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2012年12月

2012年12月28日 (金)

「宿神」第3巻・第4巻読了★夢枕獏著~後書きから

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昔なら、2日もあれば読めたのですが、近眼に若干の乱視、おまけになによりも老眼。つい

での、おまけに、登場人物を覚えきれない。前のページで出ていた人物を、忘れてしまう。


おかげで読み終わるまで、一週間、かかりました。内容については延べませんが、TVの平

清盛と比べれば面白いですよ。


さて、夢枕獏師匠、後書きにこのように書いています。


『記・紀』の神話に出てくる神々以前の神々ー日本土着の神々。

そこにぶつかるたびに、ぼくは、何か不思議な匂いをいつも嗅いでいたのである。

それが、縄文の神々の香りであったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本各地に残る神社の縁起や祭礼の中に、この古代縄文の神々の痕跡が、わずかなが

ら残されているのではないか。

あちらこちらの神社の御神体を何度か見せていただく機会があって、その時、驚いたこと

がある。

「これが、うちの御神体なんです」

そう言って、ある神社の方が社の扉をそっと押し開いてそれを見せてくれたことがある。

ほのぐらいその空間に、鎮座ましましておられたのは、なんの変哲もない、赤ん坊ほどの、

ごろりとした丸い石であった。

「あっ」

と、声を挙げてしまった。

ぼくの鼻に、その時匂ってきたのが、あの縄文の香りだったのである。


わたしも、地方の氏神様を見ると、本当に、そこらにあるような石が、御神体として、お祀り

してあるところがあります。縄文の匂いまではしませんでしたが、どうして、これが御神体と

して、何百年か分かりませんが、守り続けられてきたのか、首を傾げたことが何回もありま

す。


逆に、巨石に対する信仰は、皆さんご存じだと思いますが、日本人の信仰の根源は、一体

何なのか、どこから生まれてきたのか?・・・知りたいものですが、自分なりの、結論は今

だに、見つけきれません。


今日は御用納め。ポチとゆっくりしましょう。

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2012年12月27日 (木)

死なないですむ方法

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諫早市、唐比のハス公園で撮った写真で、自分でも気にいっていて、数年前、年賀状に使

おうと思っていたら、ハスの花は、仏様の花であって、正月そうそう、縁起でもないとカミサ

ンから、ひどく怒られ、2~3日ションボリしたことがあります。


最近、どうにも忙しく、「パタパタママ」ならぬ、「ばたばたパパ」をやっておりますが、どうい

うわけか、お二人の、お坊様の話を聞くことがありましたが、同じ話。蓮如上人が、人間死

なないで良い方法がある、というお話をしたということ。


浄土真宗の方は、御仏壇を見ると、真ん中の、阿弥陀如来をはさんで、左右に、お坊様の

肖像がかけてあります。右が親鸞聖人、左が蓮如上人です。


蓮如上人は、本願寺の八世。衰退にあった本願寺を再興させた、本願寺中興の祖です。


蓮如上人が人間、死なないで済む方法があるといったとき、弟子達は、そんな馬鹿な~。

と思ったのかどうかは知りませんが、「どうするのでしょうか?」と聞いたところ、蓮如上人

曰く「生まれなければ良いのだ。」と答えたそうです。まったく、そのとおり、「生まれなけれ

ば、死なないですむ。」


「そんなの、当たり前だろう。」という方は、コロンブスの卵を思い出してください。


さて、親鸞聖人は

「親鸞閉眼せば賀茂河にいれて魚にあたうべし」


小野小町、壇林皇后、安藤広重とも書いてあり、誰が本当か分かりませんが

「我死なば焼くな埋めるな野に晒せ痩せた犬らの腹こやせ」


四国巡礼が終わり、帰りの船で行方不明になり、入水自殺とみられる八代目団蔵の辞世

「我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」


なかなか、我々平凡な人間には言えない言葉・・・


高田渡の「あきらめ節」の最後に

「あきらめなされ あきらめなされ あきらめなさるが無事であろう 

わたしゃ自由の動物なれば あきらめきれぬとあきらめる」


と言うのがありますが、我々凡人は「(人間は死ぬと分かっていても)あきらめきれぬとあき

らめる。」言うところでしょうか。


ところで、この間手相を見てもらったら、「あなたの寿命はあと98年です。」と言われまし

た。さて、98年の間に何やりましょうか・・・浮気は一度したいと決めているのですが・・・カ

ミサンには内緒よ。


ポチポチと、しぶとく生きるのが一番かな?

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2012年12月25日 (火)

思いでの水族館(沖縄美ら海水族館)~沖縄

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どうも、ここ数日、バタバタで、思いでの写真を一枚。


ご存じの、「沖縄美ら(ちゅら)海水族館」です。カミサンと旅行した時の写真ではありませ

ん。誰と行ったかって、そはまあ・・・


とにかくビックリしましたね。この水族館は、沖縄に行かなくても、一回は見ておくべきでし

ょう。


大感動でした。人生においても、こんなに感動したことは、ほとんど無かったでしょう。

みなさんも、機会がなくても、ぜひ一度行ってみてください。


2~3日ほど、ろくに寝ていないので、今日はここらでお休みなさい。夢はポチ、ポチ、ポチ

の事。

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2012年12月23日 (日)

2012 日本一(世界一)の大門松完成★橘神社~長崎県雲仙市千々石町橘神社

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今年も完成しました。橘神社の大門松です。門松は日本にしかありませんから、日本一と

いえば、世界一です。

朝から、最後の仕上げ。

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もう少し上が良かろうとか、下が良かろうとか、わいわい言いいながら、綺麗なお飾りが出

来ました。

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昼からは、お祓い。祝詞(のりと)を読んでおられる宮司さんは、橘中佐の子孫の方です。

世が世であれば、私どもは・・・でも、気さくな方ですから、橘神社にお寄りの節は、気軽に

お話でも。

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最後にみんなで、「いやさか」のかけ声を。「いや!そこ!」ではありません、この間亡くなら

れた「小沢昭一」の「みやさか」のおとうさん、でもありません。


「弥栄」と書いて、いよいよさかえること、繁栄を祈っての万歳です。

皆さんも一緒に、「いやさか」。


やはり、良いですね。この、門松があるのと、ないのでは、雰囲気が全然違ってきます。

この門松が出来ると、いよいよ正月を感じます。


仕事を、持ちながら、日曜日ごと作っていただいた皆さん、ご苦労様でした。大変だったで

しょうが、これを見るのが楽しみで、遠くから来られる方もおられるので、大変でしょうが,来

年もまた、よろしくお願いしますね。


出来上がりに、「いやさか、いやさか、いやさか」、ついでに「ポチ、ポチ、ポチ」

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雲仙大黒天(パワースポット)横の天照法師について~長崎県雲仙市小浜町雲仙

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最近、パワースポットとして紹介され始めた、雲仙の磨崖仏の大黒天です。


小浜町史談によると、永久3年(1151)。「満明寺が再建、瀬戸石原に三百坊、別所に七

百坊(この数字、本によって違いがあり、正確には分かってないみたいです)。大黒天彫

刻。」と書いてあります。


別所はもちろん、僧の修行したところですから、その時彫られたのでしょうが、年代まで

は?


