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2012年5月13日 - 2012年5月19日

2012年5月19日 (土)

玉垣額之助★江戸時代二人の大関・その2~雲仙市愛野町・小浜町出身

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          (「おばま~史跡めぐりガイド」より)


さて、今日は愛野の玉垣を継いだ六代目小浜の玉垣額之助です。

小浜の商店街の方に玉垣額之助の墓(碑?)があります。これとは別に、後で紹介します

が、小浜神社内に立派な顕彰碑も立っています。

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文政七年と八月五日そして四十六の文字が見えますが、玉垣は文政七年八月五日、四

十六歳で逝去しています。


小浜の玉垣は、小浜町木指(きさし)の出身で、17歳の時、湯太夫(温泉の元締め)本多

家で働き始めたのですが、力があり、頭も良くということで湯太夫から勧められ、江戸に出

て愛野町出身の五代目玉垣に弟子入りします。シコ名を「漣(さざなみ)」、文化五年幕下

上位、2年後に島原藩お抱え力士になり、「越ノ海」のシコ名に。後に「玉垣」を継ぎます。

文政十一年五代目玉垣の養子になり、大関に昇進。


柏戸利助の好敵手で当時の相撲界の人気を二分したそうですが、文政六年の江戸城内

吹上での御前試合で、柏戸に勝ったそうです。


なお、柏戸とともに横綱の免許を受けたそうですが、横綱の土俵入りの時、柏戸が当日来

なかったために、自分も土俵入りをせず、横綱を辞退しています。


これには、「おばま~史跡巡りガイド」によると、詳細は分からないようですが、玉垣と柏戸

に横綱の免許を与えた京都の五条家、歴代の横綱の免許状を与えていた吉田家、そして

相撲会(現相撲協会)の関係に原因がありそうだということです。


玉垣の顕彰碑が例の謎のフルベッキの写真(5月2日のブログ)が置いてある、小浜神社

に建っています。

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この碑は昭和14年、島原半島内の旧制県立島原中学校、島原高女、口加高女と53の

小学校、25の青年学校生徒児童と職員、南高来郡教育会の拠出協賛により計画された

そうです。

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横に、説明文の碑があるのですが、文字が薄くなっていて読めませんでした。


この温泉神社の額、よく見ると「二九代目木村庄之助」の書です。

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玉垣は大関を10年務めましたが現役中逝去しました。


生涯成績、111勝27敗とも119勝27敗13分1預14無勝負との記載も有り、現在と場

所制度も違いますのではっきりしたことは分かりません。

現代なら横綱間違いなし、地元としても大変な事だったでしょう。雲仙市から二人の偉大な

大関が生まれていたことは、忘れてはならない事でしょう。

                        (玉垣額之助★江戸時代二人の大関 終り)


参考:「小浜町史談」「おばま~史跡めぐりガイド~」


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2012年5月18日 (金)

玉垣額之助★江戸時代二人の大関・その1~雲仙市愛野町・小浜町出身

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         (愛野町郷土誌から)

小浜町に玉垣額之助という強い力士がいたことは、知っていたのですが、相撲にはあまり

興味がなく、見逃していたのですが、小浜の郷土史家の方から、小浜の玉垣は、愛野の

五代目玉垣の弟子であり、愛野の方をちょっと調べてくれないかと。


郷土史などを多少調べると、両方とも大関まで出世をした力士。当時としては、横綱は免

許制。吉田司家が行司の総元締めとして、免許を与えられたものが正式な横綱として認

められたそうですが、あの雷電為右エ門も免許は受けなくて大関で終わっています。大関

までいったということは、今の横綱と同じくらいの実力があったのでしょう。この雲仙市に2

人も続けて大関をだしたと言うことは、今にしてみれば大変な事なのですが・・・


さて、調べてくれと渡されたのは、長崎新聞が特集をしたらしくその写し。一枚は墓の写

真、もう一枚は生家跡の写真。記事の所が切れていて、ヒントは、愛野町中野の松ノ木

原墓地。生家跡は愛野町中野ということ。墓地はまあ大体検討はつきましたが、

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国道の脇、ジャガ畑のなかにある墓地ですが、折角ならマリリン・モンローの墓参りとか、

