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2012年8月19日 - 2012年8月25日

2012年8月25日 (土)

島原鉄道南目線廃線駅(7)~加津佐駅

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「白浜海水浴場前駅」から1.7kmで終着駅「加津佐町駅」に着きます。加津佐の方から言え

ば、ここが始発駅になるわけですが。


やっとたどり着きましたが、廃線駅が20。廃線になった部分が、「島原外港駅」から始まり

「加津佐駅」まで35.3kmになります

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駅の向こう側見える、三角帽子の建物がバンガロー村になります。

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ホームが1面、線路1線だったそうです。

5 

待合室の中が見えていたので、写真に撮ってきましたが、ポスターなど貼ったままにして

あり、何かまだ使えそうな感じ。


加津佐町には、前浜海水浴場、日本の白砂青松100選の野田浜があり、また、キリシタ

ンゆかりの地で、コレジョ、セミナリオがあったところであり、キリシタン墓碑が残ってお

り、、日本で最初に活版印刷がおこなわれた町です。


また、大智禅師ゆかりの巌吼寺を麓に置く岩戸山があり、この岩戸山については、ルイス

フロイスの「日本史」にも出てくるところです。


加津佐の風光明媚な風景は、ブログの「かづさふるさと紀行」をご覧下さい。私の方も、い

ずれ加津佐を訪れ、ブログに載せたいと思っています。


この駅に関しては、「子どもと歩く戦争遺産Ⅲ」(熊本の戦争遺跡研究会)によると、岩戸

山に砲台が設けらていたそうですが、「海上を照らす探照灯は、とうとう設置されず、加津

佐駅内に待機したままで敗戦を迎えました。」との話が載っておりました。


さて、最後になりますが、大正11年に口之津鉄道が開業をし、昭和3年に加津佐まで全

線開通、昭和18年に島原鉄道が合併、平成20年に、島原外港駅~加津佐駅が廃止に

なるわけですが、この間、第二次大戦があり、髙成長の時代があり、バルブがあり、ま

た、雲仙普賢岳による災害があり、その他いろいろな時代を経てきた鉄道だったと思いま

す。


出征兵士として、金の卵として、就職で、結婚で故郷を後にした人、出世して、また定年

で、そして傷心を負って故郷に戻って来た方。朝夕の通勤通学に使われた方。


廃線の跡に立ってみて、いろいろな人生を運んできた事を思うと、何となくジンと来るもの

がありました。跡地がどうなるかは分かりませんが、廃線になって約4年半。10年目にな

ったらどうなっているか、また、訪れたいと思います。 

                               (島原鉄道南目線廃線駅終り)


いつものポチね。

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2012年8月24日 (金)

島原鉄道南目線廃線駅(6)~東大屋駅・口之津駅・白浜海水浴場前駅

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「有馬吉川駅」から4.0kmで「東大屋駅」に着きます。駅は少し入り込んだところにあり、待

合所の横に珍しくトイレが設置してありました。


以前の写真を見ると、待合室の後ろ側に、「東大屋駅」という大きな看板があったのです

が、撤去されてありました。

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この駅、意外と雑草も少なくスッキリしていました。ホーム1面、線路1線。昭和3年開業。


「東大屋駅」から1.2kmで「口之津駅」に着きますが、ここは、駅らしきものはなく、ウロウロ

していたら、

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島原バスの営業所がありましたが、バスの車庫になっているみたいで、この後の方に、線

路跡がありました。駅舎は撤去されたのでしょう。


多分、列車の乗降口になるところでしょう。「ワンマン下りのりば」の文字が。ホーム一面、

線路1線の駅です。昭和3年開業。

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この口之津町にある口之津港は、永禄十年(1567)にポルトガル船3隻が入港し、南蛮

貿易港の一つであり、宣教師も多かったそうです。キリシタンの町でもあり、「口之津町史 

郷土の歩み」の中に、永禄11年(1568)「口之津の全人口1,200人、全員キリシタンと

なる。」との記述もあります。


「口之津駅」から1.0kmで「白浜海水浴場前駅」があります。

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ホーム1面、単線の駅です。昭和7年「女学校前駅」として開業したそうです。


この白浜海岸の砂丘から数基のキリシタン墓碑が発見されたといますが、県指定の墓碑

が展示されています。

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小型ではありますが、花十字入りの実に美しい形をした、樽型の墓碑です。


なお、ここの近くに、「流死者供養塔」があります。

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寛政3年(1791)に、雲仙岳で地震が群発し、4月に前山(眉山)が崩壊し、島原城下を