この大黒天の横に石仏があります。青の四角が大黑天。赤の四角が石仏です。

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この磨崖仏、雲仙の別所ダム(鴛鴦の池)のほとりにありますが、ダムの工事が昭和36年

~44年。この磨崖仏は昭和40年に発見されたと、新聞に載ったそうですが、この横の石

仏。

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セメントで補修したような感じですが、横に二本の石柱が。

右の石柱は途中から折れています。

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左は、

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「是ニ行者空照法師生存・・」まで読めましたが、下は土に埋まって読めません。

もう片方には、「昭和六年一月二十九日」の文字が。と言うことは、昭和四十年頃に発見さ

れたのでは無く、もっと以前から、この大黑天は知られていたことが分かります。四十年説

がインターネットのあちらこちらで見受けられますが・・・


さて、この「天照法師」ですが、西有家に関係があるらしく、西有家の郷土誌に載せてあり

ました。


生まれは、佐賀県東多久。当時、南有馬村で病気を治す霊験を現していた空照さんにお

願いし、西有家の八十八か所の設置を進めたそうです。


なお、「雲仙お山の情報館」の、西氏に聞いたら、空照師は、雲仙最後の修験者であった

そうです。、昭和六年に百日の回峰修行をされたそうです。延暦寺の「千日回峰行」では、

一日平均三十キロ、山中をめぐるそうです。雲仙の山中も岩が多く、上り下りが厳しいとこ

ろです。


なお、高岩山に登る途中に「奥の院・一夜大師」の小さな標識があり、登山道を逸れ林に

入り五百メートルくらいの所に、空照師の立像があるそうです。

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  (西有家町郷土誌より)

台には、「開山空照師 昭和八年見岳名中」と刻んであるそうです。見岳は現在南島原市

です。


なお、ここから細いけもの道を登ると、巨岩があり、その中に石窟があるそうで、これがな

かなか見つけにくいそうで、ここで百日修行をされたものだと考えられています。


さて、この石窟の中には、一夜大師というものがあり、見岳名の信者の人が、セメント、砂

などを険しい山道を石窟まで運び上げ、一夜のうちに、大師像を作りあげたといいます。

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           (提供:雲仙お山の情報館)

なお、この場所については、聞いておりますので、体調が治ったら是非いきたいと思ってお

ります。


最初に戻りますが、空照師が百日修行をおこなったのが昭和六年。大黑天の横の像も昭

和六年。記念に作ったのかな?


雲仙の山は奥深く、修験者が多く修行をしていますから、まだまだ、知られていないところ

があるかも・・・


なお、空照師、行基が修行をしたという行基洞(ここも分かりにくく、二度ばかり捜しました

が分かりませんでした)で二十一日間の業をおこない、故郷に帰られたということです。

(参考:「西有家郷土誌」「雲仙歴史散策資料~西久海著」「雲仙お山の情報館」)


もういくつ寝るとお正月、お正月には、凧上げて、ポチを押して遊びましょう・・・

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2012年12月21日 (金)

鴛鴦(おしどり)の池:別所ダム★水裁判のこと~長崎県雲仙市小浜町雲仙

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雲仙を訪れた方は、雲仙の外れ、この湖に来られた方もいると思います。

ここのほとりに、

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この碑がありますので、当然、池と思われても仕方がないと思いますが、ここは、「別所ダ

ム」なのです。この「鴛鴦の池」の名称については、この横にこのように書かれています。


「・・・湖畔に立ち、静かに瞑想するとき、自然と人工の調和に心の安堵を覚え 湖水に浮

かぶ『おしどり』に平和と愛情の象徴を見いだすであろう。・・・」と言うことで、「鴛鴦の池」と

命名されています。


以前は、現在より鴛鴦が多かった見たいですが、近ごろ少なくなったみたいで、人間と同じ

で離婚が多くなったのかな?


さて、雲仙は修験者(山伏さん)の修行の場所でした。大宝元年(701)行基菩薩によって

温泉(うんぜん)山大乗院満明寺が建立されたといいます。


77年後、法権の争奪により焼失、寄進により再建されるも承平元年、又もや焼失、その

後、仮院であったが、永久二年(1114、永久三年の説も有り)定僧という人が発起し、再

建。


雲仙の瀬戸石原に七〇〇坊、別所(このダムがあるあたりを別所といいます)に三〇〇坊

(ここらあたりは、文献によって、瀬戸石原二、三百坊、別所に二七〇坊ともあります。)

もちろん、そのころは、ダムでも湖でもありません。地形から見れば盆地だったのでしょう。



別所とは、本寺から離れたたところに、僧房を作ったことから、名付けられたのでしょう。


この、瀬戸石原と別所の僧は、仲が悪かったみたいで、瀬戸石原の稚児がかわいがって

いた「白雀」を、別所の稚児が貸せ、と言ったことから、喧嘩になり、別所の稚児が、誤っ

て殺してしまったそうですが、子どもの喧嘩に親が出る、ということで、両方の僧が出て大

喧嘩。


行基が建てたという、満明寺に放火した者があり、ただの喧嘩では収まらず、城主の有馬

義直が兵を派遣して鎮圧。


原因が稚児にあったということで、この湖の下にある滝に、稚児を集め、全員突き落とした

そうです。今も、「稚児落しの滝」として有名です。


この、事件があったのが、亀元三年のこと。おりしも、島原半島ではキリシタンが普及した

頃。たぶん、僧は散り散りになって、別所は再建されることは無かったのでしょう。


なお、この「白雀の乱」の原因については、「稚児争い」(いわゆる男色)のことだとも聞いた

ことがあり、根井浄氏の「修験とキリシタン」の本によれば、「・・・満明寺の白雀の乱の本質

は、キリシタン伝道にからむ一山衆徒の内乱であった解釈される。」という論考もあります。


さて、時代は変わります。この別所はそのままうち捨てられたのでしょうが、小浜史談に

よると、「別所は四万坪以上の平地であって各所に水が湧き水田になっていた。」との記述

があり、開拓をされたみたいで、最近、パワースポトとして有名になりつつある、このダムの

脇にある磨崖仏から、数メートル行ったところ、ここの開拓に尽力した方々の墓がありま

す。

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年代がよく読めませんが、「享保」あるいは「文化」の文字は読めました。


