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2012年3月11日 - 2012年3月17日

2012年3月17日 (土)

青森でござい!/伊奈かっぺい~方言って面白い 付録:とけん山、桜情報(雲仙市小浜町)

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明日から孫が来るので、また、かみさんが、あちらを片付けろ、こちらを片付けろとうるさい

こと。でもって、一週間ばかり孫に邪魔されながら、ろくなろくなブログにならないと思いま

すが。今日は、これから部屋の明け渡しもあって・・・・


さて、長崎では、伊奈かっぺいさん知っている方どれくらいあるんでしょうね。東北ではマ

ルチタレントとして有名人。一時はTV等に出演してたみたいなんですが。


1947年生まれ。中学で母親が亡くなり、高校で父親が亡くなり、姉のところで20歳まで暮

らしたそうですが、それからは本人によれば暗い一人暮らし。青森放送局で最初は舞台製

作をしていたそうですが、ディレクターへ。


仕事以外(もっとも本人によれば、仕事場は体を休めるところだそうですが。)やることがな

いので、日記を書き続け、それを自費出版。ひょんな事からレコード化に。それから、歌を

作ったり、詩を書いたり、イラストを描いたり、講演会をしたりと活躍。


晩婚だったみたいですが、結婚式の時は奥さんは妊娠中。勤務先のアナウンサーに結婚

式の司会を頼んだそうですが、「新郎新婦の入場です。」という所を、「新郎妊婦の入場で

す。」とやったそうです。長男の名前が「不思議」、長女の名前が「麻亜(まあ)」。逆から読

むと「まあ、ふしぎ」。これは、ちゃんとCDに入っている話です。


伊奈かっぺいを知ったのはいつか忘れましたが、CDを調べると14枚、本を4冊あまり持っ

ていました。CDは全部車のオーディオの方に録音して、落ち込んだとき聞いています。

とにかく、面白いし、方言、地方というものを考えさせられます。

もちろん本物の東北弁で喋っていますが、時々分からない言葉があったりして・・・

この本、本人の自筆をそのまま印刷したもの。もちろん表紙のイラストも。

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下の詩(?)読むときはなるべく東北弁訛りで読んでください。





蓬田(よもぎだ)の八戸さん


・・・もしもし

蓬田の八戸(はちのへ)だばて、今、岩崎がら

電話。平舘サ行てる金木の相馬サン

がらの連絡で、明日、青森の会議さ

車力の水戸サン出れなぐなたて、

五所川原の下田サンが、

鶴田の黒石サンさ、すぐ連絡して

欲しズ伝言ば、弘前の森田クンがら

三厩(みんまや)の稲垣サンにあただどや。

したはで、何?!、もしもしッ

オラは蓬田の八戸だて。今は岩崎!!

なもや、岩崎サ来ている蓬田の八戸だて!!

何回、同じごと喋べらへるのや。

岩崎サ来ている蓬田の八戸だて!・・・


       蓬田村役場にいる八戸さんがら聞だ話。




ところで、伊奈かっぺいさん日本で一番短い会話として、今は有名になりましが、東北弁の

「どさ。」「ゆさ。」~「どこへ行くの。」「お湯(風呂)にいくの。」というのを話していましたが、

私が職場でこの話をしていると、「長崎弁がもっと短じかかよ。」の声。そう、長崎では「ど

け。」「ゆ。」で済むのですから一字少ない。


子供達もだんだん方言を喋らなくなりました。こんな田舎も「パパ、ママ」。尻の穴がムズム

ズ。

伊奈かっぺいさんのCD機会があれば聴いて見てください。ホームページを見ると活躍し

ているみたいで嬉しいです。こちらでは情報が入らなくて・・・

(付録)とけん山公園。ボンボリの設置は終わったようですが、桜はまだまだ。

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2012年3月16日 (金)

黄色い涙~永島慎二/市川森一  付録:橘公園桜&島原芝桜公園情報

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この本、もう数十年ほど前に買った本です。永島慎二の本は「漫画家残酷物語」「ふーて

