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2012年6月17日 - 2012年6月23日

2012年6月23日 (土)

小浜/ジャカランダ祭★千々石/仙落としの滝★唐比/ハス園~雲仙市小浜町・千々石町・諫早市唐比(2012年6月23日)

Photo

朝から小浜の病院に見舞いに行ったついでに、あちらこちらへと。


ジャカランダの花。大きな木には花が咲いているのですが、小さな木には花が付いていま

せん。どうも、冬の寒さの厳しさが影響をしているようです。


この像、「おなよい節の女性像」です。ここらが温泉街の中心になりますが、昔は海岸で、

全部埋め立てられたものです。以前は北野というところが中心地でした。


「おなよい節」は、昔、青年小屋、娘小屋があり、昼の漁業の疲れを癒やしながら歌った地

唄から生まれたといいます。「おどんが父(ちゃん)たちゃ」と始まりますが3番の文句が良

いですね。


ござが一枚で

枕は二っヤーンサホイ

一ちゃ様女(さまじょ)の待ち枕ヨーイヨイ

女(おな)よい 籠(ばら)もってこい


千々石の仙落としの滝については、昨年紹介をしていましたが、場所を書いていなかった

ので。

千々石の橘神社を過ぎた最初の信号を左折し、橋を渡り道なりに走っていくと

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2カ所ほど看板が出ているので分かると思います。右の写真の左側の道を行きます。一車

線の道路になりますが、舗装してあるので充分安心して通れます。

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左の写真。駐車場も充分にとってあります。


ここまで来るには右の写真の所を通りますが、ここ一帯は野取というところですが、ちょっと

歴史的に議論があるところで・・・


大化の改新で中央集権国家が出来たとき、都から各道別に道(官道)を通し、路駅、関塞

(関所)も設けられ、その一つとして、肥前国分(佐賀県大和市)から長崎県の新分、船越

(諫早)、山田(吾妻町)、野鳥の駅と続き、それぞれに駅場5匹を常置し、国の命令などを

伝えていたそうですが、この「野鳥」がここであったか、島原あたりであったかはっきりした

ことが確定してなく、各説あるところです。当時の道はこの写真ではなく、この付近の林の

中を通っているそうです。

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梅雨時なので、滝がもっと太っていると思ったのですが、昨日の良い天気のため、思った

ほどの水量ではありませんでした。でも、滝の音と、オゾンを充分吸って、リラクゼーション

してきました。世俗と離れ自然の中に溶け込むって良いですね。


このあと、唐比の「ハス園」に行ってきましたが、先日いった時よりは咲いていましたが、ま

だ少しというところでしょう。

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それでも、10台ほど車が止まっていて、皆さんハスの花を観賞していました。


最近、「写ガール」といって、女の方が写真を撮るのが流行っているようですが、ここは「写

オバ(写真を撮るおばさま方)」さんが多く、結構良いカメラ持っていますね。カメラというよ

り機械に使われている感じで・・・私も昔銀塩のカメラを楽しんでいたのですが、今のデジタ

ルカメラのようにすぐに撮したものを確認できず、どんな写真が撮れているか、写真屋さん

にどきどきしながらいってのですが・・・

ちなみに、今の私のカメラは、展示処分特価9,500円のデジタルカメラです。

(参考:「小浜町史談」・「島原半島の歴史」松尾卓次監修)



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2012年6月22日 (金)

小さな博物館・展示場~雲仙市愛野町・千々石町岳地区

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以前、愛野町に前田タクシーという会社がありました。バブル期には飲みに行くのに、諫早

だ、小浜だ、長崎だ、ひどいのになると福岡までタクシーを飛ばした人も(私の知人です

が)いたのですが、近年の不況で利用者も少なくなり、この会社も廃業してしまいました。


社長さんが車好きだったとのことで、車庫を利用して「タクシー博物館」なるものを開館しま

した。ここは、乗務員さんの控え室だったと思います。

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中はタクシーを一台と、その部品などが並んでいて、ただそれだけなのですが、社長さん