さて、ここまでが前置きで、ここからが本論です。時代は飛びます。


千々石には「千々石川」があり、灌漑用水、飲料水として使っていますが、この上流が、こ

こが盆地だったころ、「加持川」が流れていました。「加持祈祷」の「加持」であり、修験道の

修行場であったことが伺えます。


さて、昭和26年頃といいます。雲仙が国際観光地として発達。各旅館が、思い思いに、加

持川水源から、水を引き始め、千々石町側は黙認できず、主な両館業者を相手取り、裁判

になったそうですが、法令に規定がなく、長崎地方裁判所でも最も古い未解決事件になっ

たそうです。


ここで、解決すべく、加時川を堰き止め、「雲仙別所ダム」jを作る構想がでて、昭和28年頃

から具体的促進に乗り出したそうです。竣工は昭和44年3月。設計は長崎県農林部耕地

課になっていました。県の仲裁があったのでしょう。ダムの完成と共に、盆地、加持川はな

くなってしまいます。


このダム、干害の時には、田の跡などが見えるそうです。加時川が流れている頃の写真を

地元の専門家にも聞いて捜してみたのですが、どんなわけか、全然出てきませんでした。

不思議と言えば、不思議です。


今なら、発掘調査をしていたのでしょうが・・・多分、いろんなものが出てきたと思います。

次回は、パワースポット、大黒天あたりのことを・・・・

雲仙の歴史は深いものがあり、もし間違っていたら、コメント欄でご指摘を。

(参考・引用:「雲仙史談」「千々石郷土誌」「修験道とキリシタン~根井浄著」)


もうすぐクリスマス。ポチポチ、プレゼントの用意を(カミサンは除く)。

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2012年12月20日 (木)

iPad mini買いました

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性懲りもなく、iPad miniを 買いました。これで、iPadの初代、iPodのクラッシク、nano、

iPhone4SとiPad miniになったわけです。


注文は、アップルストアーのオンラインからです。こちらから注文すると、時間はかかります

が。刻印サービスがつきます。


到着前に、左から、純正のスマートカバー。しめれば、スリープ状態になり、開ければ、即、

画面が立ち上がるもの。カスタマーレビューを見ると、少し辛口にかいてありますが、2

週間ほど使ってみて、良好です。これ、本体の上だけのカバーになりますから、裏側はそ

のままです。


金属の手触りが嫌いなのと、裏側が少し心配なので、バックカバーを。真ん中の写真。右

の写真が保護フィルムですが。Amazonに頼んだら、いつもの通り、たった、一枚の保護フ

ィルムが、この大箱に・・・

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納品まで2週間程度という事でしたが、10日ほどで到着。包みを開けるのは楽しい時で、

「恥ずかしがるでない、もそっと近くに、良いではないか。」などと悪代官になったつもりで、

つぶやきながら、包みを脱がせると、やはり、アップル。なんとも、あっさりした箱。電源、コ

ード、4枚の紙切れ、そして本体。

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一枚(一冊ではありません。どこかの携帯みたいに分厚く、何が書いてあるか分からな

い説明書みたいなものではありません、)の説明書。iPad情報1枚。リサイクルについての

シールつきの説明書一枚。アップルのロゴのシール(2枚付き)。老眼と近眼と乱視の目で

は、字が小さくて、何が書いてありか分かりません。


iPad初代と、miniを比べたもの。厚みも、重量も全然違います。やはり、かわゆいですね。A

KBの渡辺麻友ちゃん(私の好み)と、うちのカミサンみたい。

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と言うことで、完全装備です。今回の刻印は、買った日付と名前を入れました。こうすれ

ば、何年前買ったか一目瞭然。


使い心地ですか?良いですね、とにかく寝転んで使うには最高。初代のは重たくて、年寄

りには辛かったのですが・・・



なお、このカバーの色は(PRODUCT)REDといって、収益の一部が、エイズ、結核、マラリ

ア対策に寄付されるそうです。nanoもこの(PRODUCT)REDを買いましたが、裏の刻印は

「世界に平和を 人に愛を」と入れています()。


さて、今日はauさんと、某家電店によって、iPhone5とRetinaディスプレーモデルを見てきま

した。買うか、買わざるべきか?それが、問題じゃ!(iPone5は多分買うな)。


これだけ買うと、数年かけて、ポチポチ貯めた、へそくりが、無くなりそう。ポチのご協力

を・・・

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2012年12月18日 (火)

久山茶屋 長崎街道絵巻通~長崎県諫早市久山町

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昨日書きましたが、久山の磨崖仏を見に行ったら、なんと、道路が途中で消失。しかし、左

の写真、赤の四角の所、なにやら面白そうなタヌキの彫像と、通路が・・・

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通路の中を見たら、これまたビックリ

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長崎から小倉にいたる、長崎街道の名所が、通路の左右にびったり描いてあるではありま

せんか。


あらためて、タヌキの土台を見たら、「久山茶屋 長崎街道絵巻」、協力者として、久山自治

会、NPO法人ふれあいフレンド、NPO法人長崎街道松並復元会、西諌早中学校、創成館

高等学校、そして、個人の名前がずらりと書いてありました。


この上の車道は、251号線と34号線を結ぶ車線、(諫早~飯盛)になっていますが、新し

い道が出来たために、途切れ、歩道として、この通路が出来たのでしょう。


左右の絵、紛れもなく、タヌキの絵で有名な、堤けんじ氏の絵です。調べて見ると、平成21

年の完成。堤けんじ氏が8ヶ月書けて下絵を描き、地元の小中学生が色づけをしたそうで

す。


完成して、3年余を経ていますが、落書き一つありませんでした。愉快な絵がたくさんあり

ますから、子どもでも連れて見に来てください。

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各写真、クリックすると拡大しますから、お楽しみを。

なお、この通路を出たところ、

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ここの道が、長崎街道であったことが分かります。街道は整備がしてあるらしく、日を改め

て、彼女(もちろんカミサンではありません)と二人で、お手々つないで歩いてみるつもりで

す。


でも、この久山町、磨崖仏は見れるし、愉快な絵は見られるし、楽しいところでした。

場所は、昨日の記事を見てください。目標は、国道34号線、諫早市久山町の、ホテルビル

フェルド(横文字で書いてあります。潰れています。)横の道から入ります。


今日は漢方医さん行き、話していると、寒さと、暖かさが繰り返しているため、体調を崩し

ている人が多いとか(本日は2時間待ち)。まあ、気を楽に、ポチポチ生きていきましょう。

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2012年12月17日 (月)

久山の磨崖仏三十三所観音~長崎県諫早市久山

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先日、古本屋をあせっていたら、「諫早の文化財」という、小冊子があり、「久山の磨崖仏三

十三観音」のことが書いてあり、磨崖仏については、富川渓谷の五百羅漢、、長田の御手

水観音、慶巌時と見て来たので、行かないわけにはいかないだろうと、買い物ついでに出

かけて見ました。


場所は、国道34号線から500mばかり入って、目印はお堂ということで、600mばかり行

っても、お堂は見当たらず。道は途切れていましたが、面白いものがあったので、これは、

次回のお楽しみ。


ちょうど、おばあちゃんが通りかかったので、聞いてみたら親切に教えていただきました。

やはり、頼りになるのは、おじいちゃんに、おばあちゃん。


分からないはずで、ここらあたり、新築のアパートがびったり。赤の四角の所です。昔は、

道から見えていたそうですが・・・・


薬師堂です。前に土俵があったので、祭日の時などには賑わったことが伺えます。この、

薬師堂の後の、崖の石に磨崖仏が掘り込んであります。

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詳しい説明は、説明版があるので、ご覧下さい。クリックすると拡大します。