ん」「若者たち」「旅人くん」など20代の時、よく読んだものでしたが、2005年に亡くなって

いたとは知りませんでした。永島慎二の名前を知っている若い人は少ないでしょうが。


主人公は、少しは売れている漫画家、村岡栄(永島慎二のアシスタントをしていたむらおか

栄一がモデル?)。彼の3畳の部屋に住みついた4人の男と、それを取り巻く物語。そして

別れ。まさに「青春漫画」そのもの。読み返してみれば、あの頃のことが思い出されます。

この物語に出てくる「ポエム」という喫茶店、通っていた大学の近くに支店ができ、彼女とよ

く行ってコーヒー一杯で何時間も喋っていたものですが・・・黄色を主体としたインテリアで、

永島慎二のイラストを入れた中型のマッチが50円。パイプを吸っていたのでよく買ってい

ました。


さて、先日、脚本家の市川森一さんが亡くなりました。諫早市出身で、長崎では超有名な

方です。「怪獣ブースカ」「ウルトラセブン」「コメットさん」「親戚たち」等々の脚本を書いてい

ますが、脚本家は表に出ることが少ないので、他県の方はでご存じでしょうか?


諫早の図書館に行ったところ、市川森一さんの本が寄贈され、一角にブースが作ってあり

ました。鍵がかかっていたので外から見ると、この「黄色い涙」が本棚に置いてあったので

す。

あれ、市川さん漫画も読んでいたのかなと思ったのですが、漫画で置いてあるのはこの本

とあと2,3冊だけ。


帰って調べたら、この本NHKで昔やっていた「銀河ドラマ」でドラマ化されていたのです。私

が持っている本が第2版。この本には、放送されたときの写真が入っていました。

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若いですね。森本レオも、岸部シローも。出演者、関係者のイラストも描いてありました。

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この、ドラマの脚本を市川森一がやっていたのです。イラスト一番下の左、ちゃんと「脚本 

市川森一」と書いてあります。


後書きを読むと、元NHKディレクターの鈴木基治氏が『脚本も決まった、新進脚本家市川

森一氏で、民放で活躍中だったが、NHKの銀河は3年後の目標という彼を説得した。彼も

この原作に魅かれたのだろう・・・世代は違うが、私たちには、「若者たち」と同じ青春時代

があったから・・・・・。』と書いています。


これで、市川森一さんの本棚にこの本が置かれていた理由が分かりました。

いい絵ですね。その人の性格なり、人生なりが一発で分かるような絵です。今も結構、漫

画は読んでいるのですがこのような絵に巡り会うのは少なくなりました・・・

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さて、別件です。ブログのアクセス解析を見ると、橘神社の桜情報、島原の芝桜公園の情

報を求められている方が多いようなので付録です。

橘神社はぼんぼりの準備中ですが、桜はまだまだのようです。写真はいつかご紹介した、

桜開花の基準木。家の近くなので順次写真を載せますのでご参考に。

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こちらは島原の芝桜公園。昨日、15日の写真ですが、まだまだ工事中。4月1日の芝桜

祭りまでに大丈夫かな。

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しまばら芝桜公園3月30日状況は→こちらをクリック






2012年3月15日 (木)

知恩洞(パワースポット)~雲仙市小浜町雲仙

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雲仙でもあまり知られていないところに「知恩洞」があります。

札ノ原小地獄バス停から歩いて15~20分程度の所。最初間違って、小地獄のバス停の

所に行ったら、どうも見当たらない。おじいさんがいたので訪ねたら、向こうの方だとか。し

ばらく立ち話をしていたら、故豊田カヨ庵主、海外にいて、といっても当時は朝鮮か中国だ

と思いますが、何かあったようでその罪滅ぼしに修業をしたとか。


さて、場所を聴いて行くと空き地はあるが、個人の駐車場で止められない。先ほどのおじ

いさんから聞いた目印の小店に車をお願いして行くとすぐに黄色い鳥居。

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道は、山道にしては広く歩きやすく、途中にまた鳥居と道案内が。

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こちらからも、一切経の滝に行かれるようになっていますが、道は悪くないが、急階段。例

の行基洞はこちらかの方が行きやすいのでないかと行って見ましたが、疲れて途中で中

止。再度こちらから挑戦したいと思います。

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しばらく行くと立ちはだかる左右の巨岩。しかし、人がくぐれるくらいの穴が空いています。

いわゆる、仏様の胎内めぐりといって、身を清め、心の安定を願うもので、各地の霊場にも

見受けられるものだそうです。

ここを通ると知恩洞。右の写真が初代庵主豊田カヨさん。

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雲仙が真言密教の地として栄えた頃、このあたりに300もの僧房があったそうですが、そ