のタクシーに対する愛着の気持ちは伝わるものがありました。男の子なら興味を持つので

しょうが・・・残念ながら先日行って見ると撤去して、なにもありませんでした。


さて、もう一つの小さな展示場は、千々石の棚田の間をぬって、ヤマメの里に行く途中にあ

ります。

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道の側ですから、すぐに分かると思います。何だろうと思って、入ってみると丁度年配の奥

様がおられ見せていただきました。

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並んでいるのは、「一升枡」、「とうみ」、「鋤(すき)」、「ぶっと」、「せんば」、「じょれん」、「除

草機」、「田植網」、「ぶり」、「ちきり」、「馬が」、「ちん針」、「はみ切」、「はん切(桶)」、「こっ

ぱ切」。昭和初期に実際に使われたものだそうです。


今は、もう機械化で使われていないのばかりですが、ご主人が捨てるに忍びず、皆さんに

見ていただこうと置いてあるそうです。


たぶん、皆さんの中にも何に使うか知らないのもあると思います。わたしも、大体が都会育

ちで、全然農業には関係が無いので分からないのもあり、奥様にボチボチ聞きながら、見

ていきましたが、こんなので、この「日本の棚田百選」に選ばれた田を耕していたのかと思

うと感慨深いものがありました。


皆さんも、これを見て使い方を聞いて棚田を見ると、昔の田畑仕事の大変さが分かり、棚

田を見る目も違ってくると思います。


「ゆずごしょう(350円)」も買ってきましたが、なかなか、柚の香りが良く薬味に使うと良い

ですよ。なお、ゆずごしょうは、冷凍で凍らせておくと、いつまでも青い色も香りも褪めませ

ん。


両方とも使い捨ての時代と違い、自分が使ってきたものに対する愛着心、大事にする心が

ひしひしと感じられるものでした。


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2012年6月21日 (木)

西郷隆盛・勝海舟・福沢諭吉掛け軸★小浜町歴史資料館~雲仙市小浜町

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毎日雨ばかり、外に出られなくて、なんかブログネタがないかと思っていたら、回覧で

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というチラシが入っていたので出かけて見ました。なにせ、西郷隆盛、勝海舟、福沢諭吉

の書が見られるとあっては。


ここの、資料館以前にも2回ほど紹介したことがあるのですが、入ったすぐの所に一番上

の写真の絵図、「大正広重」といわれる吉田初三郎の鳥瞰図、「日本八景雲仙地獄交通図

繪」が置いてありました。左右にまだ広がっているのですが、写真には入りきれません。こ

れだけでもよく見ていくと面白いものです。


いろいろ展示物があるのですが、とりあえず、目的の掛け軸を。

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右から、福沢諭吉、西郷隆盛、勝海舟の掛け軸です。

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なんといいますか、中身があまり良く読みきれないのですが、時代を作った三人の偉人の

掛け軸だと思うと、オーラが違いますね。しばし、歴史へ思いを馳せて見ておりました。


あまり歴史に興味を持たない女性の方は、西陣織だとか、友禅織りの凄いのがたくさん展

示してありますから、これだけでも目の保養。

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9 10

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これだけ並べてあれば、まさに圧巻。湯太夫本多家の所蔵かと思っていたら、某お茶だっ

たか、お花の先生の所有物だそうで、もっと良いのがあるのだが、あまり展示は出来ない

ということでした。全部合わせれば何千万円になるのやら・・・あるところにはあるもんで。


さて、入り口の入場料金を取るところに、この本が5~6冊置いてありまして。

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長崎県が発刊した「長崎県ミュージアムガイドブック」で、中身は右の写真の様に、長崎県

下の、博物館、資料館、美術館等々すべてが網羅、紹介されたた物で、一週間ほど前、図

書館で見て、入手したかったので、「おいくらですか?」と聞くと「いいですよ」「???」、「ど

うぞお持ち下さい」ということで、只でもらってきました。カラー版、200頁ほどの本。入場料

300円ですが、かえって儲けたようなラッキーな日でした。残部少数のようですから、欲し

い方は早めにどうぞ。たぶん、本屋さんには出ていない非販売本でしょう。


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2012年6月20日 (水)