埋め、津波を起こし、対岸の天草、熊本地方にも被害をもたらし、島原領9,640人、天

草領343人、熊本領5,653人、合計14,636人の流死者を出しており、各海岸には流

死者が打ち寄せたそうです。「島原大変肥後迷惑」と言われています。


その霊を供養するため、島原領内に「流死者供養塔」を建てたそうで、その一つがこの白

浜に建てられています。真ん中の大きいのは、昭和53年に町内有志の手で建立された

そうですが、左側にも石碑がありますが、そのうちの一つ

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寛政4年の文字が彫られていますから(表は「流死塔」の文字)、これが最初に建てられた

ものだと思われます。   (参考:「口之津町史 郷土の歩み」)

いよいよ次回は最後の「加津佐駅」です。


今日は旧暦の七夕。織り姫さんと彦星さん、逢えたらチュの前に、ポチよ。

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2012年8月23日 (木)

ペコロスの母に会いに行く~岡野雄一

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今日は半日、この本のおかげで笑ったり、泣いたり、というか、泣いたり、笑ったりという

か。


内容は、表紙を見ていただければ分かると思いますが、認知症の母と息子さんの物語で

す。「ペコロス」とは、作者のペンネームだそうで、小タマネギだということだそうです。


作者は、長崎の方で、長崎弁満載ですが、ほかんとこの(他のところの)人にも、十分わか

っと(分かる)思います。


お父さんは若いとき酒乱で、苦労したそうですが、ボケが始まって、死んだお父さんの幻

想が見えるようになった来たそうですが

  2_21_2 

この、幻になって現れるお父さんも、他の登場人物も、ペコロスさんの絵のおかげで、心

温かくなります。


坪内稔典さんの俳句に

「せりなずなごぎょうはこべら母縮む」

「ほとけのざすずなすずしろ父ちびる」


という句があり、数年前に読んだのですが、私事ですが、母は本当に、あっという間に縮

んでしまいしました。父もこの一ト月、入院で、まったく、父ちびるの状態になってしまいまし

た。


父はビルマ戦線へ行き、20㎏くらいの荷物を背負って、毎日20㎞ばかり行軍したそうで

すが、その父があの状態になるとは、考えもしませんでした。まあ、89歳と、88歳ですか

ら無理もないのでしょうが・・・・


まだまだ、お父さん、お母さんが元気だと思っている方も、老いていくのはあっという間。と

いうより、自分自身が老いるのも、あっという間。私もこの歳になるとは思いませんでした。

何年かしたら、ちびるようになるのでしょうが。


皆さんの回りも、あの人がボケてしまうなんて、ということがあると思います。ボケについ

て、また、ペコロスさんとお母さんの小さいときの話などもでてきて、人と人との繋がり、家

族の事にも考えさせられました。


全国民の方に読んで欲しい本の一冊です。


うちのカミサンとも、もう少し仲良くしようかな。ポチしてね。

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2012年8月22日 (水)

2012 はだしで遊ぼう雲仙~長崎県雲仙市雲仙

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お~、いい足ですね。カモシカのようなすらっとした足heart02。今日は雲仙で「はだしで遊ぼう雲

仙」というイベントがあって出かけて見ました。私も、はだか(失礼coldsweats01)はだしになって、気持

ちいいですね。子供心にかえります。


場所は「雲仙ゴルフ場」。大正2年、日本で最も古いパブリックコースだそうで、明治36年

の神戸ゴルフクラブに継ぐ、二番目の歴史を持つそうです。その、ゴルフ場を一日開放し

て、子どもたちを思いっきり遊ばせようというイベントです。確か、以前は県が主催してみ

たいですが、今は実行委員会形式で実施しているみたいでした。


ゴルフは金持ちがやるもので、我々、下々の庶民はやれるものではない、ということで、

私、まったくやったこともなく、まして、ゴルフ場には入ったこともなく、なにもかも珍しく。


左がティーイング・グラウンドですか、ここから球を打って、右の旗の所のカップに入れる

んだそうですが、パチンコと違って景品も何もないそうです。でも、うちと違って芝の手入

れ、良い仕事してますね。

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ところで、ゴルフ場の中の砂場。何に使うんでしょう。倉庫には高級車がずらり。

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冗談はさておき。でも、自動販売機が置いてあって、「ポ○リ○○○ト」がなんと200円。う

ちの近くでは150円。はやり、庶民が足を踏み入れるところではありません。


今日のイベントはメニューもいろいろあり、小浜中学校吹奏楽部、中国の湖北省少年交

響楽団代表団の交流演奏会。


小浜中学校はマーチングでも全国大会に出場し、金賞を取った学校ですが、しっかりと

「小浜せんべい」の宣伝も。両楽団の合同演奏。民間レベルでは、こんなに和気あいあい

とやれるんですけれどね。

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この子の演奏は素晴らしかった。中国の「葫芦(フルス)」という楽器だと思いますが、広々

