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2012年7月8日 - 2012年7月14日

2012年7月14日 (土)

スマートフォン買い換え&ところてん屋さんオープン~雲仙市千々石町

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カトリーヌ・ドヌーブ。良いですね。私の待受画面に使っていますが、この大人の色気。「シ

ェルブールの雨傘」「反撥」「昼顔」など、映画界を一世風靡しましたが。


今日は、カトリーヌ・ドヌーブの話では無く、スマートフォンの話でした。

右がiPhone3S、左が今発売の中のiPhone4Sで、サイズが少し違いますが、少しの違いが

手に持って持ってみると意外に違った感じ。


どういうわけか、Appleの製品をなにやらかにやら持っていて

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iPadにiPod classic、nano、そしてiPhone.。iPadの壁紙は、マリリン・モンローですが。


3Sが2年経って、このまま放っておくと、そのまま7月中に自動継続になるために、買い換

えを考えて、いろいろありましたが結局は使い慣れたのを。


さて、aショップにするか、Sショップにするか考えたのですが、2年前Sショップで買った一月

後iPhone4が発売。ちょっと耳打ちしてくれても良いじゃないですか。「一月くらい待てば新

しいのが出ますよ」って。もっとも後で聞くとショップの方にもAppleの情報はまったく入って

こないそうですが、でも、何となく分かるんじゃないですか?


そんな事情もあり、また、Sショップの方は、わが家が電波の届くぎりぎりの所らしく(田舎だ

から)、時々切れることがあり、今回はaショップの方で購入してみました。


ショップによって若干の違いがあり、Sショップではdocomoの携帯から電話帳を(両方使っ

ていて、電話帳はほとんどdocomoの方)移してくれましたが、aショップでは自分でしてくれ

とのこと。なんとか自分でしましたが。保護シールも貼ってくれたのですが(これ私苦手

で)、今回はやんわりと断られました。


この4S、1番便利なのは、TV宣伝でもやっていますが、音声を理解する「Siri」の機能がつ

いていること。今までは見えにくい老眼でボタンを押したり、タッチしたりでメールを打った

りしていたのですが、この「Siri」を使えば、メールでもメモでも電話呼び出しもスケジュール

表も喋るだけで良いという優れもの。


「メールを打つ」といえば、「どの方ですか?」「○○さん」「件名はなんですか?」「ごめん」

「内容はどうしますか?」「昨日は怒ったけど、本当は愛してるんだ」「送信しますか?」で済

み。


時々間違いますが、「8時なら空いてます」を「8時なら相手ます」。まあ、ご愛敬でしょう。

電話かけるときも「○○に電話」で済みますから。文章の方は、あまり長文は無理みたいで

すが、文節に分けながら多少手を入れていけば十分役に立つでしょう。


もう一台のdocomoの携帯もこの機能ついてますが、比較にならないくらい良く取れます。

もっともdocomoのスマートフォーンもこの機能がついているようですが、比較はしていませ

んが、どうなんでしょう?


とにかく、この「Siri」の機能はめっけもんでした。でもまあ、かみさんと私の携帯とスマート

フォン、黒電話、計4台、プラスPCのネット回線代。情報化時代は高くつきますね。


さて、7月と言えば去年も書きましたが、7月から9月までしか開店しないトコロテン屋さん

オープンしました。

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Photo_4 Photo_5

店も、店内も、商品はトコロテンとラムネのみで、昨年と変わらず。変わったのはお互い一

つずつ歳を取ったくらいのもの。勿論、トコロテンは手作りで、この店内の写真の左側に大

きなガス釜が取り付けてあり、そこで作っています。汗を拭きながら、トコロテンを食べるの

も、時代を遡った感じでも良いもんですよ。場所は、千々石第一小学校付近で聞けばすぐ

に分かります。



美容と健康のためにトコロテンとポチよ。

 

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2012年7月13日 (金)

役小角(えんのおづの・おづぬ・おつの)の像 ~雲仙市瑞穂町岩戸神社付近

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瑞穂町の知人から、岩戸神社の付近に「役小角の像」があると言うことを聞き、梅雨の晴

れ間出かけて見ました。場所は黄色の所ですが、赤の四角の所が岩戸神社の入り口。矢

印の方向がキャンプ場になります。

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「役小角」は修験道(山伏、古くは山臥、山中に起臥して修行する事を第一とするという事