の修験の場であったようです。多分、近代に至り雲仙は仏教の場としては廃れ、ここも忘

れられたところではないでしょうか。


さて、さっきの小店に戻り、おばあさんと話をしていると、ここらあたりは昔は山の中で、も

ちろん知恩洞までの道はなかったそうですが、豊田カヨさんがこの地に導かれるようにして

来られ、当時は目のくらむような絶壁の途中の畳3枚くらいのところで、むしろ作りで雨露を

しのぎ修業されたそうです。


それを聞き、段々信者の方が増え、今はごく普通の家になっていますが、小屋といっても

小さなものだったそうですが、建ててあげたということでした。多分この像も信者の方が寄

進されたのでしょう。昭和44年88歳で亡くなられていますが、近所の方が2代目を継がれ

たそうですが、高齢になって島原で療養中だとかいう話でした。

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話では、真っ白な髪の上品な方で、少し神がかっておられ、自分が小さいとき病気をし、そ

れを祈祷をして直してもらったそうです。昔は、よく供養に行かれていたそうですが、足を悪

くしたためこちらから毎日お祈りをしているそうです。


この知恩洞、下のパンフレットにも、おすすめ一押しパワースポットとして、「仏様の胎内め

ぐり、冷気が心地よく、マイナスイオンたっぷりの中、深呼吸すると体内が浄化されすっき

り!ストレスフリーのスポットです。」と紹介されています。

ここは2回ほど訪れましたが、下からは一切経の滝音がして、静かなところで、心がすっき

りするような場所です。

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さて、腹が減っていたので、本日は適当にホテル食と。

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入ったら何となく上品な感じ、雲仙のもみじ豚を使った角煮重セットを。なんと角煮が5枚も

入っているではありませんか。家では、かみさんがカロリーだの、栄養だのと一枚しか食べ

させてくれない角煮が5枚も。まあ、今日はあれだけ山の中を歩いたのだから、良いだろう

ということにして、全部いただきました。かみさんがいないところで食べるのは、ストレスが

なくて良いな。おご馳走様でした。「六兵衛」もついていましたよ。



参考:「雲仙歴史散策資料」~西久海  「雲仙」~(財)自然公園財団

    雲仙再発見!(女将のおすすめ癒やしのパワースポットマップ) 


2012年3月14日 (水)

一切経の滝・三鈷の松/行基洞を求めて~雲仙市小浜町雲仙

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一切経の入り口です。雲仙小地獄の所にあります。名前は昔から聴いたことがあるのです

が、行ったことがないのと、僧行基が修行をした行基洞も険しい所にあるというので行くこ

とに。


一切経は、この地に僧行基がここに堂を建て、一切経を写筆し、この地に埋めたか、滝に

流したかの説があります。


途中の道は厳しくもなく、だらだらと下っていきますが、戻るときはチトきついなと言う感じ。

途中に、杖代わりに木を切ったのが置いてありますから、持って行くのが無難でしょう。

しばらく行くと、三鈷の松があります。三鈷の松にはいろんな話があるようなので各自、自

習してください。

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二本あります。両方ともロープが張られ触れられないようにしてあります。一本は隣の杉に

邪魔されて上が見えません。

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「三鈷」とは左の写真のように、弘法大師が右手に持ておられる仏具です。

弘法大師が日本に帰るとき、真言密教をどこで広げるか、その地を求めるのに、この三鈷

を空に投げたところ、高野山の松に引っかかっていたそうで、その松が三葉の松であった

そうです。


雲仙の三鈷の松は、説明版によると、高野山との交流があったころ、雲仙の修行僧の身

体の保護を願って、移植したとの歴代高僧の説が残っています、と書かれてあります。

上の右の写真ですが、一番左は普通の松。右の三本が三鈷の松の落葉を拾ってきたもの

です。縁起物だとかいうので、たくさん集めてきましたが、お入りの方は分けますよ。ただ

し、美人(自称可、私優しいから)の方に限りますが・・・・


さて、しばらく行くと、川に架かる橋、極楽橋と書いてありました。そして最後の鳥居。

9 10

西有家新四国第49番札所でもあるのですね。長崎県の新観光地100選の地でもありま

した。

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外も内も、信者の方々からでしょうかたくさんの仏像がありました。

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さて、一切経の滝ですが、イメージが多少違うのですね。

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以前この写真を某所で見て、こんな所かなと思っていたのですが・・・外人プール代わりに

使っている写真です。実際行くと。

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違うでしょう。調べてみると別の古い写真があったので。

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これ、「雲仙お山の情報館」提供の写真だそうですが、要するに、川をせき止めてプールに

してしまったようなのです。いまは、跡形もありませんが。まあ、行基さんが修行したところ

を遊び場所にするなんて、これだから西洋人は嫌いだ。


滝のそばには小屋があって、着替え出来るようになっていました。今も修行される方がい

るのでしょう。

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さて、行基洞はこれから川に沿って20分、それから山の急坂を登ること25分と「雲仙歴史

散策資料」に書いてありましたが、途中テープが巻いてあり、2~3カ所案内はありました

が、行き着けず。もっとも山の斜面を見るとすごい斜面。登れるかな?