クレオパトラの墓探しとかが良いな思いながら、さあどうするか?今のように区画整理され

た墓地ではなく、適当に立てていった墓。見て回っているとちょうど墓参りの人が。玉垣の

話を持ち出したのですが、「話は聞いたことはあるばってん・・・」という事。ただ、墓の所有

者がT家だと言うことが分かっていたので、そのことを言うと、「ああTさんのとこの墓なら、

ここと、あそこと、そこと」と言うことで、あっけなく見つかりました。

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正面に父母の「義諦・妙境」の文字。この、お母さんも大変な力持ちであったそうで、姑さ

んが水浴をしていたところ雨が降ってきたので、盥ごと持ち上げて家の中に入れたとか、

暴れ牛をねじふせたとかいう話があります。


玉垣は3人兄弟ですが、次男の松浦潟は平戸公の召し抱え力士、三男の満瀬(三ツ汐)

は草相撲取りであったそうです。

墓の向かって左の横に、

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「玉垣」と「松浦潟」の名前と没年が彫ってありました。左側には。

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こちらは、小さく「三ツ汐」の字が彫ってありました。


玉垣は、本名「田中吉蔵」明和6年(1769)生まれ、18歳の時、大阪相撲千田川に弟子

入り、「雪嵐」、のち親方のしこ名「千田川吉五郎」。その後、江戸相撲、八ヶ峰額之助に

入門、1年後には幕の内に入り、雪州松平公の召し抱えになり、五代目「玉垣額之助」を

襲名したそうです。


なお、同部屋に雷電為衛門がおり、おかげで15年間関脇に留め置かれ、雷電引退後大

関になりますが、15年間ですから力も衰えて来ていたのでしょう、一年間で引退したそう

です。


なお、雷電の旅日記があるそうで、長崎の中島川の眼鏡橋の下に、戸板を持ち出し、大

水の中で、雷電は3歩さか昇ったそうですが、玉垣は踏みとどまっただけであったといいま

す。はやり、雷電はそれだけ強かったのでしょう。


玉垣は、その後親方になりますが、仙台で巡業中、文化10年10月、47歳の生涯を終え

ます。墓は仙台の「成額寺」とここ愛野町にあります。


なお、生家跡については何人か聞いて見ましたが、ほとんどの方が、「そんな力士がいた

ことは聞いたことがあるが・・・」という程度。ここらあたりかな、と思うところの近所の方に

聞くと、養子を取ったり名前が変わったりで、なんにも分からないだろうとのこと。やっと捜

して行って見たら、新聞の写真とピッタリ、一応話を聞こうと思ったら留守で残念でした。


記念碑が愛野町のマルキョウ付近にも建っています。

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右の石碑に、「玉垣額之助」「松浦潟喜代七」「天保八年十一月」の文字、左の石碑、右の

方に「三ツ汐」の文字が見て取れます。


せっかく、郷土が生んだ力士。今の横綱級の力士ですから、忘れないで欲しいと思いま

す。明日は、六代目、小浜の玉垣額之助についてです。こちらは、横綱になっていた力士

なのですが・・・・また明日。           (参考:小浜町郷土誌・長崎新聞)

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2012年5月17日 (木)

屋根裏の明かり~シェル・シルヴァスタイン

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山歩きで足の関節を痛め、少し良くなったと思って外歩きしたら、また、痛み出して、しばら

