挙。池大雅には「霞樵(かしょう)」の号が書いてありました。


展覧会に行くと、何点も並んでいて、目移りがするものですが、一点だとじっくり見れて、か

えって、良いもんですね。平日、朝からだったので入場者もおらず、これが、円山応挙か

と、心ゆくまで見て来ました。


そういえば、「小曽根乾堂」の絵も、ちょっと替わっておりまして、この方、坂本龍馬の援助

者で、亀山社中の財政を支え、海援隊の本部を小曽根家に置いたりしています。以前にも

少し触れた事とと思いますが・・・


明治政府の勅命で御璽・国璽を刻しています。「御璽・国璽」、読み方、意味が分からない

方は、辞書をお調べ下さい。


説明を読んでいると、「勝海舟と長崎妻の間に生まれた子の世話もしている。」と書いてあ

るではありませんか。英雄色を好むか、はたまた、単なる助平か・・・なお、勝海舟が用

いた印は小曽根乾堂の作だそうです。  (参考・引用:各説明による)

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私だって、カミサンひとりでガマンしているのに。ポチとガマンしなさいよ。

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2012年11月15日 (木)

2012 三十路苑・あと一歩(11月15日)~長崎県雲仙市小浜町

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性格的に、粘り強いと言うか、しつっこいと言うか(だから、女性に嫌われる、ストーーカー

ではあませんが・・・)、「三十路苑」については、今年で三回目の記事を書きます。


前回、11月3日の模様を書きましたが、寒さが厳しくなったせいか、色づき始めました。全

体的には、もう一歩ていうところでしょう。

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右が今度新しく作った池ですが、ここは、ライトアップするそうです。左側のモミジが紅葉す

ると綺麗に写るでしょう。

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平日の朝でしたが、アベックの方が、4~5組。いつも通り、一人ぼっちは、私だけdespair


ライトアップは、11月20日からだそうで、多分20日からは、入場料が取られると思いま

す。

現在は、只で入れますが、オーナーの方は準備中でした。昨年、ライトアップしているとき

訪れましたが、綺麗でした。


11月23日~25日が連休ですから、見ごろだと思いますが、多分、お客さんで一杯になる

でしょう。


場所は小浜~雲仙に至る途中、「耳採(みみとり)」と言う所に、「六兵衛茶屋」という、食堂

がありますが、その裏側にあたります。看板が出るはずですから、すぐに分かると思いま

す。


なお、以前、「耳採(みみとり)」という地名について書きましたが、キリシタンが、地獄攻め

に、雲仙に連れて行かれるとき、転教を迫るためか、逃げられたときの目印にするため

か、耳をそがれ、村民が、そがれた耳を集めた「耳塚」があった所だそうです。

「耳採」の地名については→こちらをクリック


ライトアップしたら、もう一度くらいポッチと書くつもりです。

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2012年11月14日 (水)

2012 滝の観音の秋~長崎市

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「滝の観音」については、8月2日に書いた所ですが→「こちらをクリック」、紅葉の頃、カミ

サン以外の女性と来たいなと、書きましたが、結局は病院帰り、一人ぼっちで来ました。


はやり、夏の頃と違って、秋の紅葉に滝、風情がありますね。しばし見とれていました。た

だ、ここ2日ばかり雨が降ったので、残念ながら、少し散り気味でしたが・・・・


本堂も夏と違って、しっとりした風情がありました。この間、写していなかったので、本堂の

中です。

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古い羅漢像と紅葉。これも、良いですね。

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磨崖仏は、川の向こう側だけかと思っていたら、こちらにも一つありました。

なにやら、不思議な石造物。いわれはあるのでしょうが、説明はありませんでした。なんで

しょう?

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仁王門ですが、雨が降ってなかったら、もっと、素敵だったでしょう。左右に仁王さんの像

があります。

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平日でしたが、三人ほどカメラを持って見学に来ていました。長崎近郊の方は是非お出か

け下さい。


なお、ここは「滝の観音」であり、「観音の滝」ではありません。ここの滝は固有の名前が無

いそうで、人里の滝で、名前が付けられてない、国内唯一の滝だそうです。


紅葉jがポチポチ散っていくと、何か人生の無常が感じられます。ポチポチね。

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2012年11月13日 (火)

ミニ眼鏡橋完成&御書院~諫早市

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この間から、何回か書きましたが、「ミニ眼鏡橋」、あと少し工事jが残っているようですが、