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30~50㎝程度の小さな磨崖仏ですが、見つめていると、鄙びた感じが、何とも言えませ

ん。

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一番上の写真。左側に「十三番」という文字が読めます。上の写真、文政十一年の文字

と、人の名前を書いた記銘があります。(説明版参照)


「当所巡礼中」と刻んであるのは、「西国三十三所観音巡礼の講加仲間が、帰ってから

その功徳をみんなのものとする為に、建立したのであるかもしれません。」(諫早を歩く:山

口八郎著)

なお。この石工の三次良さん、山口露山著「久山郷土誌」によれば、・・・山口三次郎が文

政11年33歳の時、信仰の為彫刻したるもの・・・と載せてあるそうです。

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なお、ここに行くときにはご注意を。ズボンに、びったり、草が(草の名前なんだっけ?思い

出せません。)張り付いて。取るのに苦労しました。


なお、国道からの入り口の目印になる、「ホテルビルフェルド」です。ホテルには入らないで

この横の道に入って、まっすぐ行ってください。(このホテル、どうも潰れているみたいで、確

認の電話したら、「この電話は、現在使われておりません、・・・」のコールが流れました。)

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国道から、ほんの少しの所です。興味のある方は行ってみてください。

(参考・引用:「諫早市の文化財:諫早市教育委員会」「諫早を歩く:山口八郎著」)


衆議院選挙は終わりましたが、年が開けたら今度は市長選挙。もう少しポチポチやってく

れませんかね。

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2012年12月16日 (日)

頼山陽と天川屋~長崎県雲仙市千々石町  附録:大門松追い込み&ドクターヘリ

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千々石に天川(あまかわ)屋という旅館があります。今は新館が出来て、ほとんど、そちら

で営業をしています。こちらは旧館。この天川屋に頼山陽が泊まったのは、千々石の人は

ほとんどの方が知っているところですが・・・


頼山陽については、学校でも習ったのでご存じだと思います。私は歴史の時間が嫌いで、

寝ていたので詳しくは覚えていませんが、歴史家、思想家、漢詩人、文人で、「日本外交

史」を書き、尊皇攘夷思想に影響を与えました。(これくらいは覚えています。)


さて、この頼山陽が千々石町に来ており、これについては、大正5年の、坂本竜之介著「山

陽遺蹟研究会」に書かれているらしく、それがそのまま「千々石郷土誌」に載っていますの

で、簡略に書いてみます。多少面白い話が、載っています。


頼山陽は長崎に63日間滞在。肥後に渡る予定が、「䌫を解いて僅か半時ならぬに、雲行

き愈いよ怪しくなり温泉山(雲仙岳)、黒雲漲りて・・・・海水忽ち闇く、怒濤瀾船を呑まねば

已まぬ大時化となった・・・」このため、「一陸地に漂着した。」そして、「一漁村に達し、一民

家に請ふて宿ることを得た。」


この、一夜の宿を請うたのが、「天川屋伍平というものの家であった」。すなわち今の天川

屋になります。ところが、このとき「嚢中一銭の貯えもないので、巳むなく紙を展べ筆を執

り、彼の程明道が『漠辭盃酒十分醉。只恐風花一點飛』を書いて与えたそうです。


主人は、皆目分からず、「之を壁に貼り、見る毎に一夕の宿料を損したと恨んで居た。」そ

うですが、神代村の医師母里柳庵(ぼりりゅうあん)が、この書き物を見て、「山陽の眞蹟た

るを認めて」、銀二朱で持って帰ったそうです。同家にて秘蔵しているとの事だそうです。


「伍平、後に至りて山陽の事を聞き、其の眞蹟を僅に銀二朱で売ったのを、甚く悔んだそう

である。」と言うことでした。


このあと、千々石から国崎の岬(南串山町)の沖合から、早崎海峡をへて、大屋の島につ

き、澁江龍淵という儒者を訪れますが留守。一通の書を預けますが、これが


「泊天草洋」、天草洋に泊す。「雲耶山耶呉耶越。水天髣髴青一髮。・・・・」という有名な漢

詩です。


口之津町で、「青一髮」という焼酎を造っています。宮崎康平さんが、この漢詩の一節から

名付けたそうです。


一人で作っているため、なかなか手に入りません。知人から、一度もらったことがありまし

たが、スッキリした良い焼酎でした。機会があったら是非一度。


「附録」


いよいよ、大門松の追い込みです。聞いてみたら、12月23日(日)の午前中に、完成式を

おこなうそうです。皆さんもどうぞ。特に、写真家の方は良い素材ですよ。

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さて、この間、ドクターヘリの事に、少し触れましたが、小浜の埋め立て地の所で、上から

なにか音がすると思ったら、ドクターヘリが降りてきて、ビックリしました。

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患者の方、無事なら良いのですが・・・


総選挙、ポチポチ結果が出てきました。この先、世の中どうなるんでしょう。

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2012年12月15日 (土)

虹の大噴湯~長崎県雲仙市小浜町

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時々、小浜の海岸あたりを散歩するのですが、近ごろ有名になりつつある、小浜の、日本

一長い足湯を少し行った、堤防の、赤い四角で囲んだところ、いつも何だろうと思っていた

のですが(青い資格は雲仙市の小浜支庁)、近づくと

Pb300031_2

こんな感じで、果たして何なのか?

ずっと考えていると、ふとどこかで見たような写真が、頭の中をよぎり、小浜の資料館に行

ってみると、ドンピシャリ

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「小浜町史談」を調べて見ると、ちゃんと載ってました。


昭和四十四年、鹿児島県牧園町、霧島町と観光姉妹都市を結んだ折、新しい観光策、豊

富な温泉のシンボルとして「夢が輝く大噴湯」を作ったそうです。


深度は海面から五十五メートル、噴湯の高さ二十七メートル。世界初めての施設といわ

れ、中央から熱湯を、周囲の球形からは海水を吹きあげ、自動的に大きくなったり、小さく

なったりするそうです。


夜は赤、青、緑、黄色に変化し、デザインは温泉が吹き出ている中央部が雲仙岳を、土台

が海の小浜を表現し、丸いところは町民の和を示し、あらゆる角度から「小浜」の「小」を形

どっているそうです。


昭和四十四年十月二十五日、天皇陛下が小浜に泊まられたとき、ご覧になられたそうで

す。


残念ながら、昭和五十二年から故障により中止になっています。こうして見ると、良い風景

なんですが。復活できないんでしょうか?