くは外出禁止。


ということで、久しぶりに、シェルおじさんの本読みました。この本詩集ですが、1981年出

版、「ビッグ・オーとの出会い~続僕をさがしに」もこの年出版しています。


この間書いた、「歩道の終わるところ」も、アメリカの多くの図書館でずっと禁書になってい

たそうですが、この本も、いくつかの親のグループから非難をあび、多くの地域や学校の

図書館で禁書になり、アメリカ図書館協会の「最も異議の多い本百冊」に入っているそうで

すが、出版されると「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーに入り、「スクール・ライブラリ

ー・ジャーナル」誌からは最優秀児童図書賞を与えられたそうです(マイケル・G・ホーガ

ン著 水谷阿紀子訳より)。アメリカって面白ですね。

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こんな絵もありますから、目くじら立てる親はどこの国にもいるのでしょう。


この本、初めの方に「TO SHANNA」と書いてありますから、このとき11歳の娘の「シャン

ナ」(本名・ショシャンナ)のために捧げたのでしょう。


訳は倉橋由美子さんですが、訳者あとがきで、この本が大人にも子どもにも受ける理由の

一つには「言葉遊び」の面白があり、日本語にしたとたん面白さの半分は失われると言っ

ていますが、「日本の読者には、まず絵の面白さを見ていただいて、それから詩の面白さ

を読み取っていただくと、いう順序の方をお薦めしたい。」と書いています。上の絵グロテ

スクみたいですが、詩と一緒に読むと面白いですよ。好きな詩を一つ。(クリックしたら少し

は大きくなります。)

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この本1冊本棚に置いておくと楽しいですよ。


この本の最後の詩です。




この橋

きみの憧れの遠い国々

この橋は途中までしか届かない─

ジプシーのテントやアラブの市場

一角獣のあそぶ月夜の森を

ぼくと一緒に辿ってみよう

不思議な世界の曲がり道

だけど橋は途中までしか届かない

最後は自分の足で行け



絵と一緒に読むと良いのですが・・・



「ぼくを探しに」の「ぼく」も、「ビッグ・オー」も、「人間になりかけたライオン」も、最後は自分

の足で行くよりほかはないのです。そして私もあなたも。


先ほどの、マイケル・G・ホーガンは、シルヴァスタインの死について書いた章の題を、「チ

ェックアウト」としていますが、シルヴァスタイン、あの世に行っても自分の足で歩いている

のでしょう。ひょっとしたら、この世にまたチェックインするかも知れません、あのシェルおじ

さんのことですから・・・




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2012年5月16日 (水)

山武士神社とは?~日野江城麓(南島原市北有馬町)

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先日、北有馬町の知人から電話があり、日野江城(日之江城、日ノ江城、日ノ枝城の呼び

名あり)の下に観音山という所があり、そこの祠の扉の所に最近、「千々石」の文字が彫っ

てあるのが分かり、見てくれとの連絡がありお出かけ。


日野江城の下と言うより、日野江城のほんの麓、日野江城の一角とも言えるところでし

た。現在、セミナリョ跡の碑がたっていますが、そこから少しの所に上がる階段があり、山

というより、丘という所の感じ。林の中を少し抜けると、荒れ放題と思っていたのが写真の

ように、こざっぱりした所(夏は草が茂るでしょうが)。誰かがお参りしている様子も。

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写真一番左が「山武士神社」の碑。この名前今まで聞いたことのない神社名。ネットで調

べて見ても見当たらず。「山伏」ならまだ有明町などに「山伏の墓」などあって分かるので

すが・・・何でしょう「山武士」というのは。


写真左から二番目です。

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頭の所が作り替えてあるみたいですが、多分明治の神仏分離に伴う廃仏毀釈で首を折ら

れていたので、どなたか作り換えたのでしょう。地蔵さんの首が折られているのは、あちら

こちら目にできます。年号等の記銘はありません。


さて、ひとつ置いて、

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こちらは、像の台座に寄進者の名前が書いてありました。大正2年。名前を知人に聞くと、