から「山臥」というらしいのですが)の祖師として仰がれており、鎌倉中期正嘉元年愚勧住

心らが編んだ「私聚百因縁集」に「役行者ノ事」について「山臥ノ行道尋源皆役行者ノ始テ

振舞シヨリ起レリ」と書いてあり、(役行者(えんのぎょうじゃ)は「役小角」の事です)、山伏

の源が役小角だったことが伺えます。


なお、「役小角」は架空の人物だったと思っていたのですが、実在の人物らしく、「続日本

紀」にも「役君小角流于伊豆島初小角住於葛木山・・・・・」と記述があり、途中、「讒以妖

惑」と書いてあり、伊豆島に讒言で流された事もあるそうです。ウィキペディアにも若干書

いてありますので興味ある方は参照して下さい。


さて、左が「役小角」の像、右には3体の仏像が置いてあり、

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立派な石屋根の祠に入っています。右手は何かを握っているような感じですが、錫杖を持

っていたのでしょう。

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この、足元。一本下駄を履いた足のリアルな表現。爪まできちんと彫りこんでいます。岩戸

神社へお参りに来たときにご覧下さい。見応えがありますよ。


「瑞穂町誌」によると、「水神様」として「田植後に部落総出で、岩戸さんに酒肴を持参して

祝った。」と書いてあり、ここの写真が載っていましたが、この右の3体の仏像も関係あるの

でしょう

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後は岩の岩盤ですが、字が彫ってあり、この日は濡れていて良く読めませんでしたが、

「水波□(不明)神」「明治12(以下不明)」という感じでした。真ん中は十一面観音様でしょ

う。


清水がこんこんと湧いていて、夏向きの良いところですよ。水もきれいで、汲に来ている方

もいるような感じでした。なお、説明版がありましたから下に張っておきます。

(参考:修験道史研究~和歌森太郎著)

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2012年7月12日 (木)

千々石ホテル~雲仙市千々石町

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             (千々石町史談第2号)
      

千々石にも昔ホテルがあったのです。建物はもうありませんが、場所は、公民館の裏側あ

たりになり、当時の千々石町(現雲仙市千々石町)が公園化しています。公園化するまで

は木が生い茂っていたのですが。

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一番上の写真で、門の所に人力車が止まっていますが、この門は現存しています。

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敷石がありますが、これも当時のままで、敷石が終わった所にホテルが建っていたのでし

ょう。


千々石史談第2号の、橘周次郎氏(橘中佐のお孫さんで、現在橘神社の宮司をつとめら

れてます)の記事によると、ホテルを作ったのは、城代良治。橘家(橘中佐)の親戚で千々

石有数の資産家であったそうです。城代家は幕末、財政難に苦しむ島原藩に貸し付けを

おこなうほどの豪農であったそうです。

城代良治は、町会議員、南高来郡々会議員も務めていたそうですが、ホテルの営業時期

については不明だそうです。


さて、雲仙のビジターセンターで、展示会をやっているとき、行って見ると、当時のホテルの

宣伝記事が展示してあり、富貴屋ホテル、一角楼ホテル、九州ホテルに並んで千々石ホテ

ルの宣伝が掲示してあり、

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   (長崎大学工学部工学科社会環境デザインコース展示より)

左は「雲仙案内記(明治42年)に掲載されたもので、上の方は英字、下の方はロシア語で

書かれています。当時はロシアからの観光客が多かったことが伺えます。また、長崎から

近いこと、石と松林が多く、素晴らしい海水浴場であり、雲仙へのメインの入り口である事

などを宣伝しています。外人客が多かったのでしょう。


長崎から愛野まで2時間、愛野町から人力車で50分、雲仙までチェアー(以前書いたこと

がありますが、椅子に担ぎ棒を付けて担ぐもの)又は馬で5マイルである事が書いてありま

す。


右の記事は、長崎の英字新聞「THE RIGING SUN AND NAGASAKI EXPRESS」と「THE 

NAGASAKI  PRESS」に掲載されたものだそうです。


なお、このホテル跡には大きな岩に囲まれた庭がありますが

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昔を知っている方と話していると、この岩は持って来たものでは無く、雲仙の爆発で吹き飛