Pc150058

ところで、この写真の隣に、書が置いてあって、多分、写真を撮られた方が書かれたもの

かなと思って、係員の方に聞いてみると、なんと、歌人、随筆家、藤原定家の子孫で、昭和

天皇の侍従長を務められた入江相政(いりえすけまさ)氏の書でした(今の若い方には分

からないか)。


特に「入江相政日記」は、皇室を題材としたもので、宮中内の内情も書いてある、有名な著

作です。多分、昭和天皇がお泊まりになられたときに、一緒に来られ、その時、書かれたも

のでしょう。


さて、中をウロウロしていると、

Pc150044

茶会が開かれており、聞いてみると、月一回、ここで子どもの茶道教室を開いており、今日

は、今年最後のおさらい会ということで、子どもさんも和服。資料館の見学者の方もどう

ぞということで、一服いただいて来ました。


見ていると、かなり厳しく教えていて、座ったときの、手のおき方なども、指導されておられ

ました。小さいときから、お作法を学んでおくと、大きくなって困らないんですが。


私なんか、ろくすっぽ習ってなかったので、困ったことが何度もありました。ただし、ビール

のつぎ方は、先輩からきちんと習ったので、見事なもんですよ。どうですか、一杯飲みにい

きませんか?ただし、三十歳から四十歳程度の女性に限りますが・・・美人なら、もう少しお

歳を召していてもかまいませんが・・・

(参考:「小浜町史談」)


今日は買い物に行ったら、雨に合い、ポチどころかずぶ濡れになりました。

 

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2012年12月13日 (木)

国立大村病院再診&痩せました

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先月初め書いたように、特定健康検査の肝臓の値が異常に高く、国立大村病院(正式名

称:独立行政法人国立病院機構 長崎医療センター)に、掛かり付けのお医者さんから紹

介状をもらって、やって来ましたが、経過をしばらく見てみようということで、今日、再診に

やって来ました。


とにかく、脂肪肝がひどいということもあり、お医者さんに指摘を受けたので、前に書いた

ように「健康づくりだ!」「ノルデック・ウォーク用ポール、買いました」と言うことで、毎日、ノ

ルデック・ウォーク(これ、単なるウォーキングより、上半身も鍛えられて良いですよ)、も

ちろん、「MBT」の靴を履いて。雨の日は、スローステップ運動、朝、昼、夜のラジオ体操。

言わずながら、おやつ禁止。


一月少しほど、毎日やっていたら、あわや70㎏を越えようとした体重が、66,4㎏まで落

ちているではありませんか。


おかげで、ASTの値が82から41(上限値33)。ALTが184から75(上限値42)。まだま

だ、正常値より高いというものの、ぐっと下がり、主治医が一番心配していた、フェリチン

(肝臓鉄というのかな?)が544から222(上限値250)。


運動のせいか、前に異常があったのかは分かりませんが、とにかく、少しばかり、正常値

に戻りつつあります。3ヶ月ごと経過を見てみようと言うことで、次は、3月14日の予約を

取ってもらいました。


さて、検査入院しなくても済むと思ったら、何となくほっとして、食欲まで落ちて、一階にある

カフェテリアで

Pc130007

日だまりの中、パンとココアの昼食。外を見ると、今日はドクターヘリがいました。かっこい

いですね。一番上の写真です。本来なら、あまり活躍しない方が良いのですが、これで、

命を助かった方が何名もおられます。


なんとなく、安心したら、悪い癖で、用もないのに病院の中をウロウロ。可愛い看護師さん

はいないかな?


2階に患者さん用の図書室があり、可愛らしいと思える担当の、若いと思える女性が(マス

クをしていたのでよく分かりませんでしたが、多分そうでしょう)。

図書棚を見ると

Pc130016_2

病気関係の本ばかりですから、返すときに、「参考になった本」、「あまり参考にならなかっ

た本」、「どちらでもなかった本」に分けて入れるようになっていました。良いですね。


これ、小さな図書館でも利用出来ませんかね。「面白かった本」、「あまり面白くなかった

本」、「どちらでもなかった本」に分けて、返却してもらっては?・・・


さて、帰りがけ、自分へのご褒美に、ケーキでも買って帰ろうかと思いましたが、ガマンの

子でした。でも、ケーキ食べたいな。食べたいな。食べたいな。今日は、夢の中でケーキが

でてきそう         


今日はポチよりケーキがいいな。

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2012年12月12日 (水)

佐嘉藩(佐賀藩)古部村藩境石~雲仙市瑞穂町

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以前、佐賀藩の藩境石藩境石塚のことを書きましたが、先日、書いたように、島原半島

の中に、佐賀藩領があります。西・東神代村、伊古村、古部村。島原半島、他は島原藩で

す。

Img_31

この、佐賀藩領、飛び飛びになっていますが、以前から、藩境石の事を聞いたことがあり、

ちょうど、瑞穂町の歴史散策に参加した折、郷土史家の方に聞いてみると、某店から、下

り道を行って右側だよ、と言うこと。


用事のついでに、行って探しましたが、まったく分からず。2~3回車で行ったり来たりして

いると、ある家の中にそれらしきものがチラッと。入って見ると、ビンゴでした。


ちょうど、家のお婆ちゃん、と言うには若すぎぎる上品な方が・・・最初は、うさんくさい目で

見られましたが(ひげのせいかな?)、話してみると段々と色んな事が聞けました。


二本境石がありますが、左側には「從是西佐嘉領(これよりにしさがりょう)」、右は「從是

東佐嘉領」。


話をしていると、廃藩置県で用が無くなったのか、うち捨てられていたのを、持ってきて、こ

こに置いているそうです。


さて、裏側

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上の方ほうが「高來郡之内古部村」、下の方が「髙來郡之内古部村」。古部村は伊福村と

合併して大正村。その後、大正村と西郷村が合併して瑞穂町になります。


上の二つの文字比べると、明らかに違います。特に、「高」と「髙」の文字。どんな理由か

調べなければならないのですが、「高」と「髙」の使用時代を調べれば分かるのでしょうが。


この、藩境石、まだ、あちらこちらあるとか。そのうち、見つけたら、また、ご紹介を。


明日からは寒さが緩むそうです。ポチと外で仕事でも・・・

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2012年12月11日 (火)

世界一の大門松・完成間近~長崎県雲仙市千々石町橘神社

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しつこいほど、私のブログに出てきますが、橘神社の世界一の大門松です。近所に住んで

いるおかげで、段々とできていくのを見るのが楽しくて、良く見に行っています。あと一息で

すね。


先日の9日、通りかかったら、飾り付けの準備中。

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飾りの松の大きいこと。どこから見つけるのか、毎年、竹、桧木、松。大量に集めるのは、

大変な事です。

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門松の、この竹を斜めに切る作業、クレーン車に乗って切るので、大変な事です。高所恐

怖症の方にはとうてい無理な事。(関係ないけど、私は女性恐怖症、おかげで晩婚です。

今でもカミサンは恐怖の対象です。


この、ななめの角度。良い仕事してますね。ちなみに、数えて見ると、竹の本数なんと54

本。


あとは、土台の所にコモを巻いて、最終の飾り付けをして、竣工清祓式をしますが、去年

は12月23日でしたから、今年も同じ日程になるでしょう。飾り付けも、見ていると楽しいも

のですよ。皆さんも、見学にいかがですか。


もういくつ寝るとお正月。ポチポチ頑張りましょう。下のバナーもポチよ。

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2012年12月 9日 (日)

後生大切(ごしょうたいせつ)

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昔、 ある先生からいただいた資料です。先生が考えられたのか、どなたかの考えをコピー

