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2012年7月15日 - 2012年7月21日

2012年7月21日 (土)

高下古墳&茶寮六三郎~長崎県雲仙市国見町

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国見町の高下古墳です。有名な古墳ですが、行ったことがなく島原の病院の帰りがけに寄

って見ました。大きな石が使ってありましたが、説明については、説明版の方がよく分かり

ますから下に張っておきます。

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説明版はクリック知れば拡大します。

左横の岩は外れていて、横からも見ることができます。

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説明板に「室全体が塗朱されていたと考えられます。」と書いてありますが、入り口から見

て右と奥の壁に朱の色がわかります。

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横から入り口方向を見た写真です。

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なお、肥前風土記に「土歯(ひぢわ)の池。俗(くにびと)、岸を言いて比遅波と為す。郡(こ

り)の西北(にしきた)のかたに在り。」という記述があり、「郡」とは「郡家」のことであり、

国の政庁を「国庁(国衛・国府)」といい、郡の政庁を「郡家」と言っていたそうで、郡の下に

「里」が置かれて、霊亀三年(715)にこれを改め条里制が施行されたそうです。


さて、この「郡」について、「肥前風土記」の解説書を読むと「郡家の位置は・・・郡家を国見

町高下付近とする松尾貞明説は正しい。」と書いてあったり、「新考は島原半島の北部、神

代駅の地(神代村)を郡家の遺跡地とするが、・・・・郡家を池の東南方の近く(千千石町千

千石)(注:千々石の誤りか?)の地とすれば峰の湯(注:雲仙)のおよそ北となって記載の

方向にある。」というのもあり、ここらは学説の問題でになるので、専門家に任せましょう。


さて、国見町には「五万長者」の伝説、遺跡等が在り、雲仙に寺を建てるときに、五万長者

が資材、労力を提供していたという伝説もあり、又百花台遺跡を初め、国見町一帯遺跡が

あちらこちらあるところを見ると、昔からかなり発展していたことが伺えます。


なお、場所は愛野からグリーンロードを走り、百花台への交差点をそのまま200~300m

直進すると、高下地区への標識と、国見町古墳群と書いた白い丸太が立っていますので、

左に曲がって、しばらく行くと道の右に「高下古墳」と小さな標識がありますので、見損なわ

ないように。なお、住居の中庭を通りますので一言断って。

(参考:「国見町郷土誌」「八斗木むかしむかし」「島原半島の歴史」)


今日の昼食:

今日も、かみさんが福岡へお遊びに。折角、国見町に来たので、久しぶりに「茶寮六三郎」

へ。かみさんが留守なのは気が軽くて良いのですが、その分、外食が多くなって財布も軽

くなって・・・weep

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最初、ジャガイモの冷スープが出てきたのですが、少しとろりとして、この中に温泉卵が入

っていて、これはグッド・アイディアですね。久しぶりにおいしいスープでした。

もちらん料理もおいしくて、シャーベット、ドリンク付きの「茶寮ランチ」1,200円(だったか

な?)でした。


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2012年7月20日 (金)

山領(やまりょう)その2~長崎県雲仙市小浜町山領

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山領の集落から坂道を登り、この前紹介した「山ん神様」「天狗天使像(地元では金比羅さ

ん)」の手前の方に、「這子」という所があり、そこから山に登る急坂を登ったところに「婆泣

き」という地名があり、鍋に似た形から「鍋」といわれているそうですが、そこから急坂をさら

に登り、藪の中を行くと大きな石があり、そこに穴があり「鍋ノ穴」と言い、詰めれば50名

ほど入るそうです。

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           (小浜町史談より)

ここには島原の乱を避け、老人達が隠れていたところです。ここまでたどり着いた婆さん

達が、背中から幼児をおろし、幼児はそこらを這い回ったので「這子」。それを見ながら、

先々のことを考え、無心に這い回っている孫達を見ながら、婆さんたちが泣いたので「婆

泣き」。


実は、ここまで登って見ようと思っていて、入り口までは見つけたのですが、

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ご覧の通り、イノシシ除けの柵が山道全面張ってあり、道も荒れ放題で、一人では無理と

