« 2012年8月26日 - 2012年9月1日 | トップページ | 2012年9月9日 - 2012年9月15日 »

2012年9月2日 - 2012年9月8日

2012年9月 8日 (土)

指輪物語・フロドの旅・「旅の仲間」のたどった道~バーバラ・ストレイチー著・伊藤盡訳&「千々石ミゲル研究会」に出席の事

Photo_2

きょうは、千々石町の「ミゲル研究会」で、千々石、小浜の古写真で確認したいとかで、出

席してみました。こちらの方は30分ほどの確認で終わったのですが、このあと「島原天草

一揆~原城籠城の意味と鉛の十字架」ということで、研究者の森脇あけみさんのお話。

(下の写真の真ん中の方、森脇さんではありません。このようにして勉強しています。)

P9080007_3

原城から、十字架が出土しますが、この中で

4
                (本日の資料より)

首にかけるとき、穴の所にヒモを通しますが、見れば分かるとおり「逆さ十字架」(首に架け

れば、上の方が下より長くなって、普通の十字架の逆になる)になり、なぜこのような物を

身につけていたかの話で、書くと長くなりますので止めますが、はやり、研究者は目の付け

どころ、熱心さが、違いますね。

研究会、この次は、五島の教会あたらりを研修するそうです。


さて、熱心と言えば、この「フロイドの旅」。どうも、私、この「ファンタジー物」あまり得意でな

いのですが、あんまりの人気なので、映画で見てすましましたが、この作者の熱心なこと。


「熱烈な『指輪物語』のファンだった著者のバーバラ・ストレイチーは、トールキンの手にな

る地図以外に、より詳しい地図を、長い間待ち望んだ。そしてとうとう、自ら困難な作業に

挑むことにした。」ということなのです。


左右見開きで、一組になります。左のページ

2

物語の、地図の中身が書いてあり、右のページには

3_3

見にくいので、私の方で、赤の四角をつけてみましたが、「1月10日」「1月11日」「雪が降

る始める」「休息と話し合い」「6時間眠る」などと、地図が実に詳しく書いてあります。

この本を横に置いて「指輪物語」を読むのも楽しいかも。


作者は残念ながら、1,999年に亡くなられたそうです。と、ここまで書いて出版年を見ると

2003年、随分前ですね。「指輪物語」が好きなあなた、もう読んでますね。


とにかく、何でも熱心な方はおられるもんで、頭が下がりますが、あなたも熱心にポチして

ね。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ 





2012年9月 7日 (金)

ミニ眼鏡橋工事中★長崎県諫早市&「和元」さんでお食事

P9050318

諫早といえば、眼鏡橋。本来は本明川に架かっていたのですが、昭和32年の集中豪雨

のため、市内の川が氾濫。眼鏡橋は一部破損のみで、流されずに済みましたが、この橋

が流木を受け止め、多くの被害が生まれたとされました。


その後、本明川が拡幅され、この眼鏡橋も壊される運命だったのですが、紆余曲折を経

ながら、現在の諫早公園に移設されたものです。移設に関しては、そのデーターを取るた

め、石工達が五分の一の模型を造ったそうです。


その模型の出来があまり良く、市内で展示する予定であったそうですが、適地がなく、19

64年西武鉄道が運営していた、所沢のユネスコ村に譲渡されるも、2006年に閉園。

その後、市民有志が里帰りに取り組み、復元されることになったそうです。


以上、新聞で何となく読んでいたのですが、昨日、眼鏡橋の近くを通りかかり、眼鏡橋と道

路を隔てた、芝生公園をみると

P9050306

看板があってミニめがね橋の里帰り工事。車を停めて覗いて見ると。

P9050307

これ、出来上がりかなと思ってよく見ると、ベニア板で造ってあって、多分完成のイメージ

でしょう。近くを見るとありました、工事中の眼鏡橋。

P9050311

工期が平成24年7月26日~平成24年10月31日になっていましたから、もうじき完成。

いってみれば、親子の眼鏡橋が見られるわけで、楽しみになります。


なお、発注者は「ミニ眼鏡橋里帰り実行委員」、施工者は「社団法人 長崎県建設協会諫

早支部」となっていましたから、工事の方も、諫早市の建設業者の方、全員協力しておら

れるのでしょう。


さて、今日もカミサンが留守で、昼飯を食べるところを探していると、諫早駅の近く

P9070385

「ちょっとおしゃれに昼ごはん」の看板に誘われて、「和元(わげん)」さんへ。初めてのお店

ですが、いつもの通り、一番安いランチで「味覚膳」

P9070382

これで、食後の飲み物、デザート付き、ご飯、味噌汁、おかわり可。税込みで1,050也。

もちろん、見た目、味ともグーでした。


なお、この店の玄関に以前取り上げた、「フルベッキの写真」が置いてあり、思わずのご対

面でニヤリとしました。店の方に聞くと、いわれはご存じらしく、「いろいろあるらしいです

ね。」


入ったときに、「ご予約は」と聞かれましたので、予約のお客さんが多いらしく、予約して行

った方がいいでしょう。なお、ほとんど個室みたいでしたが、一人、個室で食事するのは何

ともわびしいもので・・・・


ひとりわびしく、昼飯食えば、古い虫歯がポチと痛む。ポチしてね。

 にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ 



2012年9月 6日 (木)