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逆に知恩堂から回った方が早いかなと思って、途中で引き返し、知恩堂によって、逆に知

恩堂から谷間まで下ったのですが、これが手すり付きの急な階段、力の限界にきたみたい

で戻って来ましたが、上に戻ったらへたばりました。

でも、又挑戦しますよ。明日は、そのあまり知られざる知恩院を案内します。



(参考:各説明版 「雲仙歴史散策資料」~西久海)


2012年3月13日 (火)

女人堂~雲仙市千々石町木場

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今日は、長崎の図書館で半日捜し物、その後現地で取材。おかげでいい話を見つけてき

ました。西郷四郎の話と愛野町~小浜町までの温泉鉄道の話題です。又後日紹介します

ね。


さて、日本の棚田百選ですっかり有名になった木場の岳地区ですが、そこの途中から少し

下がったところにに女人堂があります。もう忘れられようとしている史跡です。

棚田へ行く時、車からも少し見えます。四角で囲んだところです。

下の写真は先日紹介した磨崖仏ですが、そこから少しいったところから左に下がった所で

す。

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雲仙は高野山、比叡山より早く行基により開山されたそうです。山岳修験道の山であり、

霊山として有名な所でした。千人からの僧が修行をしていたそうです。

当時の道は下のように四つあったそうです。


島原路  安中村~深江馬場~末宝~小地獄

北目路  大三東~本末~舞岳麓~池ノ原

西目路  千々石~木場~高岳~稚落~別所

南目路  鮎帰~湯河内~矢筈~札の原


このうち最も早く開けたのが、千々石路で表参道であったそうですが、霊山のため女人禁

制でした。そのため、千々石の木場に女人堂という御堂を建て、女性がここで参詣したそ

うです。昼夜となく読経の声が絶えなかったといわれています。

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木の下に数個の板碑があります。

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女人堂跡の標柱が。板碑の数枚には字が読めます。梵字なのか?いろいろ調べました

が、意味を書いてある資料はありませんでした。

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こちらの方は上は梵字みたいですが、下には人の名前と思われるものが彫ってあります。

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下の方です。左の方は「道」と読めます。右下は「圓」と読めます。郷土誌によると「道音」

と「妙圓」という文字があったそうですが、「音」と「妙」は薄れてよく読めませんでした。鎌倉

時代の建立だということだそうです。

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近所の方がお参りした跡がありましたが、世代が変わるとどうなることか。

棚田を見にいく機会があったら、途中ですから寄って見てください。


ここに行ったときは夏で暑かったので、橘神社の近くで、長崎名物の「アイス」を。久しぶり

でおいしかった。

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(参考:雲仙歴史散策資料~雲仙史探会 西久海   千々石町郷土誌)

2012年3月12日 (月)

たった一人のオリンピック~山際淳治

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2月26日の東京マラソン。公務員の市民ランナー川内選手残念でした。オリンピックの選