ほぼ完成でしょう。こうして見ると、「眼鏡橋」という名前の由来が、よく分かると思います。


左の写真が9月頃の工事中の写真。上と右の写真が今日の写真ですが、入れない様に、

ロープが張ってありました。渡れないように、柵などの工事をするのだと思いますが、この

橋、渡るのはちょっと、おっかないですね。

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さて、来たついでに、諫早高校内にある御書院をちっと見学に。名前知っていたし、私の

愚娘も、諫早高校出身なのですが、見に行ったことがないので・・・


戦国時代に、諫早を支配していたのが、西郷氏、それを滅ぼしたのが佐賀の龍造寺で、

その後、「諫早氏」に改名しました。


この、御書院は、佐賀藩主の接待など、公式行事に使われていたそうですが、大正11

年、県立諫早中学校が開校するにあたり、諫早家が、約一万坪ばかり学校用地に寄付し

たそうです。


考えれば、諫早競技場の一部も諫早家の寄付。確か、諫早郷土館も、諫早家の住居を寄

付したものと聞いたことがあります。なんとも、太っ腹のお殿様ですね。


御書院入り口になっていますが、新しく作ったものでしょう。入り口の横の張り紙を見て思

わず笑いましたが・・・・「猿が目撃されましたご注意下さい」。私の家の近くなら、分かるの

ですが。

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静かで良い所ですね。写真では全体像が分かりにくいのですが、モミジが真っ赤に染まっ

て綺麗でした。私の家の庭も少し改造するかな。

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この、御書院、市役所あたり周囲を「高城回廊」として整備していますが、ここ、足元が柔

らかく、スポンジみたいな感じで、歩きやすいですね。膝に負担がかからず、楽でした。最

も途中で雨が降ってきたので、引き返しましたが。また、天気の良い日にでも。

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昨日は、私の町で町内放送をやっていまして、「○○地区に猿が目撃されました、いたず

らしたり、餌をやったり、ポチとでも目を合わせないで下さい。」との事でした。下のバナー

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2012年11月12日 (月)

下針(さげばり)金作★鉄砲名人~原城の乱へ(島原市三会)

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島原の乱について、読んでいると、「下針金作(さげばりきんさく)」という人物が、書かれて

いることがあります。


島原の三会(みえ)というところで、百姓をやっていたとか、猟師をやっていたとか資料によ

って、多少違いはありますが、数間離れた所に、下げた針を打ち落とす腕前。名付けて

「下針金作」。その実、「金作」とは仮の名前で、小西行長の家臣「駒木根八兵衛友房」。


関ヶ原の戦いで敗れた、「小西、豊臣」の残党は、互いに連絡をとり、豊臣家の再興を計

画していたと言われています。


島原の乱が起こると、三会村の1420名と原城に立て籠もり、鉄砲の狙い撃ちで、幕府軍

を悩ませたといいます。


写真の場所は、「下針金作屋敷跡」と言われています。場所は、愛野町からグリンロード

が終わり、がまだすロードが始まる交差点から、右に曲がり、左の一本目の道を入って行

くと写真の所に出ます。赤の矢印の所が祠があるところです。

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この中に、祠があるはすなのですが・・・・


この祠は、昭和初期ある事情があって奉祀されたものだそうですが、太平洋戦争中、出

征兵士の武運を祈願して、列をなしていたそうです。(有家町郷土誌より)


また、この場所には雀も寄りつかず、飛ぶ鳥も避けて通ったと言います。そして、宝クジの

神様になっているそうです。鉄砲の名手ですから、良く当たるそうです。(新島原街道を行

く:松尾卓次著より)


さて、扉は閉まっているのですが、中をどうしても見たくて・・・回りの畑にはだれもいない

し。


とはいっても、開けたとたん、ズドンとやられてはたまらないし、一応近所に家があったの

で(祠の所有者ではありませんでしたが)、「開けてみてもいいでしょうか?」と尋ねたら、

「元通りにしたらいいんじゃない。」と言うことで、恐る恐る開けてみました。

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祠の中には、なにか入っているような木箱が。さすがに、これは開けきれませんでした。

