ミニ眼鏡橋完成&御書院~諫早市
この間から、何回か書きましたが、「ミニ眼鏡橋」、あと少し工事jが残っているようですが、
ほぼ完成でしょう。こうして見ると、「眼鏡橋」という名前の由来が、よく分かると思います。
左の写真が9月頃の工事中の写真。上と右の写真が今日の写真ですが、入れない様に、
ロープが張ってありました。渡れないように、柵などの工事をするのだと思いますが、この
橋、渡るのはちょっと、おっかないですね。
さて、来たついでに、諫早高校内にある御書院をちっと見学に。名前知っていたし、私の
愚娘も、諫早高校出身なのですが、見に行ったことがないので・・・
戦国時代に、諫早を支配していたのが、西郷氏、それを滅ぼしたのが佐賀の龍造寺で、
その後、「諫早氏」に改名しました。
この、御書院は、佐賀藩主の接待など、公式行事に使われていたそうですが、大正11
年、県立諫早中学校が開校するにあたり、諫早家が、約一万坪ばかり学校用地に寄付し
たそうです。
考えれば、諫早競技場の一部も諫早家の寄付。確か、諫早郷土館も、諫早家の住居を寄
付したものと聞いたことがあります。なんとも、太っ腹のお殿様ですね。
御書院入り口になっていますが、新しく作ったものでしょう。入り口の横の張り紙を見て思
わず笑いましたが・・・・「猿が目撃されましたご注意下さい」。私の家の近くなら、分かるの
ですが。
静かで良い所ですね。写真では全体像が分かりにくいのですが、モミジが真っ赤に染まっ
て綺麗でした。私の家の庭も少し改造するかな。
この、御書院、市役所あたり周囲を「高城回廊」として整備していますが、ここ、足元が柔
らかく、スポンジみたいな感じで、歩きやすいですね。膝に負担がかからず、楽でした。最
も途中で雨が降ってきたので、引き返しましたが。また、天気の良い日にでも。
昨日は、私の町で町内放送をやっていまして、「○○地区に猿が目撃されました、いたず
らしたり、餌をやったり、ポチとでも目を合わせないで下さい。」との事でした。下のバナー
はポチして結構ですよ。
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