されたのかは聞きそびれてしまいましたが。


若いときは、そんなに気にして無かったのですが、今読み返すと、心に沁むものがありま

す。


「後生大切」という言葉は、どうにも見当たらず、「後生大事」ならあるのですが。「物事を大

切にすること。『師の教えを後生大事にする』『空き箱を後生大事にする』」(goo事典よ

り)。多分その意味で「後生大切」なのでしょうが・・・


何となく「断捨離」の考えと似ていますね。物への執着から離れ、身軽で快適な人生を送

る。


本当にこんな生き方が出来たら良いのですが、まだまだ色気たっぷり(特に女性には

の私には、もう少し無理みたいですね。


この「後生大切」、気にいった方は、以前書いた、「つもりちがい十か条」と同じように、トイ

レで気ばるとき、いつも読めるように、壁に貼って置いて下さい。


私も、ポチポチ枯れなきゃいけない年齢なんですけれどね。

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2012年12月 7日 (金)

494回記念~サローインステーキを買いました

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数えてみれば、ブログを毎日続けて書いて、(2週間ばかり目がおかしくなったのをのぞい

て)494回目。自分で、よくまあ、書けたものだと思いますが、私たちの周囲に、それだけ

色んな事があり、仕事を持っていたときは、それに気づいていなかったとの反省をしていま

す。


さて、国道251号線、いつも諫早に行く途中に、「焼肉おがわ」という店があります。以前、

一回書いたことがあります。小川牧場の直送の肉を使っているそうです。食事が出来ると

同時に、精肉も売っています。この、垂れ幕、まだ、取り付けてありますから、すぐに分か

ると思います。


10月に、5年に一回開かれる、「第10回全国和牛能力共進会」が長崎で開かれました

が、今大会のテーマは「和牛維新」だったそうです。、長崎も優秀な成績を収め、「長崎牛」

の名を高めました。


さて、この全国大会に選ばれる、長崎県代表ですから、一回は買っていこうと思っていた

のですが、へたに買っていったら、カミサンにおごられること必定。


ところが、ここ数日、又、カミサンが行方不明。しめこのうさぎ。(昔はやったダジャレ)

ブログ494回を記念して、買ってきました。494回の意味ですか?10だって、50だって、

100だって、494だって、同じ数字。どんな人間も平等なように、どんな数字だって、平等

なはず。だったら、494回記念だってあっても良いはず。

Pc050365

これが、494回記念のサローインステーキです。


私にとっては、40年ぶりの再開です。40年前は上司に奢ってもらい、その美味しさは、今

でも思えています。何となく、焼けぼっくりに火がついて、という言葉を思い出しました。


これ4日分の食費と同じですから、4等分して、4日に分けて食べる予定。自分でも、みみ

っちい男だと思うのですが・・・・


とにかく、美味しかったですね。至福の時でした。皆さんも、お金と、度胸があったら買って

みてください。


一人で食うのは良いですね。古人曰く、「悲しみは二人で分け合って、幸せは一人占め。」


さて、カミサンの悪口ばかり書いていたら、バレれしまい、「ブログ禁止令」を受けました。

これからは、毎日、書けないと思いますが、カミサンの目を盗んで、飛び飛びにでも、書き

続けるつもりです・・・これからもご愛読下さい。


ポチポチでも応援してね。

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2012年12月 6日 (木)

御館山稲荷神社 その2★鎮西八郎為朝の矢受け石他~長崎県諫早市

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神社の右手に、「鎮西八郎為朝の矢受け石(天狗岩)」というのがあります。


NHKの大河ドラマ「平清盛」にも出てきましたが、若き日の源爲朝は、暴れ者で、父、為義

に九州にやられますが、あっという間に九州を平定し、鎮西八郎を名乗るようになったそう

です。


その、若き日の、源為朝がこの山上に館を築いたので、御館山という名がついたそうで

す。神社の上は少し広場のようになっています。


さて、この岩に天狗が彫ってあります。

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この天狗のいわれ等については調べましたが、よく分かりませんでした。


この、岩の側面に大きなくぼみがあり、これが為朝の矢が刺さった跡との説があります。

なにせ、為朝は2メートル半もある強弓を引いていたといいます。

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多分、ここが矢が刺さった跡でしょう。神社の方がいなかったので確認出来ませんでした。

まあ、ここにしておきましょう。


今、夢枕獏の「宿神」(これについては後日、書く予定です)を読んでいますが、それによる

と、為朝の矢尻(矢の先の方)は、「鑿(のみ)の如き物を先細にして、厚さ五分(1.5㎝)、

広さ一寸(3.03㎝)、長さ八寸(24.24㎝)。弓の握りの太さが三寸(約9㎝)と言います

から、メチャクチャな強弓で、これで打てば、本当に刺さるでしょう。これに、匹敵するとい

えば、私のカミサンのパンツ(失礼)パンチぐらいでしょう。


お稲荷さんといえば、狐ですが、この岩の横に「狐の巣穴」があります。この形の穴は、あ

ちらこちらで見受けられました。

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豊前坊と奥殿。役の行者の開山以来、修験者の道場として有名な豊前英彦山の祭神、天

忍穂(あめのおしほ)の命の分霊を祀ってあるそうです。昭和3年石材で社殿が建立され、

奥殿としているそうです。

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その他、石造物等がありますので、興味ある方は是非お越しを。


なお、この神社に来る途中、少し歩かなければなりませんが、御館山の展望台があり、

ここからは、360度の諫早の展望が楽しめます。

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少し霞んでいますが、工事中の諫早総合運動公園。昔は、運動場付近から、足元の呑空

谷(どんくうだに)まで海水が流入していたそうです。

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とにかく、素晴らしい展望が楽しめます。ハイキングがてらいかがですか?あの、長い階

段を登って・・・(御館山稲荷神社の項 終了)

(参考・引用:「御館山稲荷神社ホームページ」「諫早を歩く~山口八郎著」「宿神~夢枕獏

著」)


階段を登るときは長いので、ポチポチとね。

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2012年12月 5日 (水)

御館山(みたちやま)稲荷神社 その1~長崎県諫早市

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諫早市に、宇都(うず)町と言うところがあり、ここの交差点から、諫早市の文化会館付近

を見ると

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下の大きな建物が文化会館ですが、その上に立派な神社が。諫早に住んでいないので、

えらく立派な神社があるなと、いつも思っていたのですが、調べて見ると「御館山稲荷神

社」。源氏の頭領、源為朝とも関係があるみたいで、出かけて見ました。地図で調べて・・

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こちらが、参道。右には社務所がありますが、左に遙拝殿。本殿まで遠いので、身近に拝

むことが出来るようにしてあるそうです。


この階段を登ると、長い長い、足がいうことをきかず、もう帰ろうかと思っていたら、なんと

車道が。そう、ちゃんと、ここから数百メートル行ったところに、車でいける参道の入り口が

あったのです。


もちろん、引き返して、車で車道を登って行くと、神社の横には、立派な駐車場までが・・・

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この神社は大宝年間に行基菩薩が開基されたともいわれていますが、頂上北部に巨大な