としたゴルフ場の中に、朗々と響く音は今日一番の感動でした。


「吾妻町はた保存会」の方も参加して、連凧、昔のはた、創作したはたを持ってきておられ

ましたが、この「どらえもん」、ちゃんと空高く飛んでいました。子供用のはたも、たくさん準

備してあって、みんな走り回って飛ばしていました。

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羊さんも(ヤギさんかな?)もいて子どもたちも喜んでいました。

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これ鍋蓋をつかって、浴衣を着てする「なべブタっ球」

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他に、長崎のプロサッカーチーム「V・ファーレン」のボールで遊ぼう。「親子で楽しむウォー

キング・ヨガ教室」など開催されていました。


ここのゴルフ場は、標高が750mのところにあり、下界は暑かったものの、ここでは黙って

立っていると少し肌寒い感じがありました。家族、団体で思い思いのところに陣取り、昼

食。私は、農協の婦人部で、おやつに「雲仙こぶ高菜まんじゅう」を買って、会場を後にし

ました。


たまには、広々としたところで、裸足で歩くのも良いもんですね。ところで、ゴルフも裸足で

するんですか?

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今日のおやつ:「雲仙こぶ高菜まんじゅう」。あんこの代わりに「こぶ高菜」が入っていま

す。

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はだしは健康にも良いとか、来年はぜひお越しを。ポチね。 

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2012年8月21日 (火)

島原鉄道南目線廃線駅(5)~北有馬駅・常光寺前駅・浦田観音駅・原城駅・有馬吉川駅

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西有家町の「龍石駅」から1.9kmで「北有馬駅」に着きます。北有馬町唯一の駅でした。

キリシタン大名 有馬晴信の居城「日野江城」があるところで、調査、整備がおこなわれ

るそうです。

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2面のホームと、線路2線。


「北有馬町」から0.8kmで「常光寺前駅」に着きます。大正15年に開業。

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常光寺前駅の後には、田んぼが広がっていました。

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ホームが1面、線路1線。南有馬町(現南島原市南有馬町)。ホームのところに、説明版

が立っていて、「百間馬場 有馬氏時代騎馬武者が日野江城と原城を往来したところで、

北岡の田園地帯は乗馬の練習場として使用した場所といわれている。」と書いてありま

す。

「常光寺前駅」から1.0kmで「浦田観音駅」に着きます。

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ホームが1面、線路1線。昭和7年の営業です。待合室にフォークリフトが置いてありまり

ました。南有馬町です。



浦田観音は、有馬晴信の子供が生まれたとき、乳不足で観音菩薩の祠を作り、祈願した

ところ乳が出るようになったそうで、乳出の守り本尊になったそうです。

行って見ようかと思ったのですが、おじさんにはあまり関係ないのでスルーしました。


「浦田観音」駅から1.1kmで「原城駅」に着きます。

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「原城駅」の前の駐車場は、飲食店の駐車場になっているようでした。駐車場の所有者は

もちろん島原鉄道株式会社です。

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この「原城駅」は立入禁止になっており、多分他の駅も徐々に立入禁止になるのではない

でしょうか。駅舎左側には駐輪場と、映画館の看板の枠が残っていました。

大正15年に開業。2つのホームと、線路2線の駅です。南有馬町です。


「原城駅」から2.4kmで「有馬吉川駅」に着きます。

2

「有馬吉川」はこの路地の突き当たりになります。

3 P6290061

駅の所に記念碑があって、「有馬吉川驛建設記念」と書いてあり、文字が随分薄れている

のですが、「大正15年」に建てられたみたいで、「金○○円也○○○○(氏名)」とびった

りと彫られていました。読んでいるとバイクでおじさんが寄ってきて、30分ほど立ち話をし

てきましたが、この記念碑の後の駐車場に駅舎が建っていたそうで、その建設費を寄付

した方の名前が書いてあるそうです。


しかし、記念碑が「大正15年」で、記録によるとこの駅の開業が「昭和3年」で少しズレが

あるのですが、駅舎から先に作ったのかな?


この駅に張ってあった時刻表を外して、近所の幼稚園に置いているとのことでした。

待合所後に駅名のプレート、ホームに駅名の標識があったそうですが、記念に貰ってお

けば良かったとの事でした。南有馬町です。


加津佐町まであと4駅です。


一日の終わりは、お休みのチュッとポチでね。(私の所はしませんが・・・)

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2012年8月20日 (月)

国見町小路(くうじ)遺跡発掘説明会~雲仙市国見町

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昨日、国見町の「小路(くうじ)遺跡」発掘調査の見学会があるというので、出かけて見まし