「宝くじは当たらなくて良いですから、いい女の子に当たりますように。」とお祈りをし、お賽

銭をあげて来ました。


さて、話が長くなりますが、原城の第一陣の攻め手の大将、「板倉重昌」を、この「下針金

作」が撃ち取ったという話があります。


村井昌弘著、「耶蘇天誅記」によれば、「・・・三会村の奴原が固めたる出丸の狭間より放

ちたる横矢の銃玉、左の乳の下に当たり、・・・その場に討ち死にをぞ遂げられける」。こ

の、「奴原」というのが「下針金作」でしょう。


金井俊行著、「原城耶蘇乱記録」では、「・・・重昌益々進ミ城塀ヲ攀ツ賊下針金作之ヲ狙

撃ス胸ヺ貫ラ卒ス行年五十一歳・・・」


「奴原」とか、「賊」とか表現してありますが、「島原の乱」については、多くの資料が残って

いますが、全部と言っていいほど「幕府側」の資料ですから、仕方が無いところでしょう。


なお、「耶蘇天誅記」は江戸中期、「原城耶蘇乱記」は明治25年に、書かれていますが、

「耶蘇天誅記」は、部分的には見つけましたが、この部分の原典は見つけきれなかったの

で、有家町史談会発行の「嶽南風土記」、福田八郎氏の「原城聞書覚」から、「原城耶蘇

乱記」は、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーから引用しました。


そんなに良くてもなくても、いいんです。ポチとでも良い女の子に、当たりますように。

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2012年11月11日 (日)

この一曲★Ka Nohona Pili Kai~平成24年度 第42回千々石町文化祭演芸の部より

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昨日、千々石町文化祭演芸の部が開催されました。オープニングはいつもの通り、千々

石中学校の吹奏楽部。


曲目は「世界に一つだけの花」と「北国の春」。「世界に一つだけの花」はカラオケで一番

歌われた曲だとか。


日曜日は、音楽の事を書いているので、この、「世界に一つだけの花」を取り上げようと思

ったのですが、スマップと言うより、いい男は嫌いなのでこれはパス。


さて、演芸大会だけあって、種々雑多で、きちんとした演奏会の演奏も良いですが、いろ

いろ種々雑多の演芸も楽しいものですね。全部、アマチュアの方ですから、この日に向け

て、練習して来たのがよく分かります。


全部、写真を載せるとスペースがありませんので、一部のみ。

踊りの方、「良くできたじゃないですか。」というと、「足がよれて、ころびそうだったのよ。」と

70歳の踊り子さん。

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今年初めての出演、姉妹のライブ。釣具屋さんの娘さんです。太極拳の皆さん。私も、一

時習いに行って、これは健康に良いですよ。体調が、良くなります。

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カラオケグループの皆さん。制服をそろえての熱唱。私も、歌って良かったのですが、プロ

は・・・と言うことで、お断りされました。

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合唱の皆さん、多分メンバーが増えているみたいでした。

最後は、今年の祭の当番町で、奉納踊りをした、南船津名の銭太鼓。

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この中で、フラダンスグループ、「ブルーアイランド雲仙」のフラダンスが。

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遠くで見ると、素晴らしいですね。近くで見ると、二の腕あたりの贅肉が少しばかり・・・・


この中で、一曲、私の好きな曲、「Ka Nohona Pili Kai」。この曲、実は「涙そうそう」なので

すが、ケアリー・レイシェルという、ハワイの歌手が、日本公演を終えて帰るとき、飛行機

の中で聞いて、すぐにレコーディングしたものです。


初めて、聞いたとき、こちらの方が、「涙そうそう」の原曲かと錯覚したほど、素晴らしい編

曲です。


レイシェルは、大好きだったおばあさんの思い出を、歌ったそうです。

長いので、一番だけ。なお、ハワイ語で標記できない文字があるので、そこはアバウトで、

ご勘弁を。



Pa hanu ka pua ehu o ke kai

E holu napa ana i ka lau ki

Me he leo a ala i mapu mai

E heahea mau nei



Aloha e, aloha no

Aloha ka hali a li a mau

He nani e, henani no

He nani ka nohona pili kai


「涙そうそう」も、良い歌ですが、こちらも、すごく良い歌ですよ。

Aloha e, からは、メロディーが少し違ってきますが、とにかく良い歌です。機会があったら

是非、お聞き下さい、ハワイの歌手がいろいろ歌って、CDなんかにも収録されています。

(参考・引用:「ハワイアンを歌おう!」(株)ヤマハミュージックメディア)



来年は私も出演しようかな、口三味線は得意だから。ポチポチと。

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