ばされてきたか、溶岩だということです。すぐ近くに小学校がありますが、校舎を作るとき

も岩石がたくさん出てきていたそうです。


よく手入れしてありますから、季節が良くなったら二人で来てね。何にも無いけど、返って

落ち着いて、静かで良いとこですよ。

(参考及び写真:「長崎大学工学部工学科社会環境デザインコース」「千々石史談第2

 号」)


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2012年7月11日 (水)

阿比留文字(神代文字)の祠~雲仙市吾妻町

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いろいろ郷土誌を読んでいると興味ある事が書いてあり、「吾妻町史」に、「阿母山(あぼや

ま)の堤には、峯武社掌(旧制の神職の名)による・・・・美津能加美と刻んだ阿比留文字が

建てられている。」と書かれており、ただし、この峯武社掌は大塚古墳(旧守山村・現吾妻

町)の報告書を記述している方でもあり、あまり古いものではないなと思いながらも、「阿比

留文字」は「神代文字」(じんだいもじ・かみよもじ)の一種であり、漢字が伝来する以前の

日本で使われた文字の一種。一度は見てみようと、梅雨の晴れ間をぬって。


ただ、この神代文字については、古くから賛否の議論がありますが、賀茂真淵、本居宣長

などと比べられる平田篤胤は肯定論者の一人です。ここらあたりは、ネットでいろいろ書い

てありますので各自、自習ということで。


なお、阿比留文字は「あびるもじ」「あひるもじ」の標記がありますが、対馬国の卜部氏・阿

比留氏に伝わっているということであり、阿比留という氏名は対馬では「あびる」と読み、

「あびるもじ」の読みが正しいと思います。


とにかく実物を見てみようと行ったのですが、場所がまったく分からなく、丁度、義兄が吾

妻町にいるので話をして、郷土史の写真を見せると、「俺の妹のとこたいと」。と言うこと

で、案内をしてもらいましたが

P7090520

赤の四角の所で、まあ、こんな所は知った者しか分からない。

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この祠の中に上に書いたような文字が彫ってありました。吾妻郷土史によると「美津能加

美」と読めるそうです。見るとハングル文字に似ており、阿比留文字はハングル文字との

関係もあるとの説もあり、確かに対馬の阿比留氏に伝わっているものなら、対馬は古くか

ら韓国との交流もあり考えられることでしょう。(ただし、ハングル文字は1446年に李氏朝

鮮4代国王の世宗が、「訓民正音」の名で公布)。阿比留文字がハングル文字に影響を与

えたという方もありますが・・・


ネットで調べるとこの文字の読み方が載っているホームページがありますから、興味ある

方は調べて下さい。


ただ、この祠の横を見ると

P7090502

「平成17年5月吉日復元」の文字、どうも理由が分からないので、詳しい方を訪問。この

「復元」については、ここ一体は竹林で竹に持ち上げられ、傾いていたので屋根の部分を

復元したとのこと。中身はそのままとのことでした。



「美津能加美」については、ここの下に堤があり水がたまるようにしてあり、その関係で「み

つのかみ」と彫ったのかと思っていたら、ここの堤で小さい子が溺れ死んだことがあり、そ

れを弔うために建てられたものだそうです。


なお、ここは今は竹藪になっていますが、ここの下の堤の所に土俵があり、この祠の所ま

で観客用の段が作ってあり、昔は賑わったいたそうです。ここに二つ灯籠があったそうです

が、いつの間にか無くなってしまったそうです。



吾妻郷土史には、峯家は一乗院系感応院の修験道であり、修験道の秘字が伝えられた

のではないかと記述されています。しかし、峯武社掌がどうして阿比留文字をここに使った

のかは謎でありました。(参考:吾妻町史)


今日から交通安全運動週間で~す。安全を祈ってポチしましょう。

 

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2012年7月10日 (火)

この絵、どこがすごいの・名画のひみつと鑑賞のルール★佐藤晃子

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梅雨の晴れ間、畑が草ぼうぼうで、久しぶりの草刈りと、土を耕して、合間を見て、古代文