いうことで断念しました。


なお、この島原の乱を避けて避難したところは他に「富津の四郎穴」「鬢串(びんぐし)の与

平納戸」。残念ながら調べて見ると、ここも山の中で、荒れ果ていて入れないとの事でし

た。3,4人いればなんとかなるのでしょうが・・・海の方では崖に自然浸食した穴に避難を

したということです。


こうして見ると、小浜だけでも避難したところが3~4カ所。よく、島原の乱で全滅した村も

あるということが言われますが、雲仙の山深く逃げ込めば分からない。郷土史家の人と話

をしていると全滅はあり得ないだろうという話になります。宮崎康平氏も「島原半島の切支

丹」で同様のことを書いておられます。


こうして残った村民が38戸、男68人、女73人、牛2頭、馬9頭といいます。(小浜史談よ

り)



ここの地区の途中に石造物がありますが、これはこのあたりに散在していたものを集めた

ものだそうですが、右から2番、道祖神の「小夜姫」。この像珍しいらしく、某大学からも調

査に来たそうです。ここのすぐ横にもう一つ顕彰碑が建っています。

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左が「小夜姫」。笠を右手に持った可愛い像です。場所によっては「さやごぜん」「さおごぜ

ん」「さようひめ」、場所によって多少の違いがありますが、松浦の「作用姫伝説」が形を変

えて伝わって来たみたいです。

この「小夜姫」については、物語があるのですが、ちょっと差し障りがあるところがあるので

省略します。


右の顕彰碑が「五左衛門の碑」。島原の乱後、荒廃した田畑を拡大するにつけ水が足りな

く、雲仙の加持川(別所ダムはこの川を塞いで作ったものです。)から水を引こうと思ったの

ですが、加持川は千々石の川に繋がり、千々石にとっても命の水。水争いが絶えなかった

そうです。


そこで、この五左衛門さんが交渉にいって、話し合いで決着をつけたそうです、と簡単な紹

介が本に書いてありましたが、地元の人に聞くと、千々石側がウンといわず、一計を案じ、

酒をしこたま持って行き、酒の飲み比べで勝ったら水を分けてくれと言うことで、飲み比べ

て見事勝ったそうです。川の水を7割と3割に分け、山領に3割流すようになったそうです。

はやり、本で読むだけで無く、地元の人に話を聞くのが面白いですね。


さて、気になるでしょうが一番上の写真。「這子」「婆泣」と「天狗天使」の途中に分かれ道

があり、

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黄色の方向が「天狗天使像」に行く道ですが、、右の赤線の方向に行くと、突き当たりが

市の上水道と思われる建物があり、その手前にある観音様です。まったく目につかない、

人里離れたところに何のために。はじめて見たときはビックリしました。


観音様の赤い四角の所、銘版がはめ込まれていたはずですが、はがしてありました。途中

で誰か聞こうと思ったのですが、誰にも出会わなくてまったくの謎でした。


氏神様として、若宮神社がありますが、一番古い灯籠が「文化九年」とありますから、それ

以前の神社でしょうが

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普通奉納するといえば、鳥居か狛犬か灯籠でしょうが、どういうわけか、どこから見ても立

派な牛が。

「明治」という字と「出征」という字が、そして人名が彫ってありましたから、日清か日露戦争

の時でしょうが珍しいものでした。いわれがあるんでしょうが、またもや誰もいなくて聞かれ

ませんでした。


山領という所、色んな意味で興味のあるところでした。山の方は、イノシシと蛇の季節なの

で、又寒くなったら。(参考:「小浜町史談」「おばま~史跡巡りガイド」)

                                           山領の項:終了


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2012年7月19日 (木)

山領(やまりょう)その1~長崎県雲仙市小浜町山領

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左が現在の小浜町の中心地の温泉街になりますが、ここは昔は中心街ではなく、右の写

真のように、湯元本多家が私費を投じ、明治28年、明治43年に埋め立てたもので,小浜

温泉の発展に寄与しています。その後昭和48年に小浜港が埋め立てられています。


昔は、長崎方面から小浜へ下る坂道の終わるところ、小浜高校があるあたりが中心地で

あったそうです。

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大ざっぱに、黄色で囲んだ所が北野地区、昔は古賀千軒、塩屋千軒、金屋などと言い、「

