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2012年9月30日 - 2012年10月6日

2012年10月 6日 (土)

雲仙まで~古写真に見る

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            (小浜町80周年記念誌より)

鉄道、バスができるまでには、小浜、雲仙に来るには、長崎の茂木港から船で来るか、

陸路、日見峠~矢上~有喜~愛津(愛野)~千々石~小浜、もしくは、諫早まで汽車。そ

れから、徒歩、人力車、馬車で来ていたそうです。

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  (長崎県衛生公害研究所報 雲仙・小浜温泉誌 平成元年より)

茂木港からの汽船ですが、こうしてみると、思ったより大きな船です。乗客は多かったので

しょう。毎日2時に出港、江の浦、有喜、唐比、千々石を経由し、午後6時に小浜へ着いた

そうです。


さて、小浜へ着いたら雲仙まで行くのに(小浜で湯治で済ませる人もいたでしょうが)、一

番上の写真、チャーカゴ(チェアー)、これは四人で担ぐもの、下の写真、二人担ぐ籠、

馬、徒歩で雲仙まで登っていました。

ただ、多分いまの国道ではなく、、山道もあったと思いますが、大変な事だったでしょう。

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 (長崎県衛生公害研究所報 雲仙・小浜温泉誌 平成元年発行 より)

明治42年の温泉(うんぜん)小浜案内記(平凡社:日本百選と土産品・名山・名湯 昭和5

5年)では、チャーカゴが3円、籠は1円50だったそうです。

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 (長崎県衛生公害研究所報 雲仙・小浜温泉誌 平成元年発行 より)

こんな大名行列みたいな、一行もあったそうです。先頭の人力車に乗っているのは、西洋

人だそうです。よほどの大金持ちさんでしょう。

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           (小浜町80周年記念誌より)

雲仙への道路の整備、車の発達で、車が利用されますが、上の車の列は、昭和7年頃の

写真ですが、ゴルフ場へ向かうタクシーだそうです。雲仙のゴルフ場は大正2年に開設し

ています。雲仙には、外国人が多数、避暑に訪れていたといいます。


なお、「長崎県衛生公害研究所(現・環境保健研究センター?)」の報告書等はネットで公

開されていますので、興味ある方はご覧下さい。

(参考・文引用:「小浜町80周年記念誌」「長崎県衛生公害研究所:雲仙・温泉誌」



温泉でゆっくりとポチしましょう。

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2012年10月 5日 (金)

雲仙鉄道 その12~古写真で見る愛野駅・千々石駅

P9210479

現在の愛野駅です。「愛野駅~阿母崎(あぼさき)駅~吾妻駅」となりますが、一時この

「愛野駅~吾妻駅」の切符が「愛野吾妻(いとしのわがつま)」ということで、かなり売れたこ

とがあります。(ちなみに、愛しのわが妻、なんて新婚当時の幻想でしょうが・・・)


さて、いろいろ写真集をあせっていたら、意外と珍しい写真が出てきて。これは大正2年頃

の愛野駅だそうです。

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   (目で見る島原・南高の100年 監修:松尾卓次 郷土出版社)

これマジと言いたいのですが、明治44年に諫早~愛野間が開通しており、大正2年に諫

早~島原が全線開通しますが、その頃の写真だそうです。

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        (長崎県衛生公害研究所報・第29号)

こちらは、「雲仙岳後援会発行:雲仙」 昭和2年 小浜町観光ホテル蔵」と注釈が入って 

います。ずいぶん違ってますね。

「小浜観光ホテル」つい数年前潰れましたが、知っていたら・・・


さて、千々石駅です。

Photo

   (長崎県衛生公害研究所報・第29号)

千々石駅の写真は、記念碑の下にプラットフォームの写真が印刷してあるの

ですが、この全景の写真を見たのは初めてでした。

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P9210483

この駅、全景の古い写真を見ていると、手前の方に欄干みたいなのが写っていますが、

今、記念碑が建っている後の方に溝が通っています。


と言うことは、どうも、この記念碑の後の畑の所に本来の駅があったのでは、と推理してい

るのですが・・・愛野町の愛津駅もやはり、本来は、記念碑の後の畑の中にあったそうで

すから。

Img_0001

           (目で見る島原・南高の100年)

愛野町~千々石間が開通した時の、開通式、大正12年の写真だそうです。人々があふ

れかえっていますが、それだけ、喜ばれ、珍しかったのでしょう。


朝夕寒くなってきました。人肌恋しい季節。ポチッとそばへ。

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2012年10月 4日 (木)

雲仙鉄道 その11~トンネル工事の写真

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          (目で見る島原南高100年~松尾卓次監修・郷土出版社)