字で書いてある祠があるとかで調べに行ったりと、昔のご隠居様のように日当たりの良い

ところで猫の相手でもして、盆栽でもいじくって、ゆったり老後を過ごそうと思っていたので

すが、人生思ったようにいきませんね。


さて、その間を縫って上の本、面白かったので一気に読んでしまいました。よくNHKで、名

画の謎に迫るという番組をやっていますが、この本も、NHKに負けず劣らず素晴らしい本

でした。

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一つの作品について、6ページを使って解説をしています。まず一つの作品を紹介し、次ぎ

問いかけをしています。右のページ「1 この男女はなにをしているの?」「2 結婚を暗示

している?」「3 画家が残した謎めいたサインとは?」「4 男女の手に注意」「5 新説 妻

はすでに死んでいた?」と言うことで問いかけがしてあり、次の2ページに問いかけの説明

がしてあり、そのあと「もっと知りたい ウラ話」、最後に画家の説明。計6ページと言うこと

です。


取り上げられた作品は、「アルノルフィーニ夫妻の肖像~ヤン・ファン・エイク」「ヴィーナス

の誕生~ボッティチェリ」「モナ・リザ~レナルド・ダ・ヴィンチ」「最後の審判~ミケランジェ

ロ」「小椅子の聖母~ラファエロ」「聖マタイの召命~カラヴァジョ」「夜警~レンブラント」「ラ

ス・メニーナス~ベラスケス」「裸のマヤ~ゴヤ」「オランピア~マネ」「印象・日の出~モネ」

「説教の後の幻影~ゴーギャン」「大水浴図~セザンヌ」「赤い食卓~マティス」「アヴィニョ

ンの娘たち~ピカソ」「源氏物語絵巻~柏木二」「彗可断臀図~雪舟」「楓図~長谷川等

伯」「彦根屏風」「風神雷神図屏風~俵屋宗達」「南天雄鶏~伊藤若冲」「松に孔雀図~丸

山応挙」「富岳三十六景・凱風快晴~葛飾北斎」


実に多彩な絵が取り上げられています。入門書としても最適、この本を読むと、名画を見る

ポイントなどが分かり少しは絵画の通になれますよ。彼女か彼と絵画展なんかに行って、

軽く薀蓄はいかが?


また、ポチお願いね。

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2012年7月 9日 (月)

力石後日談~雲仙市千々石町 付録:おっぱいパン

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6月13日に「力石★温泉神社&千々石少年自然の家」と言うことで書きましたが、その後

のことを。


記事を書いたあと、四日市大学の高島先生から、力石について情報提供の依頼があり、

そんな研究まであるのかとビックリしましたが、ちゃんと本まで出版されてあり、ホーム

ページもあり→こちらをクリック 。なかなか興味あるものでした。

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連絡するとともに、こちらの力石ついても分からないところがあり、同時に質問をお願いし

ました。


ひとつは、一番上の温泉神社の力石に書いてある文字の判読。もう一つは台にかいてあ

る「美多良志」の文字の意味。

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はやり専門家は専門家ですね。この石は以前調査をしており、その折はこの台はなく、地

面に転がしてあったそうですが、この文字については、「奉納 力石 目方三百四十斤 東

京相撲 荒飛甚大夫 明治十六年三月九日」と書いてあるそうで、340斤というと、1斤が

600グラム、0,6㎏ですから、340×0,6=204㎏で、長崎県の重量刻字では最重量で

あり、年代が刻字してあるものでは最も古いものだそうです。


郷土誌にも、荒飛という力士が小脇に掲げて浜から持って来たという話が書いてあります

が、本当のようです。


先日、かみさんの兄弟会(食事会)で話をしていたら、義兄が若い頃この石を持って、力比

べをしていたとのことで、持ち上げることは出来たが、肩まで持ち上げることは出来なかっ

たとのそうです。ただ、1,2名の者が肩まで持ち上げたそうです。204㎏ですよ。


さて、「美多良志」ですが、この台は「手水鉢」を転用してしるのだろうとの事。「御手洗(み

たらい)」を「みたらし」とも読み(辞書を調べたらちゃんと載っていました)、その当て字では

ないかとのこと。(「みたらし」は神社で参拝者が神様に拝む前に水で手や口を洗い清める

所とあります)