千軒」といわれたくらいですからかなり栄えていたことが分かると思います。


ここが栄えた理由は、雲仙が昔、仏教のメッカとして栄えていた頃、僧坊が1000坊くらい

あったといい、雲仙の札ノ原に300、別所に700ばかりあったといいます。


そして、別所へ行く最短の道が山領~別所の山領道であり、その人々の食料、生活用具

の生産、集積地としてここらあたりが発達したものといわれています。


赤い丸印が、現在の国道の山領入り口で、現在の国道は後からできたものですから、少し

違うと思いますが、大体ここらあたりから、この山と山の間の谷間を上がって雲仙の別所

へ登って行く道が山領道です。


別所は現在別所ダムになっており、ここらに700くらいの僧坊があったのでしょう。当時の

見る影もありませんが・・・

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さて、この山領道は別所ダムの少し下の方、千々石~雲仙に至る道に廃屋があり、この廃

屋の道路を隔てたあたりに出るらしく

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逆に下を見ると

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赤の四角で囲んだところが、さっきの北野地区になります。この谷間を登ってくるということ

であり、これが山領道です。


はじめは本当の事かと思っていたのですが、何名かの方に聞いていくと、昔はこの道を登

っていたという方もおられ間違いは無いようでした。


80歳くらいの方と話していると、石合いの港(小浜の昔の港)から外人が降りてきて、この

道を登って(雲仙は外人客が多いところでした)行ったそうで、「あら、又外人さんが行きよ

らすばい」などと話をしていたそうです。


その方自体も、岸惠子と佐田啓二(知らない人が多いかな?)の「君の名は」の撮影が雲

仙であったとき、赤ん坊を負ぶって、この山領道を登って見に行ったそうです。


確かに、今の雲仙道路、これも昔の道とは全然違いますが、よく考えるとこの山領道の方

がはるかに近くて、楽なような感じです。でも、昔の人ってすごいですね。こんな所を登って

いったなんて。この道を探しているのですが、また、寒くなってからのお楽しみというところ

で。


この、山領というところ、「隠れキリシタンの像」と思われる像が二つあり、以前載せたこと

がありましたが、その他にも興味があるところがあるので又明日。


「隠れキリシタン像 その1」は→こちらをクリック

「隠れキリシタン像 その2は」→こちらをクリック


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2012年7月18日 (水)

結の浜マリンパーク~夏だ、海だ、ビキニだ(諫早市飯盛町)★森のしらべ(雲仙市千々石町岳地区)

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千々石から長崎へ、海沿いの251号線を通るとき、「結の浜マリンパーク」と言う看板が2

カ所ほどあって、いつも気になって、夏は近いし、牧島の「国指定 曲崎古墳群」に寄って、

ここへ来てみました。


調べて見ると、平成14年にオープンした人工の海水浴場だそうですが、景色も良く、砂浜

も綺麗でした。平日でしたが少しばかり泳いでいる人が。

後に見える山で、右から3番目。ご飯を盛ったような良い形をしていますが、その通り「飯

盛山」です。町名の「飯盛町(いいもりちょう)」の由来になった山だとか。

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右が「下ノ島」左が「上ノ島」だったかな?奥に少し霞んでいるのが雲仙。風光明媚な所で

す。

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施設も十分整えてあります。


駐車場代が、普通車500円、マイクロバス1000円、大型バス2000円、バイク100円。

写真でも撮ろうと思っていたら、早々と入り口におじさんがいましたが、写真撮るだけだか

らと説明したら、少しの時間なら只でということで入れてもらえました。


帰りがけ、お礼を言って、いろいろ喋っていたら、軽自動車で女の子が2~3人、ビキニの

上にタオルを掛けて入っていったので、わたしも今度は500円払って・・・lovely


本当に良い所です。長崎市の方はめっけものの海水浴場。市内からそんなに遠くありませ

ん。251号線に看板が出ていますから是非どうぞ。


少し行ったところに、諫早市指定文化財の「川下の牛のはなぐりも」もあります。膝を痛め

ているので、浜石の所が歩けなく、説明版の写真で

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さて、家に帰っても誰もいないし、3日連続の外食。一回入ってみたかった所に。

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レストハウス「森のしらべ」です。千々石から雲仙へ登る道の少し下にありますが、道に看