またも、しつこく「雲仙鉄道 その11」です。これまでの分をご覧になりたい方は、左のカテ

ゴリー「雲仙鉄道」をクリックしてください。


さて、「雲仙鉄道」と一括していますが、この間書いたように、当初は、愛野駅~千々石

駅と千々石駅~肥前小浜駅に別れています。


愛野駅~千々石駅は「温泉軽便鉄道」として会社を設立。その後、「温泉鐵道」に社名を

変更、最終的に、「雲仙鉄道」になります。


千々石駅~肥前小浜駅までは「小浜地方鉄道」として設立。その後、「小浜鉄道」に社名

変更。最終的に合併して、「雲仙鉄道」に社名を変更します。込み入ってくるので、最終的

な社名「雲仙鉄道」に統一して書いています。


さて、この鉄道の記録、写真等がなかなか見つからないのですが、K町の観光ボランティ

アガイドさんが、小浜町の富津に研修に行った折、私も参加させて頂きましたが、その

時、富津のボランティアガイドさんのMさんが何気なく取り出したのが、上の写真。


ビックリしました。聞いたところ図書室の写真集にあったとか。残念ながら、本の名前は忘

れたとかでした。


3日ほど図書室に通って(暇だから)、やっと探し出しました。「目で見る島原南高の100

年 松尾次監修・郷土出版」。その他、「小浜町八十周年記念誌」からも。

5_4                   (小浜町80周年記念誌)

これを見れば、機械の無かった時代、いかに困難な工事だったかが分かると思います。

Photo

                    ( 小浜80周年記念誌)

木津のトンネルに、汽車が走ってくるところです。

図書室を調べていると、他にも「長崎県衛生公害研修所」から出ている論文にも、面白い

写真があったので、明日はそれを含めてご紹介を。


線路は続くよどこまでも、ポチ、ポチ。

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2012年10月 3日 (水)

漁人(ふなと)市場「とっとっと食堂」・その正体は~長崎県島原市

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実は、どうしようかと数日間考えていて、まあ、島原まで行って、それから決めようかと。


「嶋原半島史」という本があって、千ページ弱の上、中、下、三巻。昭和29年に発行の本

ですが、ほとんど手に入れにくく、Amazonでも、中古の本で出ていますが、何しろ5万円程

度の本。


市内の公民館の図書室にも置いてあるのですが、どこかの誰かが、何十年も借りて行っ

ているらしく、三巻揃っている所はない状態。


島原城の近くの古本屋さんで見つけ、状態はあまり良くありませんが、他の所より安く、と

いっても年金暮らしでは高く。どうしようかと、島原城の周りをグルグル回っていると、いつ

しかお昼。まあ、優柔不断のみが取り柄の私。


昼になったので、とりあえず飯でも食ってと。どこで食べようかと思っていたら、魚料理専

門のお店を思い出して。来たのは初めてですが。

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「とっとっと食堂」。「とっとっと」とは長崎弁。知人のために、取っている汽車の座席などを

他人が座ろうとするとき、「そこ、とっとっとですよ。」なんて使います。どこかみたいに「そこ

の座席は、私の知人のためにとっておりますから、ご遠慮ください」なんて、長ったらしいこ

とはいいません。「そこ、とっとっと」ですみます。


さて、この食堂は、島原市の湊新地町、上の写真の船着き場の近くに建っていますが、

ここの湊は、

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1864年(元治元年)2月22日、勝海舟、坂本龍馬一行が、長崎に行くために、熊本から

船で着いたところなのです。雲仙を越え、当日は会津(愛津・現雲仙市愛野町)に一泊、次

の日には長崎へ着きます。


なお、この周辺は幕末、明治にかけ栄えたところで、北原白秋、与謝野鉄幹、種田山頭

火、竹久夢二(「島原巷談 精霊流し」を描いています)などが訪れた所だそうです。


さて、この食堂

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その正体は、島原松平藩七万石の穀物倉庫だったのです。「殿様ん(とのさん)蔵」と呼ば

れていたそうです。


本来、この倉庫が五棟建っていたそうですが、三棟が台風、シロアリの被害で解体。残る

一棟も痛みがひどく、この倉庫だけが無事で、解体された倉庫の木材を利用して、梁や椅

子などに使っているそうです。


竹久夢二の絵が、飾ってあるので見て歩いていると、中年の女性から「説明しましょうか」

といわれ、近くの方らしく、昔の、ここらの様子を伺うことができました。なかなか、有意義

なお話でした。(美人の方でしたけれど、もう少し若かったらな・・・・)

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一日限定10食につられて、干し甘鯛の焼き魚を。おいしかったですね。家で焼いて食べ