近所の方ではないかとのこと。


さて、問題は

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観音さんですが、向かって右の扉はありませんが、左の扉に

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確かに、「千々石里正 宮崎九郎右衛門延髙造立」。


最初、この「里正」が分からない。多分、千々石の「小字名」ではないかと思ったのです

が、該当の字名は無し。ひょっとしたらキリシタンの洗礼名、「ジュリアン」を「寿里庵」とも

書くとことがあり、このたぐいではないのかと思ったのですが、これにも該当は無し。なお、

調べると何のことはない、辞書にちゃんと出ていました。①条里制の里の長②庄屋。村長

のこと。

千々石里正=千々石庄屋。千々石の庄屋と言えば宮崎姓。やっとここまでは分かりまし

た。


なお、「里正」については、江戸時代に使っている例もあり、面白いことに、廃藩置県にな

ったとき、島原藩の千々石村、南串山村、北串山村、小濱村を第五区とし、各村を小区と

し「初ハ此ノ小区ヲ管轄スルモノニハ里正一名副ト改メヌ・・・」と言うことで「里正」という言

葉、条例制の頃から脈々と生きていたのですね。


さて、この千々石の庄屋がこんな所になんで、いつ頃立てたのか。日野江城との関係

は?はたして、何代目の庄屋なのか?

残念ながら、この庄屋さんの子孫は地元には居ず、庄屋跡の敷地も土地ブローカーが買

い上げ宅地にして、石垣がかろうじて残って居るだけで、他はまったく分からない状況。も

ちろん、手がかりになる古文書等も残されていません。


この宮崎庄屋、町史では、「千々石村の庄屋は宮崎家で、村で由緒ある農民が選ばれ、

代々世襲であった。」と書いてありますが、千々石村村誌によると、島原の乱後、高力摂

津守忠房がその戦後経営にあたりますが、二代目の時改易。松平氏が入ってきます。こ

のとき、「・・・庄屋ハ世襲ノ慣例トナリ居タルガ初代目ハ西郷村(現雲仙市瑞穂町)宮崎孫

九郎ト云ヘル人ニシテ・・・」とありますから、根っからの千々石の人ではなさそう。瑞穂町

も調べる必要があるかも?



なお、日野江城は、慶長19年切支丹大名の有馬晴信が岡本大八事件で甲斐の国で切

腹、その後、嫡子直純が延岡城に移封、代わりに松倉氏が入城。しかし、島原城を作りそ

ちらに移りますが、このとき日野江城の石垣を使ったそうです。日野江城は幕を閉じま

す。推察するに、廃城後に祠を建てたのではないでしょうか?


さて、最初に戻り、「宮崎九郎右衛門」わざわざ遠くのこの地に、なぜ祠を作ったのか、「山

武士神社」とは何なのか?その関係やいかに。北有馬町でも「山武士神社」の由来を調

べているそうですから、それを手がかりに・・・何となく推理小説みたいで面白そう。



興味あった人は、下をポッチしてねheart02

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2012年5月15日 (火)

日本人の知らない日本語2巻・3巻★蛇蔵・海野凪子~日本人必読書

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この本、第1巻は先日紹介をしましたが、書店に行くと2巻と3巻が並んであって、買いた

いけれど年金暮らしの身の上。どうしようかと思っていたら、公民館に並べてあるではあり

ませんか。とくかく読んで面白いし、ためになる本。パワーアップしていますね。

舞台は、日本語学校。外人さんとの考え方の違い、日本語を教えることの難しさ。凪子先

生は、日本語学校の先生をしていますが、日本語教師になる条件の資格として、


●大学で主専攻あるいは副専攻の日本語教科目を履修していること

●日本語教師養成講座において240時間以上の教育を受けていること

●日本語教育能力検定試験に合格していること


のひとつに該当することを採用条件にしている日本語学校が多いそうですが、なにせ、こ

んな生徒さんですから、これくらい厳しい基準がなくては。

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さて、この本読んでいて、日頃疑問に思っていたことが2つばかり分かりました。

ひとつは「ら抜き言葉」がなぜ使われるようになったのか。

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これで見ると、赤の四角の所が、可能形、受け身・尊敬語が同じで、どちらがどちらが分