板も出ているのですぐに分かります。


パンフレットによれば、宿泊は1日1組の限定。2階には3部屋、、和室(8帖)、リビングル

ーム(12帖)、ベッドルーム(10帖)。家族で行ってもゆったりできるでしょう。風呂はすぐ横

の渓流の所に「残響の湯」と言うのがありますから、川音でも聞きながらゆっくりと。


一階がレストランになっています。

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本日のランチは、コーヒー付きのトルコライス。かみさんは、このとんかつ、カロリーがどう

のこうのと、3分の1くらいしか食べさせてくれないのですが、今日は一枚食べてきました。

何年ぶりかな、とんかつ一枚食ったのはconfidentrestaurant


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2012年7月17日 (火)

300万本のヒマワリ~諫早湾中央干拓地

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朝からは梅雨が明けたような快晴。かみさんは又どこかへお出かけ。ひとりぼっちで寂しく

留守番するのもしゃくだし、昨日、諫早湾中央干拓地で300万本のヒマワリが咲いている

と、TVの放送があっていたのでそちらへお出かけ。(各写真はクリックすると拡大します。)

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梅雨のせいか、少し咲き具合が悪いようでしたが、ここと、あと1カ所同じようなヒマワリ畑

がありました。バックは多良岳。25ha、東京ドーム5個分でしたか。「読まれた鼻毛が5万

本、取ったピースが5万本、書いた始末書5万枚、飲んだビールが5万本」とか「100万本

のバラ」なんて言う歌がありましたが、、300万本にはかないませんね。数えたら本当に

300万本ありましたhappy01

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このヒマワリ、観賞用ではなく、愛菜ファーム株式会社というところが、土壌改良のため植

えたものだとか。

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トラックターで、ヒマワリを土の中にすき込んでいました。昨日の放送では八月頃まで見ら

れるとか。


初めての方は、場所が分かりにくいと言うより、諫早湾の干拓の歴史は江戸時代以前から

始まったそうですから。中央干拓地と言っても少し分かりづらいでしょう。

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諫早から雲仙に向かう途中、干拓の里とか、諫早少年自然の家の看板がありますから、

左折してしばらくいくと「諫早湾干拓中央干拓」の看板が。あまり目立たないのでよく見て。

あとは、この看板が何カ所かありますから、その通りに行けば「中央干拓地」に行き着け

ます。ヒマワリ畑は探してください。


なお、この中央干拓地に行くとき、川と堤防がありますが、ここが古い干拓地と、新しい干

拓地が分かれる所だったと思います。この堤防の国道側の古い干拓地は、今の時期はほ

とんど稲作。新しい干拓地は、野菜などの畑です。行かれたら見比べて下さい。

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さて、図書館によって、帰りがけが丁度昼食時、どこで食っていこうかと、2軒ばかり回った

のですがお休み。かみさんが、いつもお食事会に利用している、森山町は唐比の「あじ菜」

に。


唐比のハス園の近くですが、ちょっと国道から入り込んだところで、分かりにくいのですが、

本日も満員状態で、リピーターの方が多く、人気の店みたいでした。数名で予約して二階

の座席を取ってもらえば、雲仙、橘湾、天草まで見えて景色も良い所です。

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さて、明日もかみさんは用事で留守だとか。どこに食いに行こうかな。


ヒマワリさんにポッチね。

 

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2012年7月16日 (月)

やまめの里(千々石町)~長崎県雲仙市千々石町岳地区

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昨日、日曜日は町内一斉清掃で5時起床。地区によって違いますが、私の所は道も全面

舗装で草も生えてなく、溝は蓋がかぶせてあって浚うこともなし。30分ほど近所の人と喋

って、家に帰って一眠り。


午前中ちょっと用事があって、帰りがけ丁度昼食時間。かみさんは絵画教室とかいう名

の、私から見れば(誰から見ても)ぬりえ教室にお出かけ。どこかで飯でも食おうかと。


日本の棚田百選の岳地区にちょっとしゃれたペンションがあって、飯も食えるというので行

ってみたら、「本日貸し切り」の札、宿泊客が多かったのでしょう。と言うことで、すぐ近くの

「やまめの里」へ。


昨年も「やまめの里」については書いたのですが、読み返してみると余り雑だったので、今

日は少し詳しく。


場所は、ネットやスマートフォーンで「千々石 やまめの里」で取れますからそれを参考に。

途中から狭い道になるので要注意。

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左に清流を見て、途中水分神社があったので、寄って見たら、「寿百歳記念」の灯籠が。