岩が林立し、古代の人は、神の宿る場所、盤座(いわくら)としていたそうです。


ここの山頂に、四面上宮(しめんじょうぐう)、今の諫早神社の浄宮として祭祀されたそうで

すが、その石碑と、船霊明神(ふなだまみょうじん)があるということで、見に行きましたが、

道が分からず、本殿の後ろ側らしいので、道らしき所はなかったのですが、とにかく直線に

登ると、なんと、ちゃんとした道が・・・意外と広い場所に出ました。

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左の祠には、「四面上宮」と書いてあり、向かって左側には、「享保十三年」の文字が彫っ

てありましたが、本来の開基は元禄五年だそうです。


右が「船魂明神(ふなだまみょうじん)。夜ここから光る霊光が、有明海の漁夫の大漁を守

ったと言うことです。


なお、この神社は、諫早一揆にも関りがあり、詳しくはホームページがあるので、是非ご

覧下さい。なお、私の記事も、ホームページを参考にしています。

御館山稲荷神社ホームページ→こちらをクリック


あと、「鎭西八郎為朝の矢受け石」等ありましたが、また明日。風景は諫早を眼下に眺め

る素晴らしいものでした。

Photo

なお、諫早の詩人伊東静雄はこの神社を、「日に一度御館の山に祈るこそ二十の吾の日

課にてありき」と詠んだそうです。

(参考・引用:「御館山稲荷神社ホームページ」「諫早を歩く~山口八郎著)


なんともいえず清々しい神社でした。私も、ポチじゃなく、心を込めてお祈りしてきました。

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2012年12月 4日 (火)

柿ノ本古墳★墓どろぼうの話顛末記~長崎県雲仙市瑞穂町

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先日、瑞穂町歴史探訪があり参加。説明は瑞穂町史談会の方々でしたが、やはり、本で

調べるより、地元の方の興味ある話が聴けました。


上のマップは、瑞穂町の文化財マップですが、スキャナーに全部入りきれなく、左右上下

が少しずつ切れています。


この、マップを見ると、千々石町、愛野町と違って、遺跡、城跡等が多いこと。こちら方面

は千々石町、愛野町あたりと違い、昔から、平野が広く、栄えていたことが伺えます。


その一つに、柿ノ本古墳があります。

Pb250396

この地方で良く見かける古墳です。7世紀頃の古墳時代の構造で、昭和45年に緊急調査

されたそうですが、当時より損壊が激しかったそうですが、発見にいたるいきさつと、それ

にまつわる話が、当日の資料(みずほ史談創刊号より転記)に「墓どろぼうの話(柿ノ本古

墳顛末記)」として書いてあったので、ご紹介を。


昭和45年当時、教育長をされていた楢山正信氏の話によるものです。

当時、県立国見高校の宮本という生徒から、古墳らしいものを発見しました、と言う報告が

あったそうです。


その頃の、教育委員会は、教育長、社会教育主事、学校教育係と3名で、文化財の専門

職は置かれているわけでも無く、ともかく現場に行くと、大きな石が表土の上に頭を見せて

いるが、とても古墳には見えず、それでも、「高校生の宮本君が熱心に、どうも古墳のごた

るとあまりにも熱心に話すので」、それでは掘ってみろ、ということで掘ってみたところ、こ

れが、ビンゴ。

Pb250398

こちらが玄室になりますが、発掘当時から、むき出しになっていたそうです。天井石らしき

ものは、回りにも見当たりませんでした。


ここからは、勾玉、管玉、水晶製切子玉、金銀環、須恵器、鉄器(直刀)、ガラス玉が出土

したそうです。


これを県教育委員会に「柿ノ本古墳」として報告する事前に、新聞に「『瑞穂町教育委員会

が貴重な遺跡を盗掘』という大きな写真入りの記事で報道され、・・・色々のデマまで飛び

出し300万円で買いにきたらしいなど・・・」


どうして、こんな新聞記事になったかは、書いてありませんでしたが、当時はまだ文化財に

関しては、十分に理解がされていなかった時代ですから、このような誤解が生まれたのか

も知れません。


しかし、この高校生の宮本君、なんで古墳と分かったのでしょう?凄いものですね。

長崎県の平戸の里田原遺跡も、昭和47年、地元高校生が、工事で掘削されたところから

木片がのぞいているのを見つけ、これを機に調査が始まり、木製品約700点や土器約2

万5,000点が出土したそうですから、高校生といえど侮れませんね。


この柿ノ本古墳の調査は、大学が絡んで無く、大学が絡んだところは、愛野町の一本松

古墳のように出土品は、大学にもっていかれますが、ここの出土品は、瑞穂町公民館の2

階に展示され、自由に参観できます。興味のある方は是非どうぞ。

(参考:「当日配布テキスト」「みずほ史談創刊号」「長崎新聞」)


あなたのお家の庭も、ポチッと掘ってみてはいかが?何か出るかも・・・・下のバナーもポ

チッよ。

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2012年12月 3日 (月)

2012 「第6回雲仙市産業まつり★特産まんぞく市」~長崎県雲仙市

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昨日は、「島原半島伝承芸能まつり」と「第6回雲仙市産業まつり」のダブル開催。日程の

調整を欲しいものですが、両方とも、入りは満員。


産業祭は、雨の中、寒くはあるし、年寄りの身にはこたえました。産業祭は、9時からだっ

たのですが、10時頃行ってみると、もう人が一杯。会場は県南家畜市場でした。

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いつも、賑わっているのが婦人会のバザー。はやり、不景気の世の中でしょうか・・・少しで

も安い物を。私のカミサンも婦人会の関係者で、私も、ローレックスの時計を3本ばかり提

供(スイス製ではないやつ )。

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さて、こちらも行列が出来るところ。南串山町の婦人会の、日本一美味しいジャガイモを使

った、肉じゃが。先着1,500名の無料配布。まだ準備中の写真ですが、このあと、すらっ

と人が並びました。

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ほかに、今が旬の「多比良がね(たいら・雲仙市国見町)」。

長崎では揚げ蒲鉾を、天ぷら、なんていいます。

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「トマト大福」とはなんでしょう?焼きたてのピザ、本当に食べたかった。

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フリーマーケット。ジャガイモの町、愛野町の若手農業研究会が、ジャガイモから作った焼

酎。しばらく話をしてきましたが、皆、真面目ですね。飲めるなら買ってきたのですが・・

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あと、農産物、長崎ですから海産物、洋ラン、高菜こぶ饅頭、たこ焼き、肉まん・・・

どれも、地域の特産を生かして一工夫したのもがずらりと、並んでいました。


外から、良い香りがと思うと、牡蛎焼き。あ~美味しそう。

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外の舞台では、2014年の長崎国体のマスコット、がんばくん、るんばちゃんが、保育園

の子どもと一緒にPRの踊り(一番上の写真)。


左は千々石中学校吹奏楽部の御神楽ですが、このあと、「島原半島伝承芸能まつり」へ。

AKB並の忙しさ。大道芸の方、寒くて、やりにくそうでしたが。

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雲仙市と友好都市の求礼郡(くれぐん~韓国。両方とも国立公園第1号だと聞きました