航空殉難九勇士之墓~雲仙市千々石町岳地区

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「航空殉難九勇士之墓」です。


ガダルカナル島で全滅した第29連隊を新たに再編成し、その連隊長が、昭和19年2月2

日、新軍旗(当時の軍旗は命より大切な物でした。)を持ってガダルカナルの部隊に飛行

機で向かう途中、悪天候とエンジンの不調で、雲仙岳の山腹に激突し、搭乗した9名全員

が死亡し、それを供養するため、岳地区の方が、五十回忌の時に供養をし墓碑を建てら

れた、という事で千々石町郷土誌には書かれていました。

2 3

墓碑の横には9名の名前が彫られています。

ところが、裏の方を見ると

4

「昭和二十二年 建立者千々石婦人会 土地寄附 山本□(判読不明)次郎」となっている

のです。


第2次大戦が終わったのが、昭和20年8月15日、大戦が終わった2年後に立てられたも

のです。要するにこの碑が昭和22年に最初建てられ、その後50回忌に、奉賛会を作り、

上の写真のように整備したものでしょう。この碑だけが古びているのを見ても分かると思い

ます。一番右の碑文(説明版)の最後には「平成2年8月15日 航空殉難九勇士(立碑)奉

賛会」と書いてありました。


ところで、この「千々石町婦人会」が、なぜ建立者なのか、ずっと分からなかったのですが、

ふと考えてみると当時の千々石の婦人会の会長さんが「橘イツヨ」(町誌の別ページには

「五代」と記述してあり、ここらへんはしっかりしてもらいたいものですが)。橘中佐の妹さん

です。多分丸印で囲んだ方に間違いないと思います。

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愛国婦人会会長が「橘エキ」。橘中佐の未亡人です。それに次いで国防婦人会、戦後の

千々石町婦人会を継いだのが、橘イツヨさんです。昭和33年まで務めておられます。

はやり、軍神橘中佐の妹として、この殉難の話を聞いて、婦人会で建てられたものでしょ

う。


場所は、日本の棚田百選で有名な岳地区の共同墓地。千々石のヤマメの里に行く途中に

あり、道のすぐ横にあります。

この間も出しましたが、千々石の岳地区の棚田です。田植えはすっかり終わっています。

参考:碑文(航空殉難九勇士奉賛会説明板) 千々石町郷土誌

P6030320


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2012年6月19日 (火)

肥前鳥居★宇都(うず)の愛宕社~諫早市

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諫早市の城山の駐車場で彼女と待ち合わせ。

時間があり、駐車場の右手に鳥居があったのでいってみたら、愛宕社の肥前鳥居でした。

ここ愛宕社については少しばかり、本で読んだことがあり、時間があれば登ってみたかっ

たのですが。


肥前鳥居については、有家町にいたころ、大正11年の地震で崩れた温泉神社の一の鳥居

が肥前鳥居であったとか。あの頃は、興味も無く、「ふむ、ふむ」と聞いていたのですが、思

い出してじっくりと説明版を読んで見ると、この「肥前鳥居」佐賀県を中心に福岡、長崎の

一部に分布しているそうですが、諫早では唯一残っている鳥居だそうです。諫早市の指定

有形文化財です。有家町の鳥居も残っていたら歴史的に興味深いものだったでしょう。。


鳥居の種類として3種類

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そして、この肥前鳥居が描いてありました。

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特徴として、木鼻(一番上の笠木の両端)が流線型に伸び、柱、笠木と島木が一体化し、

それぞれに三本継ぎになっている事だそうです。


額は黄檗(おうばく)宗三筆の一人、中国の名僧「即非(そくひ)」の書で、「雪峯頭陀(せつ

ぽうづだ?とうだ?説明版と「諫早を歩く」に違いあり)即非書 愛宕山 諫早豊前藤原茂

眞(しげさね)立」と書いてあるそうですが、残念ながら「愛宕山」は分かるのですが・・・・

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柱が三段になっているのは一番上の写真で分かると思いますが、笠木と島木と貫石の継

ぎ手の部分です。

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良い仕事してますね。

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こうして見ていくと、鳥居も面白いもんですね。なお、鳥居の真ん中は神様が通る所で、人

間は中央を避けて通ってくださいということでした。

彼女が来たのでそれでは・・・といっても、いつもの、うちのかみさんですが・・・たまには・・・

(参考:説明版 諫早を歩く~山口八郎著)