るのとは大違い。


食堂の横には、生け簀で魚を売っていて、「ふぐ」をこちらでは「がんば」と言いますが、フ

グにあったって死んでも良いように、「棺」(がん)ばそば(棺をそば)に置いてでも食べたい

という意味ですが、その「がんば」が美味しそうに泳いでいて

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カミサンのために、「キモだけ売ってくれない」と頼みましたが、断られました。


さて、本の方ですが、目をつぶって財布から金をだして買ってきました。

全部文章ばかりですが、最初に四十ページ弱、貴重な写真があって、もったいないので一

枚だけお見せします。以前にも書いたように、明治の廃城令によって、島原城も民間払に

下げ、解体されますが、その時の写真です。

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           (「島原半島の歴史」より~林銑吉編)

今の復元された島原城。

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帰りがけに、普通の本屋さんによりましたが、「楽園のカンヴァス」(1600円)、「屍者の帝

国」(1800円)、「天守再現 江戸城のすべて」(648円)、「ハーモニー」(1600円)、「天

草回廊 カクレキリシタン」(2000円)。プラス「島原半島の歴史」。(?万円)、その他、雑

誌「俳句」「週刊朝日」「夢(健康関の本)」「ビックコミックオリジナル」「ビッグコミックスペリ

オール」を買いました。そして、昨日はついに買いました「日本キリシタン墓碑総覧」(800

0円)。ばれたら、カミサンからおごられるな、間違いなく。


もっとも、金の心配より、死ぬまでに読めるのかな?

おまけに、図書館から借りてきている本が、五冊。どれから読んで良いのやら・・・


まあ、本より、これくらい彼女がいれば、楽しいのにな。本音をポチッとばかり。

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2012年10月 2日 (火)

西郷(にしごう)の板碑~長崎県諫早市

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県指定の有形民俗文化財(昭和46年)「西郷の板碑」です。前から聞いてはいたのです

が、行ってみたら、なんと、市営住宅のアパートの前の広場に!

総合運動公園の近く「TSUTAYA」とか「docomoショップ」の後ろ側になります。


「板碑」とは、難しく言わなければ、極楽浄土へ行きたいと思う人々が建てた、中世仏教の

供養塔だそうです。下の写真は昭和50年ころの状況です「九州の石塔(多田隅豊秋

著)」。

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この板碑には種子(梵語)と建てた年号が彫ってあります。

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(クリックすると拡大します)左の写真、板碑の上の方、一番大きな円の中に胎蔵界大日

如来を現すアークの種子(梵字)。その下に、右の写真の右の円の中、不動明王を現すカ

ーンの種子。左の円の中に毘沙門天を現すパイの種子。

下の二つの円に挟まれて、建久元年十一月の文字が刻まれています。

サイズは、高さ2メートル、幅1,2メートル、厚さが7,5㎝の以外と大きなものでした。


なお、ここは江戸時代、天祐寺の末寺「石坂山慈眼院」があったところと伝えられ、板碑

の横に「石坂山」と彫られた石造物が。

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右が裏から見た写真ですが、多分、鳥居か何かに差し込むように作られているような感

じでした。


広場の隅っこの方にも、墓石のようなものが。

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ただ、片方には、「天??五?」「奉 白???門?十五萬巻」「三月吉日」と書いてある

ので、墓石ではなく、なにか、寄進したときか何かの供養塔なのかな?フランス語で書いて

あればペラペラ読めるんですが・・・

なお、この板碑は長崎の紀年銘を持つものでは最古のものだそうです。

(参考:説明版・「諫早を歩く」「九州の石塔」)

良い季節になりました。青空にポチ。     

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2012年10月 1日 (月)

宿神(しゅくじん)★夢枕獏~困ったもんだよ、この男!

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ファンだから、買いましたが、困ったもんです。


以前に「新餓狼伝巻ノ二~やっと出ました」にも書きましたが、「餓狼伝」も「東天の獅子」

も「キマイラ」も完結していないんですよ。それで、これを新聞連載してたなんて。


この間も書いたとおり、「餓狼伝」から「新・餓狼伝」変わりましたが、「餓狼伝」第一巻が

出たのが、1985年、要するに「昭和」の時代、昭和60年。今は平成24年。ず~と読み

続けていますが、「俺の青春を返せよ!」って言いたい気分。


「東天の獅子」にいたっては、第四巻の最後の方で、やっと、主人公の「コンデ・コマ」こと

「前田栄世(後、光世に改名)」が登場。但し、まだ少年として。これでは、いつ終わるのや

ら・・・


夢枕獏曰く「今現在全部で十四本の小説連載を抱えている(2008年現在)」、下手した

ら、作者の寿命で十四本の未完の小説が残るかも。


まあ、「作者といえば親も同然。読者と言えば子も同然」と言う言葉もあるじゃないですか。

(あったかなhappy01)。作者が死んでしまえば、読者は孤児も同然。どうしてくれるんですか?