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左が食堂。駐車場はまあ十分にある方でしょう。昔はこんな立派ではなかったのですが。

儲かっているのかな?食堂の左手でやまめを養殖しています。豊富な水量。

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見学者用の通路がありますから、見てみると、あいかわらず凄い数のやまめ。猫が狙って

いましたが、落ち込んだら溺死になることは分かっているらしく、眺めているだけでした。

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食堂の中でも食事はできますが、ここは外で食べるのがベストでしょう。この横に渓流が

流れていて、涼しさを運んでくれます。この日は日曜日のせいか、お客さんが結構入って

いました。


メニューは単品で、塩焼き、姿揚げ、刺身、背切り、おにぎり、ソーメン。私は塩焼きとおに

ぎり(三個。棚田で取れた米。ここの米はおいしいので有名で、わが家でもここの米を使っ

ています)。そーめんの方が良かったかな?


さて、ここには釣り堀があり、

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生け簀のやまめが、こぼれて流れてくるのでしょう。二組釣っていましたが、両方とも20

匹ばかり釣れていました。ただし、買い取り制で、釣り道具、竿一本と餌で、10匹まで2,

100円、追加は1匹で400円。


釣りの苦手な方は、生魚のお持ち帰りも出来ます。1㎏で2,500円。だいたい7~8匹だ

そうです。持ち帰ってバーベキュウすれば最高ですよ。わが家でもやったことがあります

が、串刺しにして炭火で焼けば旨いこと、旨いこと。


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2012年7月15日 (日)

この一曲~一本の鉛筆★美空ひばり

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先日、母から電話があり、「美空ひばり」がどうとか、「一本の鉛筆」がどうとか、とにかく喋

りかかったら、話があちらこちらにいって長電話。何しろ、4時間電話で喋っていたという人

ですから。


やっと「美空ひばり」が昔テレビで歌っていた「一本の鉛筆」の歌詞と、楽譜が無いかとのこ

と。ネットで探したらすぐ出てきましたが。最初聞いたときは、あまり良い曲だなとは思わな

かったのですが、段々聞いているうちに、じわっと好きになってきて。


調べてみると、この歌、第一回広島平和音楽祭のとき、美空ひばりが歌った曲だそうです

が、冷房付きの控え室でなく、8月の暑い中、ずっとステージの横にいて、「あの時、広島

の人はもっと暑かったのでしょう」とつぶやいたそうです。


第15回の音楽祭の時にも病身をおして来て歌ったそうですが、出番の時以外はベットに

横たわって点滴を受けていたそうです。翌年に逝去されました。美空ひばりさんも好きな曲

だったそうです。




一本の鉛筆


あなたに聞いてもらいたい あなたに読んでもらいたい

あなたに歌ってもらいたい あなたに信じてもらいたい

一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く

一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く


あなたに愛を送りたい あなたに夢をおくりたい

あなたに春を送りたい あなたに世界をおくりたい

一枚のザラ紙があれば 私は子どもが欲しいと書く

一枚のザラ紙があれば あなたを返してと 私は書く


一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く

一本の鉛筆があれば 人間の命と 私は書く

(松山善三 作詞 : 佐藤勝 作曲)



この歌、You Tubeでたくさんの方が歌われていますのでご覧下さい。この中で、鈴木君代

さんと言う、僧侶でシンガーの方が「八月六日の朝」の所を「八月六日と九日の朝」と歌っ

ていました。


九日と言えば長崎に原爆が落とされた日。広島平和音楽祭の歌なら六日だけで良いので

すが、九日と入れていただいたのは、祖父を原爆で亡くし、身近に被爆者の方を見て育っ

た私にとってはありがたいことでした。


長崎原爆の日」ということで昨年書きましたが、あれから一年。平和祈念像も2,3日前、

式典に備え綺麗に洗ったそうです。暑い夏がまた来ます。


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