中島古墳~長崎県雲仙市愛野町

P8280005

ちょっとミステークをしまして、愛野町(現雲仙市愛野町)には「愛野町郷土誌」と「増補改

訂愛野町郷土誌」の2種類があり、後者の方には、指定文化財として、先日の「一本松古

墳」と「首塚」として書いてあるのですが、前者の方に、「愛野町古墳」として、あと二つ「権

現山古墳群」と「稲荷鬼塚古墳」というのが載っており、そして今日の「中島古墳」、合計5

つの古墳がある事になります。


さて、この「中島古墳」は、ネットを見ていると載っていたので、場所を特定して行ったので

すが、全然それらしきものはなく、ウロウロすること30分ばかり、通りかかった人がいたの

で聞くと、そこの屋敷内の家の裏だろうということで、道理で分からないはず。

P8280010

敷地の広い家でしたが、人の敷地内なので、恐る恐る尋ねると、気持ち良く案内をしてい

ただきました。


回りを廻ると綺麗な円形になっており、古墳を思わせるものでしたが、夏場でもあり、上の

方の木が茂っており、ちょっと全景を見にくい感じでした。

P8280004

古墳の上の方には、祠があり、石仏が祀ってあり、上の写真でも分かるように階段が作っ

てありましたが、本来はここにあったものではなく、他から持ってきたものだそうです。

P8280009

さて、この古墳、他の古墳が、丘陵の眺めが良いところにあるのに比べて、低地にある事

が違っています。


中島は愛津というところにあり、「津」といえば昔、船を着けるところの名。そこの中島地区

であり、郷土誌の「旧海岸線と地名」の所に、「・・・・中島は中島川の下流にあるこのような

三角州に位置した平たい砂の島であろう。」との記述があり、「愛野町郷土誌」にも、「入り

江の一番奥の低地にあってこれまでの二つの古墳とは立地が大きく異なっている。しか

し、農業を基礎にしたものとは考えられず、おそらくこの古墳は、船泊のすぐ傍ということ

を意識して造られたのではないだろうか。」と書いてあります。


なお、この橘湾沿岸は、森山町(現諫早市森山町)の唐比から「刳り船」も見つかってお

り、また、先に書いた、牧島(長崎市)の「曲先古墳」、愛野町の古墳等から、「海人集団」

が有明海、橘湾で活動していたのではないかとの見解もあります。


この「中島古墳」については、個人が居住している敷地内でもあり、調査はしていないそう

です。


最初に書いた「権現山古墳群」は、病院の建設工事があり、現地にはなく調査不可能。「

稲荷鬼塚古墳」については、場所が特定できたら、またいつか。


ポチしてお休みなさい。

 にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ 


2012年9月 5日 (水)