手が専門化していく中、市民のランナーからオリンピックに出るのは我々の夢でもあった

のですが。


さて、川内選手で思い出したのが、この本の中の一編「たったひとりのオリンピック」。

書いたのは山際淳治。「江夏の21球」(この本に入っています)でスポーツ・ノンフィクショ

ン作家として有名になりました。この「スローカーブを、もう一球」で第8回角川書店日本ノ

ンフィクション賞を受賞。1948年生れ、1995年没ですから、早すぎる死でした。若い人

は知らない人も多いでしょう。


さて、この「たったひとりのオリンピック」の主人公は津田真男、実在の人物です。

高校は名門、教育大学(現・筑波大学)附属高校、サッカーをやってたそうです。当然東大

を目指すが3浪。そののち東海大学へ進学。麻雀の日々で留年の可能性が。

それをリカバリーするかのように、「オリンピック」へ出ようという連想が。


その時23歳、モントリオールオリンピックまで1年半。ヨットにするか、アーチェーリーをす

るか自転車にするか、その時思いついたのが、マイナーな競技の一人乗りボート。痔の問

題、ボートの問題、練習場の問題を抱えながらも、練習を始めて2ヶ月後、記録会で思い

も寄らぬ良い成績。その後、自分で艇、オール、漕ぎ方に独自の工夫をおこない、昭和5

1年に”お花見レガッタ”で優勝。オリンピックまで手が届きそうになるが、漕艇協会はシン

グルスカルでなく、エイトを送ることに。夢破れるが、次のオリンピックを目指すことに。


学校を卒業するが就職と練習の問題。いろいろな職業、アルバイトを経験しながらも、オリ

ンピック代表に選ばれる。そのオリンピックが、「モスクワオリンピック」。ご存じのように、

アメリカに右へ習いで日本もボイコット。

しかし、この作品があるおかげで、一人でオリンピック代表を勝ち取った青年の名前は残

っていくでしょう。


思い出しましたが、30年ほど前、オリンピックのマラソン選手も出場する経費がなく(当時

はオリンピック選手といえどもアマチュアということで援助は少なかったそうですが)駅前に

募金箱を下げて、募金をしてもらったそうです。シンクロナイズドスイミングの指導者井村

雅代元監督も、シンクロが今みたいな成績でなかった頃は、一日指導して、交通費込みで

手当が数千円だったそうです。皆がんばってるのですね。



私ももう少し若ければ・・・一時間6キロで走っていたのですが(歩くのと同じくらいかcoldsweats01)・・・

しかし、市民ランナー川内優輝選手まだ25歳。夢に向かって走って欲しいですね。


2012年3月11日 (日)

この一曲~がんばろう:アジール・チンドン/ソウル・フラワー・モノノケ・サミット

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金曜日の病院での検査入院。やっと直りましたが、昨日までの血尿と、とにかくメゲてしま

いました。こんな時は、少し景気のいい音楽でもと久しぶりに上のCDを。


ソウルフル・フラワーというバンドがありますが、阪神・淡路震災の折、ソウルフル・フラワ

ー・モノノケ・サミットという名義でちんどん屋スタイル音楽の「慰問ライブ」をおこなったとき

のものです。CDの名前は「アジール・チンドン」です。


どうして、このCD買ったのか覚えていないのですが、ちんどん屋さんのレコードあと2枚あ

るので、衝動買いしたものでしょう。このバンドについては詳しくないので、ウィキペディアで

見てね。特徴的な活動してますよ。災害基金も作っているそうです。


このCD「復興節」「美しき天然」「ラッパ節」「聞け万国の労働者」「デモクラシー節」「デカ

ンショ節」「貝殻節」「~アランベニ」「がんばろう」「東京節」「武田の子守歌」。いわゆる、壮

士節、労働歌など、聴けば手でも打って一緒に歌いたくなるような景気良い演奏。


「がんばろう」は三池炭鉱の労働争議の折りに出来た唄です。この争議の時、私はまだ小

さく、意味も分からないながらも、大変な事が起こっているのだなという記憶はかすかなが

ら残っています。

作詞は、当時炭労の機関誌に詩を発表していた森田八重子。現地で見たままの、労働

者と主婦が一緒になってデモ行進する姿をそのまま書いたそうです。作曲は歌声運動の

仲間で、三池炭鉱の労働者、荒木栄。1960年6月5日、福岡県大牟田市の三池炭鉱の

広場で一万人の労働者が初めて歌ったそうです。




がんばろう


がんばろう!

つきあげる空に

くろがねの男の こぶしがある

燃え上がる女の こぶしがある

闘いはここから 闘いはいまから


がんばろう!

突き上げる空に 

輪をつなぐ仲間の こぶしがある

おしよせる仲間の こぶしがある

闘いはここから 闘いはいまから


がんばろう!

つきあげる空に 

国のうちそとの こぶしがある

勝ちどきを叫ぶ こぶしはひとつ

闘いはここから 闘いはいまから



聴いて一緒に歌っているうちにだんだん元気が。

でも、1960年安保、1970年安保、沖縄反戦デー、大学紛争、新宿西口広場フォークゲ

リラを経験してきた世代からすれば、日本人の闘う姿勢がなんと希薄になってきたこと

か・・・特に若者の


今日のおやつです。イチゴのパンナコッタ。私も、こんなところでデレデレして良いのかなと

反省しながら・・・とにかく、がんばりましょう!がんばれるうちは。

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(参考:CD添付ライナーノーツから)


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