が・・・)からの、イベント。唄とかもありましたが、この4人の演奏凄かったですね。建物の

中で買い物をしていた人も、なにが始まったか、皆見ていましたが、やんやの喝采。民間

では何の隔たりも無いんですが・・・


あと、いろいろあったみたいですが、「伝承芸能まつり」に向かうため、会場を後にしまし

た。

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昨年は、国会議員の福田絵里子さんが来ていましたが、今年はもうすぐ選挙とあって、立

候補する4名のうち、むくつけき2名がウロウロしていました。やはり、可愛い女性の方が

良いんですがね・・・


産業祭は買ってきて、食べたいのがたくさんあったのですが、減量中に付きガンマンの子

でした。お褒めのポチを・・・

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2012年12月 2日 (日)

この一曲★島原の子守唄~「三市合同 島原半島伝承芸能まつり」より

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今日は、朝から「第6回雲仙市産業まつり~特産まんぞく市」、昼からは、この「島原半島

伝承芸能祭」。会場が、かなり離れているので、一日バタバタ。


島原半島は以前1市16ヶ町だったのですが、合併で3市になり、この3市の伝承芸能祭

を、回り持ちで開催することに。今年は、雲仙市の当番。

上の写真は、島原市の保育園児による「島原の子守唄」。


下の写真、左はお馴染みになった、雲仙市千々石中学校の吹奏楽部による「御神楽」。右

は南島原市口之津町の「真米(まごめ)銭太鼓」。安来節に合わせて、硬貨を入れた竹筒

を、音楽に合わせて、動きながらならすもの。地元の清雲寺へ鐘楼が作られ、牛車で運ば

れるとき、落成の祝いとして、その前を歩きながら踊ったものが最初だそうです。

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雲仙市小浜町富津地区の浮流。富津小学校の男子児童15名、師匠5名でやっているそう

ですが、ここでも、少子化に悩んでいるそうです。

雲仙市南串山町の「小豆島望郷歌」。南串山町は天草・島原の乱で、人がほとんどいなく

なり、小豆島からの移民が多く、伊勢音頭調の望郷歌です。「お伊勢参りをするなら、自分

の故郷の小豆島に立ち寄っていきたい」との願いが込められているそうです。

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島原市有明町の「土搗唄(どうつきうた)と実演」。昔は機械が無かったので、家を建てると

きなど、土を固めるとき、このようにしてやっていたものです。

特別出演の雲仙市小浜中学校の吹奏楽部。市内イベントの時はいつも出演をしていま

す。全国大会でも金賞を受賞しています。

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南島原市口之津町「瀬詰(せづめ)太鼓」。以前、太鼓のブームがありましたが、このグル

ープは34年目を迎えたそうです。

雲仙市愛野町の「新崎(しんざき)いない踊り」。愛野町新崎地区は千鳥川の川下で、干

潟の海に接し、潮水や高波を防ぎ、田んぼを作るため、木の板にわら縄を巻き、土を担い

で、運んだそうです。その、つらい作業を、唄と踊りでその時代を伝承しているそうです。

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南島原市南有馬町の「北岡浮流」。こうして見て行くと、浮流にも各地で、色んな物が見ら

れて、面白いですね。笛と、太鼓と、舞。何か、遠い昔を感じさせます。

島原市の「島原甚句」。昭和10年くらいに出来た民謡で、レコードにもなったそうですが、

いつのまにか消失、50年ぶりに発掘され、やっと日の目を見たものだそうです。

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雲仙市国見町の「東里荒踊り」。佐賀鍋島家、勝茂公が島原の乱が終わって帰るとき、国

見町に、5日間滞在。その時、四面宮(神社)で戦勝祝いとして踊ったのが始まりだそうで

す。自治会全員で取り組み、100人で踊れるよう、衣装も揃えているそうです。

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最後が三市合同での「島原七万石踊り」。400年ほど前、京都福知山から、松平忠房公を

藩主に迎え、大分豊後高田三万石を合わせ、七万石の島原藩が誕生。その後、島原藩は

幕末まで安定した時代を過ごします。

今回、この歴史と伝統を残す、島原七万石を、最後に三市合同で踊ることに。


さて、島原半島といえば、「島原の子守唄」。長いので一番だけ。


島原の子守唄


おいどみゃ 島原の おどみゃ 島原の

梨の木 育ちよ

何の梨やら 何の梨やら

色気なしばよ しょうかいな

はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ

鬼(おん)の池ん 久助どんの 連れんこらるばい

(宮崎康平 作詞:作曲)


この歌、本当は悲しい内容があるのですが・・・・また、いつか・・・・

(参考・引用:パンフレット解説より)


今日は天気が悪く、行ったり来たりで疲かれました。歳をポチッと感じる日でした。

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2012年12月 1日 (土)

第7回 雲仙市少年の主張大会~長崎県雲仙市

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今日は、第7回の雲仙市少年の主張大会が開催されました。今年の会場は、千々石町公

民館の講堂でしたが、駐車場(農協の駐車場も借りてありましたが)も会場も満杯でした。


雲仙市は、7ヶ町の合併で、各町での予選会から選ばれた、小学生7名、中学生7名の14

名での熱弁。


小学生は、「夢を追いかけて」、「リーダーとして」、「チームの力」、「お年寄りとの交流」、

「ぼくの夢に向かって」、「ただいま笑顔発信中」、「『富津』大好き」。女の子は1名でした

が、この子が、一番元気良く、内容も良かったみたいです。


「夢を追いかけて」を発表した子は、オリンピックで、金メダルを取った内村選手の両親が

開いている、「スポーツクラブ内村」に通って、金メダルを目指して頑張っているそうです。

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小学生は、自分が頑張ろうと言う主張に対し、中学生は見る目が広がってくるのか、社会

問題を取り上げている子が、多いようでした。


「可能性を生かして」、「障害を持つ人と私たちー同じ人としてー」、「無言掃除」、「高齢者と

これから」、「ことばの力」、「少子化・高齢化社会について」、「つながりの中で見つけたこ

と」。


残念ながら、中学生の部では、出場者全員が女子。男子は0人でした。どうも、草食系男

子が増えているとか、雲仙市も例外ではないようですね。


今、「いじめ」が問題になっていますが、今日発表した子の中にも、いじめをしていた子もお

り、反省をこめて発表をしていました。


今の若い子はと言いますが、心底は、悩みながら、色んな事を考えているのではないでし

ょうか?あとは、育てている親の問題が一番大きいような気がするのですが・・・・


気になったことが一つ、普通、壇上に上がるときは、国旗、市旗等に一礼するのが礼儀な

のですが、一礼したのは一名だけでした。(国旗については、いろいろと議論があります

が・・・)


さて、今日は、真面目に意見発表を聞いていたのですが、どうも、前の方が気になって、失

礼になるとは思いながら、ついつい写真を撮らせていただきました。見事なものでした。す

みませんm(_ _)m。

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ポチと触りたいような頭でした。

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