首塚古墳~長崎県雲仙市愛野町

P8290023

愛野町のジャガイモ畑の所に、こんもりと盛り上がった墳丘があります。直径10メートル、

高さ5メートルです。地元では「首塚」と呼んで、3つの異なった説があります。


一つは、島原の乱後、キリシタン1万人の首を、三等分し、長崎の西坂、天草の富岡、そ

して、この「首塚」に埋めたという説で、地元では年配の方に聞いても、昔からそのように

聞いていたという事でした。墳丘の下、自然石に「首塚」とのみ彫ってあり、マリア様の絵

が置いてありました。この話を信じている方が今もおられるのでしょう。

P8290015

一番上の所になにやら立っていますが、

P8290017

「南無妙法蓮華経」の文字が、島原の乱で亡くなったキリシタンを偲ぶのなら、なにやら奇

妙な?誰が立てたかは不明です。


さて、二つめの説は、島原の乱が起こる前、半島の東側は代官が打ち殺されたり、島原

城(島原の乱は島原城ではなく、南有馬町の原城が主になります。時々誤解される方がお

られるので。)への攻撃が起こったりしています。


こちらの、千々石村では治右衛門庄屋が、一揆の参加を求められますが、愛津村(現雲

仙市愛野町)の代官へ通報し、愛津村、野井村(この両村が合併をし「愛野町」になりま

す)、山田村、守山村(合併し現雲仙市吾妻町)から、農民を集め、防戦したそうで、その

時の双方の戦死者を葬ったという説。


三つめは、古墳時代後期、6~7世紀に、この地方を支配した豪族の墳墓ではないかとい

う説。

説明版には、この3つの話が書いてありましたが、愛野町郷土誌には、古墳として扱って

あり、「内部構造は、横穴式ではなく箱式棺だろうと思うが・・・」と書いてあります。


故宮崎康平氏も「「島原半島の切支丹」で、この首塚のことについて「島原の乱の首塚と

伝えられている。実は円墳」と書いておられます。


さて、最初の説については、南島原市南有馬町の八幡神社の供養塔の碑文には「乱後幕

府は凶徒の首を三分して天草、南島原、長崎の3カ所に埋葬した」とあるそうです。(島原

半島の歴史~監修・松尾卓次)


また、愛野郷土誌にも「他の資料によると三分の場所は、有馬、長崎と天草となっており、

また、これらの地には供養碑が建っていた」と書いてありますので、キリシタンの首を埋め

たという説は誤りでしょう。


現在は、古墳説が有力なようですが、ただ、気になることが一つ。あちこち古墳を見ている

と、埋葬された副葬品を狙った盗掘がかなり見受けらますが、このように目立った古墳で

ありながら、盗掘の跡が無いということは、どうも「?」でした。


私見ですが、この墳丘は、古墳時代のものではなく、第2の説が本当のことであり、島原

の乱に結びついて、第1の説になっていったのではないでしょうか?ですから、だれも手を

着けられなかったのでは・・・


掘れば、すぐにでも分かるのですが、なかなか、おっかなくて手が出ないでしょう。謎は謎

のままの方が良いのかも。


なお、このすぐ近くに「原口番所址」と「龍馬が歩いた道」の標識があります。ここの番所

を、勝海舟、坂本龍馬一行が通ったことでしょう。


参考:「愛野町郷土誌」「増補改訂愛野町郷土誌」「島原半島の歴史」「千々石町郷土誌」

P8290028_2 P8290030

朝夕、涼しくなりました。ポチポチ秋ですね。ポチよ。

 にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ 




2012年9月 4日 (火)

一本松古墳~長崎県雲仙市愛野町

P9030284

近ごろ、古墳の記事が何となく多くなって来ていますが、別段、古墳オタクではないのです

が・・・


隣町の愛野町には、3つの古墳があるということで出かけてみました。2つの古墳は、明

日、明後日、書ければ書こうと思っていますが、調査済みの古墳は、ここ一本松古墳の

みです。

P9030297_2

場所は、愛野町の「光西寺」の後方の台地の先端にあります。赤線の所から登って行きま

すが、四角の所に牛舎があり、その近くです。

Photo

               (愛野町郷土誌より)

四角の所が光西寺ですが、昔はここらあたりまで入り江があったことが伺えます。

P9030275

標柱はありますが、小さいのでよく見なければ分からない感じ。

P9030276

標識から数十メーター、道も意外としっかりしていて、中も綺麗にしてありました。

昭和四十二年に、早稲田大学と島原史学会で発掘したそうですが、基底部は、直径16メ

ートル、高さ2メートル、玄室1.9メートル×3.2メートル、前室1.2メートル×1.3メート

ル、前室に続く羨道部まで7.1メートル。


古墳時代後期、六世紀中期のもので、島原半島では、最大級の横穴式石室古墳だそうで

す。


出土品は、耳飾、勾玉、馬具、須恵器、土師器、刀子(とうす)があったそうですが、他は

盗掘されていたそうです。

P9030285

玄室ですが、盛り土は流され、天井石は外されています。壁面の朱塗り等の跡はありませ

ん。多分、天井石らしき石が横に積まれていました。

P9030294 P9030295

説明版によれば、この墳墓は有明海、橘湾を中心に交易した、海人集団の長であったろ

うと書かれてありました。地図をご覧になれば分かるとおり、愛野町は島原半島のネック

でもあるところです。

愛野町郷土誌によれば、愛野町は「水陸十字路」であるとの論考も書かれてありました。


この場所は、林に囲まれていますが、林を取り払うと、有明海、多良岳等を臨む景勝の地

だったと思われます。  (参考:「愛野町郷土誌」「一本松古墳説明版」)


9月4日は「櫛の日」。もちろん9(く)、4(し)で、「くし」。あなたの美貌にポチよ。 

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ 




2012年9月 3日 (月)

国語入試問題必勝法★清水義範~受験生必読の本?