かりませんが、「ら抜き」言葉を使うと違いがよく分かりますね。「ら抜き言葉」、あまり好き

ではないのですが、こういう風に説明されると、これもひとつの日本語の変遷かと納得。

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もう一つは、「歌わせていただきます。」の「さ」。この「さ」は以前から耳障りになっていた

のですが、これ「さ入れ」言葉というのだそうですが、これは必要のない言葉だそうです。

「帰らさせていただきます」(×)ではなく「帰らせていただきます」(○)。


あと、どうにも気になるのが「尊敬語」「丁寧語」「謙譲語」の混同に大安売り。この間、講

演会に行ったら司会の人が、講師の紹介で、「今日の講師であられます、山田先生は、ご

生物のご研究におかせられましては、世界的な研究者であられまして・・・・」この調子で

延々。

ところで、ここでテストです。


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本には全部かいてあるのですが、わざと消しておいました。空白を埋めて下さい。正解は

本を買ってご確認下さい。知っておくと役に立ちますよ。


なに!尊敬語と丁寧語と謙譲語の違いも分からない!?日本語学校へ通うべきでしょう。

もう一つ、「た」に濁点をつけると「だ」になるますが、なぜ濁点が出来たか、これは勉強に

なりました。日本語もたまには勉強しないとダメですね。


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2012年5月14日 (月)

日本最古のキリシタン伏碑(墓碑)~雲仙市小浜町飛子名土手之元

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日曜日の長崎新聞を読んでいたところ、キリシタン墓碑の記事が。

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スキャナーがA4までなので途中で切れていますが、南島原市と長崎純心大学が相次いで

調査報告書を発行したとか。要約すると。


南島原市は、「日本キリシタン墓碑総覧」ということで、全国のキリシタン墓碑202基の形

式、石材、寸法、製作時期、銘文等を調べたもの。


長崎純心大学は、墓碑のルーツの解明。ポルトガル、スペイン、イタリアまで調査をし、ポ

ルトガルで日本の伏墓と同型の16世紀前後の墓碑を多数確認したとか。日本の伏碑

は、ポルトガルの宣教師の指導で作られたと推測をしているそうです。


なお、ポルトガルの墓碑は1世紀前後にローマから伝わったそうで、ローマの古代墓碑か

らも日本の伏碑と同形の墓碑を確認したそうです。日本のキリシタン墓碑が歴史的にもい

かに貴重なものか分かると思います。


キリシタン墓碑にはまとまった書物がなく、やっと出てきたかという感じですが、一般には

手に入らないみたいで、県内公立図書館に寄贈するそうです。


さて、この記事の中で、最古のキリシタン伏碑(墓碑)は、雲仙市小浜町飛子名の土手之

元一号墓碑だと判明と書いてあり、小浜町と言えば隣町。ここの墓碑は見たことがなかっ

たので出かけましたが、途中でひどい道に迷い込み、抜け出すのに1時間ばかり、おかげ

で車の横をこすりましたがweep 捜してみれば、何のことはなく車ですぐ行ける所でした。

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4基の墓碑が並んでいますが、一番奥の墓碑が日本最古の伏碑です。説明版はなく、案

内の標識だけが立っていましたが、長崎県指定史跡の説明を読んでみると、「畑の中に

叢林があり、その中にあった花十字紋入り半円柱蓋石型と無紋無銘の切妻石型の2基は

昭和2年に指定されていた。昭和54年2月環境整備の時、地中の中から2基の無紋無銘

の切妻蓋石型墓碑が新しく発見され同年7月追加指定された。地中からいくつかの墓碑

が出土し、しかも台石の固定状況からみて、島原の乱以前にこの地域にキリシタン共同

墓地があったのではないかとも推定される。」とあります。有家町の場合も畑の中に埋も

れたり、うち捨てられたりしたものが多くありました。禁教後、壊され畑の石垣に転用され

たり、そのままにされていたのでしょう。

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前面に花十字が刻まれているのですが、ほとんど薄くなっていました。前に紹介した、有

