柿ノ本古墳★墓どろぼうの話顛末記~長崎県雲仙市瑞穂町
先日、瑞穂町歴史探訪があり参加。説明は瑞穂町史談会の方々でしたが、やはり、本で
調べるより、地元の方の興味ある話が聴けました。
上のマップは、瑞穂町の文化財マップですが、スキャナーに全部入りきれなく、左右上下
が少しずつ切れています。
この、マップを見ると、千々石町、愛野町と違って、遺跡、城跡等が多いこと。こちら方面
は千々石町、愛野町あたりと違い、昔から、平野が広く、栄えていたことが伺えます。
その一つに、柿ノ本古墳があります。
この地方で良く見かける古墳です。7世紀頃の古墳時代の構造で、昭和45年に緊急調査
されたそうですが、当時より損壊が激しかったそうですが、発見にいたるいきさつと、それ
にまつわる話が、当日の資料(みずほ史談創刊号より転記)に「墓どろぼうの話(柿ノ本古
墳顛末記)」として書いてあったので、ご紹介を。
昭和45年当時、教育長をされていた楢山正信氏の話によるものです。
当時、県立国見高校の宮本という生徒から、古墳らしいものを発見しました、と言う報告が
あったそうです。
その頃の、教育委員会は、教育長、社会教育主事、学校教育係と3名で、文化財の専門
職は置かれているわけでも無く、ともかく現場に行くと、大きな石が表土の上に頭を見せて
いるが、とても古墳には見えず、それでも、「高校生の宮本君が熱心に、どうも古墳のごた
るとあまりにも熱心に話すので」、それでは掘ってみろ、ということで掘ってみたところ、こ
れが、ビンゴ。
こちらが玄室になりますが、発掘当時から、むき出しになっていたそうです。天井石らしき
ものは、回りにも見当たりませんでした。
ここからは、勾玉、管玉、水晶製切子玉、金銀環、須恵器、鉄器(直刀)、ガラス玉が出土
したそうです。
これを県教育委員会に「柿ノ本古墳」として報告する事前に、新聞に「『瑞穂町教育委員会
が貴重な遺跡を盗掘』という大きな写真入りの記事で報道され、・・・色々のデマまで飛び
出し300万円で買いにきたらしいなど・・・」
どうして、こんな新聞記事になったかは、書いてありませんでしたが、当時はまだ文化財に
関しては、十分に理解がされていなかった時代ですから、このような誤解が生まれたのか
も知れません。
しかし、この高校生の宮本君、なんで古墳と分かったのでしょう?凄いものですね。
長崎県の平戸の里田原遺跡も、昭和47年、地元高校生が、工事で掘削されたところから
木片がのぞいているのを見つけ、これを機に調査が始まり、木製品約700点や土器約2
万5,000点が出土したそうですから、高校生といえど侮れませんね。
この柿ノ本古墳の調査は、大学が絡んで無く、大学が絡んだところは、愛野町の一本松
古墳のように出土品は、大学にもっていかれますが、ここの出土品は、瑞穂町公民館の2
階に展示され、自由に参観できます。興味のある方は是非どうぞ。
(参考:「当日配布テキスト」「みずほ史談創刊号」「長崎新聞」)
あなたのお家の庭も、ポチッと掘ってみてはいかが?何か出るかも・・・・下のバナーもポ
チッよ。
« 2012 「第6回雲仙市産業まつり★特産まんぞく市」~長崎県雲仙市 | トップページ | 御館山(みたちやま)稲荷神社 その1~長崎県諫早市 »
「史跡」カテゴリの記事
- 島原半島に関する三冊の本(2024.05.05)
- 島原ぶらり~ひな祭りなど(2023.02.23)
- 島原城築城400年~島原市(2022.12.01)
- 空照上人、雲仙の事について★まとめ②~終わり(2022.09.09)
- 空照上人、雲仙の事について★まとめ➀(2022.09.04)
コメント
« 2012 「第6回雲仙市産業まつり★特産まんぞく市」~長崎県雲仙市 | トップページ | 御館山(みたちやま)稲荷神社 その1~長崎県諫早市 »
こんにちは。
昭和45年ですか。まだ遺跡発掘調査に対する体制整備に「ムラ」があった、ということになるんでしょうかね。元からその様な遺跡の出そうな地域なら既にそういう体制を整えていたでしょうが…。
投稿: kanageohis1964 | 2012年12月 4日 (火) 22時58分
コメントありがとうございました。
文化財は、日の当たらない所でした。特に地方では・・
国法では、昭和25年に「文化財保護法」が制定されましたが、長崎県では、O市が昭和43年に「文化財保護条例」を制定、S市昭和49年、k町昭和49年等々です。
この間、道路工事、開拓等で破壊された遺跡は、あちらこちらで見受けられるところです。
各市、各町、学芸員が配置されたのはここ数年です。
投稿: sugikan | 2012年12月 5日 (水) 21時30分