Photo_2

今日から2学期が始まりますが、受験生にとっては、いよいよ入試勉強の終盤戦。


いつものように図書館に行って、本を捜していたら、懐かしい本が。「国語入試問題必勝

法」。この本、7つの短編からなっていますがその一つが「国語入試問題必勝法」。初出が

1986年、「小説現代」で、「入試国語問題必勝法」を「国語入試問題必勝法」に改題し、

吉川英治文学新人賞を取っています。


とにかく、意表を突くような、国語問題の解答法。国語が苦手な受験生を、家庭教師が教

えるという物語ですが、


「きみはその問題を与えられて、まず問題文を読み始めたね。それが間違っている」

「それから、もっと悪いのは、きみは読んだ文章の内容を理解しようとした。違うかい」

「・・・・もっと修行すれば問題文も読まずに正解を出すことも不可能じゃない」

なんていう、セリフがあったり、


「こういう、内容を三十字にまとめろとか傍線の意味を五十字で説明しろ、という問題は本

当はむちゃくちゃなんだよ。最低の愚問だと思ってもいい」

「そうに決まっているよ。三十字で言えることなら原作者が三十字で言っているはずじゃな

いか。それじゃ言えないからもっと長く書いているんだ。・・・・」

なるほどですね。


解答のために必要な技法として、「・・・例えば選択肢が四つある場合は、大、小、展、外、

の四つになっていることが多い。選択肢が五つの場合は普通これに、誤、というのが加わ

る。」


問題を読まなくとも回答する方法として、「・・・その、第一の法則は、長短除外の法則」

「そこで第二の法則が役に立つんだよ。それは、正論除外の法則だ」

具体的にどんな法則かというと、本をお読み下さい。面白いから。


で、私の場合は、この本が出版されたのが、受験が終わって十数年経っていましたから、

時すでに遅しでした。


と、ここまで書いて思いだしたことが、福岡で谷川俊太郎さんの朗読会を聴きに行ったら、

「いるか」という詩を朗読していました。


いるかいるか
いないかいるか
いないいないいるか
いつならいるか
よるならいるか
またきてみるか


いるかいないか
いないかいるか
いるいるいるか
いっぱいいるか
ねているいるか
ゆめみているか



朗読後、「この詩、教科書に載っているらしく、この詩にイルカが何匹いるか、という問題

が出ているらしく、作者の責任があるので数えたんですが、・・・よく分からないんですね。

数えてもしようないだけど・・・」ということを言われていました。まあ、作者にも分からない

問題もあるんですね。

さて、この「国語入試問題必勝法」、お役に立つかどうか受験生諸君、ご一読を。



入試頑張ってね。おまじないのポチを。

 にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ 






2012年9月 2日 (日)

この一曲~カローラⅡにのって★小沢健二

Photo

「カローラⅡにのって」、1994年、今から18年前に流行った歌でした。「トヨタカローラⅡ」

のCMソングです。若い方はほとんど知らないでしょうが。お年の方は、この車に乗ってデ

ートされた方もおられるでしょう。


カローラの初代が1982年~1986年。この歌に歌われているカローラⅡは、4代目で、1

994年~1999年まで生産されていました。


7~8年ほど前までは、私、某外車に乗っていたのですが、ウィンドー関係が弱いのか、毎

年1~2回は故障して、そのたびに2万円。そのうち、あちらこちら故障が来て、最終的に

修理代だけで年20万程度。


最後に動かなくなり、JAFの車に牽かれて行く時、話をしていると、外車は故障が多く、部

品が高い、高級車は機能が多いため、これも故障が多い。一番良いのは、安いカローラ

あたりですねと言われ、今はカローラフィルダーに乗っていますが、本当に故障が少なくて

と言うより、一回も故障はしていない状態。もっとも、今度はベンツを狙っていますが・・・・


カローラⅡにのって


カローラⅡにのって 買い物にでかけたら

サイフないのに気づいて そのままドライブ


彼を迎えにでかけて もう1時間待ちぼうけ

カローラⅡはその時 私の図書館


信号待ちで並んだ 同じカローラⅡは

幼なじみの彼が 彼女とドライブ


こんど友達を誘って 遠い町まで行こう


口笛を吹きながら カローラⅡでドライブ

lovely(口笛)~ 日曜日


カローラⅡにのって パーティーにでかけよう

お酒飲めない あなたは 私のドライバー


あしたきみのカローラⅡで 僕の家までおいで


カローラⅡにのって どこまでも行きたいな

ずっとすっと どこまでも 道はつづくよ

カローラⅡにのって どこまでも行きたいな

ずっと ずっと どこまでも 道はつづくよ


カローラⅡにのって

ララララララララ ラララ

ララララララララ ラララ

ララララ  (※繰り返し)

(作詞:佐藤雅彦 内野真澄 松平敦子  作曲:内野真澄)


なにか、宣伝みたいになりましたが、私、ポチに誓って、トヨタ自動車の関係者ではありま

せん。ポチネ。

 にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ 



« 2012年8月26日 - 2012年9月1日 | トップページ | 2012年9月9日 - 2012年9月15日 »

フォト
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