た。


いやはや、暑い、暑い。あまり暑いので見学者も、私一人ぐらいではないかと思っていた

ら、意外や意外。はやり、好きな方は多いもので・・・


島原半島は、当時、キリシタン大名有馬晴信が納めていましたが、その一部の、神代(こ

うじろ・国見町)、伊古(いこ瑞穂町)、古部(こべ・瑞穂町)を、豊臣秀吉が島津氏を征伐

し、九州割りをおこなったとき、割いて鍋島直茂に与えたそうです。


これは、以前より、島原の有馬氏、佐賀の龍造寺、鹿児島の島津氏に、領土をめぐる戦

いがあり、有馬、島津両氏を牽制するためであったそうですが、キリシタンへの対策だとい

う方もおられました。(佐賀の龍造寺隆信は沖田畷(おきたなわて・(島原市)の戦いで討

ち死に)。あと、まあ色々あるのですが、それは自学自習で。


この地区は平成22年度から、まちなみ環境整備事業に伴う調査をおこなっており、江戸

時代の水路跡、橋、道路などが発見されたそうですが、今回は

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アバウトで、赤く囲んだ2カ所でした。下の部分、白いところは「国見繊維」の跡地ですが、

こちらは、神代村(現雲仙市国見町)役場も建っていたそうで、ここから、江戸時代の屋敷

の基礎、青い○印の所に橋がありますが、橋の内側の「枡形」(お城の出入り口の内側に

設けられた方形の広場)、神代村役場の基礎等が見つかったそうです。

Photo_13

昔の絵図面の写しです。

二番の写真、下の赤い色で囲んだ部分。調査をした所です。

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発掘現場の横の所に橋が架かっていますが、川の中に見える石が、昔の橋の基礎になる

そうです。

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「枡形」、江戸時代の「屋敷の基礎」「玄関跡の基礎」「役場のトイレ跡」。

当時の役場のトイレは役場の建物の外に作られていたと言うことです。

Photo_6 Photo_7

Photo_8 Photo_9

今回のあと一カ所の現場は、二番目の写真の上の四角いところですが、ここは、木造一

階立ての校舎が三棟建っていたそうで、前の二棟は「雲仙市歴史資料館」として使われて

いますが、三棟目の跡は、国見繊維の倉庫として使われていたそうです。ここからは、校

舎の基礎等が発掘されています。

Photo_11 

石が並んでいますが、これが校舎跡の基礎だそうです。

ここの校舎は立派なもので、

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屋根は葺き替えたそうですが、80年配の、ここの卒業生の方と話をしていると、天井裏を

走っても、突き抜けることはなく、頑丈に作ってあり、お金をかなりかけていたようで、多

分、神代鍋島家の影響もあるではないとかいう話でした。


この暑い夏、発掘する方も大変だったでしょうが、ここに神代役場があったことなど、若い

方は全然知らないでしょうし、頑張って後世に記録を残して欲しいものです。


私もいろいろ回って見ましたが、特に若い方は(時として高齢者の方も)住んでいるところ

の事を知らない方が多いですね。


本当に昨日は、説明される方、見学される方、猛暑のなかお疲れ様でした。今度は、少し

涼しいときにね。お願いよ。(参考:「当日配付資料」「島原半島の歴史・松尾卓次監修)


残暑がまだまだ続くみたいです。アイスとポチで涼しくね。

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2012年8月19日 (日)

この一曲~小さな竹の橋の下で★バッキー白片

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暑い毎日が続きます。昔は、ハワイアンがめちゃ流行して、夏といえば、ハワイアン音楽

一色の時代がありました。懐かしのバッキー白片さんですが、ハワイアンの大物でした。

多分、若い方は知らないと思いますが・・・


さて、このCDの中に「小さな橋の下で」という有名な歌があり、サッチモことルイ・アームス

トロングが歌った歌ですが、ハワイアン音楽は、アメリカ人がハワイをイメージして作った

歌が多く、これもその一曲になります。


で、この曲いつも不思議に思うのですが、原題は「On a Little Bamboo Bridge」、当然のこ

とながら、訳してみれば「小さな橋の上で」なんですが、訳はどういうわけか「小さな橋の

」なんですが・・・?

Photo_4

まあ、日本語では意訳していますし、クラッシック音楽と違い、ハワイアンは何となく、「ゆる

ゆる」したところが魅力なので、まあ、良いでしょう。



小さな橋の下で


小さな橋よ 竹の橋の下

川の水に流れていく

あの日の夢も 楽しい想い出も

川の水にながれていく


長い年も月も 水面をいろどり

やがては消えていく 赤いバラの花びら

小さな橋よ 竹の橋の下 恋いも夢も流れていく


長い年も 水面をいろどり

やがては消えていく 赤いバラの花びら

小さな橋よ 竹の橋の下 恋いも夢もながれていく

(作詞 A.Flecher  作詞 A.Sherman)


ハワイ気分で、ゆったり、ポチポチね。 

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