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2012年6月18日 (月)

雲仙鉄道 その10~昔の写真より★雲仙市千々石町

P6060386

今日は、南島原市の原城図書館にいって調べ物、その後廃線になった島原鉄道南目線の

駅舎の写真を撮って(後日紹介します)、加津佐の知人宅であれやこれや話をして、久し

ぶりに旧交を温めてきました。まあ、昔の仲間は良いもんですね。


さて、今日は、またもや雲仙鉄道のことです。しつっこいようですが、線路は続くよどこまで

もと・・・


上の写真はこの間、「千々石、今昔~写真による今と昔」の最後に載せた写真ですが、こ

の写真は、千々石少年自然の家の知人から、自然の家に面白い写真があるよということ

で見にいった写真です。(写真はクリックすると拡大します)


感の良い方と、鉄道オタクの方は分かったと思いますが、左下の部分、なんと雲仙鉄道の

鉄路が写っているのです。場所は千々石断層の下の方になります。

P6060389

拡大すると、赤の線の部分です。


従来、駅舎とかトンネルの所を汽車が走っている写真はあったのですが、このように鉄路

が敷かれている雲仙鉄道の写真は珍しく、本邦初公開でしょう。見る人が見れば実に貴重

な写真です。風景を撮っているとき、たまたま写っていたのでしょうが。


今の写真です。一番上の写真を写したところは木が茂って写しにくいので、千々石へ下る

坂の途中の展望所から撮った写真です。

P6130063

この間紹介した線路と、千々石道の関係ですが、

P6060386_2

赤の線が雲仙鉄道。黄色の線が千々石道。勝海舟と坂本龍馬、そして伊能忠敬が通った

道です。

現在の写真で見れば、

P6130063_3

写真の精度が悪いので、正確な経路では無いのですが、大体の感じで、赤い線が雲仙鉄

道、黄色の線が千々石道でになります。

今日はオタクっぽい話で、申し訳ありません。



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2012年6月17日 (日)

この一曲~古い友達★グラシェラ・スサーナ

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グラシェラ・スサーナ。1953年生まれ、アルゼンチン出身でで70年代にヒットした歌手で

す。アルゼンチンの「タンゴフェスティバル」で優勝した実力派歌手ですが、菅原洋一が日

本に連れて来ました。今はあまり表には出ないようですが、現在も歌い続けているというこ

とです。


これLPレコードですが、1978年に発売されているようですから、25歳の時のレコードで

す。スサーナーのCDも何枚か持ってはいるのですが、はやりタンゴの本場アルゼンチンの

血が流れているのでしょう、「カミニート」というCDでは、タンゴばかり入っていますが、フェ

スティバルで優勝するだけのことはある歌唱力で「エル・チェクロ」なんて凄いですよ。


さて、この「愛のメッセージ」に入っている曲で、「さよならの鐘」とか「別れの秋」とかも好き

なのですが、この「古い友達」の2番目の歌詞、「別れて覚えた なぐさめの煙草」というフ

レーズが何とも好きで・・・ただ、随分調べたのですがこの曲だけはどういうわけか、どの

CDにも入ってないんですね。近ごろ、レコードプレーヤーを使ってないので聴けないのが

残念ですが、歌はちゃんと耳の奧に残っています。



ふるい友達


男と女は わからないものね

いまごろあなたとめぐり逢うなんて

あのころは おたがいに

わがまますぎたわ

幸福(しあわせ)の合鍵を 知らずに捨てたのね

あなたとわたしは古い友達


別れて覚えた なぐさめの煙草

返らぬ思い出 灰になるばかり

だめなのね だめなのよ

あなたでなくては

唇はだませても 心はだませない

あなたとわたしは古い友達


あなたの噂は 旅先で聞いた

あたしもいまでは ひとり暮らしなの

もうなにも 言わないで

じっと目をとじて

踊りましょ 流れましょ

ふたりで 夜明けまで

あなたとわたしは古い友達 

(水木ひろし作詞:桜井順作曲:J.リベルテーラ編曲)


私が、こんな経験したことあるかって?それは、ひ、み、つ。

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