この一曲★島原の子守唄~「三市合同 島原半島伝承芸能まつり」より
今日は、朝から「第6回雲仙市産業まつり~特産まんぞく市」、昼からは、この「島原半島
伝承芸能祭」。会場が、かなり離れているので、一日バタバタ。
島原半島は以前1市16ヶ町だったのですが、合併で3市になり、この3市の伝承芸能祭
を、回り持ちで開催することに。今年は、雲仙市の当番。
上の写真は、島原市の保育園児による「島原の子守唄」。
下の写真、左はお馴染みになった、雲仙市千々石中学校の吹奏楽部による「御神楽」。右
は南島原市口之津町の「真米(まごめ)銭太鼓」。安来節に合わせて、硬貨を入れた竹筒
を、音楽に合わせて、動きながらならすもの。地元の清雲寺へ鐘楼が作られ、牛車で運ば
れるとき、落成の祝いとして、その前を歩きながら踊ったものが最初だそうです。
雲仙市小浜町富津地区の浮流。富津小学校の男子児童15名、師匠5名でやっているそう
ですが、ここでも、少子化に悩んでいるそうです。
雲仙市南串山町の「小豆島望郷歌」。南串山町は天草・島原の乱で、人がほとんどいなく
なり、小豆島からの移民が多く、伊勢音頭調の望郷歌です。「お伊勢参りをするなら、自分
の故郷の小豆島に立ち寄っていきたい」との願いが込められているそうです。
島原市有明町の「土搗唄(どうつきうた)と実演」。昔は機械が無かったので、家を建てると
きなど、土を固めるとき、このようにしてやっていたものです。
特別出演の雲仙市小浜中学校の吹奏楽部。市内イベントの時はいつも出演をしていま
す。全国大会でも金賞を受賞しています。
南島原市口之津町「瀬詰(せづめ)太鼓」。以前、太鼓のブームがありましたが、このグル
ープは34年目を迎えたそうです。
雲仙市愛野町の「新崎(しんざき)いない踊り」。愛野町新崎地区は千鳥川の川下で、干
潟の海に接し、潮水や高波を防ぎ、田んぼを作るため、木の板にわら縄を巻き、土を担い
で、運んだそうです。その、つらい作業を、唄と踊りでその時代を伝承しているそうです。
南島原市南有馬町の「北岡浮流」。こうして見て行くと、浮流にも各地で、色んな物が見ら
れて、面白いですね。笛と、太鼓と、舞。何か、遠い昔を感じさせます。
島原市の「島原甚句」。昭和10年くらいに出来た民謡で、レコードにもなったそうですが、
いつのまにか消失、50年ぶりに発掘され、やっと日の目を見たものだそうです。
雲仙市国見町の「東里荒踊り」。佐賀鍋島家、勝茂公が島原の乱が終わって帰るとき、国
見町に、5日間滞在。その時、四面宮(神社)で戦勝祝いとして踊ったのが始まりだそうで
す。自治会全員で取り組み、100人で踊れるよう、衣装も揃えているそうです。
最後が三市合同での「島原七万石踊り」。400年ほど前、京都福知山から、松平忠房公を
藩主に迎え、大分豊後高田三万石を合わせ、七万石の島原藩が誕生。その後、島原藩は
幕末まで安定した時代を過ごします。
今回、この歴史と伝統を残す、島原七万石を、最後に三市合同で踊ることに。
さて、島原半島といえば、「島原の子守唄」。長いので一番だけ。
島原の子守唄
おいどみゃ 島原の おどみゃ 島原の
梨の木 育ちよ
何の梨やら 何の梨やら
色気なしばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ
鬼(おん)の池ん 久助どんの 連れんこらるばい
(宮崎康平 作詞:作曲)
この歌、本当は悲しい内容があるのですが・・・・また、いつか・・・・
(参考・引用:パンフレット解説より)
今日は天気が悪く、行ったり来たりで疲かれました。歳をポチッと感じる日でした。
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