さて、この「宿神」、朝日新聞に連載されていたものらしいですが、うちは地方新聞しか取

ってないので、知りませんでした。「平清盛」と「佐藤義清(後に出家して西行)」が、親友

であったという設定。


え!平清盛と西行が親友????しかし、小説に書かれているように、両人とも「北面の

武士」。まあ、あり得ないことでしょうが、そこは小説。夢枕獏さんでなくては想像できない

ことでしょう。NHKTVの「平清盛」と重ね合わせて読めば、なお面白い。第三巻と第四巻は

11月発売だそうですが、これは、完結しているみたいですから安心。


作者はいつも後書きで書いています。「・・・本編を読み返して見たのだが、いやいや、本

当におもしろい」、いつも、自作を褒めるのが夢枕獏の口癖。


面白いと言えば、「神々の山領(いただき)」。これ、山岳小説としては最高の小説に属す

るでしょう。


なにせ、「そこに山があるからだ」の名言で有名な、マロリーの写真機(エベレストで遭難。

数十年後、遺骸は見つかったが、カメラは行方不明。これは、史実。)と、日本人カメラマ

ンが巡り会うところから始まり、マロリーがエベレストへ登頂したかの謎。山岳登山の醍醐

味。


「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」、楊貴妃も出てきたりして、伝奇小説として読み応えがあ

ります。


とにかく、夢枕獏は面白い。ただ、ちゃんと最後まで書いてくれると。これ以上連載は増や

さないように祈ってます。本当に困った男です。


今日は夢枕獏に、ちょっと腹がたっているので、文章がめちゃくちゃ。(いつもかdespair


ポチしてなぐさめてね。

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2012年9月30日 (日)

この一曲~美しき天然&さよならトコロテン

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以前、ソウルフルフラワーというバンドが、ちんどん屋形式で演奏をしたCDを紹介をしまし

たが、今回は本物のちんどん屋さんです。


左のCDは「小一堂宣伝社社中」「万宣社社中」「野村宣伝社社中」さんの演奏。右のCDは

「ちんどん通信社」さんの演奏。


このCDを思い出したのは、長崎新聞の

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この記事だったのですが、この記事に出てくる、林幸治郎さん、上のCD、「ちんどん通信

社」の代表です。


実は、わたしもリストラされたら、ちんどん屋さんになろうと(クラリネット、サクソフォーン吹

けますから)、ひそかにCDを買って研究していたのですが、無事定年を迎えることが出来

ました。(本当はなりたかった。)


昔は、お店さんの開店、大売り出しの時は、必ずちんどん屋さんが来て、チラシを配りな

がら、町内をねり歩いていたものですが・・・

都会では、復活しているようですが、残念ながら、この片田舎では聞く機会はまったくあり

ません。


左のCDは、伝統的な演奏が多く、右のCDはモダン・チンドンというか、これ、ちんどん屋さ

んかというような、グーな、のりのりな演奏です。ハッピーになりますよ。


さて、ちんどん屋さんと言えば、「美しき天然」。この曲、私立佐世保女学校(現県立佐世

保南高等学校、県立佐世保北高等学校)で音楽を教えていた音楽教師、田中穂積氏の

作曲。九十九島の美しい風景を、表現しようとしたものだそうです。作詞は滝廉太郎の

「花」の作詞をされた、竹島羽衣氏ですが、田中氏がこの詩を目にして、作曲したものだそ

うです。明るくも哀愁を帯びた曲は、いつまでも耳に残っています。


美しき天然

空にさえずる 鳥の声

峯(みね)より落つる 滝の音

大波小波 とうとうと

響け絶やせぬ 海の音

聞けや人々 面白き

この天然の 音楽を

調べ自在に 弾きたもう

神の御手(おんて)の 尊しや (2,3,4番略)


一番最後の行「神の御手の 尊しや」と書いてありますが、ブログの「池田小百合なっとく

童謡・唱歌」によると、母親が、熱心なクリスチャンの影響ではなかったかと書いてありま

す。「美しき天然」について詳細に書いてありますので、興味ある方はご覧下さい。


★さて、いつも登場する「ところ天屋」さんですが、来年の7月まで店じまいです(営業は7

月~9月)。この店が閉まると、本格的な秋が来るのを感じます。来年まで食べられないの

で、3つほど買ってきて食しました。

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今日は近くの小学校の運動会。「よーいドン」ではなく「よーいポチ」。

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