たしかに、この神社の「御手洗」は新しいものができているので、これは古いものに間違い

ないでしょう。寄進するときに「美しい」ことが「多く」、「良い」「志」でありますようにということ

で「美多良志」と当て字にしたのではないでしょうか。


自然の家の力石は、郷土史家と、その当時の事を知っている方と確認に行ったところ、昔

は、山の上に畑があり、山道を登りきったところに「休み場」という所があり、「力石」と書

いた、大きな浜の石が置いてあったとのことです。

Photo_5 Photo_6

左が山道、ここを牛を引いて登ったこともあるとか。右の写真が「休み場」あたりですが、駐

車場ですっかり変わっています。


もう一つ

P6250320_2 P6250325

文久二年に建立された郷土出身の力士の碑。この裏にあったそうですが、無くなっていま

した。まだまだ、散逸した力石があると思いますが、勉強していくと面白いもんですね。


付録:おっぱいパン

南有馬まで調べものをして、帰りがけ見つけました。

Photo_8 Photo_9

浦田観音様というのがあって、拝めば母乳がでるというご利益があるそうですが、それに

あやかって作っているそうです。おやつに買ってきて、しゃぶったり、ねぶったり、揉んだり

した後(久しぶりでした)、いただきました。おいちかったヨlovely


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2012年7月 8日 (日)

この一曲~ウォーター・イズ・ワイド★メアリー・ブラック

Photo

メアリー・ブラックというと、知っている人は知っているし、知らない人は知らない。当たり前

のことですが。アイルランドの歌手です。アイルランドというとケルトミュージックがあり、エ

ンヤなども有名ですが、メアリー・ブラックもアイルランド音楽の代表歌手でしょう。


メアリー・ブラックの歌はよくTVのCMのバック音楽と使われて、聞けば、ああ、この曲かと

分かると思います。


このCDジャケットで見ると、ロックン・ロッカーという感じですが、ロッカーでありません。

ライナーノーツから引用します。「メアリー・ブラックをとり囲む環境は良くも悪しくも「家庭

的」「手作り」なのです。・・・メアリーの音楽をつくっていくこの「手作り」の姿勢がスタッフ全

員大好きなのです。・・・・・そしてこの姿勢が音にもあらわれ、私たちの心にも伝わってくる

のです。等身大の心やすらぐ温かい音です。」まったくその通りです。


数年前、NHKだったと思いますが、南こうせつが、メアリー・ブラックを訪ねて行く番組があ

りました。彼も又メアリー・ブラックのファンだったのでしょう。


そのなかで、メアリー・ブラックの演奏会の場面がありましたが、大きなホールではなく、い

わば、日本の地区公民館の講堂の少し大きくて、しゃれた作りの所で、椅子を並べている

わけでもなく、近所の人が集まってという感じで、小さな子はフロアーの絨毯に座りながら、

その前で歌っていた記憶があります。こんな感じでのコンサートをする、メアリーブラックを

素敵だと思い、観客の人がうらやましくてたまりませんでした。


このCDから一曲選ぶとなると「ノー・フロンティアーズ」「アレンデイルの薔薇」「ウォータ・イ

ズ・ワイド」「ソング・フォー・アイルランド」いろいろありますが・・・ロマンティックな私に合わ

せて「ウォーター・イズ・ワイド」を。



ウォーター・イズ・ワイド



海は広く わたしは越えていけない

そしてわたしには 飛び越える羽もない

二人を乗せて行ける船を下さい

そうすれば 愛しい人とわたしは海を越えていくでしょう


※ああ 愛は優しく 愛は甘い


それは 初めは最も甘やかな花のよう

でも 時を経て古くなるとひんやりとしてきて

朝の露のごとく消えていってしまう

船がある 海を走る船が

荷物を一杯に積み込まれ 水面に沈み込みそう

でも 私の愛の深さほどではない

どんな風に沈むのか泳ぐのか わたしには分からないが


※同じ


海は広く 私は越えて行けない

そしてわたしには 飛び越える羽もない

二人を乗せて行ける船を下さい

そうすれば 愛しい人とわたしは海を越えていくでしょう (対訳;茂木建)


歌詞だけを書いていても、なんか空しいですね。やはり、歌で聞くべきでしょう。メアリーブ

ラック、You Tubeで少し流れています。是非、お聞き下さい。

(参考:ライナーノーツより)


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