馬商業高校(2009年閉校)の郷土研究会がだした冊子(1983年発行)によると、右のよう

な花十字です。

Photo_6 Photo_7 

後から見た写真と横から見た写真です。

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Photo_9

慶長9年の銘が刻まれているということですが、見るのを忘れ、あとで写真を拡大して見た

のですが、安物のカメラで確認出来ませんでした。


慶長9年といえば、安土桃山の最後の時期、慶長8年に徳川家康が江戸幕府を開いてい

ます。

禁教令は豊臣秀吉が天正時代に出していますが、狭義の意味では慶長17年と慶長18

年に江戸幕府が発令したものだそうです。慶長9年は、島原半島は切支丹大名、有馬晴

信が治めていた時代で、まだまだキリシタンが盛んな時代だったのでしょう。

見ていると、時代の重みを感じてきます。



2012年5月13日 (日)

この一曲~剣の舞★ハーモニカ・スクランブル

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小学校の時、音楽の時間に器楽の合奏があったと思います。世代によって楽器の種類が

違っているみたいで、私たちの時はハーモニカ、それからリコーダがあって、私の娘の時

はピアニカ。


夏休みの宿題にハーモニカの課題曲があって、父がハーモニカが好きとあって、一夏、唇

が切れて血がにじむほど練習をしましたが、結構上手にはなりました。


ハーモニカといってもいろいろあって、私が持っているハーモニカですが、

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一番上の小さいのがお遊び用のミニハーモニカ。ホーナー製ですから結構鳴ります。


二番目がご存じ、フォークソング、ブルースなどで使うブルースハープ。ひとつの穴で2つ

の音が出ます。例えば、吹いて「ド」の音、そのまま同じ穴を吸えば「レ」。半音はベント奏

法という技法を使います。


三番目が、普通使われているハーモニカですが、複音ハーモニカは、上と下にリード(音

が出る部分)が2枚使われており、微妙に音のピッチが違わせてあり、郷愁のある音が出

ます。小学校では単音ハーモニカを使ったような気がしますが。


四番目と五番目がクロマティックハーモニカといって、同じひとつの穴で4つの音をだすと

いう優れもの。息を吹き込んで「ド」そのまま横のレバーを押せば「ドの♯(ドの半音上)」。

レバーを元に戻して、息を吸って「レ」、横のレバーを押せば「レの♯」。結構なお値段がし

ましたが。他にも、バスハーモニカとか、コードハーモニカとかいうのもあります。

私もブルースハープと、クロマティックハーモニカを練習していたのですが、いつもの3年

坊主で・・・


さて、厚木市はハーモニカの愛好者が多く、「ハーモニカの街あつぎ」ということで、今から

数十年前、3日間、朝から晩まで、小さい演奏会から、大きい演奏会、プロ、アマ、クラシッ

ク、ブルース、合奏、クリニックと大がかりなフェスティバルをしたことがありましたが、私も

わざわざ長崎から見にいきました。


そのとき、上のCDの「ハーモニカ・スクランブル」というグループの演奏会もありましたが、

すごいのなんのって、ハチャトリアンの「剣の舞」には圧倒されました。ハーモニカというと

一般には簡単で、子どもの楽器だという意識がありますが、なんのなんの、すごい楽器で

すよ。


そういえば、映画「墓につばをかけろ」の主題歌「褐色のブルース」の出だしが、ハーモニ

カですが、今でも耳に残っています。ハーモニカ良いですよ。ジャス良し、クラッシック良

し、童謡良し、POP良し、歌謡曲良し、バックグラウンドミュージックとして良し、ハーモニカ

のCD一枚いいかがですか。


今日のおやつ:

久しぶりに、小浜に行ったので、シェダムールさんへ「ごまごま」という名前のケーキです。

「まごまご」ではありません。ゴマの香りが何とも素敵で・・・ゴマは体にも良いって言うし・・・

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